一昨日あたりから、読んでいる。
 作者は、青木栄一。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーから出ている。
 もう少しで読み終わりそうだ。

 文中に、甲武鉄道や日本鉄道土浦線建設などの際の忌避伝説も扱われている(甲武鉄道は現在のJR中央線の新宿・八王子間、日本鉄道土浦線は現在のJR常磐線の上野・友部間)。
 忌避伝説の根拠となる一次資料がない(少なくとも未だに発見されていない)ということが、時折、触れられている。
 鉄道建設反対運動自体は、各地に存在したが、これは農地を分断されたり、築堤や橋梁の建設によって洪水時に湛水することを恐れてのことが多かったという。市街地に建設する際は、すでに人家などもあることから、交通の分断や、蒸気鉄道敷設に伴う火災の発生が懸念されたりした(日本鉄道の上野・秋葉原間。これは、安全性確保などに努め、将来は高架化するという条件で何とか敷設にこぎつけた)。
 鉄道駅の位置については、用地買収の利便性などから、従来の市街地から外れたところに建設されることが当たり前であり、市街地と鉄道駅が離れていることを以って、鉄道忌避伝説の根拠にはできないとも記されている。

 甲武鉄道と聞いて、確認してみたくなったことがあったので、Wikipediaを調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%AD%A6%E9%89%84%E9%81%93

 すると、こんな記述があった。

会社概要
(中略)
当初の計画では甲州街道に沿う形での建設が想定されたが、各宿駅の反対に遭い止む無く武蔵野台地に通すことになった。沿線の農民は大変協力的でほぼ一直線に敷設することが出来た。
(後略)

 え?
 甲州街道沿いの各宿駅が反対したということを記した一次資料って、ないんじゃなかったけ?
 そもそも、甲武鉄道は、青梅街道や五日市街道に沿っての馬車鉄道の構想から始まり、馬車鉄道ではなく蒸気鉄道を建設することになり、建設しやすい武蔵野台地上を一直線に立川まで造ったのであって、甲州街道沿いに建設する計画構想自体がなかったということではないのか。鉄道建設計画がない以上、反対のしようもないのだが。
 自分も一次資料とかに当たっているわけではないから、何とも言えないのだけれど。

 鉄道忌避伝説とは、根の深い都市伝説なのだと改めて、感じさせられた。
 というCDを借りて、聴いている。
 その中でも、タイトルなどからして、つい気になってしまうのが、『ナポレオン?世とその勇敢なる民衆への讃歌』という曲である。
 軍楽隊の演奏が厳かに始まり、静かだが力強くテノールが歌いだす、段々、盛り上がってきて、「皇帝万歳!」と歌うと、鐘と大砲の音でクライマックスを迎えるという曲だ。
 称える相手が、ナポレオン?世というあたりが、「?」という感じであるが……。

 ……本当は『どろぼうかささぎ』を聴きたいのに……。

『ラインの虜囚』

2006年12月24日
 今日、図書館に行ったら、そんな本を見つけた
 ハードカバーの立派なものだ。本の装丁は、児童向け文学書という感じだろうか。中身も、全部ルビが振られている
 著者は田中芳樹、講談社からの刊行だ

 舞台は1830年の初冬のフランス
 カナダから来たコリンヌは、亡くなった父の名誉のため、パリにいる祖父(伯爵)から命ぜられた奇妙な探索を行うことに
 そんなヒロインに、借金取りと編集者に追われる天才作家(?)、三か国から賞金をかけられた紳士(?)、腕っ節の強い剣士風の中年男が仲間に加わり、ライン河を目指すのだが……

 ロッシーニといい、ここ数日は十九世紀半ば前後に縁があるようだ
 携帯電話の電池の持ちが悪く、電池切れになることが多い。
 まだメール作成中なのに。

 会社のパソコンの調子が悪く、作業が強制的に終了になってしまう。
 やり残した作業はまだあるのに。

 会社で仕事が多くて残業しようとしても、残業代のお金がなく、上司から早く帰るよう急かされ、強制的に切り上げざるをえない。
 やり残した仕事はまだまだあるのに。

 仕事などで消耗しきっていて、夜も早々に眠くなる。それでも起きていると、電池が切れたように活動が止まってしまう。
 やりたいことは多いのに。

 朝。寝足りないのに、出勤の時間が迫りつつある。
 まだ寝ていたいのに。

 金曜日。仕事は残っていても、退勤する。少しホッとする

 日曜日夕方。週末の終わりが迫る。また仕事かと思うとうんざりする。
 まだ休みたいのに。

 子供の頃、遊んでいると暗くなって、遊ぶのを止めた。
 まだまだ遊んでいたかったのに。


(とうとう寿命が来て、生きるのを止めた。
 まだやり残したこと、やりたいことはあるのに。)
 暑いだけでなく、蒸すので、この時期は大変になってきます。
 職場も、空調をなかなか入れないし。
 空調が入るのは、7月からです。
 設定温度は28度だとか。

 今日は、出勤して、作業しやすい格好をする。
 廃棄文書の積み出しをしないといけないのだ。
 すでに、暑い中の出勤で汗だくになっている。
 作業服に着替えたら、部長が説明を求めている事項があったので、係長と一緒に説明をしないといけなくなった。
 説明自体はできたけれど、Tシャツ作業服姿で、汗だくになっている人間を見て、部長はどう思ったことだろう。

 更に汗だくになりつつも、文書の廃棄作業は終わる。
 比較的短い時間で終わったので、体力の消耗はさほどではない。
 仕事は、はかどらず。
 そうこうしていると、電話がかかってきて、一層はかどらない。
 かかってきた電話の一つが、よその会社からのものだった。こちらが忙しくて、回答をせずに、つい放置してしまった件があるのだ。
 お詫びをしつつ、電話を終える。

 午後は午後で、上司から、説明を求められたりして、レポート作成がなかなか進まない。
 今日も、進まない内に、業務時間は終了となってしまった。
 疲労はさほどなくて済んでいるのが、不幸中の幸い。
 明日は、つくば出張だ。

函館旅行

2006年3月19日 旅行
函館旅行
 18・19日と一泊二日で函館に行って来ました。
 ハードスケジュールで、当地に戻ってきたのは、つい先ほどなのですが、収穫はありました。

 まず、ハリストス正教会の鐘の音。
 土曜の夕方に聞けるとは思いませんでした。
 17時ちょっと前に、一緒にいた友人(先輩)と一緒に、お茶をしていた五島軒を出て歩いていたら、「カーン…、カーン…」と聞こえてきました。聞き慣れている、教会の鐘の音とは、やや違い、余韻が残る感じです。
 「もしかすると…」と思っていたら、やがて目当てのものが聞こえてきました。
 「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と急に軽やかに鳴って、「カンカンカンカンカンカンカンカン♪」と八分音符(?)のリズムで鳴り、その調子は続けたまま、「キンコンカンコン、キンコンカンコン」と四分音符(?)で鳴らす音が聞こえてきました。
 しばらく、二つのリズムの協奏が続き、鳴り止んだかと思うと、また「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と繰り返しになります。
 あえて、無理やり語彙力や表現力のない私が表現するとこんな感じになります。音の表現って、難しい……。
 土曜の夕方にも、夜のミサが始まるために、鳴らされるらしいです。
 翌日の10時にもやって来たら、すぐ近くのカソリック教会が「カーン、カーン、カーン」と鐘を鳴らすのと一緒になり、面白いものがありました。
 カソリック教会の鐘の音は、例えば、ドラマなんかで結婚式の効果音として使われるような感じの、あの音だといえば、分かるでしょうか。
 大晦日になると、これまたすぐ近くの東本願寺かどこかの鐘も鳴らされて、大変らしいですが……。

 次に、函館の夜景。
 これは私は3回目くらいですが、日暮れと一緒に移り変わりがあり、面白いものがありました。
 同じものなのに、見方がちょっと変わると、新鮮に感じられるというのは面白いです。

 翌日の五稜郭も、2回は見たけれど、市立博物館の五稜郭分館には入ったことがなかったため、まずまず興味深いものでした。

 美味しいものも食べられたし、結構歩き回れたし、短い日程の中では、よくできた方だろう。
 これで当分、思い残すことはない(?)。

ベイラントの自由

2006年2月15日
 『週刊街道をゆく』のオランダ紀行3に目を通している。
 本に再び目を通すより、楽だし、写真が多くてイメージがはっきり湧きやすい(反面、イメージを制約される危険はあるが)。
 その中で、オランダ独立戦争の際に、ベイラントというオランダ商人が、敵であるスペイン軍に武器などを売って儲けるという話が出てくる。
 これに、当然、他のオランダ人たちは抗議するが、彼は「どうやって儲けようが自由だ」と反論したとか。
 こうした自由を「ベイラントの自由」というのだそうな。

 星新一のショート・ショートに、宇宙人がやって来て、放火したり人殺しをする話がある。
 宇宙外交の観点から、その宇宙人を有罪にしたくない人々は、優秀な弁護団を組織し、裁判官に圧力をかけて、無罪を勝ち取る。
「被告人は、人間ではない。したがって、人間に適用される法律は、彼には適用すべきでなく、無罪である」という判決が出る。
 ところが、その宇宙人が法廷の外に出たとたん、殺された人間の遺族である少年が、宇宙人を殺してしまう。
 慌てふためき、「人殺し」と詰め寄る人々を前に、少年はこう言う。
「彼は人間ではないんでしょう。何で殺人になるんですか」

 ルールに反しさえしなければ、どんなことをしても自由という発想も、付き合っていると疲れてくる。 こんなケースが出るたびに、「新たに規制を」「罰則の強化を」と騒がれ、新しいルールを作っても、穴をくぐって、利益を得ようとするケースは出てくるのだし。
 息抜きが必要かも(^_^;)

愛蘭土紀行読了

2006年2月6日
 今日の午前1時過ぎになって、ようやく『街道をゆく』の愛蘭土紀行?・?を読了。
 文学知識というか教養の持ち合わせはないけれど、なかなか楽しめました。
 ついでに、音楽的なセンスの持ち合わせはありませんが…(^_^;)

 今日は、昼に雪が降る。
 どうりで、会社の中が今ひとつ暖まらないわけだ。
 夕方までには雪は止んだけれど、冷え込みは一層増している。

 午後に出かけないといけないので、慌てて社用車を予約するが、マニュアルの軽自動車しか取れず。しかも、パワステでないヤツ。
 一緒に行く上司が、私の運転技術を危ぶんで、自分で運転するという。
 用事は何とか、つつがなく終了。
 友人から借りたCDを、PCの音楽ライブラリに落として、聴いているが、なかなかよろしい。
 仕事が終わって帰宅して聴くには良い曲だ。ほっとする。

 雨が上がり、自転車で出勤できる。
 しかし、夜中に雨が止んで、そのまま冷え込んだため、水滴が凍って自転車に付着していた。

 昨日は、パートさんに頼む仕事がないかと思っていたら、照会を依頼していた文書が戻り出したため、にわかに仕事が発生した。
 自分の仕事をしつつ、パートさんに仕事を指示したりする。
 この仕事は1年ぶりくらいで行うので、勝手が思い出せず、指示するほうが苦戦する。
 来週の木曜と金曜は、東京出張なのだが、その間、仕事をしてもらえるようにしないといけない。

 帰宅する途中、書店に立ち寄る。
 ようやく『街道をゆく 愛蘭土紀行』の1と2を購入する。
 後で見てみたら、なかなかに興味深そうな内容だ。
 案外、ビートルズについての話は少ないようだ。それなりにページを割いているけれど。

 他にも何かないかと思って、立ち読みをしたりする。
 童門冬二の山田方谷についての話は、何となく、描写が平べったい感じがする。これなら、インターネットのホームページ(『山田方谷マニアックス』)の方が、熱が入っているし、面白いかも。
 本当は、掘り下げた本を読むべきなのでしょうけれどね。

 新装版の『声の網』(星新一、角川文庫)が、新刊の文庫本と並んでいる。
 帯の文句に、「インターネットを予見した内容」とか何とかあった。
 星新一の作品は、ある意味、古びない内容なのだけれど、作中のツールは電話である。
 星新一の作品に、今の少年少女が、どのくらい新鮮な驚きを感じることができるのだろうか。
 ふとそう思いつつ、帰宅する。

 灯油を購入しに、自転車で再び外出する。
 帰宅後、洗濯物も干す。
 これで、のんびり夕食にできる。

何故か徒労感

2006年1月24日
 今日の仕事は大したことしていないのに……。

 仕事の都合で、市内のスーパーマーケットを何軒か回る。
 訪問先での仕事がなかなか進まなかった(一軒につき、一時間半とかかかっているんだもんなー)。
 そのため、件数も多くこなせないで今日は終わってしまった。
 大した仕事量ではないはずなのに、妙に疲労感の濃い一日となってしまいました。
 何でだろう……?

 帰宅途中、書店に寄り、『週刊街道をゆく』と鉄道雑誌を購入。
 『街道をゆく』の方は、愛蘭土紀行のロンドン、リヴァプールのくだりらしい(来週はオランダ紀行なので、それは楽しみ)。
 鉄道雑誌は、東海道本線全線電化50年の特集。
 いずれも面白そうだけれど、疲れていて、ちょっと目を通す気になれない。

 と言いつつ、『週刊街道をゆく』の愛蘭土紀行3は読了してしまいました。
 ロンドンにおける夏目漱石の悲しみ、ケルトをめぐる話、ビートルズ。なかなか興味深いものでした。
 文庫でもいいから、『街道をゆく』の『愛蘭土紀行3』を読んでみたくなりました。

水族館と……

2005年7月30日 友達
 暑さ本番となりました。

 今日は、東京在住の仲間を中心に品川にある水族館に行こうということになった。女性四人と私を含む男性が二人の総勢六名で、なぜか女性は全員浴衣姿であった。
 目的地は、プリンスホテルの中にある、エプソンの水族館だ。
 しながわ水族館をイメージしていたのだけれど、初めて聞いたその水族館は、入場待ちの列もあって、なかなか盛況だった。
 典型的な都市型の水族館というか水族館タイプのアミューズメント施設だ。どこかしら、サンシャイン60の水族館などを思い出させられた。
 それはそれとして、なかなか面白かった。
 入り口に、海の動物などをあしらったメリーゴーランドがあり、楽しげだ。水族館以外のアトラクションは1階部分にあるようだ。
 水族館も人が多い。
 どの魚の前も人が多いのだけれど、イルカやアシカのショーは人気が高く、立ち席すら満席になることも。
 ペンギンの水槽も人気が高い。私は、間近で見るのを諦めてしまった。
 通路に広がりがある割に、面白い見ものが、水中トンネルで見られるサメやエイなどだろうか。透明なトンネルの上に、ノコギリザメがうつぶせになって寝ているのだけれど、通路から見上げる顔状のものがユーモラスで面白い。それが、2匹も3匹もそんな状態だったりすると、笑ってしまう。サービス精神が旺盛なんだか、不精なのだか、よくわからない人たちである。

 水族館を一通り堪能して、ふと、浴衣の話になる。
「Mくん、浴衣を買おうかとか言っていたわよねー」
「できたら、買いたいとは思いますけれどね」
「だったら、みんなで一緒に行こうか?」
「え?皆さんのご予定などはどうなるんですか?」
 特に異論はない様子。いいんでしょうか……?
「というわけで、浴衣見に行こー!」
と、みんなで銀座方面に行くことになりました。

 有楽町のプランタンで、十字絣の着物を見たが、他にも見てみようかとなり、銀座の方へ。
 浴衣姿の女性陣の写真を、銀座を背景に撮影する。
 帯などは案外、デパートでない店のほうが安い。帯と下駄を購入。
 三越や松屋にも行ったけれど、サイズがなかったりだった。ちょっと惜しい感じがする。
 三越では十字の絣を試していると、着物姿のお店の人に「夏目漱石の『坊ちゃん』風ですね。お似合いですよ」と言われたのだが、サイズがなくて断念(並んでいた商品はLLしかなく、私はLだった)。
 この状況を見たお店の人は「でしたら、銭形平次風はいかがかしら?鬼平も良いのでは?」と言い出す。なかなか面白いセンスだけれど、仲間内(特に女性陣)で考えられていた、イメージとは合わない。
 結局、プランタンで浴衣を購入。
 十字の絣に、黒を基調とした帯を締め、下駄を履く。
 すっかり明治の書生風に出来上がった。我ながら気に入った。
「とても似合うわよー。格好いいわね」
 ありがとうございます。これも、皆様のおかげです。
 記念撮影もバッチリしました。

 その後、食事をしつつ飲んだり、歓談して別れた。
 後半の浴衣の話がすっかり盛り上がってしまい、水族館は何となく霞んでしまう。ノコギリザメの立場はいったい?
 浴衣を脱ぐわけにもいかず、そのまま地下鉄に。何だか目立つようで(おそらく、下駄のせいか)、ちょっと恥ずかしいものがあったけれど、花火大会だったので、そうでもなかった。
 たまには良いかもしれない。
 あとは、ちゃんと着こなせるかどうかだ。

恐竜博

2005年6月25日
 今日も蒸し暑い。夏は好きでも嫌いでもないが、これはなかなか体に堪える。

 Mさんのお誘いで、国立科学博物館の恐竜博に行くことになった。入場券は招待券があるということで、ありがたくそのお誘いを受けたのだった。待ち合わせは午前10時半。
 ところが、なかなか好評な催しらしく、列がどんどん長くなる。
 私たちの間でも待つのが面倒になった人も出たため、見に行く人と、昼食にする人に分かれる。私は前者だ。
 貸し出された音声ガイドを聴きながら、展示物を見て行くと、なかなか見応えがあり、面白いものだった。鳥は恐竜の進化したものだったというテーマで、初公開の化石なども見せてくれる。音声ガイドの監修は、真鍋真博士である。
 見終わった後、根津や東大をうろうろする。蒸し暑い中を歩くのは、なかなか体力的に辛いものがある。
 近江屋のパンやケーキが美味しかった。ついでにクーラーが効いていてありがたい。
 学士分館のビアガーデンは安くて、ちょっと飲むには良い。蚊が出るのか、蚊取り線香の匂いがする。夏だなー。
 上野近くの池之端の鉱泉は、熱いけれど、汗を流すにはちょうど良い。入浴料とタオルがセットで500円とは安いと思う。

元の木阿弥?

2005年6月18日
 最近、どうにも落ち着かない。何か、焦燥感のようなものを感じたり、ちょっとした自己嫌悪になったり。
 何だ、前の状態に戻っただけじゃないか。

 時間は経過しているから、何かしら前に進んでいるのだ。
 どこかのスポーツ飲料のCMではないけれど、「昨日の自分に勝てるような気がする」という言葉で、前に進んで行くというのも一興か。

 何という曲だろうかと思っていたもののタイトルがわかる。
 ルパン三世に出てきた曲で、長いことタイトルがわからなかったものがあり、それがサン=サーンスの『交響曲第3番〈オルガン付き〉』の第2楽章第2部であった。巨大な飛行機が飛び立とうとする場面に使われて、実に効果的だった記憶がある。
 もうひとつが『雨にぬれても』という曲。曲の解説が不十分だけれど、まあ、正体がわかったからよしとしよう。

 実家の物置の掃除を母がしていて、変なものが見つかる。
 私が子供の頃に描いた絵が2枚。何だか妙な気分だ。

 やっと、母から借りた(?)、Accessの初心者用テキストを終えることができた。連休の途中から始めたので、一月半かかったことになる。やれやれ。
 あとは、実践あるのみ。
 それと、ホームページの作り方でも勉強してみようか。

5月の余波

2005年6月5日 日常
 最近は、5月の余波を受けて、ハイテンションな状態が続いている。我ながら陽気で上機嫌、悪く言えばおっちょこちょい、いつも大声で話したり動いたりでうるさい状態である。

 前の部署に来ていたAさんが、5月限りで派遣元に引き上げることになった。彼女は派遣元の正社員であったため引き上げてしまったのだ。
 その前の週だったか。同期のH氏から電話があった。
「最後の日の昼食会に来られないというのは、本当か?」
「仕事で外回りしています。無理ですよ」
「うーむ。そうすると、計画の発動が……」
「なんなんだ?その計画って?」
「昼食会の時に、何かインパクトのあるものを頼むよ」
「え?何やれっちゅうねん?」
「例えば、キャラクター電報とか」
「それって、ドラえもんか?」
「ドラちゃんは好き嫌いがあるから、ネコ(キティ)にしろ」
「ネコねえ。ドラちゃんだって、ネコじゃないか」
「そりゃそうだけど(笑)」
「じゃ、ネズミ(ミッキー)か?」
「それもありきたりなんだよな」
などのやり取りがあった(結局キティ電報になってしまった)。
 特急電車ホームで携帯電話から話したから、周囲の人はどう思っただろう?
 忙しくてまだ手配していないと前日にメールで送ったら、「ぶっ殺す!」ときたもんなー。そんなに言うなら、もっと自分の気持ちを具現化すれば良かったのに。
 電報の手配は初めてだ。電話で自分のメッセージを読み上げられるのは、自分の声を聞くようで違和感がある。
 あとで、お礼のメールが来たりしたので、何とか役目は果たせたようだ。
 Aさんにはご近所さんとしてのお付き合いが今後もお願いしたいものだが、難しいかな。

カヤック

2005年5月29日
 カヌーとカヤックは違うものらしい。
 カヤックとカヌーの大きな違いは、パドル(櫂)である。パドルの漕ぐ部分がシャフトの両側にあるものをカヤック、片方だけにあるものをカヌーという。パドルが違うだけで、漕ぎ方も結構異なってしまう。

 今日は、ロッジの片づけをしてから、カヤック(ついカヌーと言ってしまうけれど)の体験することになっている。
 ところが、途中、手違いがあったらしく、我々がカヤック持参で、インストラクターのみを付けてもらうことになってしまっていたらしい。
 カメラマンの人に交渉してもらったところ、何とか、10時半からカヤックの貸し出しも受けることができることになった。
 写真家の人にはいつもお世話になってしまう。ありがとうございます。

 池まで行く。
 カヤックとカヌーの違い、カヤックとはどういったものかということから教わる。
 カヤックはもともと、イヌイットが使ったという。アザラシの骨で組んで、外側を皮で覆う。パドルは槍も兼ねていて、元はもっと尖っていたのだそうだ。パドルでアザラシを狩るのだ。狩ったアザラシは、肉などを取った残りの骨と皮で、カヌーになる。
「自分たちの骨と毛皮で作られたものに人間が乗って、自分たちを狩るんだから、イヤよねー。本当に天敵じゃない?」
とはFさんのお言葉。
 次にパドルの持ち方、カヤックの乗り方・降り方・漕ぎ方・いざというときの対処法を主に教わる。
 パドルの持ち方は、中心から等しい距離に手を置く。肘の角度は90度になるくらいが適当とのこと。
 乗り方はまず、カヤックを岸と並行に着けて、パドルを座席の後ろに置く。パドルから絶対手を離さない。
 利き手が右なら、右の手のひらと親指でパドルを押さえ、座席の後ろの縁を残りの四本の指で押さえる。
 その状態で、お尻から座席の後ろに置く。足はまだ岸に残っている。これが一番、重心移動が安定するのだそうだ。カヤックの上では、絶対に立ってはいけない。
 お尻を乗っけて安定した状態であれば、両足をそろえて座席に入れて、お尻も座席に入れる。座る位置が定まったら、パドルを前に持ってくる。これで、乗船完了である。
 降りる場合は、乗る時の逆をすれば良い。
 漕ぎ方は、直進する場合はパドルを交互に水に入れて漕ぐ。曲がりたい時は、片側だけ漕ぐ。止まりたい時は、パドルを交互に水に入れて、漕がない(片側だけ入れると、片側だけ抵抗が生じるので、曲がるのに使えることを、あとで発見した)。後ろに進むときは、逆に漕げばいい。
 次に、ライフジャケットを着る。舟が引っくり返ったら、とりあえずびっくりして、それから冷静になって、座席から体を引き抜く。ライフジャケットは浮力があるので、泳げない人でも浮くことができる。体が座席から抜けないと、浮いてこられない。

 ここまで教わって、早速、乗船。
 インストラクターの人のおかげもあり、スムーズにいった。
 うまくは漕げないけれど、池の上なら十分だ。川ではまだまだ無理がある。
 水の上をスーッと進むのは、とても気持ち良い。景色もきれいだし。ボートより楽しいのではないだろうか。
 パドルの操作が下手なためか、水が垂れてきて、カヤックの中に少し水がたまる。座席のあるお尻のあたりはまだ良いとしても、そうではない太ももなどはちょっと冷たく感じる。
 あと、パドルはあまり高く振り上げて漕がなくても良いことがわかる。腕が疲れてしまう。
 それを除くと快適そのものだ。

 MさんやFさんたちが池の一角で騒いでいる。
 「アザラシ狩りだ!」「人間対アザラシ」などと言って、遊んでいるのだ。なかなか騒がしく、楽しそうである。

 池を一巡りする。山の中の池は水も周囲もきれいで、写真を沢山撮ってしまう。

 ひとしきり楽しんでると、2時間はあっという間だ。岸に引き上げる。
 お腹も空いた。
 引き上げて、片付けて、ひとしきり談笑する。
 昨夜の残りの、酒やつまみや菓子を食べて、エネルギー補給もする。
 インストラクターの人に感謝して、別れる。

 この後、阿弥陀堂に行ったり、周囲の棚田などを見て、きれいな風景を堪能する。
 私ともう一人の人は、先に帰ることにして、お別れする。まだまだ明るいのに、もう3時半では、もう帰らないといけない。
 月曜日休めれば、もっとお付き合いできるのだけれど。残念。

 長野からの新幹線では、お弁当を食べた後、眠くなって、そのまま寝てしまう。
 またカヤックをやってみたい。

鍋倉高原

2005年5月28日 旅行
 信州は良いところですね。

 8時にホテルのフロント集合。朝食を取る。
 この仲間内だと、大勢になると大変騒がしく楽しいのだが、昨日の今日で朝はまだ元気が足りないのと、人数が適度なために、それほどでもない。楽しく朝食は進んでいく。

 旧豊田村(現在は中野市の一部)まで行く。高野辰之記念館に行くためだ。高野辰之は「朧月夜」「故郷」「春の小川」などの作詞をした人だ。
 信州は山が多くて、どこかしら懐かしいような気がしていたのだけれど、歌の影響もあるかもしれない。信州の情景を思い浮かべて描いた歌詞が、普遍的な故郷をイメージできるものになっているところが素晴らしい。そして、信州がそのまま、日本の故郷のイメージになっているような気もする。
 駐車場に着くと、斜面を上ってショートカット。記念館前の公園(おそらく昔は学校だったのだろう)で、しばらくはしゃぎ回る。ブランコこいだり、鉄棒にぶら下がってみたり。この集団だからできるというか、やってしまう。
 記念館で、映像を見たり、展示物を見たりする。
 書をやってみたり、詩を作ったり、ドイツ語を混ぜてノートをつけて見たり……。なかなか頭の良い人だったようだ。
 記念館を出てから、高野辰之博士の生家を見た。子孫というか、2代あとのおばあちゃんがいて、話を聞けたりした(高野辰之は結婚したのだが、子供がいなかったため、弟を養子にして跡を継がせた)。普通な感じで、良かった。
 真宝寺(で良かったか?)や寺の下の川を見て(「春の小川」のモデルとの説あり)、歌の世界を味わってから、車に戻る。

 小布施まで行き、信州在住のカメラマンの人たちと合流する。
 お昼ご飯は栗おこわ。あと、他の人と一緒にそばを分ける。デザートの栗羊かんと栗かの子も分け合う。満喫して満腹。満足満足。

 鍋倉高原までの道々で、今夜の食事や飲み会の物資調達。こんなに買って大丈夫だろうか?

 鍋倉高原では、カメラマンの人の案内で、美しい景色を満喫できた。
 今年は寒さが尾を引いたので、まだ斜面には雪が残っている。
 雪の白さに、ブナの若緑が映えて、実に美しい色合いだった。
 池も雪でまだ埋まっているが、もう融けかけだ。向こう岸までそのまま行けそうだけれど、危ない。

 「森の家」に到着。ロッジは満室だそうだ。
 カート(ゴルフ場で使うようなヤツ)を使って、荷物をロッジまで運んだりする。
 バーベキューの準備もする。
 楽しく騒がしいうちに進んで、いつしか飲み食いしている。火を起こすまでが大変だったし、食材の準備も手間取ったようだけれど、この辺りは女性陣のおかげで進んで行く。
 明るい内に食事にありつけてありがたい。天気も良いから、これまた満喫できる。
 食事している内にも途中参加の人が来る。結局、15人に。

 「森の家」には風呂がない(シャワーはある)。車で何人かが、入浴しに行く。「森の家」と提携している施設の入浴料金は400円だが、「森の家」で入浴券を求めると200円になってお得だ。
 施設も、リニューアルしたばかりで、こぎれいだ。
 ああ、さっぱりした。

 帰ると、カメラマンの人が撮影した写真を、スライドショーにして見せてくれる。
 花の写真が専門なのだけれど、風景写真も素晴らしい。朝などの光線がきれいな時や物を狙って撮影する。寒いので大変だろうけれど、それで得られたものはとても美しい。こんな贅沢なものを、こんなに楽して見ていて良いのだろうか。
 これ自体は短めに終わったのだけれど、皆、疲れが出て来て、だんだん、寝入ってしまう人が続出。
 私もつい、寝てしまう。
 気がついたら、就寝というか、お開きになっていた。

 人数が多くて、寝具が足りないかもしれないというので、寝袋を持参したけれど、寝袋で寝る人がある程度いてくれたおかげで、使わないで済みそうだ。布団で寝る。
 寝袋と外国語会話の教材が、今回はちょっと重かった。
 あと、靴も。これは明日使うから、止むなしだけれど。
 おやすみなさい。
 今日は、「定時まで会社でお仕事→神保町で仲間と外国語会話を習う→クルマで長野入り」の予定である。
 業務終了近くなると、何となく気分が落ち着かない。予定通り行くのかという気持ちと、気持ちよく物事が運んでほしいという気持ち
 終了時刻間際に来たお客の相手をしてから、駅に行って、特急列車に飛び乗る。この時間の特急は、相変わらず座れない。

 外国語会話の勉強。
 と言っても講師も他の生徒も仲間なので、リラックスしてやっている。お気楽なのだ。
 発音や聞き取りが少し難しいし、応用するにも繰り返しが必要だ。

 神保町のレンタカー屋でクルマを借りる。すでに、仲間内のHさんなどの人たちが待機している。
 他にも、マイカーでKさん夫妻が来ている。私は、そちらに乗る。
 この時の人数は、全部で10名。
 22時出発。
 途中、2回休憩しながら、長野に向かう。
 長野のホテルに着いたのは、翌未明の1時半頃だった。
 さすがに寝るだけだ。
 この頃、残業をしにくくなった。
 だからというわけではないけれど、定時に退勤しやすい。良いことだ。
 滞っている仕事がなければの話だが……。

 お仕事終了後、近くの公園を散歩することにする。
 6月に夜間登山を行うつもりでいて、とりあえず、体力を養おうというのだ。提案者は、前の部署に居た時の後輩のN君。人数は私やN君も入れた5人。
 会社に近い沼は、一周が約3キロあって、手頃なコースだ。ランニングなどをする人が多い。私たちは、ウォーキングをする。
 皆で歩く。天気が良く、気温も高くないので、とても気持ち良い。登山の時もこうであってほしい。
 歩きながら、話が盛り上がる。こうして集まって話すことってなかなかないものだ。
「Mさん(私のこと)って、随分旅行しますよね」
とN君。
「別にそうでもないよ。嫁さんの実家が遠い人にはかなわないよ」
「でも君の場合、『ちょっと行って来る』って行き先が信州だもんな」
と同期のH氏。
「2泊とか3泊以上じゃないと、『旅行』とは言わないだろ」
と反論する。
「そうなのか?」
「それは違いますよ」
 なぜ、そう否定するんだ。
 途中、丘の上の雑木林にある公園で、滑り台を見つける。
「これ、面白そうだね」
 先週の土曜日を思い出して、試して見ることにした。
 階段の代わりに丸太で組んだ傾斜があり、垂らしてあるロープを伝って上っていく。
 滑り台はやや長くなっており、滑りやすくしてある。傾斜に身を任せると、速度がついて、楽しい。
 メンバーのほとんどが、試みる。皆、楽しんだようだ。

 2周歩いてやめる。
 N君がやや遅れ気味のペースになっていたが、大丈夫だろうか?
 終わった後、足に疲れが感じられる。
 腹も減ったので、後輩のN君、M君と私の3人で、ラーメンを食べてから帰宅することに。
 美味しく物が食べられることは、幸せなことだ
 なんとも取りとめない様ですけれど、仲間内ではつながるんですよね。

 今日は天気が良い。なかなかに暑い。
 11時、浅草雷門前で待ち合わせ。日差しがやや厳しい。

 今日の予定は、仲間の一人であるKさんの案内で、三社祭→街歩き→長命寺の桜餅と言問団子を食べる→向島百花園……となっている。
 夜は、昨年末に見たフラメンコの人がライブをするので、それを見に行くことになっている。さて、どうなるやら。

 時間どおり来たのは、KさんとYさんと私の3人であった。あとの人は追々、合流するようだ。
 11時半過ぎだったろうか、FさんとHさんも合流してきた。
 その前後で、浅草寺まで行くことにして、道々、買い食いする。結構、そそられるものだ。
 せんべい、瓦せんべい、カルメ焼き、豆腐ソフト……。
 Kさんが妙に購買意欲が旺盛な様子だ。
「朝ご飯食べてなかったんだよ」
 さいでしたか(あとでたこ焼きをご相伴になりました。美味しかったですよ。ごちそうさまです)。
 浅草寺の裏手には、町内神輿が集まってきていて、混雑も増している。お祓いを受ける前の神輿を写真に収める人も数多い。
 浅草神社(三社様)にお参りして、庫に収められている神輿も見物する。なかなか立派だ。
 三社様の裏手のほうに、小さなお稲荷様が祀られている。新門辰五郎が祀ったのだそうだ。あ、「慶喜」ですね(辰五郎は大河ドラマで、北島三郎が演じていた人)。
 Lさんが合流してきた頃に、神輿の宮出し(渡御)が行われる。神輿の数は百基にのぼるそうな。とてもそこまでは見物できんな。
 お祓いを受けた神輿が、順番に浅草神社の鳥居をくぐって、渡御してゆく。見たりお囃子を聞いたりしていて楽しいけれど、全部は見られない。
 途中で抜け出して、浅草寺から脱出する。
 あとは、Kさんのご案内で、待乳山聖天、三囲神社、向島百花園などを見て歩く。待乳山は、大根と巾着の絵馬が楽しい。
 途中、墨田川沿いを歩いて、長命寺の桜餅と言問団子を食べる。ちょうど良い休憩だ。
 向島百花園は初夏の陽気で草木の活気が感じられる。一見、放置され、秩序がないように見えるけれど、実はちゃんと手入れされている結果なのだ。
 百花園まで歩いたあたりで、Hさんが「東京一怖い滑り台が公園にあるんだけれど、行こうよ」と言い出す。どんなものなのか、興味がある。
 向島から京島へ歩く。途中の商店街でまた買い食いをする。ついでにビールやサワーなどのアルコールも調達。
 公園まで行くと、確かになかなか立派な滑り台がある。
 ちょっと恥ずかしいけれど、滑ってみる。勢いがつくと、ちょっと怖いかも。
 最近の子供は発育が良い。中学生のように見えるけれど、たぶん小学生だろう。女の子はともかく、男の子で、やや肥満気味な子供が、たまーに見られるのは、ちょっと気になる。大丈夫かな?
 女の子が結構、この滑り台で遊んでいる。中には立ったまま、スイーッと滑っていく子もいて、楽しい。
 立ち滑りにもチャレンジする。何とかやれるものだ。
 Hさんには「腰が引けてるよ」と笑われたけれど。

 夕方まで遊んでから、東中野まで移動。19時頃には着くことができた。
 大きな舞台ではなく、お店の中の舞台でフラメンコのライブをしていらしたのだけれど、熱気というか真剣さが見ている側に伝わってきて、少し緊張してしまった。
 あちらのフラメンコって、案外、こういう風に日常的に味わっているのだろうか。だとすると、結構、贅沢なものだ。慣れてしまうと、どうということもないのかもしれないが。
 こんなのに自分がなるなんて。

 19日の未明3時頃、全身の痒みで目が覚める。
 痒みがいつまで経っても止まらず、困った。
 寝不足だけれど、そのまま出勤。

 その日の夕方、同期の職員と軽く飲んで、いっそう痒みが増したような感じになったので、薬屋に駆け込む。
 蕁麻疹ですねと言われ、痒み止めと滋養強壮薬を勧められた。
 疲れたりすると、蕁麻疹が出やすいのだそうだ。
 痒み止めと滋養強壮薬がよかったのか、薬の副作用か、とても眠たくなり、早々に就寝する。

 今日は、念のため、皮膚科の医者に行くことにする。
 その前に、銀行への振込みで訂正をかけるものを処理しなければ。
 と思っていたら、社長決裁を要する他のものが決裁を経て戻ってきた。これについては、銀行と契約が必要だ。銀行に連絡を取る。
 午前遅くに、コンピュータ会社と、リースの打ち合わせ。書類の記載に若干まずいところがあったので、いったん持ち帰ってもらう。
 なかなか帰ることができず、医者にかかるまでに時間がかかってしまった。

 結局は「蕁麻疹ですね」「治りかけですね」「購入した薬は悪くないですけれど、今夜からこちらで処方する薬を飲んだり、塗ったりしてください」で終わった。原因は不明。あえて言うなら、疲労らしい。
 待ち時間2時間、診療10分足らず、会計と薬まで5分ほど。
 「病院っていったい?」と思う。

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