という番組を見てしまった。
 シリアスなのは自分のキャラクターに合う合わないというより、暗くなってしまうが、ヒマなので。

 アシュケナージのコンサートから始まる。
 スターリンを初めとするソ連共産主義独裁体制のもと、芸術家たちの作った音楽を演奏するコンサートである。
 コンサートは映画音楽も扱われるので、映画などを大きな画面で映しながら演奏する。
 番組では、『ベルリン陥落』とかいう宣伝映画における、スターリンがベルリンに降り立つシーンを冒頭に持ってきている。迎える群衆がスターリンを口々にたたえるのだが、このシーンに使われている音楽がショスタコーヴィッチ作曲なのである。
 「ショスタコーヴィッチは何だか分かりにくい現代音楽の作曲家」というイメージしかなかった私にとっては、正反対の、分かりやすい、単純で力強い曲だった。
 それも道理で、理解できないものはいらない、大衆に理解でき、ソ連体制(スターリン)に奉仕する音楽を作るのが芸術家の務めだとされていたからだという。従わなければ、シベリア送りにされ、しまいには死んでしまう。
 そんな話を見ていて、さっきの映画音楽を元気の良い曲だと面白がっていた自分が独裁者と同じに思えて、怖くなった。独裁者は端から見ていて滑稽で醜く恐ろしいモノだけれど、自分との共通点を見出せるとは思わなかった。頭では理解していても、感覚的に理解していなかったのだ。
 クラシック音楽は好きだが、分かりにくいものはあまり好きではない。
 演劇・美術・映画なども同様だ。理解しようと思って、時間をかけて見入ったりもすることがあったけれど、結局理解できない。食わず嫌いとは違うけれど、やはり好きになれない。
 個人レベルなら、放っておけば良いのだけれど、独裁者だとそうもいかないらしい。自分に理解不能なものがあったり、自分以上に優れたものを許せないのが独裁者たる所以なのか。

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