18・19日と一泊二日で函館に行って来ました。
ハードスケジュールで、当地に戻ってきたのは、つい先ほどなのですが、収穫はありました。
まず、ハリストス正教会の鐘の音。
土曜の夕方に聞けるとは思いませんでした。
17時ちょっと前に、一緒にいた友人(先輩)と一緒に、お茶をしていた五島軒を出て歩いていたら、「カーン…、カーン…」と聞こえてきました。聞き慣れている、教会の鐘の音とは、やや違い、余韻が残る感じです。
「もしかすると…」と思っていたら、やがて目当てのものが聞こえてきました。
「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と急に軽やかに鳴って、「カンカンカンカンカンカンカンカン♪」と八分音符(?)のリズムで鳴り、その調子は続けたまま、「キンコンカンコン、キンコンカンコン」と四分音符(?)で鳴らす音が聞こえてきました。
しばらく、二つのリズムの協奏が続き、鳴り止んだかと思うと、また「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と繰り返しになります。
あえて、無理やり語彙力や表現力のない私が表現するとこんな感じになります。音の表現って、難しい……。
土曜の夕方にも、夜のミサが始まるために、鳴らされるらしいです。
翌日の10時にもやって来たら、すぐ近くのカソリック教会が「カーン、カーン、カーン」と鐘を鳴らすのと一緒になり、面白いものがありました。
カソリック教会の鐘の音は、例えば、ドラマなんかで結婚式の効果音として使われるような感じの、あの音だといえば、分かるでしょうか。
大晦日になると、これまたすぐ近くの東本願寺かどこかの鐘も鳴らされて、大変らしいですが……。
次に、函館の夜景。
これは私は3回目くらいですが、日暮れと一緒に移り変わりがあり、面白いものがありました。
同じものなのに、見方がちょっと変わると、新鮮に感じられるというのは面白いです。
翌日の五稜郭も、2回は見たけれど、市立博物館の五稜郭分館には入ったことがなかったため、まずまず興味深いものでした。
美味しいものも食べられたし、結構歩き回れたし、短い日程の中では、よくできた方だろう。
これで当分、思い残すことはない(?)。
ハードスケジュールで、当地に戻ってきたのは、つい先ほどなのですが、収穫はありました。
まず、ハリストス正教会の鐘の音。
土曜の夕方に聞けるとは思いませんでした。
17時ちょっと前に、一緒にいた友人(先輩)と一緒に、お茶をしていた五島軒を出て歩いていたら、「カーン…、カーン…」と聞こえてきました。聞き慣れている、教会の鐘の音とは、やや違い、余韻が残る感じです。
「もしかすると…」と思っていたら、やがて目当てのものが聞こえてきました。
「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と急に軽やかに鳴って、「カンカンカンカンカンカンカンカン♪」と八分音符(?)のリズムで鳴り、その調子は続けたまま、「キンコンカンコン、キンコンカンコン」と四分音符(?)で鳴らす音が聞こえてきました。
しばらく、二つのリズムの協奏が続き、鳴り止んだかと思うと、また「キンコンカン♪、キンコンカン♪」と繰り返しになります。
あえて、無理やり語彙力や表現力のない私が表現するとこんな感じになります。音の表現って、難しい……。
土曜の夕方にも、夜のミサが始まるために、鳴らされるらしいです。
翌日の10時にもやって来たら、すぐ近くのカソリック教会が「カーン、カーン、カーン」と鐘を鳴らすのと一緒になり、面白いものがありました。
カソリック教会の鐘の音は、例えば、ドラマなんかで結婚式の効果音として使われるような感じの、あの音だといえば、分かるでしょうか。
大晦日になると、これまたすぐ近くの東本願寺かどこかの鐘も鳴らされて、大変らしいですが……。
次に、函館の夜景。
これは私は3回目くらいですが、日暮れと一緒に移り変わりがあり、面白いものがありました。
同じものなのに、見方がちょっと変わると、新鮮に感じられるというのは面白いです。
翌日の五稜郭も、2回は見たけれど、市立博物館の五稜郭分館には入ったことがなかったため、まずまず興味深いものでした。
美味しいものも食べられたし、結構歩き回れたし、短い日程の中では、よくできた方だろう。
これで当分、思い残すことはない(?)。
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信州は良いところですね。
8時にホテルのフロント集合。朝食を取る。
この仲間内だと、大勢になると大変騒がしく楽しいのだが、昨日の今日で朝はまだ元気が足りないのと、人数が適度なために、それほどでもない。楽しく朝食は進んでいく。
旧豊田村(現在は中野市の一部)まで行く。高野辰之記念館に行くためだ。高野辰之は「朧月夜」「故郷」「春の小川」などの作詞をした人だ。
信州は山が多くて、どこかしら懐かしいような気がしていたのだけれど、歌の影響もあるかもしれない。信州の情景を思い浮かべて描いた歌詞が、普遍的な故郷をイメージできるものになっているところが素晴らしい。そして、信州がそのまま、日本の故郷のイメージになっているような気もする。
駐車場に着くと、斜面を上ってショートカット。記念館前の公園(おそらく昔は学校だったのだろう)で、しばらくはしゃぎ回る。ブランコこいだり、鉄棒にぶら下がってみたり。この集団だからできるというか、やってしまう。
記念館で、映像を見たり、展示物を見たりする。
書をやってみたり、詩を作ったり、ドイツ語を混ぜてノートをつけて見たり……。なかなか頭の良い人だったようだ。
記念館を出てから、高野辰之博士の生家を見た。子孫というか、2代あとのおばあちゃんがいて、話を聞けたりした(高野辰之は結婚したのだが、子供がいなかったため、弟を養子にして跡を継がせた)。普通な感じで、良かった。
真宝寺(で良かったか?)や寺の下の川を見て(「春の小川」のモデルとの説あり)、歌の世界を味わってから、車に戻る。
小布施まで行き、信州在住のカメラマンの人たちと合流する。
お昼ご飯は栗おこわ。あと、他の人と一緒にそばを分ける。デザートの栗羊かんと栗かの子も分け合う。満喫して満腹。満足満足。
鍋倉高原までの道々で、今夜の食事や飲み会の物資調達。こんなに買って大丈夫だろうか?
鍋倉高原では、カメラマンの人の案内で、美しい景色を満喫できた。
今年は寒さが尾を引いたので、まだ斜面には雪が残っている。
雪の白さに、ブナの若緑が映えて、実に美しい色合いだった。
池も雪でまだ埋まっているが、もう融けかけだ。向こう岸までそのまま行けそうだけれど、危ない。
「森の家」に到着。ロッジは満室だそうだ。
カート(ゴルフ場で使うようなヤツ)を使って、荷物をロッジまで運んだりする。
バーベキューの準備もする。
楽しく騒がしいうちに進んで、いつしか飲み食いしている。火を起こすまでが大変だったし、食材の準備も手間取ったようだけれど、この辺りは女性陣のおかげで進んで行く。
明るい内に食事にありつけてありがたい。天気も良いから、これまた満喫できる。
食事している内にも途中参加の人が来る。結局、15人に。
「森の家」には風呂がない(シャワーはある)。車で何人かが、入浴しに行く。「森の家」と提携している施設の入浴料金は400円だが、「森の家」で入浴券を求めると200円になってお得だ。
施設も、リニューアルしたばかりで、こぎれいだ。
ああ、さっぱりした。
帰ると、カメラマンの人が撮影した写真を、スライドショーにして見せてくれる。
花の写真が専門なのだけれど、風景写真も素晴らしい。朝などの光線がきれいな時や物を狙って撮影する。寒いので大変だろうけれど、それで得られたものはとても美しい。こんな贅沢なものを、こんなに楽して見ていて良いのだろうか。
これ自体は短めに終わったのだけれど、皆、疲れが出て来て、だんだん、寝入ってしまう人が続出。
私もつい、寝てしまう。
気がついたら、就寝というか、お開きになっていた。
人数が多くて、寝具が足りないかもしれないというので、寝袋を持参したけれど、寝袋で寝る人がある程度いてくれたおかげで、使わないで済みそうだ。布団で寝る。
寝袋と外国語会話の教材が、今回はちょっと重かった。
あと、靴も。これは明日使うから、止むなしだけれど。
おやすみなさい。
8時にホテルのフロント集合。朝食を取る。
この仲間内だと、大勢になると大変騒がしく楽しいのだが、昨日の今日で朝はまだ元気が足りないのと、人数が適度なために、それほどでもない。楽しく朝食は進んでいく。
旧豊田村(現在は中野市の一部)まで行く。高野辰之記念館に行くためだ。高野辰之は「朧月夜」「故郷」「春の小川」などの作詞をした人だ。
信州は山が多くて、どこかしら懐かしいような気がしていたのだけれど、歌の影響もあるかもしれない。信州の情景を思い浮かべて描いた歌詞が、普遍的な故郷をイメージできるものになっているところが素晴らしい。そして、信州がそのまま、日本の故郷のイメージになっているような気もする。
駐車場に着くと、斜面を上ってショートカット。記念館前の公園(おそらく昔は学校だったのだろう)で、しばらくはしゃぎ回る。ブランコこいだり、鉄棒にぶら下がってみたり。この集団だからできるというか、やってしまう。
記念館で、映像を見たり、展示物を見たりする。
書をやってみたり、詩を作ったり、ドイツ語を混ぜてノートをつけて見たり……。なかなか頭の良い人だったようだ。
記念館を出てから、高野辰之博士の生家を見た。子孫というか、2代あとのおばあちゃんがいて、話を聞けたりした(高野辰之は結婚したのだが、子供がいなかったため、弟を養子にして跡を継がせた)。普通な感じで、良かった。
真宝寺(で良かったか?)や寺の下の川を見て(「春の小川」のモデルとの説あり)、歌の世界を味わってから、車に戻る。
小布施まで行き、信州在住のカメラマンの人たちと合流する。
お昼ご飯は栗おこわ。あと、他の人と一緒にそばを分ける。デザートの栗羊かんと栗かの子も分け合う。満喫して満腹。満足満足。
鍋倉高原までの道々で、今夜の食事や飲み会の物資調達。こんなに買って大丈夫だろうか?
鍋倉高原では、カメラマンの人の案内で、美しい景色を満喫できた。
今年は寒さが尾を引いたので、まだ斜面には雪が残っている。
雪の白さに、ブナの若緑が映えて、実に美しい色合いだった。
池も雪でまだ埋まっているが、もう融けかけだ。向こう岸までそのまま行けそうだけれど、危ない。
「森の家」に到着。ロッジは満室だそうだ。
カート(ゴルフ場で使うようなヤツ)を使って、荷物をロッジまで運んだりする。
バーベキューの準備もする。
楽しく騒がしいうちに進んで、いつしか飲み食いしている。火を起こすまでが大変だったし、食材の準備も手間取ったようだけれど、この辺りは女性陣のおかげで進んで行く。
明るい内に食事にありつけてありがたい。天気も良いから、これまた満喫できる。
食事している内にも途中参加の人が来る。結局、15人に。
「森の家」には風呂がない(シャワーはある)。車で何人かが、入浴しに行く。「森の家」と提携している施設の入浴料金は400円だが、「森の家」で入浴券を求めると200円になってお得だ。
施設も、リニューアルしたばかりで、こぎれいだ。
ああ、さっぱりした。
帰ると、カメラマンの人が撮影した写真を、スライドショーにして見せてくれる。
花の写真が専門なのだけれど、風景写真も素晴らしい。朝などの光線がきれいな時や物を狙って撮影する。寒いので大変だろうけれど、それで得られたものはとても美しい。こんな贅沢なものを、こんなに楽して見ていて良いのだろうか。
これ自体は短めに終わったのだけれど、皆、疲れが出て来て、だんだん、寝入ってしまう人が続出。
私もつい、寝てしまう。
気がついたら、就寝というか、お開きになっていた。
人数が多くて、寝具が足りないかもしれないというので、寝袋を持参したけれど、寝袋で寝る人がある程度いてくれたおかげで、使わないで済みそうだ。布団で寝る。
寝袋と外国語会話の教材が、今回はちょっと重かった。
あと、靴も。これは明日使うから、止むなしだけれど。
おやすみなさい。
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そうだ、信州へ行こう
2005年5月27日 旅行 今日は、「定時まで会社でお仕事→神保町で仲間と外国語会話を習う→クルマで長野入り」の予定である。
業務終了近くなると、何となく気分が落ち着かない。予定通り行くのかという気持ちと、気持ちよく物事が運んでほしいという気持ち
終了時刻間際に来たお客の相手をしてから、駅に行って、特急列車に飛び乗る。この時間の特急は、相変わらず座れない。
外国語会話の勉強。
と言っても講師も他の生徒も仲間なので、リラックスしてやっている。お気楽なのだ。
発音や聞き取りが少し難しいし、応用するにも繰り返しが必要だ。
神保町のレンタカー屋でクルマを借りる。すでに、仲間内のHさんなどの人たちが待機している。
他にも、マイカーでKさん夫妻が来ている。私は、そちらに乗る。
この時の人数は、全部で10名。
22時出発。
途中、2回休憩しながら、長野に向かう。
長野のホテルに着いたのは、翌未明の1時半頃だった。
さすがに寝るだけだ。
業務終了近くなると、何となく気分が落ち着かない。予定通り行くのかという気持ちと、気持ちよく物事が運んでほしいという気持ち
終了時刻間際に来たお客の相手をしてから、駅に行って、特急列車に飛び乗る。この時間の特急は、相変わらず座れない。
外国語会話の勉強。
と言っても講師も他の生徒も仲間なので、リラックスしてやっている。お気楽なのだ。
発音や聞き取りが少し難しいし、応用するにも繰り返しが必要だ。
神保町のレンタカー屋でクルマを借りる。すでに、仲間内のHさんなどの人たちが待機している。
他にも、マイカーでKさん夫妻が来ている。私は、そちらに乗る。
この時の人数は、全部で10名。
22時出発。
途中、2回休憩しながら、長野に向かう。
長野のホテルに着いたのは、翌未明の1時半頃だった。
さすがに寝るだけだ。
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コンサート+磯遊び=?
2005年4月29日 旅行 今日は、クラシック音楽仲間(?)の知人の女性からの誘いを受けて、レクチャー付のパイプオルガンコンサートに行くことになった。
場所はサントリーホールである。東京の本格的な場所にクラシックの音楽を聴きに行くというのは初めてかもしれない。しかも知人とはいえ、女性と二人ときている。ちょっと緊張。
待ち合わせ時刻より若干遅れて到着したが、知人がさらに遅れて来たので何とかなったのは内緒(笑)。
今回のお題は「トッカータとフーガの謎」というもの。
バッハの「トッカータとフーガ」という曲は有名だが、バッハ直筆の楽譜がなく、弟子による写ししか存在しないため、バッハ作曲かどうかを疑う説もあるという。また、技法についても、晩年近くのバッハらしからぬものがたまに見受けられたりするという(専門的なことは忘れたが)。
ただ、それに対する反論もあり、バッハらしさを窺わせるところも随所にあり、どちらもともいえないらしい。なかなかに興味深い。
コンサートそのものも、聴き入ることのできる演奏で、来て良かったと思う。パイプオルガンの曲は、教会音楽が多いから、何だか神の御許に近づいた気分がちょっとした。
コンサートの開始は11時(待ち合わせは10時過ぎだった)からで、終了は13時を過ぎていただろうか。
「これからどうします?」
とLさんから話し掛けられる。
「天気がとても良いので、海でも見に行こうと思っていました。Mさんたちがちょうど、三浦半島に磯遊びに行っていますし……。合流できないとしても、海を見るだけでも」
「それはいいですねー。でもこの格好では……」
「確か、お住まいは東急沿線でしたよね?それなら、途中、寄って着替えてはいかがでしょう?」
「そうしてくださるなら助かりますけれど、よろしいんですか?」
「まったく構いませんよ。駅前の喫茶店かどこかでお待ちしていますから、ゆっくりお出でください」
というやり取りのあと、東急経由で三浦半島に行くことになった。
途中、待っている間に、持ってきていた本を少し読む。
茨城県民になったからにはこれくらいは読まないと。
いつ読み終わるんだか……。
横浜駅でお弁当を購入し、京急の三崎口行き電車の車内で二人して食べる。何だか旅をしている気分が高まる。午前中の待ち合わせの際にも、「サブウェイ」のサンドウィッチを食べたので、お腹の空き具合が微妙ではあったが。
平らなところがあまりなくなってきて、トンネルを何本も通過する。住宅地も斜面に建ち並ぶ。
上大岡、金沢文庫、横須賀中央……。三浦半島を感じさせる地名というか駅名が見受けられるようになる。終点近くにもなると、海が車窓から見えてくる。
三浦半島に行くってだけでも、いい気分がする。
三崎口に到着。
さて、ここからどうしようか?
と思っていたら、携帯電話に連絡が。Mさんだ。
「今、どこに居るの?」
「三崎口の駅です。とりあえず荒崎にバスで行こうとしているんですが」
「あ、それやめて。降りて降りて」
大慌てで、降りる。
「僕らはいま、小網代にいるんだ。だから小網代に向かってちょうだい」
「わかりました」
と連絡を受けたと思ったら、少しして追加の連絡が。
「駅まで迎えに行くから、そのまま居てください」
あらら。
のんびり待ちますか。
駅で待つことしばし。
迎えが来た。
といっても、Mさんではなく、仲間の一人が来て下さった。ありがたい。何台かに分乗して来たという。
小網代の漁港の奥まった所に、Mさんたちは居た。神社で道が途切れていたが、さらに水際を歩いた奥に居た。
こうなると最早、干潟である。私の靴が干潟の泥で、ちょっとひどいことになってしまった。こんな所まで来ているとは、予想外だ。離れたところから海を見ていれば良いかと思っていたのに。
MさんやKさんたちが、奥の橋の上から手を振っている。手を振り返す。
更に近づくと、Kさんから制止された。
「そのままそこに座って見てごらん」
おとなしくしていると、泥の沢山の穴から小さな蟹が出て来て、一斉に手を振り出した。何だかユーモラスで不思議な光景だった。
その後もしばらく、磯遊び(?)を楽しんだりする。
場所はサントリーホールである。東京の本格的な場所にクラシックの音楽を聴きに行くというのは初めてかもしれない。しかも知人とはいえ、女性と二人ときている。ちょっと緊張。
待ち合わせ時刻より若干遅れて到着したが、知人がさらに遅れて来たので何とかなったのは内緒(笑)。
今回のお題は「トッカータとフーガの謎」というもの。
バッハの「トッカータとフーガ」という曲は有名だが、バッハ直筆の楽譜がなく、弟子による写ししか存在しないため、バッハ作曲かどうかを疑う説もあるという。また、技法についても、晩年近くのバッハらしからぬものがたまに見受けられたりするという(専門的なことは忘れたが)。
ただ、それに対する反論もあり、バッハらしさを窺わせるところも随所にあり、どちらもともいえないらしい。なかなかに興味深い。
コンサートそのものも、聴き入ることのできる演奏で、来て良かったと思う。パイプオルガンの曲は、教会音楽が多いから、何だか神の御許に近づいた気分がちょっとした。
コンサートの開始は11時(待ち合わせは10時過ぎだった)からで、終了は13時を過ぎていただろうか。
「これからどうします?」
とLさんから話し掛けられる。
「天気がとても良いので、海でも見に行こうと思っていました。Mさんたちがちょうど、三浦半島に磯遊びに行っていますし……。合流できないとしても、海を見るだけでも」
「それはいいですねー。でもこの格好では……」
「確か、お住まいは東急沿線でしたよね?それなら、途中、寄って着替えてはいかがでしょう?」
「そうしてくださるなら助かりますけれど、よろしいんですか?」
「まったく構いませんよ。駅前の喫茶店かどこかでお待ちしていますから、ゆっくりお出でください」
というやり取りのあと、東急経由で三浦半島に行くことになった。
途中、待っている間に、持ってきていた本を少し読む。
茨城県民になったからにはこれくらいは読まないと。
いつ読み終わるんだか……。
横浜駅でお弁当を購入し、京急の三崎口行き電車の車内で二人して食べる。何だか旅をしている気分が高まる。午前中の待ち合わせの際にも、「サブウェイ」のサンドウィッチを食べたので、お腹の空き具合が微妙ではあったが。
平らなところがあまりなくなってきて、トンネルを何本も通過する。住宅地も斜面に建ち並ぶ。
上大岡、金沢文庫、横須賀中央……。三浦半島を感じさせる地名というか駅名が見受けられるようになる。終点近くにもなると、海が車窓から見えてくる。
三浦半島に行くってだけでも、いい気分がする。
三崎口に到着。
さて、ここからどうしようか?
と思っていたら、携帯電話に連絡が。Mさんだ。
「今、どこに居るの?」
「三崎口の駅です。とりあえず荒崎にバスで行こうとしているんですが」
「あ、それやめて。降りて降りて」
大慌てで、降りる。
「僕らはいま、小網代にいるんだ。だから小網代に向かってちょうだい」
「わかりました」
と連絡を受けたと思ったら、少しして追加の連絡が。
「駅まで迎えに行くから、そのまま居てください」
あらら。
のんびり待ちますか。
駅で待つことしばし。
迎えが来た。
といっても、Mさんではなく、仲間の一人が来て下さった。ありがたい。何台かに分乗して来たという。
小網代の漁港の奥まった所に、Mさんたちは居た。神社で道が途切れていたが、さらに水際を歩いた奥に居た。
こうなると最早、干潟である。私の靴が干潟の泥で、ちょっとひどいことになってしまった。こんな所まで来ているとは、予想外だ。離れたところから海を見ていれば良いかと思っていたのに。
MさんやKさんたちが、奥の橋の上から手を振っている。手を振り返す。
更に近づくと、Kさんから制止された。
「そのままそこに座って見てごらん」
おとなしくしていると、泥の沢山の穴から小さな蟹が出て来て、一斉に手を振り出した。何だかユーモラスで不思議な光景だった。
その後もしばらく、磯遊び(?)を楽しんだりする。
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熊野から鳥羽へ(旅行2日目)
2004年10月10日 旅行 いよいよ、八咫烏(やたがらす)に会うことができそうだ。
今日の天気は晴天。台風一過の後は、さすがに天気が良い。
宿の前を流れる川は増水しているが、エメラルドグリーンのきれいな流れだ。これで川原に設けられた露天風呂につかることができれば良かったのだろうが、そこまでは欲張りか。
皆で支度をしつつも寛ぎ、写真を何枚かパチリ。宿の喫茶店でも寛ぐ。コーヒーは炭焼きコーヒー、スプーン代わりに備長炭のスティックが付いている。スティックは指で弾いたりすると、キンキンと金属質の音がする。本物だ。さすがにご当地だ。
宿から車で熊野本宮大社に向かう。
宿から車で15分前後走ったところで、本宮大社である。
丘というか山に今の社がある。かつては川の中洲にあったが、明治時代に流された。森林の乱伐が原因らしい。
残った建物を今の場所に遷している。かつての境内には大きな鳥居があり、かつてを偲ぶ拠り所になっている。今回はそちらを見られそうにない。
石段が長く続く。祖母を気に掛けつつ、上って行く。
石段を登り切ると門が見える。横には摂社だろうか、お社がある。何となく眺めが手狭な感じがする。正直なところ、この眺めを見て、ちょっと失望する。流される前は大きな境内だったそうだが、規模が縮小してしまったのか。
だが、門をくぐって本殿に向かうと、そうでもなかった。門から神殿まで案外奥行きがある。建物の古さが周囲にすっかり馴染んでいて、明治時代に遷してきたとは思えない。
一昨年に行ってきた出雲大社を思い出した。何となく、感じが似ている。出雲にも熊野大社があるそうで、出雲の方が早かったという話もあるらしい。
こちらの熊野大社のお祭りしている神は、スサノヲノミコトだという。違う名前になっているけれど、地元の人はスサノヲだと思って拝んでいるらしい。
他にもアマテラスなど、いくつか神様をお祀りしているので、順繰りに拝む。
門を出て、社務所に向かう。改めて周囲を見回すと、八咫烏の幟が掲げられている。本当に脚が3本ある。
社務所で、烏文字の神符と勝守を求める。神符は烏の絵文字で書かれた紙だ。
今日は、熊野三社を巡ってしまおうということなので、あまりのんびりもしていられない。めったに来られない所で勿体無いが、次の目的地である熊野那智大社に向かう。
ここも案外とんでもないところにある。車でずっと道を登り切ったところに駐車場があるのだけれど、さらに石段をずっと上って行かないと那智大社に行くことができない。
駐車した後に聞いたら、那智大社の方ではなく、滝や五重塔(といってもコンクリート造りだが)の方には、参詣者専用の駐車場があるという。父が祖母を車に乗せて、そちらから行くことになった。
残った私たちは、そのまま石段を上って行く。石段は急だけれど、前に行った金毘羅さんよりはマシな気がする。あんなに長くはないし。
那智大社は、本宮とは違った感じだ。修験道とかなり混交があるらしく、神社というよりはお寺という感じを強く感じる。
一番気持ち良い眺めは、やはり五重塔からの滝の眺めだろう。お決まりなのかもしれないが、初めてだから、これでも良いのだ。パチリパチリと写真を撮る。途中で電池が切れたのには、ちょっと焦ったが。
那智大社から昼食も兼ねて、串本町方面に向かう。行ける所まで行って、南海の眺めを楽しもうということだ。
台風一過後の空は夏空を思わせる青さで、気温も夏並みに高い。自動車の外気温表示が25度を超えている。
串本では橋杭岩を見る。時間があれば、本州最南端の地まで行くのだが、その余裕はなさそうだ。それでも、この眺めのよさは素晴らしい。夏のような青空のもとに広がる海の色。橋杭岩はそのまま向こうの島まで続いているような眺めだ。
橋杭岩の近くの店で昼食をとる。
紀州は鯨の土地でもある。ここでも鯨を使った食べ物を売っている。鯨のベーコンというものまである。なかなかいい値段で売られている。おいしく食べられるように作れれば良いけれど、どうなのだろう。鯨を日常的に食べていた人の方がだんだん、少数派になってきているのではないだろうか。
串本から新宮の速玉大社に向かう。車の外気温表示は28度になっている。真夏に近いな、これは。10月は秋ではないのか。
昼下がりの日差しも、真夏を思わせる。昼食後の満腹感とエアコンの利いた車内の気温が心地よさを誘うが、運転中は我慢だ。車内はいつの間にか静かになっている。皆さん、お昼寝モードだ。
熊野速玉大社に到着。新宮市内にある大社は、本宮や那智のように借景がないためか、境内がやや狭く感じる。
建物は新しいのか、白い外壁に朱を使った建物が主であるためか、派手というか明るい感じがする。神様の祀り方は本宮に似ているが、拝殿が神殿の横にあり、三社の中では馴染みのあるスタイルに思われた。
さすがにやや疲れたのかボーっとして立っていると、結婚式のカップルや参列者がゾロゾロ移動しているところを見ることができた。何となく、奇妙な感じがする。そんなに疲れたのか。
頭の働きが普段に増して鈍っていたので一瞬分からなかったが、花嫁がウェディングドレス姿なのだ。しかも足元はいかにも土足という感じの運動用シューズらしきものを履いている。裾が長いので、たくし上げて歩いているのだが、洋装であることも相俟って、ちぐはぐな感じが目立った。
このカップルは、この神社に何を期待して挙式したのだろう。
いよいよ、鳥羽に向けて北上する。今日は何時に着くことができるだろうか。
海沿いの国道からの眺めは素晴らしいのだけれど、時間がかかって仕方ない。旅客に関しては鉄道がちゃんと動いていれば問題ないけれど、貨物などに関しては高速道路があっても良いように思う。国道だけでは心許ないように思うのだが。
行きで見た景色を見つつ北上する。多気にあるシャープの工場を見ると、伊勢に向かう高速道路は近いはずだ。もう暗くなってきている。
自動車道に乗った時には、すでに日は暮れてしまっている。道はかなり空いている。北海道の自動車道を思い出す。ついスピードが出過ぎてしまうので要注意だ。父からも注意される。危ない危ない。
伊勢市の辺りだろうか。高速道路は終点になり、そのまま国道を鳥羽に向けて走る。ナビに従って走って行くと、宿に近づくにつれて、ややこしい道を走らされる。
一度、道の分岐を見失ってしまう。駐車が多くて分岐の辺りにも車があったので、駐車場と勘違いした。戻って、再びナビの案内に従って走ると、今夜の宿に到着する。
今日の天気は晴天。台風一過の後は、さすがに天気が良い。
宿の前を流れる川は増水しているが、エメラルドグリーンのきれいな流れだ。これで川原に設けられた露天風呂につかることができれば良かったのだろうが、そこまでは欲張りか。
皆で支度をしつつも寛ぎ、写真を何枚かパチリ。宿の喫茶店でも寛ぐ。コーヒーは炭焼きコーヒー、スプーン代わりに備長炭のスティックが付いている。スティックは指で弾いたりすると、キンキンと金属質の音がする。本物だ。さすがにご当地だ。
宿から車で熊野本宮大社に向かう。
宿から車で15分前後走ったところで、本宮大社である。
丘というか山に今の社がある。かつては川の中洲にあったが、明治時代に流された。森林の乱伐が原因らしい。
残った建物を今の場所に遷している。かつての境内には大きな鳥居があり、かつてを偲ぶ拠り所になっている。今回はそちらを見られそうにない。
石段が長く続く。祖母を気に掛けつつ、上って行く。
石段を登り切ると門が見える。横には摂社だろうか、お社がある。何となく眺めが手狭な感じがする。正直なところ、この眺めを見て、ちょっと失望する。流される前は大きな境内だったそうだが、規模が縮小してしまったのか。
だが、門をくぐって本殿に向かうと、そうでもなかった。門から神殿まで案外奥行きがある。建物の古さが周囲にすっかり馴染んでいて、明治時代に遷してきたとは思えない。
一昨年に行ってきた出雲大社を思い出した。何となく、感じが似ている。出雲にも熊野大社があるそうで、出雲の方が早かったという話もあるらしい。
こちらの熊野大社のお祭りしている神は、スサノヲノミコトだという。違う名前になっているけれど、地元の人はスサノヲだと思って拝んでいるらしい。
他にもアマテラスなど、いくつか神様をお祀りしているので、順繰りに拝む。
門を出て、社務所に向かう。改めて周囲を見回すと、八咫烏の幟が掲げられている。本当に脚が3本ある。
社務所で、烏文字の神符と勝守を求める。神符は烏の絵文字で書かれた紙だ。
今日は、熊野三社を巡ってしまおうということなので、あまりのんびりもしていられない。めったに来られない所で勿体無いが、次の目的地である熊野那智大社に向かう。
ここも案外とんでもないところにある。車でずっと道を登り切ったところに駐車場があるのだけれど、さらに石段をずっと上って行かないと那智大社に行くことができない。
駐車した後に聞いたら、那智大社の方ではなく、滝や五重塔(といってもコンクリート造りだが)の方には、参詣者専用の駐車場があるという。父が祖母を車に乗せて、そちらから行くことになった。
残った私たちは、そのまま石段を上って行く。石段は急だけれど、前に行った金毘羅さんよりはマシな気がする。あんなに長くはないし。
那智大社は、本宮とは違った感じだ。修験道とかなり混交があるらしく、神社というよりはお寺という感じを強く感じる。
一番気持ち良い眺めは、やはり五重塔からの滝の眺めだろう。お決まりなのかもしれないが、初めてだから、これでも良いのだ。パチリパチリと写真を撮る。途中で電池が切れたのには、ちょっと焦ったが。
那智大社から昼食も兼ねて、串本町方面に向かう。行ける所まで行って、南海の眺めを楽しもうということだ。
台風一過後の空は夏空を思わせる青さで、気温も夏並みに高い。自動車の外気温表示が25度を超えている。
串本では橋杭岩を見る。時間があれば、本州最南端の地まで行くのだが、その余裕はなさそうだ。それでも、この眺めのよさは素晴らしい。夏のような青空のもとに広がる海の色。橋杭岩はそのまま向こうの島まで続いているような眺めだ。
橋杭岩の近くの店で昼食をとる。
紀州は鯨の土地でもある。ここでも鯨を使った食べ物を売っている。鯨のベーコンというものまである。なかなかいい値段で売られている。おいしく食べられるように作れれば良いけれど、どうなのだろう。鯨を日常的に食べていた人の方がだんだん、少数派になってきているのではないだろうか。
串本から新宮の速玉大社に向かう。車の外気温表示は28度になっている。真夏に近いな、これは。10月は秋ではないのか。
昼下がりの日差しも、真夏を思わせる。昼食後の満腹感とエアコンの利いた車内の気温が心地よさを誘うが、運転中は我慢だ。車内はいつの間にか静かになっている。皆さん、お昼寝モードだ。
熊野速玉大社に到着。新宮市内にある大社は、本宮や那智のように借景がないためか、境内がやや狭く感じる。
建物は新しいのか、白い外壁に朱を使った建物が主であるためか、派手というか明るい感じがする。神様の祀り方は本宮に似ているが、拝殿が神殿の横にあり、三社の中では馴染みのあるスタイルに思われた。
さすがにやや疲れたのかボーっとして立っていると、結婚式のカップルや参列者がゾロゾロ移動しているところを見ることができた。何となく、奇妙な感じがする。そんなに疲れたのか。
頭の働きが普段に増して鈍っていたので一瞬分からなかったが、花嫁がウェディングドレス姿なのだ。しかも足元はいかにも土足という感じの運動用シューズらしきものを履いている。裾が長いので、たくし上げて歩いているのだが、洋装であることも相俟って、ちぐはぐな感じが目立った。
このカップルは、この神社に何を期待して挙式したのだろう。
いよいよ、鳥羽に向けて北上する。今日は何時に着くことができるだろうか。
海沿いの国道からの眺めは素晴らしいのだけれど、時間がかかって仕方ない。旅客に関しては鉄道がちゃんと動いていれば問題ないけれど、貨物などに関しては高速道路があっても良いように思う。国道だけでは心許ないように思うのだが。
行きで見た景色を見つつ北上する。多気にあるシャープの工場を見ると、伊勢に向かう高速道路は近いはずだ。もう暗くなってきている。
自動車道に乗った時には、すでに日は暮れてしまっている。道はかなり空いている。北海道の自動車道を思い出す。ついスピードが出過ぎてしまうので要注意だ。父からも注意される。危ない危ない。
伊勢市の辺りだろうか。高速道路は終点になり、そのまま国道を鳥羽に向けて走る。ナビに従って走って行くと、宿に近づくにつれて、ややこしい道を走らされる。
一度、道の分岐を見失ってしまう。駐車が多くて分岐の辺りにも車があったので、駐車場と勘違いした。戻って、再びナビの案内に従って走ると、今夜の宿に到着する。
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