琵琶湖ツアー2日目
2002年3月3日 夜行の疲れもあって、昨夜はすぐに寝入ってしまった。枕もと近くで将棋を指していた人がいたようだが、持参した音楽を聞いている内にすぐに眠ってしまった。
朝食は8時から。やはり、納豆はないが、ヨーグルトがついている。
彦根城を見に行く。
今日は天気が良く、伊吹の山々や琵琶湖の対岸が良く見える。
城を本丸に向かって登ると、天守閣の前に私の住んでいる市から送られたしだれ梅が植えられていた。彦根市と友好都市であるとは聞いていたが、こんなところでその証しを見ることになろうとは。
さすがに売店で「○○の梅」「のし梅」などの菓子を見かける事はなかったが。
天守閣横の月見櫓(着見櫓)跡から、佐和山が見える。石の台の上に金属板が乗っており、山の位置などを説明している。
なぜかその台の上で腕相撲。左腕で勝つ。右腕は弱い。
さらにMさんが、この台の上に乗る。さすがに靴は脱いでいたが。この人を止められる人はメンバー中にはちょっといない。
別のメンバーがこの様子を写真に収める。
玄宮園(城の庭園)も見に行く。
庭園から出て駐車場に歩いていると、二期桜(年に二回咲く桜)があった。これも私の住んでいる市から贈られたものであるようだ。
そんなに目立ちたいのか?それとも桜田門のお詫びなのか?
安土城址へ向かう。
発掘がかなり進んで、本丸へ続く石段が復元・整備されている。この城は軍事目的ではないという説だが、石段一つ一つが大きかったり間隔が不均等だったりして、歩きにくい。本丸や天守閣などにはどうやって移動したのか。馬では無理だろうし。エライ人間は駕籠で良いかもしれないが、ヒラは困っただろうなあ。
それとも昔の人間は足腰がそんなに丈夫だったのか?
天守閣跡周囲の石垣上から見た琵琶湖の景色は、見晴らしが良く気持ち良い。今では安土山は琵琶湖から陸に入った場所であるが、干拓が進む前は安土山のふもとまで湖岸だったという。もっと良い景色を信長は見ていたのだろう。
近江八幡へ。
「たねや」という店で昼食をとる。味噌仕立ての鴨うどんを食べたのだが、白味噌を使っているらしく、上品な味になっている。
「たねや」は有名な和菓子屋だという。食事の後、家族や職場の土産を購入。3月3日だから、ひなまつりなど、季節限定のお菓子を何点も売っている。甘いものは大好きであり、全種類欲しいところだが、経済力は限られている。
近江八幡は近江商人発祥の地という触れこみで売り出している。私の中では近江兄弟社発祥の地というイメージがある。創業者の銅像が、町並みの中に在る。
古い町並みが随所に残っている。豊臣秀次が設けた八幡掘沿いは、時代劇の撮影でも使われている場所だ。自分の住んでいる市にも、こういう趣のある町並みが残っていれば、多少は違っただろうになあ。
整備された町並みを歩いていると、よそ見をして、歩道と車道とを仕切るポールの間の鎖に脚をぶつけてしまう。何気に痛い。
近江八幡でメンバーの大多数と別れる。
私は既にJRの乗車券を購入しており、そのままメンバーのクルマで東京方面に帰るわけにはいかない。茨城までの道のりを考えると、新幹線で帰る方が賢明である。
在来線電車を乗り継いで、名古屋へ。JR東海の新快速に乗りたいという気持ちがあったので、願望を満たすことができた。在来線で120とか130キロの速度を出して走っているのに乗っていると、力いっぱい走っていると感じられ、気持ち良い。
新幹線や飛行機は速いのが当たり前だ。
在来線特急は速いかもしれないが、別途料金が必要になる。
高速道路のクルマでは、速いことを気持ち良いと感じるかもしれないが、スピード違反だし、結構危険だ。
特別料金不要な列車が、目いっぱい速く走るのは気持ち良く、好きである。
名古屋から新幹線で東京へ。さらに上野から「フレッシュひたち」で帰る。帰り着いたのは22時半頃だった。
意外に早く帰れて良かった。これで明日も通常通り出勤できそうだ。
朝食は8時から。やはり、納豆はないが、ヨーグルトがついている。
彦根城を見に行く。
今日は天気が良く、伊吹の山々や琵琶湖の対岸が良く見える。
城を本丸に向かって登ると、天守閣の前に私の住んでいる市から送られたしだれ梅が植えられていた。彦根市と友好都市であるとは聞いていたが、こんなところでその証しを見ることになろうとは。
さすがに売店で「○○の梅」「のし梅」などの菓子を見かける事はなかったが。
天守閣横の月見櫓(着見櫓)跡から、佐和山が見える。石の台の上に金属板が乗っており、山の位置などを説明している。
なぜかその台の上で腕相撲。左腕で勝つ。右腕は弱い。
さらにMさんが、この台の上に乗る。さすがに靴は脱いでいたが。この人を止められる人はメンバー中にはちょっといない。
別のメンバーがこの様子を写真に収める。
玄宮園(城の庭園)も見に行く。
庭園から出て駐車場に歩いていると、二期桜(年に二回咲く桜)があった。これも私の住んでいる市から贈られたものであるようだ。
そんなに目立ちたいのか?それとも桜田門のお詫びなのか?
安土城址へ向かう。
発掘がかなり進んで、本丸へ続く石段が復元・整備されている。この城は軍事目的ではないという説だが、石段一つ一つが大きかったり間隔が不均等だったりして、歩きにくい。本丸や天守閣などにはどうやって移動したのか。馬では無理だろうし。エライ人間は駕籠で良いかもしれないが、ヒラは困っただろうなあ。
それとも昔の人間は足腰がそんなに丈夫だったのか?
天守閣跡周囲の石垣上から見た琵琶湖の景色は、見晴らしが良く気持ち良い。今では安土山は琵琶湖から陸に入った場所であるが、干拓が進む前は安土山のふもとまで湖岸だったという。もっと良い景色を信長は見ていたのだろう。
近江八幡へ。
「たねや」という店で昼食をとる。味噌仕立ての鴨うどんを食べたのだが、白味噌を使っているらしく、上品な味になっている。
「たねや」は有名な和菓子屋だという。食事の後、家族や職場の土産を購入。3月3日だから、ひなまつりなど、季節限定のお菓子を何点も売っている。甘いものは大好きであり、全種類欲しいところだが、経済力は限られている。
近江八幡は近江商人発祥の地という触れこみで売り出している。私の中では近江兄弟社発祥の地というイメージがある。創業者の銅像が、町並みの中に在る。
古い町並みが随所に残っている。豊臣秀次が設けた八幡掘沿いは、時代劇の撮影でも使われている場所だ。自分の住んでいる市にも、こういう趣のある町並みが残っていれば、多少は違っただろうになあ。
整備された町並みを歩いていると、よそ見をして、歩道と車道とを仕切るポールの間の鎖に脚をぶつけてしまう。何気に痛い。
近江八幡でメンバーの大多数と別れる。
私は既にJRの乗車券を購入しており、そのままメンバーのクルマで東京方面に帰るわけにはいかない。茨城までの道のりを考えると、新幹線で帰る方が賢明である。
在来線電車を乗り継いで、名古屋へ。JR東海の新快速に乗りたいという気持ちがあったので、願望を満たすことができた。在来線で120とか130キロの速度を出して走っているのに乗っていると、力いっぱい走っていると感じられ、気持ち良い。
新幹線や飛行機は速いのが当たり前だ。
在来線特急は速いかもしれないが、別途料金が必要になる。
高速道路のクルマでは、速いことを気持ち良いと感じるかもしれないが、スピード違反だし、結構危険だ。
特別料金不要な列車が、目いっぱい速く走るのは気持ち良く、好きである。
名古屋から新幹線で東京へ。さらに上野から「フレッシュひたち」で帰る。帰り着いたのは22時半頃だった。
意外に早く帰れて良かった。これで明日も通常通り出勤できそうだ。
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