一昨日あたりから、読んでいる。
 作者は、青木栄一。吉川弘文館の歴史文化ライブラリーから出ている。
 もう少しで読み終わりそうだ。

 文中に、甲武鉄道や日本鉄道土浦線建設などの際の忌避伝説も扱われている(甲武鉄道は現在のJR中央線の新宿・八王子間、日本鉄道土浦線は現在のJR常磐線の上野・友部間)。
 忌避伝説の根拠となる一次資料がない(少なくとも未だに発見されていない)ということが、時折、触れられている。
 鉄道建設反対運動自体は、各地に存在したが、これは農地を分断されたり、築堤や橋梁の建設によって洪水時に湛水することを恐れてのことが多かったという。市街地に建設する際は、すでに人家などもあることから、交通の分断や、蒸気鉄道敷設に伴う火災の発生が懸念されたりした(日本鉄道の上野・秋葉原間。これは、安全性確保などに努め、将来は高架化するという条件で何とか敷設にこぎつけた)。
 鉄道駅の位置については、用地買収の利便性などから、従来の市街地から外れたところに建設されることが当たり前であり、市街地と鉄道駅が離れていることを以って、鉄道忌避伝説の根拠にはできないとも記されている。

 甲武鉄道と聞いて、確認してみたくなったことがあったので、Wikipediaを調べてみた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B2%E6%AD%A6%E9%89%84%E9%81%93

 すると、こんな記述があった。

会社概要
(中略)
当初の計画では甲州街道に沿う形での建設が想定されたが、各宿駅の反対に遭い止む無く武蔵野台地に通すことになった。沿線の農民は大変協力的でほぼ一直線に敷設することが出来た。
(後略)

 え?
 甲州街道沿いの各宿駅が反対したということを記した一次資料って、ないんじゃなかったけ?
 そもそも、甲武鉄道は、青梅街道や五日市街道に沿っての馬車鉄道の構想から始まり、馬車鉄道ではなく蒸気鉄道を建設することになり、建設しやすい武蔵野台地上を一直線に立川まで造ったのであって、甲州街道沿いに建設する計画構想自体がなかったということではないのか。鉄道建設計画がない以上、反対のしようもないのだが。
 自分も一次資料とかに当たっているわけではないから、何とも言えないのだけれど。

 鉄道忌避伝説とは、根の深い都市伝説なのだと改めて、感じさせられた。

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