今日、昼食を前にいた部署で、食べていた。
今の部署よりも同年代の人間が多いし、付き合いも結構親密だったから、居心地が良い。
のんびりしていたら、後輩の女性が
「私ではわからない電話がきてしまったので、Mさんいいですか?」
と言う。
代わりに電話に出て、話をしてまとめる。
案外、要領を忘れていないものだ。
話の内容をメモして、担当部署(自分の古巣)の上司に渡す。
後で確かめてみたら、大丈夫だったという。
むしろ懐かしがられたようだ。
予備役の軍人みたいだな>自分
今の部署よりも同年代の人間が多いし、付き合いも結構親密だったから、居心地が良い。
のんびりしていたら、後輩の女性が
「私ではわからない電話がきてしまったので、Mさんいいですか?」
と言う。
代わりに電話に出て、話をしてまとめる。
案外、要領を忘れていないものだ。
話の内容をメモして、担当部署(自分の古巣)の上司に渡す。
後で確かめてみたら、大丈夫だったという。
むしろ懐かしがられたようだ。
予備役の軍人みたいだな>自分
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たまには良いものです。
会社の近くで昼食を購入していたら、お婆さんが、表通りに出てタクシーを拾うというので、通りまで一緒について行って(というより連れて行って)、タクシーを呼んだ。
そのときに「おばあさんはいらっしゃるの?」とか話し掛けられ、ふと祖母のことを思い出した。
少し肌寒い中ではあったけれど、ついて行ってあげてよかったと思う。結構感謝していたようだったし。
その日の夕方、仕事を終えて、途中で、携帯電話から祖母に連絡を入れた。
何となく明るい声で話すことができたのは、仕事などで気分が高揚したいただけではないだろう。
会社の近くで昼食を購入していたら、お婆さんが、表通りに出てタクシーを拾うというので、通りまで一緒について行って(というより連れて行って)、タクシーを呼んだ。
そのときに「おばあさんはいらっしゃるの?」とか話し掛けられ、ふと祖母のことを思い出した。
少し肌寒い中ではあったけれど、ついて行ってあげてよかったと思う。結構感謝していたようだったし。
その日の夕方、仕事を終えて、途中で、携帯電話から祖母に連絡を入れた。
何となく明るい声で話すことができたのは、仕事などで気分が高揚したいただけではないだろう。
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コンサート+磯遊び=?
2005年4月29日 旅行 今日は、クラシック音楽仲間(?)の知人の女性からの誘いを受けて、レクチャー付のパイプオルガンコンサートに行くことになった。
場所はサントリーホールである。東京の本格的な場所にクラシックの音楽を聴きに行くというのは初めてかもしれない。しかも知人とはいえ、女性と二人ときている。ちょっと緊張。
待ち合わせ時刻より若干遅れて到着したが、知人がさらに遅れて来たので何とかなったのは内緒(笑)。
今回のお題は「トッカータとフーガの謎」というもの。
バッハの「トッカータとフーガ」という曲は有名だが、バッハ直筆の楽譜がなく、弟子による写ししか存在しないため、バッハ作曲かどうかを疑う説もあるという。また、技法についても、晩年近くのバッハらしからぬものがたまに見受けられたりするという(専門的なことは忘れたが)。
ただ、それに対する反論もあり、バッハらしさを窺わせるところも随所にあり、どちらもともいえないらしい。なかなかに興味深い。
コンサートそのものも、聴き入ることのできる演奏で、来て良かったと思う。パイプオルガンの曲は、教会音楽が多いから、何だか神の御許に近づいた気分がちょっとした。
コンサートの開始は11時(待ち合わせは10時過ぎだった)からで、終了は13時を過ぎていただろうか。
「これからどうします?」
とLさんから話し掛けられる。
「天気がとても良いので、海でも見に行こうと思っていました。Mさんたちがちょうど、三浦半島に磯遊びに行っていますし……。合流できないとしても、海を見るだけでも」
「それはいいですねー。でもこの格好では……」
「確か、お住まいは東急沿線でしたよね?それなら、途中、寄って着替えてはいかがでしょう?」
「そうしてくださるなら助かりますけれど、よろしいんですか?」
「まったく構いませんよ。駅前の喫茶店かどこかでお待ちしていますから、ゆっくりお出でください」
というやり取りのあと、東急経由で三浦半島に行くことになった。
途中、待っている間に、持ってきていた本を少し読む。
茨城県民になったからにはこれくらいは読まないと。
いつ読み終わるんだか……。
横浜駅でお弁当を購入し、京急の三崎口行き電車の車内で二人して食べる。何だか旅をしている気分が高まる。午前中の待ち合わせの際にも、「サブウェイ」のサンドウィッチを食べたので、お腹の空き具合が微妙ではあったが。
平らなところがあまりなくなってきて、トンネルを何本も通過する。住宅地も斜面に建ち並ぶ。
上大岡、金沢文庫、横須賀中央……。三浦半島を感じさせる地名というか駅名が見受けられるようになる。終点近くにもなると、海が車窓から見えてくる。
三浦半島に行くってだけでも、いい気分がする。
三崎口に到着。
さて、ここからどうしようか?
と思っていたら、携帯電話に連絡が。Mさんだ。
「今、どこに居るの?」
「三崎口の駅です。とりあえず荒崎にバスで行こうとしているんですが」
「あ、それやめて。降りて降りて」
大慌てで、降りる。
「僕らはいま、小網代にいるんだ。だから小網代に向かってちょうだい」
「わかりました」
と連絡を受けたと思ったら、少しして追加の連絡が。
「駅まで迎えに行くから、そのまま居てください」
あらら。
のんびり待ちますか。
駅で待つことしばし。
迎えが来た。
といっても、Mさんではなく、仲間の一人が来て下さった。ありがたい。何台かに分乗して来たという。
小網代の漁港の奥まった所に、Mさんたちは居た。神社で道が途切れていたが、さらに水際を歩いた奥に居た。
こうなると最早、干潟である。私の靴が干潟の泥で、ちょっとひどいことになってしまった。こんな所まで来ているとは、予想外だ。離れたところから海を見ていれば良いかと思っていたのに。
MさんやKさんたちが、奥の橋の上から手を振っている。手を振り返す。
更に近づくと、Kさんから制止された。
「そのままそこに座って見てごらん」
おとなしくしていると、泥の沢山の穴から小さな蟹が出て来て、一斉に手を振り出した。何だかユーモラスで不思議な光景だった。
その後もしばらく、磯遊び(?)を楽しんだりする。
場所はサントリーホールである。東京の本格的な場所にクラシックの音楽を聴きに行くというのは初めてかもしれない。しかも知人とはいえ、女性と二人ときている。ちょっと緊張。
待ち合わせ時刻より若干遅れて到着したが、知人がさらに遅れて来たので何とかなったのは内緒(笑)。
今回のお題は「トッカータとフーガの謎」というもの。
バッハの「トッカータとフーガ」という曲は有名だが、バッハ直筆の楽譜がなく、弟子による写ししか存在しないため、バッハ作曲かどうかを疑う説もあるという。また、技法についても、晩年近くのバッハらしからぬものがたまに見受けられたりするという(専門的なことは忘れたが)。
ただ、それに対する反論もあり、バッハらしさを窺わせるところも随所にあり、どちらもともいえないらしい。なかなかに興味深い。
コンサートそのものも、聴き入ることのできる演奏で、来て良かったと思う。パイプオルガンの曲は、教会音楽が多いから、何だか神の御許に近づいた気分がちょっとした。
コンサートの開始は11時(待ち合わせは10時過ぎだった)からで、終了は13時を過ぎていただろうか。
「これからどうします?」
とLさんから話し掛けられる。
「天気がとても良いので、海でも見に行こうと思っていました。Mさんたちがちょうど、三浦半島に磯遊びに行っていますし……。合流できないとしても、海を見るだけでも」
「それはいいですねー。でもこの格好では……」
「確か、お住まいは東急沿線でしたよね?それなら、途中、寄って着替えてはいかがでしょう?」
「そうしてくださるなら助かりますけれど、よろしいんですか?」
「まったく構いませんよ。駅前の喫茶店かどこかでお待ちしていますから、ゆっくりお出でください」
というやり取りのあと、東急経由で三浦半島に行くことになった。
途中、待っている間に、持ってきていた本を少し読む。
茨城県民になったからにはこれくらいは読まないと。
いつ読み終わるんだか……。
横浜駅でお弁当を購入し、京急の三崎口行き電車の車内で二人して食べる。何だか旅をしている気分が高まる。午前中の待ち合わせの際にも、「サブウェイ」のサンドウィッチを食べたので、お腹の空き具合が微妙ではあったが。
平らなところがあまりなくなってきて、トンネルを何本も通過する。住宅地も斜面に建ち並ぶ。
上大岡、金沢文庫、横須賀中央……。三浦半島を感じさせる地名というか駅名が見受けられるようになる。終点近くにもなると、海が車窓から見えてくる。
三浦半島に行くってだけでも、いい気分がする。
三崎口に到着。
さて、ここからどうしようか?
と思っていたら、携帯電話に連絡が。Mさんだ。
「今、どこに居るの?」
「三崎口の駅です。とりあえず荒崎にバスで行こうとしているんですが」
「あ、それやめて。降りて降りて」
大慌てで、降りる。
「僕らはいま、小網代にいるんだ。だから小網代に向かってちょうだい」
「わかりました」
と連絡を受けたと思ったら、少しして追加の連絡が。
「駅まで迎えに行くから、そのまま居てください」
あらら。
のんびり待ちますか。
駅で待つことしばし。
迎えが来た。
といっても、Mさんではなく、仲間の一人が来て下さった。ありがたい。何台かに分乗して来たという。
小網代の漁港の奥まった所に、Mさんたちは居た。神社で道が途切れていたが、さらに水際を歩いた奥に居た。
こうなると最早、干潟である。私の靴が干潟の泥で、ちょっとひどいことになってしまった。こんな所まで来ているとは、予想外だ。離れたところから海を見ていれば良いかと思っていたのに。
MさんやKさんたちが、奥の橋の上から手を振っている。手を振り返す。
更に近づくと、Kさんから制止された。
「そのままそこに座って見てごらん」
おとなしくしていると、泥の沢山の穴から小さな蟹が出て来て、一斉に手を振り出した。何だかユーモラスで不思議な光景だった。
その後もしばらく、磯遊び(?)を楽しんだりする。
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知人と一緒に、退勤後、見に行く。
健気なヒロインの少女と音楽が気に入り、そこそこ楽しめた。音楽はあとでCDを購入したい。
宮崎監督は、養老孟司センセイのコメントではないが、元気なばあ様を描かせると上手いというのは本当で、これも面白く感じられたところだった。
しかし、主人公たちの描写に絞っていて、主人公たちを取り巻く状況にはあまり描写が裂かれていない(絵はちゃんと作られている)。舞台が大げさな割に、物語が「普通な」感じだったこともあり、ちょっと目に付く。
面白い映画であることは確かである。
健気なヒロインの少女と音楽が気に入り、そこそこ楽しめた。音楽はあとでCDを購入したい。
宮崎監督は、養老孟司センセイのコメントではないが、元気なばあ様を描かせると上手いというのは本当で、これも面白く感じられたところだった。
しかし、主人公たちの描写に絞っていて、主人公たちを取り巻く状況にはあまり描写が裂かれていない(絵はちゃんと作られている)。舞台が大げさな割に、物語が「普通な」感じだったこともあり、ちょっと目に付く。
面白い映画であることは確かである。
2ヶ月ほど前、知人の女性から、フラメンコの発表会をするので見に来てほしいと言われた。今日がその日だ。
なかなか見事なものだった。変なことを思い浮かべながら見てしまったが。
研究会を主宰している先生以外は、何人かで踊る。足音高く、格好良く踊る様は、歌舞伎を連想させられるものだった。
バンドの生演奏が付くのだが、ギターも弾いているから、変な連想が働いてしまったようだ。「ギター」→「ジプシーキング」→「鬼平犯科帳」→「時代劇」という連想が働き、歌舞伎に思い至ってしまうという連想回路も働いたようだ。
この奇妙な感想は、舞台終了後に、知人の女性に仲間と共に会って、強まってしまった。化粧が濃いのだ。舞台上で踊るので止むを得ないのだが、知人の一人が「歌舞伎の隈取みたいだね」と言っていたのには心の中で同感だと思った。歌舞伎が悪ければ、京劇でも良いが、同じことだ。
他の知人の女性も踊っていたのだが、面識があまりなかったこともあり、観劇中は見分けがつかなかった。これは我ながら、ショックだった。今後、オペラグラスは必須だと思った。
全体に新鮮な見ものだったので、良かった。今後も見に行きたいと思う。
ふと、宝塚歌劇も見たくなった。どんな風だろう。とは言え、男一人で見に行く気にはならないが。
なかなか見事なものだった。変なことを思い浮かべながら見てしまったが。
研究会を主宰している先生以外は、何人かで踊る。足音高く、格好良く踊る様は、歌舞伎を連想させられるものだった。
バンドの生演奏が付くのだが、ギターも弾いているから、変な連想が働いてしまったようだ。「ギター」→「ジプシーキング」→「鬼平犯科帳」→「時代劇」という連想が働き、歌舞伎に思い至ってしまうという連想回路も働いたようだ。
この奇妙な感想は、舞台終了後に、知人の女性に仲間と共に会って、強まってしまった。化粧が濃いのだ。舞台上で踊るので止むを得ないのだが、知人の一人が「歌舞伎の隈取みたいだね」と言っていたのには心の中で同感だと思った。歌舞伎が悪ければ、京劇でも良いが、同じことだ。
他の知人の女性も踊っていたのだが、面識があまりなかったこともあり、観劇中は見分けがつかなかった。これは我ながら、ショックだった。今後、オペラグラスは必須だと思った。
全体に新鮮な見ものだったので、良かった。今後も見に行きたいと思う。
ふと、宝塚歌劇も見たくなった。どんな風だろう。とは言え、男一人で見に行く気にはならないが。
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研修ということでつくばの某研究所の宿泊研修施設に来てから2週間あまり。期間は今月15日から来月10日までの約4週間であるから、半分過ぎたことになる。
初めは研修という名の軟禁だと思ったが、友人(H氏)から羽根を伸ばす良い機会といわれ、そのとおりだとも思う。
つくばの不便さは想像以上だ。
敷地が広いので、敷地の外に出るまでが一苦労だ。最寄のバス停(並木2丁目)まで徒歩で10分はかかるだろうか。信号を渡ることやバスの待ち時間を考えると、それ以上の時間を覚悟しなければならない。
高速バスだと並木大橋まで行かねばならないから、さらに時間を要する。東京まで座りつつ直接行けることは楽なのだが、時間が読めないことがこんなに辛いとは思わなかった。常磐道はまず渋滞しないのだが、首都高に入った途端に時間が読めなくなる不安を感じる。
市街地のつくりは車を前提としており、歩行者にはあまり優しくない。歩いて行けるところに必要なものがないのだ。
自転車は最低限必要なものだ。買い物をしたあとの荷物を考えると、長い距離を歩いて帰るのも億劫になる。これでは車が増えるだろうなと納得する。
バスは運賃が高いし、本数も1時間に2本程度なので、あまり使えない。とはいえ、タクシーを使えばもっと高い金を支払うことになってしまう。短気は損気である。また、段取りの悪さも結局、損になる。
もしも、郊外型店舗や市街地のスプロール化に対応したいのであれば、つくばや茨城県を反面教師とすれば良いだろうと思う。
研修のレポート(事項の羅列に過ぎないが)を書くために、中古のノートパソコンを購入した。これについては例によって友人のT氏に世話になっている。いろいろなもののインストールやメモリの増設をしてもらっているのだ。
来年の業務においても使用することを想定して、購入に踏み切った。これで使い心地を試して、不具合であれば今度は新しいものを購入するつもりだ。
FDのドライブを外付けで購入した。インストールに手間取ったが、何とかなった。こうして日記を書けるのもそうしたことなどがあった結果である。ありがたい。
初めは研修という名の軟禁だと思ったが、友人(H氏)から羽根を伸ばす良い機会といわれ、そのとおりだとも思う。
つくばの不便さは想像以上だ。
敷地が広いので、敷地の外に出るまでが一苦労だ。最寄のバス停(並木2丁目)まで徒歩で10分はかかるだろうか。信号を渡ることやバスの待ち時間を考えると、それ以上の時間を覚悟しなければならない。
高速バスだと並木大橋まで行かねばならないから、さらに時間を要する。東京まで座りつつ直接行けることは楽なのだが、時間が読めないことがこんなに辛いとは思わなかった。常磐道はまず渋滞しないのだが、首都高に入った途端に時間が読めなくなる不安を感じる。
市街地のつくりは車を前提としており、歩行者にはあまり優しくない。歩いて行けるところに必要なものがないのだ。
自転車は最低限必要なものだ。買い物をしたあとの荷物を考えると、長い距離を歩いて帰るのも億劫になる。これでは車が増えるだろうなと納得する。
バスは運賃が高いし、本数も1時間に2本程度なので、あまり使えない。とはいえ、タクシーを使えばもっと高い金を支払うことになってしまう。短気は損気である。また、段取りの悪さも結局、損になる。
もしも、郊外型店舗や市街地のスプロール化に対応したいのであれば、つくばや茨城県を反面教師とすれば良いだろうと思う。
研修のレポート(事項の羅列に過ぎないが)を書くために、中古のノートパソコンを購入した。これについては例によって友人のT氏に世話になっている。いろいろなもののインストールやメモリの増設をしてもらっているのだ。
来年の業務においても使用することを想定して、購入に踏み切った。これで使い心地を試して、不具合であれば今度は新しいものを購入するつもりだ。
FDのドライブを外付けで購入した。インストールに手間取ったが、何とかなった。こうして日記を書けるのもそうしたことなどがあった結果である。ありがたい。
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熊野から鳥羽へ(旅行2日目)
2004年10月10日 旅行 いよいよ、八咫烏(やたがらす)に会うことができそうだ。
今日の天気は晴天。台風一過の後は、さすがに天気が良い。
宿の前を流れる川は増水しているが、エメラルドグリーンのきれいな流れだ。これで川原に設けられた露天風呂につかることができれば良かったのだろうが、そこまでは欲張りか。
皆で支度をしつつも寛ぎ、写真を何枚かパチリ。宿の喫茶店でも寛ぐ。コーヒーは炭焼きコーヒー、スプーン代わりに備長炭のスティックが付いている。スティックは指で弾いたりすると、キンキンと金属質の音がする。本物だ。さすがにご当地だ。
宿から車で熊野本宮大社に向かう。
宿から車で15分前後走ったところで、本宮大社である。
丘というか山に今の社がある。かつては川の中洲にあったが、明治時代に流された。森林の乱伐が原因らしい。
残った建物を今の場所に遷している。かつての境内には大きな鳥居があり、かつてを偲ぶ拠り所になっている。今回はそちらを見られそうにない。
石段が長く続く。祖母を気に掛けつつ、上って行く。
石段を登り切ると門が見える。横には摂社だろうか、お社がある。何となく眺めが手狭な感じがする。正直なところ、この眺めを見て、ちょっと失望する。流される前は大きな境内だったそうだが、規模が縮小してしまったのか。
だが、門をくぐって本殿に向かうと、そうでもなかった。門から神殿まで案外奥行きがある。建物の古さが周囲にすっかり馴染んでいて、明治時代に遷してきたとは思えない。
一昨年に行ってきた出雲大社を思い出した。何となく、感じが似ている。出雲にも熊野大社があるそうで、出雲の方が早かったという話もあるらしい。
こちらの熊野大社のお祭りしている神は、スサノヲノミコトだという。違う名前になっているけれど、地元の人はスサノヲだと思って拝んでいるらしい。
他にもアマテラスなど、いくつか神様をお祀りしているので、順繰りに拝む。
門を出て、社務所に向かう。改めて周囲を見回すと、八咫烏の幟が掲げられている。本当に脚が3本ある。
社務所で、烏文字の神符と勝守を求める。神符は烏の絵文字で書かれた紙だ。
今日は、熊野三社を巡ってしまおうということなので、あまりのんびりもしていられない。めったに来られない所で勿体無いが、次の目的地である熊野那智大社に向かう。
ここも案外とんでもないところにある。車でずっと道を登り切ったところに駐車場があるのだけれど、さらに石段をずっと上って行かないと那智大社に行くことができない。
駐車した後に聞いたら、那智大社の方ではなく、滝や五重塔(といってもコンクリート造りだが)の方には、参詣者専用の駐車場があるという。父が祖母を車に乗せて、そちらから行くことになった。
残った私たちは、そのまま石段を上って行く。石段は急だけれど、前に行った金毘羅さんよりはマシな気がする。あんなに長くはないし。
那智大社は、本宮とは違った感じだ。修験道とかなり混交があるらしく、神社というよりはお寺という感じを強く感じる。
一番気持ち良い眺めは、やはり五重塔からの滝の眺めだろう。お決まりなのかもしれないが、初めてだから、これでも良いのだ。パチリパチリと写真を撮る。途中で電池が切れたのには、ちょっと焦ったが。
那智大社から昼食も兼ねて、串本町方面に向かう。行ける所まで行って、南海の眺めを楽しもうということだ。
台風一過後の空は夏空を思わせる青さで、気温も夏並みに高い。自動車の外気温表示が25度を超えている。
串本では橋杭岩を見る。時間があれば、本州最南端の地まで行くのだが、その余裕はなさそうだ。それでも、この眺めのよさは素晴らしい。夏のような青空のもとに広がる海の色。橋杭岩はそのまま向こうの島まで続いているような眺めだ。
橋杭岩の近くの店で昼食をとる。
紀州は鯨の土地でもある。ここでも鯨を使った食べ物を売っている。鯨のベーコンというものまである。なかなかいい値段で売られている。おいしく食べられるように作れれば良いけれど、どうなのだろう。鯨を日常的に食べていた人の方がだんだん、少数派になってきているのではないだろうか。
串本から新宮の速玉大社に向かう。車の外気温表示は28度になっている。真夏に近いな、これは。10月は秋ではないのか。
昼下がりの日差しも、真夏を思わせる。昼食後の満腹感とエアコンの利いた車内の気温が心地よさを誘うが、運転中は我慢だ。車内はいつの間にか静かになっている。皆さん、お昼寝モードだ。
熊野速玉大社に到着。新宮市内にある大社は、本宮や那智のように借景がないためか、境内がやや狭く感じる。
建物は新しいのか、白い外壁に朱を使った建物が主であるためか、派手というか明るい感じがする。神様の祀り方は本宮に似ているが、拝殿が神殿の横にあり、三社の中では馴染みのあるスタイルに思われた。
さすがにやや疲れたのかボーっとして立っていると、結婚式のカップルや参列者がゾロゾロ移動しているところを見ることができた。何となく、奇妙な感じがする。そんなに疲れたのか。
頭の働きが普段に増して鈍っていたので一瞬分からなかったが、花嫁がウェディングドレス姿なのだ。しかも足元はいかにも土足という感じの運動用シューズらしきものを履いている。裾が長いので、たくし上げて歩いているのだが、洋装であることも相俟って、ちぐはぐな感じが目立った。
このカップルは、この神社に何を期待して挙式したのだろう。
いよいよ、鳥羽に向けて北上する。今日は何時に着くことができるだろうか。
海沿いの国道からの眺めは素晴らしいのだけれど、時間がかかって仕方ない。旅客に関しては鉄道がちゃんと動いていれば問題ないけれど、貨物などに関しては高速道路があっても良いように思う。国道だけでは心許ないように思うのだが。
行きで見た景色を見つつ北上する。多気にあるシャープの工場を見ると、伊勢に向かう高速道路は近いはずだ。もう暗くなってきている。
自動車道に乗った時には、すでに日は暮れてしまっている。道はかなり空いている。北海道の自動車道を思い出す。ついスピードが出過ぎてしまうので要注意だ。父からも注意される。危ない危ない。
伊勢市の辺りだろうか。高速道路は終点になり、そのまま国道を鳥羽に向けて走る。ナビに従って走って行くと、宿に近づくにつれて、ややこしい道を走らされる。
一度、道の分岐を見失ってしまう。駐車が多くて分岐の辺りにも車があったので、駐車場と勘違いした。戻って、再びナビの案内に従って走ると、今夜の宿に到着する。
今日の天気は晴天。台風一過の後は、さすがに天気が良い。
宿の前を流れる川は増水しているが、エメラルドグリーンのきれいな流れだ。これで川原に設けられた露天風呂につかることができれば良かったのだろうが、そこまでは欲張りか。
皆で支度をしつつも寛ぎ、写真を何枚かパチリ。宿の喫茶店でも寛ぐ。コーヒーは炭焼きコーヒー、スプーン代わりに備長炭のスティックが付いている。スティックは指で弾いたりすると、キンキンと金属質の音がする。本物だ。さすがにご当地だ。
宿から車で熊野本宮大社に向かう。
宿から車で15分前後走ったところで、本宮大社である。
丘というか山に今の社がある。かつては川の中洲にあったが、明治時代に流された。森林の乱伐が原因らしい。
残った建物を今の場所に遷している。かつての境内には大きな鳥居があり、かつてを偲ぶ拠り所になっている。今回はそちらを見られそうにない。
石段が長く続く。祖母を気に掛けつつ、上って行く。
石段を登り切ると門が見える。横には摂社だろうか、お社がある。何となく眺めが手狭な感じがする。正直なところ、この眺めを見て、ちょっと失望する。流される前は大きな境内だったそうだが、規模が縮小してしまったのか。
だが、門をくぐって本殿に向かうと、そうでもなかった。門から神殿まで案外奥行きがある。建物の古さが周囲にすっかり馴染んでいて、明治時代に遷してきたとは思えない。
一昨年に行ってきた出雲大社を思い出した。何となく、感じが似ている。出雲にも熊野大社があるそうで、出雲の方が早かったという話もあるらしい。
こちらの熊野大社のお祭りしている神は、スサノヲノミコトだという。違う名前になっているけれど、地元の人はスサノヲだと思って拝んでいるらしい。
他にもアマテラスなど、いくつか神様をお祀りしているので、順繰りに拝む。
門を出て、社務所に向かう。改めて周囲を見回すと、八咫烏の幟が掲げられている。本当に脚が3本ある。
社務所で、烏文字の神符と勝守を求める。神符は烏の絵文字で書かれた紙だ。
今日は、熊野三社を巡ってしまおうということなので、あまりのんびりもしていられない。めったに来られない所で勿体無いが、次の目的地である熊野那智大社に向かう。
ここも案外とんでもないところにある。車でずっと道を登り切ったところに駐車場があるのだけれど、さらに石段をずっと上って行かないと那智大社に行くことができない。
駐車した後に聞いたら、那智大社の方ではなく、滝や五重塔(といってもコンクリート造りだが)の方には、参詣者専用の駐車場があるという。父が祖母を車に乗せて、そちらから行くことになった。
残った私たちは、そのまま石段を上って行く。石段は急だけれど、前に行った金毘羅さんよりはマシな気がする。あんなに長くはないし。
那智大社は、本宮とは違った感じだ。修験道とかなり混交があるらしく、神社というよりはお寺という感じを強く感じる。
一番気持ち良い眺めは、やはり五重塔からの滝の眺めだろう。お決まりなのかもしれないが、初めてだから、これでも良いのだ。パチリパチリと写真を撮る。途中で電池が切れたのには、ちょっと焦ったが。
那智大社から昼食も兼ねて、串本町方面に向かう。行ける所まで行って、南海の眺めを楽しもうということだ。
台風一過後の空は夏空を思わせる青さで、気温も夏並みに高い。自動車の外気温表示が25度を超えている。
串本では橋杭岩を見る。時間があれば、本州最南端の地まで行くのだが、その余裕はなさそうだ。それでも、この眺めのよさは素晴らしい。夏のような青空のもとに広がる海の色。橋杭岩はそのまま向こうの島まで続いているような眺めだ。
橋杭岩の近くの店で昼食をとる。
紀州は鯨の土地でもある。ここでも鯨を使った食べ物を売っている。鯨のベーコンというものまである。なかなかいい値段で売られている。おいしく食べられるように作れれば良いけれど、どうなのだろう。鯨を日常的に食べていた人の方がだんだん、少数派になってきているのではないだろうか。
串本から新宮の速玉大社に向かう。車の外気温表示は28度になっている。真夏に近いな、これは。10月は秋ではないのか。
昼下がりの日差しも、真夏を思わせる。昼食後の満腹感とエアコンの利いた車内の気温が心地よさを誘うが、運転中は我慢だ。車内はいつの間にか静かになっている。皆さん、お昼寝モードだ。
熊野速玉大社に到着。新宮市内にある大社は、本宮や那智のように借景がないためか、境内がやや狭く感じる。
建物は新しいのか、白い外壁に朱を使った建物が主であるためか、派手というか明るい感じがする。神様の祀り方は本宮に似ているが、拝殿が神殿の横にあり、三社の中では馴染みのあるスタイルに思われた。
さすがにやや疲れたのかボーっとして立っていると、結婚式のカップルや参列者がゾロゾロ移動しているところを見ることができた。何となく、奇妙な感じがする。そんなに疲れたのか。
頭の働きが普段に増して鈍っていたので一瞬分からなかったが、花嫁がウェディングドレス姿なのだ。しかも足元はいかにも土足という感じの運動用シューズらしきものを履いている。裾が長いので、たくし上げて歩いているのだが、洋装であることも相俟って、ちぐはぐな感じが目立った。
このカップルは、この神社に何を期待して挙式したのだろう。
いよいよ、鳥羽に向けて北上する。今日は何時に着くことができるだろうか。
海沿いの国道からの眺めは素晴らしいのだけれど、時間がかかって仕方ない。旅客に関しては鉄道がちゃんと動いていれば問題ないけれど、貨物などに関しては高速道路があっても良いように思う。国道だけでは心許ないように思うのだが。
行きで見た景色を見つつ北上する。多気にあるシャープの工場を見ると、伊勢に向かう高速道路は近いはずだ。もう暗くなってきている。
自動車道に乗った時には、すでに日は暮れてしまっている。道はかなり空いている。北海道の自動車道を思い出す。ついスピードが出過ぎてしまうので要注意だ。父からも注意される。危ない危ない。
伊勢市の辺りだろうか。高速道路は終点になり、そのまま国道を鳥羽に向けて走る。ナビに従って走って行くと、宿に近づくにつれて、ややこしい道を走らされる。
一度、道の分岐を見失ってしまう。駐車が多くて分岐の辺りにも車があったので、駐車場と勘違いした。戻って、再びナビの案内に従って走ると、今夜の宿に到着する。
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熊野へ
2004年10月9日 秋は好きだ。
秋生まれの自分としては、心身ともに一番落ち着くし、居心地の良い季節だ。好きな旅行をするにも良い季節だ。
と思っていたが、台風を考慮に入れていなかった。しかも今年は大きな台風の当たり年だ。
今回の旅行は、前々から決まっていた。宿はすでに5月頃には押さえてあった。
とりあえず、行ける所まで行くしかないということになる。
向かうことにしたものの、吉と出るか、凶と出るか。
朝起きてみると、やはりひどい雨だ。列車も動いていない。
幹線に出れば、動いているようだが……。
幹線の駅まで何とか出て、東京駅に行く。
10時10分前、東京駅着。ここで父と10時に待ち合わせだ。
着いて数分もしないうちに、携帯電話に連絡が入る。着いたという。タイミングが非常によろしい。
タイミングの良さに感心しつつ、東海道新幹線の改札に向かう。
新富士と掛川の間くらいで徐行運転中だとかで、1時間余り遅れのダイヤで動いている。
せっかくの指定席だが、乗れる内に乗ろうということで、乗り込む。本来であれば、9時6分だか出発の「のぞみ」だが、10時10分過ぎに発車する。
車内はひどくはないがそこそこに混んでいて、車内販売がなかなか来てくれない。車内販売が廻って来たのは、静岡を過ぎた辺りだったろうか。食べられるものが既に売り尽くされていた。
それでも、ちゃんと動いている列車に二人して座れたのは運が良い。
所定のダイヤなら、東京・名古屋は「のぞみ」で1時間40分足らずで到着だが、今回は12時20分頃着だから、ダイヤは1時間40分遅れになっている。
それでも名古屋での待ち合わせに間に合いそうなので、「上出来、上出来」と二人して言い合う。
名古屋駅に着くが、待ち合わせは「新幹線口」としか言っていないという。大丈夫かと思っていたら、改札外から声が掛かる。
北海道からやって来た、祖母・伯母・叔父である。今、着いたばかりだという。何というタイミングの良さだろうか。
早速、近鉄名古屋駅に向かって歩き出す。松阪でクルマを借りて、そこから熊野に向かうのだ。
有人窓口に並んで、一番早く出る特急の指定を5人分取る。発車時間が迫っている。発車10分前を切るといったタイミングで、指定券の購入ができた。12時50分発の鳥羽行きである。
ふたたび5人して歩き出して、列車に乗り込む。さほど時間の経たないうちに、発車時刻を迎える。
私を待っている間に購入した弁当を、車内で食べる。
5人の話は、お互いのタイミングの良さというか、運の良さに感心することしきりだった。
台風が来ているのに、飛行機は飛ぶし、東海道新幹線は辛うじて動いているし、待ち合わせ時刻はちゃんと守れているし、なかなかすごいタイミングの良さ、運の良さだと思う。
14時頃、松阪着。私のイメージは商都という感じなのだが、台風のためか駅に人は少なく、ガランとした感じだった。
ここからクルマを運転する。運転手は私である。クルマはマーク?。こんなクルマを運転することなど、普段ないから、大丈夫だろうか。
熊野までのルートは単純である。このまま国道をずっと南下すればよい。あとは新宮かどこかで、ナビが分岐を案内するだろう。
ややひどい雨の降る松阪を出て、多気くらいまで雨に見舞われたが、あとは天候がどんどん回復してきた。宮川は濁っている。
ふと、ベートーヴェンのカンタータ『海上の凪と成功した航海』という曲の展開を連想した。この曲は、凪の静と、風が吹き出してから成功した航海の動との対比が極端で面白い。晴れてきた時、『成功した航海』の方を聴きたくなってしまった。
と言っても、まだまだ道のりは続く。ナビによると、到着予定時刻は、と……。まだまだ遠い。
紀伊長島にある道の駅で休憩したり、熊野市あたりの海岸でちょっと停止して叔父が写真撮影をしたりしたが、順調に進んではいるが。
ナビというのは面白いもので、人間の思い込んだ以外の解答を出してくれる。
私たちの頭では、新宮から北上するかと思っていたのだが、熊野市の市街地の外れから右折(山側に入る)するよう、指示が出る。
なるほど、そんなルートもあるのか。
ただ、国道のはずなのに、舗装が悪かったり、車線がなくすれ違いが困難な個所も出てくる。昨年の四国の山中よりは、マシかもしれないが。
クルマの左側の同乗者は、なかなかスリルを味わったようだ。
山の中とて、日も暮れてくる。
早く着きたいなと思っていると、日がすっかり暮れたのち、本宮の宿に到着した。予定時刻よりも早い。やれやれ。
温泉にざっと浸かってくる。
川が増水しているので川原のお湯はつかえないが、そこまでの贅沢はいらない。たっぷりした温泉のお湯につかれれば、最高である。
温泉の効用のためか、体が熱くなり、なかなか湯冷めしない。
食事は地元の食材を使ったもので、素朴だが美味しい。魚がしょっぱいのは、山の中だからだろうか。
携帯電話は●ーダフォンのためか、圏外になっている。かえって邪魔が入らなくて良いかもしれない。
身内でゆったりして、話に興ずる。祖母は寝転がりながら、眠ってしまう。
秋生まれの自分としては、心身ともに一番落ち着くし、居心地の良い季節だ。好きな旅行をするにも良い季節だ。
と思っていたが、台風を考慮に入れていなかった。しかも今年は大きな台風の当たり年だ。
今回の旅行は、前々から決まっていた。宿はすでに5月頃には押さえてあった。
とりあえず、行ける所まで行くしかないということになる。
向かうことにしたものの、吉と出るか、凶と出るか。
朝起きてみると、やはりひどい雨だ。列車も動いていない。
幹線に出れば、動いているようだが……。
幹線の駅まで何とか出て、東京駅に行く。
10時10分前、東京駅着。ここで父と10時に待ち合わせだ。
着いて数分もしないうちに、携帯電話に連絡が入る。着いたという。タイミングが非常によろしい。
タイミングの良さに感心しつつ、東海道新幹線の改札に向かう。
新富士と掛川の間くらいで徐行運転中だとかで、1時間余り遅れのダイヤで動いている。
せっかくの指定席だが、乗れる内に乗ろうということで、乗り込む。本来であれば、9時6分だか出発の「のぞみ」だが、10時10分過ぎに発車する。
車内はひどくはないがそこそこに混んでいて、車内販売がなかなか来てくれない。車内販売が廻って来たのは、静岡を過ぎた辺りだったろうか。食べられるものが既に売り尽くされていた。
それでも、ちゃんと動いている列車に二人して座れたのは運が良い。
所定のダイヤなら、東京・名古屋は「のぞみ」で1時間40分足らずで到着だが、今回は12時20分頃着だから、ダイヤは1時間40分遅れになっている。
それでも名古屋での待ち合わせに間に合いそうなので、「上出来、上出来」と二人して言い合う。
名古屋駅に着くが、待ち合わせは「新幹線口」としか言っていないという。大丈夫かと思っていたら、改札外から声が掛かる。
北海道からやって来た、祖母・伯母・叔父である。今、着いたばかりだという。何というタイミングの良さだろうか。
早速、近鉄名古屋駅に向かって歩き出す。松阪でクルマを借りて、そこから熊野に向かうのだ。
有人窓口に並んで、一番早く出る特急の指定を5人分取る。発車時間が迫っている。発車10分前を切るといったタイミングで、指定券の購入ができた。12時50分発の鳥羽行きである。
ふたたび5人して歩き出して、列車に乗り込む。さほど時間の経たないうちに、発車時刻を迎える。
私を待っている間に購入した弁当を、車内で食べる。
5人の話は、お互いのタイミングの良さというか、運の良さに感心することしきりだった。
台風が来ているのに、飛行機は飛ぶし、東海道新幹線は辛うじて動いているし、待ち合わせ時刻はちゃんと守れているし、なかなかすごいタイミングの良さ、運の良さだと思う。
14時頃、松阪着。私のイメージは商都という感じなのだが、台風のためか駅に人は少なく、ガランとした感じだった。
ここからクルマを運転する。運転手は私である。クルマはマーク?。こんなクルマを運転することなど、普段ないから、大丈夫だろうか。
熊野までのルートは単純である。このまま国道をずっと南下すればよい。あとは新宮かどこかで、ナビが分岐を案内するだろう。
ややひどい雨の降る松阪を出て、多気くらいまで雨に見舞われたが、あとは天候がどんどん回復してきた。宮川は濁っている。
ふと、ベートーヴェンのカンタータ『海上の凪と成功した航海』という曲の展開を連想した。この曲は、凪の静と、風が吹き出してから成功した航海の動との対比が極端で面白い。晴れてきた時、『成功した航海』の方を聴きたくなってしまった。
と言っても、まだまだ道のりは続く。ナビによると、到着予定時刻は、と……。まだまだ遠い。
紀伊長島にある道の駅で休憩したり、熊野市あたりの海岸でちょっと停止して叔父が写真撮影をしたりしたが、順調に進んではいるが。
ナビというのは面白いもので、人間の思い込んだ以外の解答を出してくれる。
私たちの頭では、新宮から北上するかと思っていたのだが、熊野市の市街地の外れから右折(山側に入る)するよう、指示が出る。
なるほど、そんなルートもあるのか。
ただ、国道のはずなのに、舗装が悪かったり、車線がなくすれ違いが困難な個所も出てくる。昨年の四国の山中よりは、マシかもしれないが。
クルマの左側の同乗者は、なかなかスリルを味わったようだ。
山の中とて、日も暮れてくる。
早く着きたいなと思っていると、日がすっかり暮れたのち、本宮の宿に到着した。予定時刻よりも早い。やれやれ。
温泉にざっと浸かってくる。
川が増水しているので川原のお湯はつかえないが、そこまでの贅沢はいらない。たっぷりした温泉のお湯につかれれば、最高である。
温泉の効用のためか、体が熱くなり、なかなか湯冷めしない。
食事は地元の食材を使ったもので、素朴だが美味しい。魚がしょっぱいのは、山の中だからだろうか。
携帯電話は●ーダフォンのためか、圏外になっている。かえって邪魔が入らなくて良いかもしれない。
身内でゆったりして、話に興ずる。祖母は寝転がりながら、眠ってしまう。
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『街道をゆく』(熊野・古座街道)
2004年10月2日 熊野行きが近いので、『街道をゆく』(司馬遼太郎、朝日文庫)の熊野の部分を収録したものを探している。
用事のついでに下車した錦糸町でゲット。
開けてみたら、期待していた内容ではなかったので、ちょっとがっかりだったが、これはこれで面白い。
八咫烏のこととか、熊野本宮大社についてもう少し知りたかったのだが。
今、自分にある知識のストックで間に合うだろうか。
知人のところで、久し振りに飲み食い。良い気分転換になった。
用事のついでに下車した錦糸町でゲット。
開けてみたら、期待していた内容ではなかったので、ちょっとがっかりだったが、これはこれで面白い。
八咫烏のこととか、熊野本宮大社についてもう少し知りたかったのだが。
今、自分にある知識のストックで間に合うだろうか。
知人のところで、久し振りに飲み食い。良い気分転換になった。
『くらのかみ』
2004年9月26日 久し振りに図書館に散歩する。
規模は大きくないけれど、そこそこ揃っているので30分ほど時間を過ごすには丁度良いところだ。
まず、本を探すが、目的のものが見つからない。
つい、他のものに目が行ってしまって、借りる。
小野不由美は面白い。『くらのかみ』と『東亰異聞(とうけいいぶん)』を借りる。前者は一見すると児童文学風だ。
山岡鉄舟について書かれた新書も選ぶ。
CDは、ハイドンの『テレジア・ミサ』や『天地創造』、ブラームスのチェロ協奏曲を借りる。
山岡鉄舟の方は、そんなに難しくないので、割にすぐ読めた。既に知っている話もあるし。ざっとだけれど、読了。
すっかり夜遅くなったので、寝ようとして、『くらのかみ』を眺めてしまう。
これが失敗の元で、すっかり読んでしまった。
時刻は3時半。おいおい。
規模は大きくないけれど、そこそこ揃っているので30分ほど時間を過ごすには丁度良いところだ。
まず、本を探すが、目的のものが見つからない。
つい、他のものに目が行ってしまって、借りる。
小野不由美は面白い。『くらのかみ』と『東亰異聞(とうけいいぶん)』を借りる。前者は一見すると児童文学風だ。
山岡鉄舟について書かれた新書も選ぶ。
CDは、ハイドンの『テレジア・ミサ』や『天地創造』、ブラームスのチェロ協奏曲を借りる。
山岡鉄舟の方は、そんなに難しくないので、割にすぐ読めた。既に知っている話もあるし。ざっとだけれど、読了。
すっかり夜遅くなったので、寝ようとして、『くらのかみ』を眺めてしまう。
これが失敗の元で、すっかり読んでしまった。
時刻は3時半。おいおい。
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箱根旅行2日目
2004年9月24日 今日は平日で、職場は変な忙しさになっているのだろうと思い、ちょっと心配になるが、仕方ないことだ。
今日は、芦ノ湖遊覧船→ロープウェイで大涌谷→ロープウェイで早雲山→ケーブルカーで途中下車して美術館→強羅まで行って彫刻の森という感じのようだ。
というのも、すっかり母親と妹に任せているからだ。
桃源台行きの芦ノ湖遊覧船は海賊船をマネしたタイプのものだ。山の中の湖だと、山賊の方が似合っているように思うのだが、海賊とは。
ちなみに、芦ノ湖一周の遊覧船は外輪船タイプだ(マーク・トウェインの世界ですね。トム・ソーヤーとか)。こっちの方がまだ似つかわしいように思う。
大涌谷は、硫黄の匂いがキツイところだ。温泉で茹でた卵が名物で、硫化鉄のせいで黒いのが特徴だ。
遊歩道を歩いてみたり、黒タマゴを買って食べたり、写真を撮ったりと楽しむ。
遊歩道の終点近くにある黒タマゴを作る場所と、遊歩道の起点(土産物店・バス駐車場・ロープウェイ駅のあるところ)の間に、タマゴを運ぶ簡易なロープウェイがあったのには、面白いと思った。
さらに、遊歩道で帰ってきて土産物店に入ろうとすると、ご当地キティの絵が入り口に貼ってあった。「大涌谷限定キティ(硫黄臭いのでキティが鼻をつまんでいる)」「黒タマゴキティ(説明は要らないだろう)」「箱根細工風キティ(絵全体がセピア色というか、箱根細工の模様になっている)」。これも面白いと思い、黒タマゴキティのミニタオルを土産にする。
早雲山から強羅まで行く途中、公園上だかで下車して、箱根美術館を見る。良い雰囲気の庭と陶器の展示などのあるところだ。なかなかセンスが良い。
彫刻の森美術館は、行ったことがなかったので、密かに期待していた。雨が時折ぱらつくのは残念だが。
関東で放映しているフジテレビの天気予報で、彫刻の森美術館が出てくるので、ちょっとは関心があった。久し振りでジョージ・ウィンストンの『Autumn』を聴きたくなる。この曲も例の天気予報に出てくるので。
美術館(と言っても主に野外)に入ると『ミス・ブラックパワー』と『人とペガサス』が出迎えてくれる。私の目についたのは後者の方だった。どうやってあんな危なっかしいバランスを保っているのだろう。
妹は『密着』という作品を面白がっていた。なかなかアブナイ格好で人間が地面にうつぶせになっている様子の作品だ。多分、男性だろう。
私は、『人とペガサス』と『予言者』という作品が面白いと感じた。『幸せを呼ぶシンフォニー彫刻』は天気が良くて光が内部にまで差し込むと良かったのだろうが、曇りがちで雨もぱらつくので、光が弱い。建物全体を美術作品にするスケールの大きさには驚いたけれど。
野外の作品は数多いし、点在している美術館の室内展示も見たりで、結構時間が経過していく。
現代美術も理解しにくいものだ。だから、つい解説があると読んでしまうのだが、母親と妹はさっさと行ってしまう。待ってくださいよー。
絵の時とは別な意味もあって、なかなか時間を要するし、疲れる。でも、普段とは違ったものが見られて面白い。展示も微妙に変えているようなので、しばらくしてまた来てもよいかと思う。
今日は、芦ノ湖遊覧船→ロープウェイで大涌谷→ロープウェイで早雲山→ケーブルカーで途中下車して美術館→強羅まで行って彫刻の森という感じのようだ。
というのも、すっかり母親と妹に任せているからだ。
桃源台行きの芦ノ湖遊覧船は海賊船をマネしたタイプのものだ。山の中の湖だと、山賊の方が似合っているように思うのだが、海賊とは。
ちなみに、芦ノ湖一周の遊覧船は外輪船タイプだ(マーク・トウェインの世界ですね。トム・ソーヤーとか)。こっちの方がまだ似つかわしいように思う。
大涌谷は、硫黄の匂いがキツイところだ。温泉で茹でた卵が名物で、硫化鉄のせいで黒いのが特徴だ。
遊歩道を歩いてみたり、黒タマゴを買って食べたり、写真を撮ったりと楽しむ。
遊歩道の終点近くにある黒タマゴを作る場所と、遊歩道の起点(土産物店・バス駐車場・ロープウェイ駅のあるところ)の間に、タマゴを運ぶ簡易なロープウェイがあったのには、面白いと思った。
さらに、遊歩道で帰ってきて土産物店に入ろうとすると、ご当地キティの絵が入り口に貼ってあった。「大涌谷限定キティ(硫黄臭いのでキティが鼻をつまんでいる)」「黒タマゴキティ(説明は要らないだろう)」「箱根細工風キティ(絵全体がセピア色というか、箱根細工の模様になっている)」。これも面白いと思い、黒タマゴキティのミニタオルを土産にする。
早雲山から強羅まで行く途中、公園上だかで下車して、箱根美術館を見る。良い雰囲気の庭と陶器の展示などのあるところだ。なかなかセンスが良い。
彫刻の森美術館は、行ったことがなかったので、密かに期待していた。雨が時折ぱらつくのは残念だが。
関東で放映しているフジテレビの天気予報で、彫刻の森美術館が出てくるので、ちょっとは関心があった。久し振りでジョージ・ウィンストンの『Autumn』を聴きたくなる。この曲も例の天気予報に出てくるので。
美術館(と言っても主に野外)に入ると『ミス・ブラックパワー』と『人とペガサス』が出迎えてくれる。私の目についたのは後者の方だった。どうやってあんな危なっかしいバランスを保っているのだろう。
妹は『密着』という作品を面白がっていた。なかなかアブナイ格好で人間が地面にうつぶせになっている様子の作品だ。多分、男性だろう。
私は、『人とペガサス』と『予言者』という作品が面白いと感じた。『幸せを呼ぶシンフォニー彫刻』は天気が良くて光が内部にまで差し込むと良かったのだろうが、曇りがちで雨もぱらつくので、光が弱い。建物全体を美術作品にするスケールの大きさには驚いたけれど。
野外の作品は数多いし、点在している美術館の室内展示も見たりで、結構時間が経過していく。
現代美術も理解しにくいものだ。だから、つい解説があると読んでしまうのだが、母親と妹はさっさと行ってしまう。待ってくださいよー。
絵の時とは別な意味もあって、なかなか時間を要するし、疲れる。でも、普段とは違ったものが見られて面白い。展示も微妙に変えているようなので、しばらくしてまた来てもよいかと思う。
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箱根旅行1日目
2004年9月23日 母親や妹と共に、1泊2日の旅行だ。
中途半端な距離だけれど、どのくらい楽しめるやら。
と思っていたのだけれど、案外楽しめた方かも。
芦ノ湖畔の旧街道杉並木を歩いたり、湖岸沿いを歩いたり、なかなか良い雰囲気だ。
成川美術館は、個人が運営しているらしく、入場料は高めだが、まあまあ楽しめた。あまり聞いた事のない画家の絵を見るが、これがなかなかよく出来ているように思われた。
木村奎吾(で良かったか?)という画家の描いた『仙石原繚乱』は特に気に入った。一面のススキ野原に月が出ている。
野原一面が金色で、絵の中に入って、ちょっと浸っていたい作品だと思った。こんな金色の野原に、居てみたいものだな。
ミュージアムショップでこの作品の絵葉書を売っていないのは残念だったけれど、絵が大き過ぎるから仕方ないか。
昨年夏の大原美術館の時もそうだったが、絵は比較的長時間見ていて飽きないが、何故か疲れてしまう。休憩する場所が少ないせい?
宿で入浴と食事。
料金が比較的安価な割には、美味しい食事が付き、快適な宿なのは幸いだった。
食後、母親と散歩。
すっかり暗くなった箱根権現まで行ってみたりする。
中途半端な距離だけれど、どのくらい楽しめるやら。
と思っていたのだけれど、案外楽しめた方かも。
芦ノ湖畔の旧街道杉並木を歩いたり、湖岸沿いを歩いたり、なかなか良い雰囲気だ。
成川美術館は、個人が運営しているらしく、入場料は高めだが、まあまあ楽しめた。あまり聞いた事のない画家の絵を見るが、これがなかなかよく出来ているように思われた。
木村奎吾(で良かったか?)という画家の描いた『仙石原繚乱』は特に気に入った。一面のススキ野原に月が出ている。
野原一面が金色で、絵の中に入って、ちょっと浸っていたい作品だと思った。こんな金色の野原に、居てみたいものだな。
ミュージアムショップでこの作品の絵葉書を売っていないのは残念だったけれど、絵が大き過ぎるから仕方ないか。
昨年夏の大原美術館の時もそうだったが、絵は比較的長時間見ていて飽きないが、何故か疲れてしまう。休憩する場所が少ないせい?
宿で入浴と食事。
料金が比較的安価な割には、美味しい食事が付き、快適な宿なのは幸いだった。
食後、母親と散歩。
すっかり暗くなった箱根権現まで行ってみたりする。
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NHKスペシャル『アシュケナージ・自由へのコンサート』
2004年9月12日 という番組を見てしまった。
シリアスなのは自分のキャラクターに合う合わないというより、暗くなってしまうが、ヒマなので。
アシュケナージのコンサートから始まる。
スターリンを初めとするソ連共産主義独裁体制のもと、芸術家たちの作った音楽を演奏するコンサートである。
コンサートは映画音楽も扱われるので、映画などを大きな画面で映しながら演奏する。
番組では、『ベルリン陥落』とかいう宣伝映画における、スターリンがベルリンに降り立つシーンを冒頭に持ってきている。迎える群衆がスターリンを口々にたたえるのだが、このシーンに使われている音楽がショスタコーヴィッチ作曲なのである。
「ショスタコーヴィッチは何だか分かりにくい現代音楽の作曲家」というイメージしかなかった私にとっては、正反対の、分かりやすい、単純で力強い曲だった。
それも道理で、理解できないものはいらない、大衆に理解でき、ソ連体制(スターリン)に奉仕する音楽を作るのが芸術家の務めだとされていたからだという。従わなければ、シベリア送りにされ、しまいには死んでしまう。
そんな話を見ていて、さっきの映画音楽を元気の良い曲だと面白がっていた自分が独裁者と同じに思えて、怖くなった。独裁者は端から見ていて滑稽で醜く恐ろしいモノだけれど、自分との共通点を見出せるとは思わなかった。頭では理解していても、感覚的に理解していなかったのだ。
クラシック音楽は好きだが、分かりにくいものはあまり好きではない。
演劇・美術・映画なども同様だ。理解しようと思って、時間をかけて見入ったりもすることがあったけれど、結局理解できない。食わず嫌いとは違うけれど、やはり好きになれない。
個人レベルなら、放っておけば良いのだけれど、独裁者だとそうもいかないらしい。自分に理解不能なものがあったり、自分以上に優れたものを許せないのが独裁者たる所以なのか。
シリアスなのは自分のキャラクターに合う合わないというより、暗くなってしまうが、ヒマなので。
アシュケナージのコンサートから始まる。
スターリンを初めとするソ連共産主義独裁体制のもと、芸術家たちの作った音楽を演奏するコンサートである。
コンサートは映画音楽も扱われるので、映画などを大きな画面で映しながら演奏する。
番組では、『ベルリン陥落』とかいう宣伝映画における、スターリンがベルリンに降り立つシーンを冒頭に持ってきている。迎える群衆がスターリンを口々にたたえるのだが、このシーンに使われている音楽がショスタコーヴィッチ作曲なのである。
「ショスタコーヴィッチは何だか分かりにくい現代音楽の作曲家」というイメージしかなかった私にとっては、正反対の、分かりやすい、単純で力強い曲だった。
それも道理で、理解できないものはいらない、大衆に理解でき、ソ連体制(スターリン)に奉仕する音楽を作るのが芸術家の務めだとされていたからだという。従わなければ、シベリア送りにされ、しまいには死んでしまう。
そんな話を見ていて、さっきの映画音楽を元気の良い曲だと面白がっていた自分が独裁者と同じに思えて、怖くなった。独裁者は端から見ていて滑稽で醜く恐ろしいモノだけれど、自分との共通点を見出せるとは思わなかった。頭では理解していても、感覚的に理解していなかったのだ。
クラシック音楽は好きだが、分かりにくいものはあまり好きではない。
演劇・美術・映画なども同様だ。理解しようと思って、時間をかけて見入ったりもすることがあったけれど、結局理解できない。食わず嫌いとは違うけれど、やはり好きになれない。
個人レベルなら、放っておけば良いのだけれど、独裁者だとそうもいかないらしい。自分に理解不能なものがあったり、自分以上に優れたものを許せないのが独裁者たる所以なのか。
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経験値の上昇
2004年9月4日 未明。
冷え込みがややきつい。もう少し温かい格好をしていればよかったかもしれない。
雨の降る音もしたような……。
5時起床。
8時に二荒山神社でN君と待ち合わせて男体山を登山するので、朝食や片付けに要する時間から逆算して、決めた起床時刻だった。
眠い。でも起きなければ。ボーッとしつつ、もぞもぞと起きる。
天気は良くなっている。雲はやや多め。
顔を洗ったら目が覚めた。水が冷たい。
M君も目が覚めたようだ。鳥の声がうるさいとのこと。丁度良い目覚ましになったようだ。
炊事場で火を起こし、お湯を沸かす。
レトルトのカレーを昨日の残りご飯にかけ、別なお湯でカップラーメンを食べる。人心地ついた。
待ち合わせ時刻が迫ってくるので、食後、早速片付け開始。
テントは畳み方が分からない。なかなか厄介である。
大雑把に畳んで、クルマに置いておくことにする。これも後の課題だ。
二荒山神社にてN君と合流。朝早かっただろうに、元気そうだ。
合流後、早速、社務所にて入山料を支払う。男体山は二荒山神社の神体らしい。信仰の山でもある。修験道も混じっているのだろう。
登山開始。時刻は大体8時半頃だったろうか。
まずは神社らしく、鳥居をくぐって石段の登りになる。
1合目にあるあずまやを過ぎると、森の中の道になり、登山らしくなる。
この道がなかなか凶悪だった。斜面に対してほとんど蛇行せず、まっすぐに道が延びているので、かなりキツイ登りになるのだ。だんだんにペースを作っていけばいいかと思っていたが、甘かった。
「この道、かなりタチが悪いですよー」
「ロープウェイとかケーブルカーがあっても良いくらいですよ」
「修行するにはいいかもしれないな。やはり信仰の山なのかね」
まだ、全体の3分の1までも行かないのに、この調子ではどうなるのか。森の中で小休止を取らざるを得なくなった。
土砂災害防備のための工事が、登山道の少し横のところで行なわれている。人間が歩くには急な斜面に、工事用のモノレールが敷設されている。「乗せて行ってくれー」と言いたくなった。
小休止終了後、再び歩き出すが、交わす言葉も少なくなっていた。
3合目で工事用道路と合流。ここから4合目までは工事用道路を歩くことになる。助かった。
前を歩く中高年のグループになかなか追いつけない。体力に余裕があれば、追い抜いても良いのだが、そんなマネもできない。別に競争ではないので良いけれど。
ここまでのダメージが予想以上に大きかったか、体力が落ちてきたか。多分、両方だろう。
シャツにかいた汗がまったく乾かない。寒いと思って着ていた上のシャツを脱いで、Tシャツになった。
汗はなかなか乾かない。体は熱くなるばかりで、汗も止まらない。
鳥居のある4合目でまた休憩。ここから登山再開だ。
鳥居から少し続く石段は、1段の段差が大きくて、足に負担がかかる。
それでも石段や手すりのある内はまだマシで、また急な登りになるので、再びキツくなる。ずっとこんな調子なのだろうか。
5合目で、トタンでできた小屋があるので、そこで休憩。何だか、休憩が多くなっているようだ。
ひたすらキツい。登りが急である上に、足場もあまり良くない。
あるところでは、見上げる限り(というのは大袈裟だが)急な岩場が続いていて、笑うしかなかった。
「えー!マジかよー!?」
とはN君の叫びだ。
気を紛らすために、少しは話もするのだが、息が切れるので四六時中会話するとはいかない。
こんな時に、某栄養ドリンクのCMのように「○ァイトォ!」「イッ○ァーツ!」などとやってはいけない(笑)。
あれは瞬発的なもので、今回みたいに我が身の危機が連続しているところにおける持続性がまったく期待できないのだ。ぜーはーぜーはー。
こんな時は呼吸法が大事だ。
鼻から吸って、口から吐いてを、腹式呼吸で繰り返す。意識してやると、楽にはなれないが、苦痛がかなり軽減される。
5合目で見かけたような小屋は7合目まである。そのたびに休憩を取った。急な登りがひたすら続き、目標や区切りがないと、辛いのだ。
たまに下界の見えるところに来ると、中禅寺湖が眼下に広がり、気持ち良い。こういうのは山登りの醍醐味の一つかも。
生えている木も高いものはだんだん少なくなり、シラカバ(ダケカンバか?)もいつの間にか、目につくようになる。
8合目は瀧尾神社というが、大岩の前に賽銭箱と社務所兼避難小屋が斜面上にあるだけだ。ここでも休憩を取る。
「ウチの子供を連れて来なくて良かったですよ」
とは妻子持ちのN君のコメント。
彼にはもう少しで2歳になる男の子がいる。本当にその通りだ。
こんな状況で、余計なものなど背負っては来られない。
「今回は変な経験値が高まっていますよ」
とはM君のコメント。そう言われればそうかもしれない。
キャンプで炊事、急な山道、ひたすら続く岩場などなど。昨日からの「イベント」続きで、鍛えられているような按配だ。
かと言って、ファンタジーRPGの冒険者のように、ちゃんと鍛えられているかどうかは保証の限りではないが。
数々の試練を経て、龍を倒すなんてマネは到底できない。今の我々では、ボスキャラがいるところに到達して、そこで力尽きてしまうだろう。
8.5合目を経て9合目に至る途中でも、岩場の続くところがあった。
小休止を取ってから挑む。
結果的には岩場はこれで終わりで、あとは急で足場の悪い道が続くだけだった。それだけでもキツいのだが(泣)。
最後の小休止を取って登り続けると、目の前が開ける。
まだ急な登りだが、火山礫の続くコースになる。頂上は近いようだ。
植物も急に少なくなったような印象だ。枯れた木がところどころにある。酸性雨・酸性霧の影響だろうか。
小さなお社の前を過ぎて、山頂の剣のところに到着。12時過ぎだ。
あんまり到着したという感慨が湧かない。疲れ過ぎている。
食事を取って人心地ついた。だが、もう力尽きていて、何もやる気が起きない。
携帯コンロでお湯を沸かして、コーヒーを飲む。
N君は頂上でコーヒーを味わうことが憧れだったので、非常に喜んでいた。
M君と私も、コーヒーを飲んで、少し回復した。ここまで水とコンロを担いできただけの事はあった。
下りは非常に早かった。
足への負担は大きいはずだが、傾斜が急だから、足場に気をつければどんどん下ることができる。ずっと話しっぱなしだった。
登りの時と比べて、なんと違うものか。
下山終了前後、雨が本降りになる。
もう少し遅かったら大変なところだった。運が良い。
あとは日帰り入浴施設で汗を流して帰れば良い。
冷え込みがややきつい。もう少し温かい格好をしていればよかったかもしれない。
雨の降る音もしたような……。
5時起床。
8時に二荒山神社でN君と待ち合わせて男体山を登山するので、朝食や片付けに要する時間から逆算して、決めた起床時刻だった。
眠い。でも起きなければ。ボーッとしつつ、もぞもぞと起きる。
天気は良くなっている。雲はやや多め。
顔を洗ったら目が覚めた。水が冷たい。
M君も目が覚めたようだ。鳥の声がうるさいとのこと。丁度良い目覚ましになったようだ。
炊事場で火を起こし、お湯を沸かす。
レトルトのカレーを昨日の残りご飯にかけ、別なお湯でカップラーメンを食べる。人心地ついた。
待ち合わせ時刻が迫ってくるので、食後、早速片付け開始。
テントは畳み方が分からない。なかなか厄介である。
大雑把に畳んで、クルマに置いておくことにする。これも後の課題だ。
二荒山神社にてN君と合流。朝早かっただろうに、元気そうだ。
合流後、早速、社務所にて入山料を支払う。男体山は二荒山神社の神体らしい。信仰の山でもある。修験道も混じっているのだろう。
登山開始。時刻は大体8時半頃だったろうか。
まずは神社らしく、鳥居をくぐって石段の登りになる。
1合目にあるあずまやを過ぎると、森の中の道になり、登山らしくなる。
この道がなかなか凶悪だった。斜面に対してほとんど蛇行せず、まっすぐに道が延びているので、かなりキツイ登りになるのだ。だんだんにペースを作っていけばいいかと思っていたが、甘かった。
「この道、かなりタチが悪いですよー」
「ロープウェイとかケーブルカーがあっても良いくらいですよ」
「修行するにはいいかもしれないな。やはり信仰の山なのかね」
まだ、全体の3分の1までも行かないのに、この調子ではどうなるのか。森の中で小休止を取らざるを得なくなった。
土砂災害防備のための工事が、登山道の少し横のところで行なわれている。人間が歩くには急な斜面に、工事用のモノレールが敷設されている。「乗せて行ってくれー」と言いたくなった。
小休止終了後、再び歩き出すが、交わす言葉も少なくなっていた。
3合目で工事用道路と合流。ここから4合目までは工事用道路を歩くことになる。助かった。
前を歩く中高年のグループになかなか追いつけない。体力に余裕があれば、追い抜いても良いのだが、そんなマネもできない。別に競争ではないので良いけれど。
ここまでのダメージが予想以上に大きかったか、体力が落ちてきたか。多分、両方だろう。
シャツにかいた汗がまったく乾かない。寒いと思って着ていた上のシャツを脱いで、Tシャツになった。
汗はなかなか乾かない。体は熱くなるばかりで、汗も止まらない。
鳥居のある4合目でまた休憩。ここから登山再開だ。
鳥居から少し続く石段は、1段の段差が大きくて、足に負担がかかる。
それでも石段や手すりのある内はまだマシで、また急な登りになるので、再びキツくなる。ずっとこんな調子なのだろうか。
5合目で、トタンでできた小屋があるので、そこで休憩。何だか、休憩が多くなっているようだ。
ひたすらキツい。登りが急である上に、足場もあまり良くない。
あるところでは、見上げる限り(というのは大袈裟だが)急な岩場が続いていて、笑うしかなかった。
「えー!マジかよー!?」
とはN君の叫びだ。
気を紛らすために、少しは話もするのだが、息が切れるので四六時中会話するとはいかない。
こんな時に、某栄養ドリンクのCMのように「○ァイトォ!」「イッ○ァーツ!」などとやってはいけない(笑)。
あれは瞬発的なもので、今回みたいに我が身の危機が連続しているところにおける持続性がまったく期待できないのだ。ぜーはーぜーはー。
こんな時は呼吸法が大事だ。
鼻から吸って、口から吐いてを、腹式呼吸で繰り返す。意識してやると、楽にはなれないが、苦痛がかなり軽減される。
5合目で見かけたような小屋は7合目まである。そのたびに休憩を取った。急な登りがひたすら続き、目標や区切りがないと、辛いのだ。
たまに下界の見えるところに来ると、中禅寺湖が眼下に広がり、気持ち良い。こういうのは山登りの醍醐味の一つかも。
生えている木も高いものはだんだん少なくなり、シラカバ(ダケカンバか?)もいつの間にか、目につくようになる。
8合目は瀧尾神社というが、大岩の前に賽銭箱と社務所兼避難小屋が斜面上にあるだけだ。ここでも休憩を取る。
「ウチの子供を連れて来なくて良かったですよ」
とは妻子持ちのN君のコメント。
彼にはもう少しで2歳になる男の子がいる。本当にその通りだ。
こんな状況で、余計なものなど背負っては来られない。
「今回は変な経験値が高まっていますよ」
とはM君のコメント。そう言われればそうかもしれない。
キャンプで炊事、急な山道、ひたすら続く岩場などなど。昨日からの「イベント」続きで、鍛えられているような按配だ。
かと言って、ファンタジーRPGの冒険者のように、ちゃんと鍛えられているかどうかは保証の限りではないが。
数々の試練を経て、龍を倒すなんてマネは到底できない。今の我々では、ボスキャラがいるところに到達して、そこで力尽きてしまうだろう。
8.5合目を経て9合目に至る途中でも、岩場の続くところがあった。
小休止を取ってから挑む。
結果的には岩場はこれで終わりで、あとは急で足場の悪い道が続くだけだった。それだけでもキツいのだが(泣)。
最後の小休止を取って登り続けると、目の前が開ける。
まだ急な登りだが、火山礫の続くコースになる。頂上は近いようだ。
植物も急に少なくなったような印象だ。枯れた木がところどころにある。酸性雨・酸性霧の影響だろうか。
小さなお社の前を過ぎて、山頂の剣のところに到着。12時過ぎだ。
あんまり到着したという感慨が湧かない。疲れ過ぎている。
食事を取って人心地ついた。だが、もう力尽きていて、何もやる気が起きない。
携帯コンロでお湯を沸かして、コーヒーを飲む。
N君は頂上でコーヒーを味わうことが憧れだったので、非常に喜んでいた。
M君と私も、コーヒーを飲んで、少し回復した。ここまで水とコンロを担いできただけの事はあった。
下りは非常に早かった。
足への負担は大きいはずだが、傾斜が急だから、足場に気をつければどんどん下ることができる。ずっと話しっぱなしだった。
登りの時と比べて、なんと違うものか。
下山終了前後、雨が本降りになる。
もう少し遅かったら大変なところだった。運が良い。
あとは日帰り入浴施設で汗を流して帰れば良い。
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中禅寺湖畔でキャンプ
2004年9月3日 とうとう、当日になってしまった。
N君は忙しくて今日休むことができない。明日、登山前に合流とする。
コンロは手頃な値段のものを購入した。2,980円也。
家庭用卓上コンロのカセットガスを使用するタイプのものだ。今のところ、頂上などでコーヒーなどを飲むために使用するから、そう本格的でなくても良いだろう。ささやかな贅沢だ。
キャンプでの食事は、バーベキューというか焼肉にしよう。カレーは量を作らないと美味しくないので、断念。
鉄板が調達できない場合に備えて、フライパンを持参する。
米は3合持って行く。夕食と朝食のためだ。朝食はレトルトのカレーにすれば良い。冷めたご飯でも少しは美味しく食べられるだろう。
飯盒で米を炊くことには不安を感じるが、普段の炊飯とそう大きな違いはないだろう。水加減と火加減を間違わなければ、大丈夫なはず。
古新聞なども忘れないようにしよう。
昼近く、M君がクルマで迎えに来る。
キャンプは荷物が多いから、クルマでないとキツい。
楽しく移動しはじめるが、宇都宮市内を抜けるのに案外、時間がかかってしまった。
直進できるレーンだと思っていたら、左折専用レーンだったりするので油断ならない。道の分かりにくさは何とかならないものか。
宇都宮市街を抜けて、日光に向かう途中には、スーパーがなかなかない。これでは物資が調達できない。
短気を起こして、途中で道を左折すると、スーパーがあった。運が良い。
ここで、今夜の食材(肉と野菜)と明日の行動食(菓子類)・飲み物・昼食(おにぎり)を購入。炊事に使ったりすることを考えて、ペーパータオル・箸・紙皿(深みのあるもの)なども購入する。
距離も案外あるもので、結局、中禅寺湖畔に着いたのは16時半から17時の間頃になる。
天気もすっかり曇って、怪しい。今夜のキャンプと明日の登山は大丈夫だろうか?
キャンプ場にテントを張る。説明書を見ながらなので、30分以上は要したような気がする。
でき上がったテントに入ると、感慨ひとしおという気が。
と言うより、もう何もしたくなくなった。でも、本当に何もしないと夕食を食べられない。面倒くさくてもやるしかない。
飯盒と鉄板を借り、薪もひと束購入して、食事の準備だ。
飯盒を使って米を研ぐ。米は30分水に浸す。
水加減は多めにする。少なくして失敗するよりはマシだという意見による。
その間に、M君に野菜のカットを頼む。まな板の代わりに、新聞紙の上にペーパータオルを敷く。
やっと30分経過したので、火を起こす。
古新聞や着火剤の上に、薪を置いておく。新聞紙・着火剤に火をつけて、薪に火を移す。これで更に30分ほど待つ。
その間、いい加減腹も減るので、少しずつ食べることにする。
鉄板に、ソーセージ、野菜、味付き肉を並べて、食べていくことにする。少し野菜も足りないような気もするが、よしとしよう。
なかなか美味しい。しかし、かまどの前で食べるのも変なので、次回からは卓上コンロで食べたいものだ。
米は炊いていると飯盒から吹き零れる。吹き零れが落ち着いたら、飯盒を引っくり返せば良かったよな。うろ覚えだ。
キャンプというか、こんな形での炊事は20年ぶり位である。
米は、ちゃんと炊けていた。これにはホッとした。ちょっと水っぽかったけれど、許容範囲内だ。
自分で作ったものは、味わいもある。
かまどの前で焼肉をしている異様な男二人(私たち)がいる一方、炊事場の横にあるテーブルでコンロを囲んで談笑している男性4人組がいたり、かまどで炊事を始めた男女のカップルがいたりした。
土鍋でキノコご飯を炊くのは良い。ホイル包みも良い。キャンプのメニューとしては、良いと思う。
土鍋なら焦げ付きを少なくできるし、米粒がこびり付かない。
ホイル包みは、食べた後の始末が楽だ。
今度機会があれば、検討してみよう。
食事や後始末をしたら、もう20時50分となっていて、風呂に入ることができなくなってしまった(風呂は21時まで)。
仕方ない。顔を洗って、寝ることにしよう。
22時頃、就寝準備を整えて、テントに戻る。4〜5人用テントなので、二人で居るには快適な空間の余裕がある。
購入した携帯コンロを試したり、談笑したりして、就寝。
明日の登山、天気大丈夫かな。
N君は忙しくて今日休むことができない。明日、登山前に合流とする。
コンロは手頃な値段のものを購入した。2,980円也。
家庭用卓上コンロのカセットガスを使用するタイプのものだ。今のところ、頂上などでコーヒーなどを飲むために使用するから、そう本格的でなくても良いだろう。ささやかな贅沢だ。
キャンプでの食事は、バーベキューというか焼肉にしよう。カレーは量を作らないと美味しくないので、断念。
鉄板が調達できない場合に備えて、フライパンを持参する。
米は3合持って行く。夕食と朝食のためだ。朝食はレトルトのカレーにすれば良い。冷めたご飯でも少しは美味しく食べられるだろう。
飯盒で米を炊くことには不安を感じるが、普段の炊飯とそう大きな違いはないだろう。水加減と火加減を間違わなければ、大丈夫なはず。
古新聞なども忘れないようにしよう。
昼近く、M君がクルマで迎えに来る。
キャンプは荷物が多いから、クルマでないとキツい。
楽しく移動しはじめるが、宇都宮市内を抜けるのに案外、時間がかかってしまった。
直進できるレーンだと思っていたら、左折専用レーンだったりするので油断ならない。道の分かりにくさは何とかならないものか。
宇都宮市街を抜けて、日光に向かう途中には、スーパーがなかなかない。これでは物資が調達できない。
短気を起こして、途中で道を左折すると、スーパーがあった。運が良い。
ここで、今夜の食材(肉と野菜)と明日の行動食(菓子類)・飲み物・昼食(おにぎり)を購入。炊事に使ったりすることを考えて、ペーパータオル・箸・紙皿(深みのあるもの)なども購入する。
距離も案外あるもので、結局、中禅寺湖畔に着いたのは16時半から17時の間頃になる。
天気もすっかり曇って、怪しい。今夜のキャンプと明日の登山は大丈夫だろうか?
キャンプ場にテントを張る。説明書を見ながらなので、30分以上は要したような気がする。
でき上がったテントに入ると、感慨ひとしおという気が。
と言うより、もう何もしたくなくなった。でも、本当に何もしないと夕食を食べられない。面倒くさくてもやるしかない。
飯盒と鉄板を借り、薪もひと束購入して、食事の準備だ。
飯盒を使って米を研ぐ。米は30分水に浸す。
水加減は多めにする。少なくして失敗するよりはマシだという意見による。
その間に、M君に野菜のカットを頼む。まな板の代わりに、新聞紙の上にペーパータオルを敷く。
やっと30分経過したので、火を起こす。
古新聞や着火剤の上に、薪を置いておく。新聞紙・着火剤に火をつけて、薪に火を移す。これで更に30分ほど待つ。
その間、いい加減腹も減るので、少しずつ食べることにする。
鉄板に、ソーセージ、野菜、味付き肉を並べて、食べていくことにする。少し野菜も足りないような気もするが、よしとしよう。
なかなか美味しい。しかし、かまどの前で食べるのも変なので、次回からは卓上コンロで食べたいものだ。
米は炊いていると飯盒から吹き零れる。吹き零れが落ち着いたら、飯盒を引っくり返せば良かったよな。うろ覚えだ。
キャンプというか、こんな形での炊事は20年ぶり位である。
米は、ちゃんと炊けていた。これにはホッとした。ちょっと水っぽかったけれど、許容範囲内だ。
自分で作ったものは、味わいもある。
かまどの前で焼肉をしている異様な男二人(私たち)がいる一方、炊事場の横にあるテーブルでコンロを囲んで談笑している男性4人組がいたり、かまどで炊事を始めた男女のカップルがいたりした。
土鍋でキノコご飯を炊くのは良い。ホイル包みも良い。キャンプのメニューとしては、良いと思う。
土鍋なら焦げ付きを少なくできるし、米粒がこびり付かない。
ホイル包みは、食べた後の始末が楽だ。
今度機会があれば、検討してみよう。
食事や後始末をしたら、もう20時50分となっていて、風呂に入ることができなくなってしまった(風呂は21時まで)。
仕方ない。顔を洗って、寝ることにしよう。
22時頃、就寝準備を整えて、テントに戻る。4〜5人用テントなので、二人で居るには快適な空間の余裕がある。
購入した携帯コンロを試したり、談笑したりして、就寝。
明日の登山、天気大丈夫かな。
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きっかけは……
2004年9月1日 仕事終了後、かつての部署の後輩のN君と共に、アウトドア用品の店を見に行く。
シュラフ(寝袋)や携帯コンロを見るためだ。
少し前であれば、こんなことになろうとは思っていなかったんだが……。
きっかけは、これもかつての部署の後輩であるM君の発言だった。
「テント持っているんで、キャンプしませんか?」
「え?どこまで自分でやるつもりなの?テントの張り方なんて私は知らないよ」
と私は難色を示した。
「大丈夫ですよ。僕もテント張ったことありませんから(笑)」
それは大丈夫じゃないと思うぞ。
とりあえず、テント買うというのは如何なものかと思う。どういう思考回路をしとるんじゃ。
「でも、それは面白そうですね」
とはN君の発言だ。
ちなみに、N君もM君も血液型B型である(私はO型。大雑把である)。好き勝手なことを言う人と大雑把な人間との組合せは、なかなか恐ろしい。
うむうー。無謀好きな方々だ。
そこに、年配の職員のSさんが
「中禅寺湖畔に菖蒲が浜キャンプ場があるから、そこがいいんじゃないかな。水も炊事場もちゃんとあるし、飯盒なんかも貸してくれるよ」
と親切に教えてくれる。
この情報に、N君もM君も乗り気になったことは言うまでもない。
キャンプの食事なんて、カレーとかバーベキューとかしか知らんぞ。どうするつもりだ……。
というわけで、テントの中で寝るために寝袋を探している。
最初だから、変に重たいものも困る。
さんざん迷った挙句、一番安いツーリング用のものを購入する。冬山はやらないから、とりあえずはこれで良いだろう。セーターも持参しよう。
コンロは案外高価なものである。3千円位かと思っていたら、安くて4千円前後だ。
おおむね4千円台後半から5千円台のものが多いようだ。専用の燃料の上に、取り付ける方式のものが主だ。
むうー。
この場ではコンロを断念。
シュラフ(寝袋)や携帯コンロを見るためだ。
少し前であれば、こんなことになろうとは思っていなかったんだが……。
きっかけは、これもかつての部署の後輩であるM君の発言だった。
「テント持っているんで、キャンプしませんか?」
「え?どこまで自分でやるつもりなの?テントの張り方なんて私は知らないよ」
と私は難色を示した。
「大丈夫ですよ。僕もテント張ったことありませんから(笑)」
それは大丈夫じゃないと思うぞ。
とりあえず、テント買うというのは如何なものかと思う。どういう思考回路をしとるんじゃ。
「でも、それは面白そうですね」
とはN君の発言だ。
ちなみに、N君もM君も血液型B型である(私はO型。大雑把である)。好き勝手なことを言う人と大雑把な人間との組合せは、なかなか恐ろしい。
うむうー。無謀好きな方々だ。
そこに、年配の職員のSさんが
「中禅寺湖畔に菖蒲が浜キャンプ場があるから、そこがいいんじゃないかな。水も炊事場もちゃんとあるし、飯盒なんかも貸してくれるよ」
と親切に教えてくれる。
この情報に、N君もM君も乗り気になったことは言うまでもない。
キャンプの食事なんて、カレーとかバーベキューとかしか知らんぞ。どうするつもりだ……。
というわけで、テントの中で寝るために寝袋を探している。
最初だから、変に重たいものも困る。
さんざん迷った挙句、一番安いツーリング用のものを購入する。冬山はやらないから、とりあえずはこれで良いだろう。セーターも持参しよう。
コンロは案外高価なものである。3千円位かと思っていたら、安くて4千円前後だ。
おおむね4千円台後半から5千円台のものが多いようだ。専用の燃料の上に、取り付ける方式のものが主だ。
むうー。
この場ではコンロを断念。
いよいよ踊り本番
2004年8月7日 どんなにイヤなことでも、時間の経過はあるもので、時間が来てしまえば終わってしまうものだ。
天気が良いので、布団干しや洗濯をしたりして、時間を過ごす。
今日も暑いなー。
と思っていたら、午後2時頃から曇りがちになってきた。それでも気温は高めだが、風も吹いてきて、比較的快適な感じだ。これはありがたい。
3時集合なので、2時半に自転車で向かう。しっかりした風を体に受けつつ現地に向かう。汗はかくけれど、気持ち良い。
踊りの場所である中心市街地の国道を中心にすでに交通規制がかかっている。
集合場所で着替える。着物の着方など分からないから、着付けの人に手伝ってもらって貸衣装を着る。
手足を交互に出す歩き方だと着物は着崩れてしまうので、同じ側の手足を振って歩く方法をマスターしておけば良かった。
知り合いが少ないのはちょっと寂しい。
4時半頃、会場となるメインストリートに向かう。
気温は思った以上に涼しく、曇りがちで日差しもない。体力の消耗が少なくなり、これは案外いけるかも。
整列したりして、5時踊り開始。
体が案外ちゃんと動いてくれるので、我ながら嬉しいというか、ありがたい。
休憩が時折入るが、それまでは二つの曲に合わせてひたすら踊るのみ。踊りは夜の8時半過ぎまでだ。
張り切り過ぎるのも消耗するし、逆にヤル気まったくなしで踊るのも何だかイヤだ。踊りに気持ちを集中しておく。
途中、強い風が吹き、にわか雨も降ったりもしたが、暑さが和らいで、踊り手や見物客にとっても良かったのではないか。冷夏の時を除けば、今回が一番快適だ。
休憩時に、職場の知り合い等が差し入れと称して、飲み物をくれたりする。ありがたいことだ。
中には、缶ビールを持ってくる人もいる。下戸には困るが。
地元銀行・信用金庫・信用組合・百貨店・測量協会などなど、様々なところが踊る。見ていて、そこそこ楽しいかもしれない。
どこかの短大だか高校だかの女子学生の集団は、なぜかアンパンマンの格好で踊っていたが、あれは何のつもりだったのか。
某信金の女性たちは、カーニバルかサンバよろしく、露出度の高い衣装で踊っていたが、アレは大変だろうなー。
踊りの最優秀賞はYosakoiを踊る集団に手渡される。ここしばらくは同じところが受賞しているようだ。
やはり、メリハリのある踊りを、きれいにまとめてやっていて、ヤル気のあるところは、見ていて気持ちの良いものがある。
私たちは論外だが……。
何とか踊りおおせることができた。
今回は案外、快適に踊れたし、何故か心楽しい部分もあったので(不愉快なだけではなかったので)、よしとしよう。
天気が良いので、布団干しや洗濯をしたりして、時間を過ごす。
今日も暑いなー。
と思っていたら、午後2時頃から曇りがちになってきた。それでも気温は高めだが、風も吹いてきて、比較的快適な感じだ。これはありがたい。
3時集合なので、2時半に自転車で向かう。しっかりした風を体に受けつつ現地に向かう。汗はかくけれど、気持ち良い。
踊りの場所である中心市街地の国道を中心にすでに交通規制がかかっている。
集合場所で着替える。着物の着方など分からないから、着付けの人に手伝ってもらって貸衣装を着る。
手足を交互に出す歩き方だと着物は着崩れてしまうので、同じ側の手足を振って歩く方法をマスターしておけば良かった。
知り合いが少ないのはちょっと寂しい。
4時半頃、会場となるメインストリートに向かう。
気温は思った以上に涼しく、曇りがちで日差しもない。体力の消耗が少なくなり、これは案外いけるかも。
整列したりして、5時踊り開始。
体が案外ちゃんと動いてくれるので、我ながら嬉しいというか、ありがたい。
休憩が時折入るが、それまでは二つの曲に合わせてひたすら踊るのみ。踊りは夜の8時半過ぎまでだ。
張り切り過ぎるのも消耗するし、逆にヤル気まったくなしで踊るのも何だかイヤだ。踊りに気持ちを集中しておく。
途中、強い風が吹き、にわか雨も降ったりもしたが、暑さが和らいで、踊り手や見物客にとっても良かったのではないか。冷夏の時を除けば、今回が一番快適だ。
休憩時に、職場の知り合い等が差し入れと称して、飲み物をくれたりする。ありがたいことだ。
中には、缶ビールを持ってくる人もいる。下戸には困るが。
地元銀行・信用金庫・信用組合・百貨店・測量協会などなど、様々なところが踊る。見ていて、そこそこ楽しいかもしれない。
どこかの短大だか高校だかの女子学生の集団は、なぜかアンパンマンの格好で踊っていたが、あれは何のつもりだったのか。
某信金の女性たちは、カーニバルかサンバよろしく、露出度の高い衣装で踊っていたが、アレは大変だろうなー。
踊りの最優秀賞はYosakoiを踊る集団に手渡される。ここしばらくは同じところが受賞しているようだ。
やはり、メリハリのある踊りを、きれいにまとめてやっていて、ヤル気のあるところは、見ていて気持ちの良いものがある。
私たちは論外だが……。
何とか踊りおおせることができた。
今回は案外、快適に踊れたし、何故か心楽しい部分もあったので(不愉快なだけではなかったので)、よしとしよう。
踊りの練習再び
2004年8月4日 練習は全部で3回。
その内、1回目は用事があって参加できず、前回が初めてだった。
今回で私にとっては2回目になる。
以前の踊りも思い出してきたし、マイナーチェンジの部分も何とか理解できた。
体がどのくらい動いてくれるやら。私は運動音痴なので、この類のことが非常に苦手なんだが……。
あとは、間違えても、堂々とするしかない。
背中ちょっと丸めて、恥ずかしそうに踊っているだけでも目についてしまうもんだし。
その内、1回目は用事があって参加できず、前回が初めてだった。
今回で私にとっては2回目になる。
以前の踊りも思い出してきたし、マイナーチェンジの部分も何とか理解できた。
体がどのくらい動いてくれるやら。私は運動音痴なので、この類のことが非常に苦手なんだが……。
あとは、間違えても、堂々とするしかない。
背中ちょっと丸めて、恥ずかしそうに踊っているだけでも目についてしまうもんだし。
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踊りの練習
2004年7月28日 と言っても、ダンスなどではない。
当地の祭りの市民フェスティバルとやらで、職場の互助会名義で、踊り手として出場するのだ。
3年前にもやらされたので、暑い中踊るのはウンザリだし、勘弁してほしかったが、今回久し振りに駆り出されてしまった。
3年前との違いは、前回は参加申込書にいつの間にか自分の名前があったのに対し、今回は参加するよう上司などが婉曲に強く言ったので自分で名前を書かざるを得なかったということくらいか。うむう。
仕事を定時で終えて、練習場所に行くと、既にやっている。
案の定、知り合いが皆無に近い。例年、新人が出させられるケースが多いので、採用以来、5年以上経過した私など、普通いないものなのだ。
来年からこそは参加すまいと固く思った。
そうなると、その分、余計な仕事を押し付けられるだろうが、仕方のないことである。
売れない演歌歌手か落語家のような格好で、見映えのしないパフォーマンスをやって時間を無駄にするよりはマシだろう。やるならやるで、格好いいパフォーマンスをしたいものだ。自分にはそんな演出はできないから、ないものねだりと言われればそれまでだが。
踊りは、忘れているのと微妙なマイナーチェンジとで、なかなか体が動いてくれない。
それでも慣れてくると、気持ちに余裕が出てくる。あろうことか楽しい気分になってくることさえあるのは、脳が自分を騙しているんだなーと思う。
職場の同じフロア(部署は違う)の女性(おそらく新規採用だろう)と、言葉を交わす。
「なかなか覚えられませんねー」
「初めてですか?」
「3年前にもやりましたけれど、変わっているんで上手くは踊れませんね」
「えー。大したモンですよ」
名前は知らないが、可愛らしい人である。
ただ、背中がやや猫背になっているのは惜しい。
踊るのは結構恥ずかしいし、覚えきっていないので、なおのこと手の動きなどは小さくなり、かえって目立ってしまう。あまり格好の良いものではない。
お仲間のいるところでは、仕方ないか。こういうのって、変にやる気のあるように見られるのも、恥ずかしいからなー。
暑がりの汗っかきには、踊りの練習は少し難儀だ。
19時前には練習終了。やれやれ。
あともう一回、こんな練習をせねばならないのか……。
当地の祭りの市民フェスティバルとやらで、職場の互助会名義で、踊り手として出場するのだ。
3年前にもやらされたので、暑い中踊るのはウンザリだし、勘弁してほしかったが、今回久し振りに駆り出されてしまった。
3年前との違いは、前回は参加申込書にいつの間にか自分の名前があったのに対し、今回は参加するよう上司などが婉曲に強く言ったので自分で名前を書かざるを得なかったということくらいか。うむう。
仕事を定時で終えて、練習場所に行くと、既にやっている。
案の定、知り合いが皆無に近い。例年、新人が出させられるケースが多いので、採用以来、5年以上経過した私など、普通いないものなのだ。
来年からこそは参加すまいと固く思った。
そうなると、その分、余計な仕事を押し付けられるだろうが、仕方のないことである。
売れない演歌歌手か落語家のような格好で、見映えのしないパフォーマンスをやって時間を無駄にするよりはマシだろう。やるならやるで、格好いいパフォーマンスをしたいものだ。自分にはそんな演出はできないから、ないものねだりと言われればそれまでだが。
踊りは、忘れているのと微妙なマイナーチェンジとで、なかなか体が動いてくれない。
それでも慣れてくると、気持ちに余裕が出てくる。あろうことか楽しい気分になってくることさえあるのは、脳が自分を騙しているんだなーと思う。
職場の同じフロア(部署は違う)の女性(おそらく新規採用だろう)と、言葉を交わす。
「なかなか覚えられませんねー」
「初めてですか?」
「3年前にもやりましたけれど、変わっているんで上手くは踊れませんね」
「えー。大したモンですよ」
名前は知らないが、可愛らしい人である。
ただ、背中がやや猫背になっているのは惜しい。
踊るのは結構恥ずかしいし、覚えきっていないので、なおのこと手の動きなどは小さくなり、かえって目立ってしまう。あまり格好の良いものではない。
お仲間のいるところでは、仕方ないか。こういうのって、変にやる気のあるように見られるのも、恥ずかしいからなー。
暑がりの汗っかきには、踊りの練習は少し難儀だ。
19時前には練習終了。やれやれ。
あともう一回、こんな練習をせねばならないのか……。
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まずは黒岳へ
2004年7月17日 やれるところまでやるしかないですね。
まずは、起床は5時頃、6時までにはロープウェイの山麓駅にいるようにしたい。
男5人も同じ部屋にいると、大変なものだ。
ある人は鼾をかいて寝ている。熟睡できて羨ましい。
窓を開けてやっと眠れると思って、寝てしばらくすると、H氏がごそごそ何やらやっている音がする。着替えたり、準備したりしているようだ。
時計を見るとまだ4時。早過ぎです……。
5時少し前、皆、起床。「そうか。やるのか。やるならやらねば」ってなものである。
各自、購入していた朝食を摂ったりして、準備が整う。では出発しますか。
クルマは無料の観光駐車場に置いておくことにする。
ロープウェイは、6時始発と聞いていたが、すでに動いているようだ。
ロープウェイに乗る。次にリフトに乗り換える。
ガスがかかり、見晴らしは今一つだが、時折、晴れ間がある。その時の眺めは素晴らしい。山並みがずっと続いていて、このまま続くのではないかと錯覚してしまう。このまま空を飛んで行けたらいいんだが。
もう少し早い時間で天気が良ければ、夜明けの美しさも見られるだろう。
リフトで終着駅に着く。6時20分着。天気が心なしか良くなっているように思われるが、気のせいか。山の天気は変わりやすい。
登山届を書くところがある。さて、どうしたものか。
一応、縦走ではなく、お鉢一周のところにマルを付けておく。6時25分発。
もし縦走してしまっても、警察か森林管理署に連絡しておけば良いだろう。
いきなり、急な登りになる。傾斜の緩いところで、朝食を摂る集団に出会ったりする。
花もきれいに咲いているから、丁度良いのだ。植物の名前をほとんど知らない自分が、非常に無知であるかのような気がする(実際、無知なわけだけれど)。
時折、一息つきつつ、5人はせっせと登って行く。
何となくだが、N君がやや遅れているような気がする。気のせいか。
黒岳山頂到着。
ガスやら雲やらで覆われることもあるが、晴れ間ものぞく。天候の大きな崩れはない。
ふと脳裏に、「ブロッケン山の妖怪」を思い出す。気象条件が整うと、自分の前に、大きな怪物のシルエットが浮かぶという現象だ。ここでも見られると面白いのだけれど。
晴れ間から、岩だらけの急傾斜・絶壁が足元に見えて、怖くなる。そんなときの見晴らしはとても良いのだけれど。
とりあえず、写真だ。
携帯電話の電波も届いているので、写メールで父に送信する。今回の旅行や登山については、何かと心配してくれたからだ。
時刻は7時25分頃。ガイドブックなどに記されている所要時間より早めで推移している。
黒岳山頂からお鉢に向かう。
気温は低め、傾斜はやや急な下り。
下りきったところに、分岐があるが、その手前にくぼ地に雪がたくさん残っている。
ここでも写真撮影。こんな調子で撮影していて、これから大丈夫だろうか?デジカメのメモリが心配だ。
分岐近くにある黒岳石室にて、小休止。
黒岳石室からの歩きは、高原を歩いているかのような錯覚を感じる。気持ち良さを感じる。
しばらくすると、上り下りが入るようになってくる。
途中、左下の渓谷を一望にできるところでまた小休止。
谷間には雪が残っていて、その下からは水が流れ出していて、細いが川を成している。ここでも撮影。
再び歩き出し、まずは北鎮岳を目指す。
途中、急斜面の道があるが、そこは一面の雪だった。どうしたものか。
とりあえず、私はスパッツを着用する。
一面の雪に足をかけて、皆で撮影し合う。モチーフとしてはなかなか様になっている。
さて、登りますか。
滑らないように気を付ける。前に歩いた人の跡を行けば、足がかりも得られるので、アイゼンは不要だ。良かった。
少しずつ、登って行く。登りきったところで、ふたたび小休止。振り返った眺めがまた素晴らしい。
天気はいつの間にか晴れ渡り、とても良好になってしまった。今後大きな崩れはなさそうな感じだ。
ここからまた、北鎮分岐・北鎮岳と進んで行く。
北鎮分岐で小休止。
ここで、今後どうしようかという話になる。
N君が言う。
「なぜか、今回は足が付いて行かないですねー。さっきの雪では、遅れを取りましたし」
「ここまでで、ほぼ半分か」
「天気がこんなに良いから、縦走はできそうだね」
「皆で戻っても良いけれど、クルマは旭岳の側にもあるんだよね」
「仕方ない。ここで、二手に分かれよう」
気がかりなのは、天候の急変である。予報では崩れるはずだったのだから。
このまま縦走するのは、匹夫の勇というヤツにも思われる。武士の勇気ではないだろう。
かといって、戻るのも口惜しい。私にしてみたら、昨年のリベンジでもあるのだから。
やがて、N君とTさんが層雲峡まで戻ると申し出てくれる。ありがたい。これで背後を気にしないで行ける。
北鎮岳に登る。
分岐から北鎮岳はあまり時間がかからない。小30分といった感じだ。
頂上に着く。ここは北海道で2番目に高いところだ。標高2244メートル。天気も良いから、眺めも格別だ。
撮影もして眺めを満喫して、下る。分岐でパーティーは二手に分かれる。
RPGだったら死んでいるパターンだが、ヒグマ以外にワンダリングモンスターはいない。神殿の奥に最強のボスキャラがいるなんてこともないし、まずは大丈夫だろう。
ここからの上り下りは急になる。足場も岩がごろごろしていたりで、必ずしも良くない。
ぽっかりと開いたお鉢が、地球上のものとも思われない眺めとなっている。さすがに、M君の反応も鈍っている。飽きるほどに、雄大な眺めを満喫しているし、疲れも出てきているだろう。
私もいい加減、そろそろ足にもきている。大丈夫か?
いよいよ、旭岳にアタックだ。
と思ったら、下から見上げた斜面がかなり急だ。
めげそうになったので、残雪に挟まれた途中の斜面が緩やかそうなところで、昼食にする。
見ている分には、結構近いようにも感じるのだが……。
登り出すと、なかなか大変だ。
雪のところは足がぬかるが、足がかりがあるのでまだ良い。
しかし雪がないところでは、斜面が急過ぎて一息つける場所がなかなかない。地面は火山灰が固くしまっているので、つま先などで掘って足がかりをつくることが難しいし、滑る。息も辛くなってきた。
下を見下ろすと、怖い。一瞬、何で自分はこんな危ない目に遭わなければならないのかと思ってしまう。
それでも、頂上に近づくと、足元は岩場になり、登りやすくはなった。
一気に、旭岳頂上。やれやれ。
三角点にある小さな石標を、踏みしめる。感慨ひとしおってヤツか。
写真撮影をする。記念撮影はできた。ガスがかかって、眺望が今一つだが、よしとしよう。
ここまでも大変だったが、下りもかなりきつかった。
登りで既に足に疲労が蓄積されているのに、急な傾斜や悪い足場に悩まされ、足へのダメージが増えていくのだ。
しかも、ロープウェイは運行休止、その間の登山道はヒグマの出るところである。足場も相変わらずひどい。
何とか下り着いたのは、15時40分頃だった。
ユースホステルで、温泉に入浴後、旭川で合流。
まずは、起床は5時頃、6時までにはロープウェイの山麓駅にいるようにしたい。
男5人も同じ部屋にいると、大変なものだ。
ある人は鼾をかいて寝ている。熟睡できて羨ましい。
窓を開けてやっと眠れると思って、寝てしばらくすると、H氏がごそごそ何やらやっている音がする。着替えたり、準備したりしているようだ。
時計を見るとまだ4時。早過ぎです……。
5時少し前、皆、起床。「そうか。やるのか。やるならやらねば」ってなものである。
各自、購入していた朝食を摂ったりして、準備が整う。では出発しますか。
クルマは無料の観光駐車場に置いておくことにする。
ロープウェイは、6時始発と聞いていたが、すでに動いているようだ。
ロープウェイに乗る。次にリフトに乗り換える。
ガスがかかり、見晴らしは今一つだが、時折、晴れ間がある。その時の眺めは素晴らしい。山並みがずっと続いていて、このまま続くのではないかと錯覚してしまう。このまま空を飛んで行けたらいいんだが。
もう少し早い時間で天気が良ければ、夜明けの美しさも見られるだろう。
リフトで終着駅に着く。6時20分着。天気が心なしか良くなっているように思われるが、気のせいか。山の天気は変わりやすい。
登山届を書くところがある。さて、どうしたものか。
一応、縦走ではなく、お鉢一周のところにマルを付けておく。6時25分発。
もし縦走してしまっても、警察か森林管理署に連絡しておけば良いだろう。
いきなり、急な登りになる。傾斜の緩いところで、朝食を摂る集団に出会ったりする。
花もきれいに咲いているから、丁度良いのだ。植物の名前をほとんど知らない自分が、非常に無知であるかのような気がする(実際、無知なわけだけれど)。
時折、一息つきつつ、5人はせっせと登って行く。
何となくだが、N君がやや遅れているような気がする。気のせいか。
黒岳山頂到着。
ガスやら雲やらで覆われることもあるが、晴れ間ものぞく。天候の大きな崩れはない。
ふと脳裏に、「ブロッケン山の妖怪」を思い出す。気象条件が整うと、自分の前に、大きな怪物のシルエットが浮かぶという現象だ。ここでも見られると面白いのだけれど。
晴れ間から、岩だらけの急傾斜・絶壁が足元に見えて、怖くなる。そんなときの見晴らしはとても良いのだけれど。
とりあえず、写真だ。
携帯電話の電波も届いているので、写メールで父に送信する。今回の旅行や登山については、何かと心配してくれたからだ。
時刻は7時25分頃。ガイドブックなどに記されている所要時間より早めで推移している。
黒岳山頂からお鉢に向かう。
気温は低め、傾斜はやや急な下り。
下りきったところに、分岐があるが、その手前にくぼ地に雪がたくさん残っている。
ここでも写真撮影。こんな調子で撮影していて、これから大丈夫だろうか?デジカメのメモリが心配だ。
分岐近くにある黒岳石室にて、小休止。
黒岳石室からの歩きは、高原を歩いているかのような錯覚を感じる。気持ち良さを感じる。
しばらくすると、上り下りが入るようになってくる。
途中、左下の渓谷を一望にできるところでまた小休止。
谷間には雪が残っていて、その下からは水が流れ出していて、細いが川を成している。ここでも撮影。
再び歩き出し、まずは北鎮岳を目指す。
途中、急斜面の道があるが、そこは一面の雪だった。どうしたものか。
とりあえず、私はスパッツを着用する。
一面の雪に足をかけて、皆で撮影し合う。モチーフとしてはなかなか様になっている。
さて、登りますか。
滑らないように気を付ける。前に歩いた人の跡を行けば、足がかりも得られるので、アイゼンは不要だ。良かった。
少しずつ、登って行く。登りきったところで、ふたたび小休止。振り返った眺めがまた素晴らしい。
天気はいつの間にか晴れ渡り、とても良好になってしまった。今後大きな崩れはなさそうな感じだ。
ここからまた、北鎮分岐・北鎮岳と進んで行く。
北鎮分岐で小休止。
ここで、今後どうしようかという話になる。
N君が言う。
「なぜか、今回は足が付いて行かないですねー。さっきの雪では、遅れを取りましたし」
「ここまでで、ほぼ半分か」
「天気がこんなに良いから、縦走はできそうだね」
「皆で戻っても良いけれど、クルマは旭岳の側にもあるんだよね」
「仕方ない。ここで、二手に分かれよう」
気がかりなのは、天候の急変である。予報では崩れるはずだったのだから。
このまま縦走するのは、匹夫の勇というヤツにも思われる。武士の勇気ではないだろう。
かといって、戻るのも口惜しい。私にしてみたら、昨年のリベンジでもあるのだから。
やがて、N君とTさんが層雲峡まで戻ると申し出てくれる。ありがたい。これで背後を気にしないで行ける。
北鎮岳に登る。
分岐から北鎮岳はあまり時間がかからない。小30分といった感じだ。
頂上に着く。ここは北海道で2番目に高いところだ。標高2244メートル。天気も良いから、眺めも格別だ。
撮影もして眺めを満喫して、下る。分岐でパーティーは二手に分かれる。
RPGだったら死んでいるパターンだが、ヒグマ以外にワンダリングモンスターはいない。神殿の奥に最強のボスキャラがいるなんてこともないし、まずは大丈夫だろう。
ここからの上り下りは急になる。足場も岩がごろごろしていたりで、必ずしも良くない。
ぽっかりと開いたお鉢が、地球上のものとも思われない眺めとなっている。さすがに、M君の反応も鈍っている。飽きるほどに、雄大な眺めを満喫しているし、疲れも出てきているだろう。
私もいい加減、そろそろ足にもきている。大丈夫か?
いよいよ、旭岳にアタックだ。
と思ったら、下から見上げた斜面がかなり急だ。
めげそうになったので、残雪に挟まれた途中の斜面が緩やかそうなところで、昼食にする。
見ている分には、結構近いようにも感じるのだが……。
登り出すと、なかなか大変だ。
雪のところは足がぬかるが、足がかりがあるのでまだ良い。
しかし雪がないところでは、斜面が急過ぎて一息つける場所がなかなかない。地面は火山灰が固くしまっているので、つま先などで掘って足がかりをつくることが難しいし、滑る。息も辛くなってきた。
下を見下ろすと、怖い。一瞬、何で自分はこんな危ない目に遭わなければならないのかと思ってしまう。
それでも、頂上に近づくと、足元は岩場になり、登りやすくはなった。
一気に、旭岳頂上。やれやれ。
三角点にある小さな石標を、踏みしめる。感慨ひとしおってヤツか。
写真撮影をする。記念撮影はできた。ガスがかかって、眺望が今一つだが、よしとしよう。
ここまでも大変だったが、下りもかなりきつかった。
登りで既に足に疲労が蓄積されているのに、急な傾斜や悪い足場に悩まされ、足へのダメージが増えていくのだ。
しかも、ロープウェイは運行休止、その間の登山道はヒグマの出るところである。足場も相変わらずひどい。
何とか下り着いたのは、15時40分頃だった。
ユースホステルで、温泉に入浴後、旭川で合流。
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