旅行の欲求
2003年4月29日 我ながら、なんでこんなに旅行好きなのだろう。
ふと気がつくと旅行したいなと思い、今も頭をよぎる。
山梨はどうだろう?東北もいいなー。
昨年行った出雲や松江は良かった。もう一度行きたい。
行ったことのないところは数多いし(どんなに旅行で見聞したところで、行ったことのない場所はほとんど減りはしない)、行ったことのある場所も興味をそそられることも少なくない。
昨年は、旅行回数が10回以上に及んだ。
今年は旅行を抑制しようと思っているのだが……(費用もバカにならないし(泣))。
旅行しないとなると、何となく気分が晴れない。むしろ旅行するとなる方が、日々の生活に目標ができ、気分が生き生きとしてくる。
理想的には1、2ヶ月に一度は行きたくなる。
こうなると旅行には、私にとってはお金では計れない価値があるのかもしれない。せめて、行って良かったと思えるものにしたい。
日曜日の日直・宿直勤務や月曜日の通常勤務を済ませて、今朝はゆっくり朝寝した。週の途中の休みはいいもんだ。
『新版 匠の時代』(内橋克人著、講談社文庫)を読み出す。
まず、セイコークオーツの話だ。
諏訪精工舎という会社が、世界で初めてクオーツ腕時計を開発する。
この会社のことが気になり、ネットで検索をかけたら、信州精器と合流してエプソンになったということを知った。本社は諏訪にある。
昨年、京極夏彦の『狂骨の夢』を読んで、諏訪大社(建御名方という神様を祭っている)などがちょっと気になっていた。
諏訪に行くのも悪くないか……。
気がつくと、旅することを考えている。
職場の後輩N君から携帯メール。
登山したいとのこと。
いいですねー。
N君の仕事が落ち着いたら、近場で山登りに行きたいと思い、メール返信。
しかし……。
これも旅行の変形か?
ふと気がつくと旅行したいなと思い、今も頭をよぎる。
山梨はどうだろう?東北もいいなー。
昨年行った出雲や松江は良かった。もう一度行きたい。
行ったことのないところは数多いし(どんなに旅行で見聞したところで、行ったことのない場所はほとんど減りはしない)、行ったことのある場所も興味をそそられることも少なくない。
昨年は、旅行回数が10回以上に及んだ。
今年は旅行を抑制しようと思っているのだが……(費用もバカにならないし(泣))。
旅行しないとなると、何となく気分が晴れない。むしろ旅行するとなる方が、日々の生活に目標ができ、気分が生き生きとしてくる。
理想的には1、2ヶ月に一度は行きたくなる。
こうなると旅行には、私にとってはお金では計れない価値があるのかもしれない。せめて、行って良かったと思えるものにしたい。
日曜日の日直・宿直勤務や月曜日の通常勤務を済ませて、今朝はゆっくり朝寝した。週の途中の休みはいいもんだ。
『新版 匠の時代』(内橋克人著、講談社文庫)を読み出す。
まず、セイコークオーツの話だ。
諏訪精工舎という会社が、世界で初めてクオーツ腕時計を開発する。
この会社のことが気になり、ネットで検索をかけたら、信州精器と合流してエプソンになったということを知った。本社は諏訪にある。
昨年、京極夏彦の『狂骨の夢』を読んで、諏訪大社(建御名方という神様を祭っている)などがちょっと気になっていた。
諏訪に行くのも悪くないか……。
気がつくと、旅することを考えている。
職場の後輩N君から携帯メール。
登山したいとのこと。
いいですねー。
N君の仕事が落ち着いたら、近場で山登りに行きたいと思い、メール返信。
しかし……。
これも旅行の変形か?
業務分担決定
2003年4月3日 午前中、係長から、新年度にやってほしい業務があると言われ、承知する。
私は、直接やったことのない仕事だが、やるしかない。一番苦労しているのは、係長であろう。
午後、係長から、1名減った分の仕事をやってほしいと言われる。
他の人の仕事分担は変わらず、自分だけが兼務状態となる。
自動車運転をしないよう言われていて、現場作業に制約のある自分にとって、ややホッとする話であるが、同じ仕事を3年やることになる他の人々(特に後輩の女性)には、大変気の毒な話である。
業務時間終了後、新たな業務分担を巡る話し合いが行なわれ、私の兼務が決まった。
数日後、後輩の女性からメール。
相当、ウンザリした様子。
しかし、係内のバランスは微妙なところで保たれている。彼女がやる気をなくしてしまえば、係全体のバランスや士気に関わる。彼女の明るさに、私自身も何度救われていることか……。
結局、仕事だけで生きているわけではないので、自分の時間を大切にして、気分転換を図るようにする以外、妙策が思いつかない。
大した仕事してるわけじゃなし、それで十分か……。
私は、直接やったことのない仕事だが、やるしかない。一番苦労しているのは、係長であろう。
午後、係長から、1名減った分の仕事をやってほしいと言われる。
他の人の仕事分担は変わらず、自分だけが兼務状態となる。
自動車運転をしないよう言われていて、現場作業に制約のある自分にとって、ややホッとする話であるが、同じ仕事を3年やることになる他の人々(特に後輩の女性)には、大変気の毒な話である。
業務時間終了後、新たな業務分担を巡る話し合いが行なわれ、私の兼務が決まった。
数日後、後輩の女性からメール。
相当、ウンザリした様子。
しかし、係内のバランスは微妙なところで保たれている。彼女がやる気をなくしてしまえば、係全体のバランスや士気に関わる。彼女の明るさに、私自身も何度救われていることか……。
結局、仕事だけで生きているわけではないので、自分の時間を大切にして、気分転換を図るようにする以外、妙策が思いつかない。
大した仕事してるわけじゃなし、それで十分か……。
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人事異動の内示
2003年3月27日 が明らかになった。
会社のトップが辞めて別の職に就くことになったためもあり、異動は小幅になった。
私の係は1名減る。
ちょっと、きな臭い予感。
係内の業務に協力的でない人が、2、3名居て、彼らは上司にも盾突く人たちである。
彼らは異動にならないので、減った分の穴をどう埋めるかが問題だ。もちろん、彼らに期待できない。
ギアをニュートラルにし続けるのは、大変なのだ。
『風とライオン』という映画を思い出す。
さしずめ、係内での困った人たちは、風に過ぎない。ライオンは、風の通り過ぎるのを辛抱強く待つのである。
同じ部署に満4年、新規採用時からいる。5年目はちょっと、勘弁して欲しいと思っていたのだが……。
私よりも後にこの係に入って来た人たちを、目の前にしながら、やる気を失うことは許されない。
自分がモラールを維持しなければ……。
会社のトップが辞めて別の職に就くことになったためもあり、異動は小幅になった。
私の係は1名減る。
ちょっと、きな臭い予感。
係内の業務に協力的でない人が、2、3名居て、彼らは上司にも盾突く人たちである。
彼らは異動にならないので、減った分の穴をどう埋めるかが問題だ。もちろん、彼らに期待できない。
ギアをニュートラルにし続けるのは、大変なのだ。
『風とライオン』という映画を思い出す。
さしずめ、係内での困った人たちは、風に過ぎない。ライオンは、風の通り過ぎるのを辛抱強く待つのである。
同じ部署に満4年、新規採用時からいる。5年目はちょっと、勘弁して欲しいと思っていたのだが……。
私よりも後にこの係に入って来た人たちを、目の前にしながら、やる気を失うことは許されない。
自分がモラールを維持しなければ……。
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ネイチャーウォッチング
2003年3月2日といっても、動植物のことなどさっぱりわからない。
それに、私は生来の鳥頭ときている。
折角説明してくれても、右から左へ抜けてしまう。
7時半起床。
移動の疲れやら酒の疲れやらで、体が重い。
どうすれば、体が軽くなるのやら。
朝食のため食堂に行くと、他のメンバーは既に来ていて、食べている。9時集合でネイチャーウォッチングなので、手早くしないと。
でも、ちゃんとした朝食は、慌てた気分で食べるには勿体無いものだ。
そばの実粥は、酒を飲んで目覚めた後の体に、優しい食べ物だ。あんまり沢山はいらないけれど。
ホテルの従業員も良く気を配ってくれるのが気持ち良い。最後にコーヒーを飲むと、満足した気分に。
9時にホテルロビーで集合。
キツツキの絵と「PICCIO」(ピッキオと読む。イタリア語でキツツキの意)の名前の入ったエンブレム入りの服を着たガイドが、案内役だ。
双眼鏡や携帯用の鳥類図鑑を貸し出してもらい、早速ネイチャーウオッチング。
と思ったら、ガイドの人は、ホテルの建物の屋根にとまっているカラスを見つけて説明し出した。ハシボソガラスだという(都会で見かけるのはハシブトガラス)。
ネイチャーウォッチングはもう始まっているのだ。
窓ガラスにフィルムが貼ってあって、外から見ると鏡のようになっている。このカラスは午前中の決まった時間に自分の姿を見て、威嚇するのが日課だとのこと。
「彼(?)は自分と闘ってるんだねー」
と、甲府在住のTさん。
毎朝、「このくらいにしといたるわ」などとキリをつけているのだろうか?
ホテル近くの森の中に入っていく。
使われなくなったスケートリンクが池になっている。今、この池は蛙(ヤマアカガエル)にとって良い住処になっているのだとか。
蛙の冬眠は地面の中というイメージがあるが、ここでは池の底で冬眠するという。冬は非常に冷え込むので、地面そのものが凍ってしまう。生活の知恵だなぁ。
イノシシやリスの足跡を発見したり、ハンノキを見て喜んだり。
鳥の声はたまに聞こえる事もあるのだが、姿が見えない。悲しい……。
森の中の観察小屋に入って、やっと鳥をたくさん見る事ができた。餌台や巣箱を小屋の周囲に設けてあり、鳥が寄ってくるのを小屋から見るのだ。
冬のためか、鳥の種類は少ない。シジュウカラとイカルを良く見かける。
何故かイカルが大勢群れをなしていて、ちょっと怖かった。反面、そのためか、他の鳥になかなかお目にかかれない。
一通り見た後、小屋から出る。小屋のある辺りから浅間山がきれいに間近に見える。いいなあ。
小屋から観察路に降りるとき、アイゼンをガイドの人から借りる。個数は人数(私たちは15人いる)と同じ数、片足分ずつである。
足がかりがあると安心だ。筑波山の時もあったら良かった。
昼食を「村民食堂」で取った後、ホテルに戻り、「PICCIO」の人の説明を聴くことに。
鳥の求愛行動、なわばり、子育て。鹿のハーレムの話、ハーレムの近くをうろついて主の隙をついて、自分の遺伝子を残そうとするオス鹿の話など。
動物の世界は面白い。
一連の動物の世界の話の後、PICCIOの事業内容なども聴く。調査研究の内容の中には、ホテル周辺の身近な生き物を調べて、生き物の個性をしっかり観察するものもあり、興味深い。
一連の調査研究や動植物の保護活動が、地に足がついた感じで、好感が持てる。
出版物の「鳥のおもしろ私生活」「虫のおもしろ私生活」(以上、主婦と生活社刊)も、ちょっと見た限りでは面白そうだ。
消費するだけがリゾートではないんだなぁ。
自然をしっかり味わい、ゆとりを味わってこそのリゾートだ。
滞在時間が短かったのは残念だが、充実した時間を過ごせて満足である。
年に一度は、こうした味わいを感じられる場所に行けるようになりたいな。
それに、私は生来の鳥頭ときている。
折角説明してくれても、右から左へ抜けてしまう。
7時半起床。
移動の疲れやら酒の疲れやらで、体が重い。
どうすれば、体が軽くなるのやら。
朝食のため食堂に行くと、他のメンバーは既に来ていて、食べている。9時集合でネイチャーウォッチングなので、手早くしないと。
でも、ちゃんとした朝食は、慌てた気分で食べるには勿体無いものだ。
そばの実粥は、酒を飲んで目覚めた後の体に、優しい食べ物だ。あんまり沢山はいらないけれど。
ホテルの従業員も良く気を配ってくれるのが気持ち良い。最後にコーヒーを飲むと、満足した気分に。
9時にホテルロビーで集合。
キツツキの絵と「PICCIO」(ピッキオと読む。イタリア語でキツツキの意)の名前の入ったエンブレム入りの服を着たガイドが、案内役だ。
双眼鏡や携帯用の鳥類図鑑を貸し出してもらい、早速ネイチャーウオッチング。
と思ったら、ガイドの人は、ホテルの建物の屋根にとまっているカラスを見つけて説明し出した。ハシボソガラスだという(都会で見かけるのはハシブトガラス)。
ネイチャーウォッチングはもう始まっているのだ。
窓ガラスにフィルムが貼ってあって、外から見ると鏡のようになっている。このカラスは午前中の決まった時間に自分の姿を見て、威嚇するのが日課だとのこと。
「彼(?)は自分と闘ってるんだねー」
と、甲府在住のTさん。
毎朝、「このくらいにしといたるわ」などとキリをつけているのだろうか?
ホテル近くの森の中に入っていく。
使われなくなったスケートリンクが池になっている。今、この池は蛙(ヤマアカガエル)にとって良い住処になっているのだとか。
蛙の冬眠は地面の中というイメージがあるが、ここでは池の底で冬眠するという。冬は非常に冷え込むので、地面そのものが凍ってしまう。生活の知恵だなぁ。
イノシシやリスの足跡を発見したり、ハンノキを見て喜んだり。
鳥の声はたまに聞こえる事もあるのだが、姿が見えない。悲しい……。
森の中の観察小屋に入って、やっと鳥をたくさん見る事ができた。餌台や巣箱を小屋の周囲に設けてあり、鳥が寄ってくるのを小屋から見るのだ。
冬のためか、鳥の種類は少ない。シジュウカラとイカルを良く見かける。
何故かイカルが大勢群れをなしていて、ちょっと怖かった。反面、そのためか、他の鳥になかなかお目にかかれない。
一通り見た後、小屋から出る。小屋のある辺りから浅間山がきれいに間近に見える。いいなあ。
小屋から観察路に降りるとき、アイゼンをガイドの人から借りる。個数は人数(私たちは15人いる)と同じ数、片足分ずつである。
足がかりがあると安心だ。筑波山の時もあったら良かった。
昼食を「村民食堂」で取った後、ホテルに戻り、「PICCIO」の人の説明を聴くことに。
鳥の求愛行動、なわばり、子育て。鹿のハーレムの話、ハーレムの近くをうろついて主の隙をついて、自分の遺伝子を残そうとするオス鹿の話など。
動物の世界は面白い。
一連の動物の世界の話の後、PICCIOの事業内容なども聴く。調査研究の内容の中には、ホテル周辺の身近な生き物を調べて、生き物の個性をしっかり観察するものもあり、興味深い。
一連の調査研究や動植物の保護活動が、地に足がついた感じで、好感が持てる。
出版物の「鳥のおもしろ私生活」「虫のおもしろ私生活」(以上、主婦と生活社刊)も、ちょっと見た限りでは面白そうだ。
消費するだけがリゾートではないんだなぁ。
自然をしっかり味わい、ゆとりを味わってこそのリゾートだ。
滞在時間が短かったのは残念だが、充実した時間を過ごせて満足である。
年に一度は、こうした味わいを感じられる場所に行けるようになりたいな。
重い腰を上げて
2003年3月1日 軽井沢へ行くことになった。
途中過程を楽しめなさそうな今回の旅行、ちょっと面倒臭くなってきた。
前日、職場でイヤなことがあったので眠りが深くなってしまい、目覚めもあんまり良くない。5時に起きようと思っていたら、もう7時である。
本当なら、早くに出かけて、横川辺りでゆっくりして行きたかったのだが……。
新幹線で行くのもバカらしいので、Hさんがメールで送っていた通りの、普通列車乗り継ぎ+バスで行くことにする。
上野駅到着。
乗る列車は9時29分発の快速「アーバン」(前橋行き)である。
この列車を利用する場合の待ち合わせは、列車の最後尾の車両としており、そちらに向かう。
大学生の時は、大学と実家との行き来によく利用したものだ。ちょっと懐かしい。
車両の中は、ボックスの席ではなく、普通の通勤電車のような感じだ。長距離の移動にはあまり向いていないと思う。
「あれ?M君」
幹事役のMさんが声を掛けてくる。良く見ると、長いイスのほとんどを今回の旅行メンバーで占めている。
「M君、『軽井沢でお待ちしています』なんて、メールに書いてなかったけ?」
「いやぁ。ちょっと仕事でイヤなことがありましてね。それはともかく」
ちょっと見まわすと、Hさんはおにぎり、Oさんは駅弁をそれぞれ抱えている。
「なんだか大変ですね」
「こんな座席だとは思わなかったからね。これじゃ通勤電車と変わらないよ」
確かに。少なくともレジャー向きではない。
電車は出発し、北上して行く。赤羽、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷……。案外、停車駅が多い。
結構長話を楽しんでいるつもりでいたら、まだ上尾だったりする。
熊谷から先、各駅停車となる。
こうなると、埼玉県は広く感じる(地図上ではそうでもないのに)。人家もなかなか途切れない。
新町で群馬県。なんとなく気持ちが落ち着く。
「お。いい感じだね。あの倉庫なんか」
新町駅付近の様子を見て、Mさんがそう言う。
Mさんは好奇心旺盛だ。寄り道をしだしたら、大変だ。いつ目的地に着くやら。
三つ扇の山並み(妙義・榛名・赤城)が望めるようになると、高崎だ。
高崎では、横川行き普通電車に乗り換える。冬季の寒さ対策で、電車のドアが半自動扱いだ(停車中の開閉を乗客自身の手で行ない、発車の際は乗務員が自動扱いで閉める)。
西松井田あたりから急に山が迫る。線路も道路共々、川沿いをなぞるようになる。
川の反対側に見えるのは妙義山か?こんな間近で見られるとは。
横川駅到着。いい感じで横川駅に到着したので、一同満足。
閑散期のバスは、私たちを乗せても大丈夫だろうか(総勢11名)。バスは貸切バスタイプなので、なおのこと心配だ。立っていくわけにはいかないし。
幸い、私たちを含めて、バスの座席がいっぱいになった程度だった。よかった。
駅で購入した釜飯を食べつつ、バスの車窓を見る。
冬であるためか、碓氷峠越えは旧道ではなく、新道の方らしい。車窓が面白くない。旧道であれば、めがね橋(信越線の旧線)が見えたりして、面白いのに。
バスは、カーブをいくつも曲がりながら高度を稼ぎ、峠を越える。ちょっと気持ち悪くなった。久し振りの乗り物酔いだ。
やっと、軽井沢近辺。プリンスホテルの展開するアウトレットモールが、賑わっている。
「御殿場の方が、もっと面白いのよね。品揃えも豊富だし」
とは、Tさんのコメントだ。
軽井沢から星野温泉ホテルまでは、シャトルバスが出ている。
途中、ブレストンホテル(星野温泉ホテルと同系列)を通る。
「ここから、歩いて行こうよ」
とMさんが唐突に言い出す。大丈夫か?バスは動き出しているのに。
「すいません。降ります」
運転手さん、ごめんなさい。
動き出したバスは、ちょっとバックして、バス停車スペースに戻る。
「折角だから、『石の教会』に寄って行こう」
「石の教会」はブレストンホテルの近くにある。石やコンクリートでできたモダンなチャペルで、内村鑑三記念館も併設されている。どんなものやら。
チャペルの方は、式を挙げる直前なので入れなかった。内村鑑三記念館(といってもささやかではあるが)は、手紙やら書を展示していて、内村鑑三の功績の説明もある。ここでも、挙式中なので静かにするよう求められる。
個人的には、軽井沢の貸別荘から東京にいる娘に書き送った葉書と「愛国禁酒」の書とが、気に入った。
葉書の文面は割に普通で、仮名づかいもやや現代風で、親しみが持てる。娘をかなり可愛がっていたんだろうな。
式を終えた新郎新婦が出てくる様子を見たり、写真に収めたりする。参列者ではないんだが……。
星野温泉ホテルに向かう。
途中、Mさんが雪をKさんに投げつけたりして、散発的に雪合戦が行なわれる。この手のものは、だんだん無差別攻撃と化すから気をつけよう。
馬頭観音や祠があるあたりで、Mさんが何人かの集中攻撃を食らって、終結する。
ホテルでチェックインする。
私ほか数人は普通の部屋を割り当てられる。コテージを期待していたのに。
部屋で一息ついた後、コテージに行く。大町からやって来た写真家のMさんが、あとで見せるスライドのデモンストレーションをしていた。
古いスライド機器にちょっと苦心の様子。
スライドを、手持ちのCDの曲に合わせて見てもらうという趣向のようだ。
きれいな写真だ。花や植物が専門とのことだが、景色がとてもきれいに撮れている。朝や夕方に良い写真が撮れるという。なるほど。
リハーサルを終えて、いつの間にやら、Mさんら数人が露天風呂から戻っている。
「M君、Hさんは、もう行っているかと思って声をかけなかったよ」
と言いつつ、ワインを飲み始める。自然発生的に酒盛りだ。
白ワインから始まったが、飲みやすい。次に赤ワイン。
「地元に美術館があるんですけれどね」
写真家のMさんが話す。
「そこに勤めている女性が、20代後半なんですが、なかなか結婚できずにいるんですよ」
「それはどうして?」
「地元の男性というと、例えば役場の職員だったりするんですが、土日に競馬新聞なんかを読んでいたりして、ちょっと二の足を踏んでしまうらしいですよ」
「それなら」
幹事役のMさんがいう。
「ここに、お堅い独身男がいますよ(笑)」
と私を指す。
「6月の旅行は、決まりだね」
おいおい。
「いいですよお〜。その時は年休とって行きますから〜」
私も、飲みつけない酒で頭のタガが緩んでいる。大丈夫か、おい。
冗談だからいいけどさ。
そうこうしている内に、メンバー皆集まってきて、軽く飲んだり話したりしている内に、夕食だ。
夕食の時から歓談は続く。
スライドを見たり。
露天風呂に入りに行ったり(雨なのに)。
書き出したら、長くなる。
寝る前にコテージに寄ったら、中国語の歌を歌わされる。
つい対抗心が働いてしまったのか、『希望と栄光の国(LAND OF HOPE AND GLORY)』を歌う。かなり音痴だ。
途中過程を楽しめなさそうな今回の旅行、ちょっと面倒臭くなってきた。
前日、職場でイヤなことがあったので眠りが深くなってしまい、目覚めもあんまり良くない。5時に起きようと思っていたら、もう7時である。
本当なら、早くに出かけて、横川辺りでゆっくりして行きたかったのだが……。
新幹線で行くのもバカらしいので、Hさんがメールで送っていた通りの、普通列車乗り継ぎ+バスで行くことにする。
上野駅到着。
乗る列車は9時29分発の快速「アーバン」(前橋行き)である。
この列車を利用する場合の待ち合わせは、列車の最後尾の車両としており、そちらに向かう。
大学生の時は、大学と実家との行き来によく利用したものだ。ちょっと懐かしい。
車両の中は、ボックスの席ではなく、普通の通勤電車のような感じだ。長距離の移動にはあまり向いていないと思う。
「あれ?M君」
幹事役のMさんが声を掛けてくる。良く見ると、長いイスのほとんどを今回の旅行メンバーで占めている。
「M君、『軽井沢でお待ちしています』なんて、メールに書いてなかったけ?」
「いやぁ。ちょっと仕事でイヤなことがありましてね。それはともかく」
ちょっと見まわすと、Hさんはおにぎり、Oさんは駅弁をそれぞれ抱えている。
「なんだか大変ですね」
「こんな座席だとは思わなかったからね。これじゃ通勤電車と変わらないよ」
確かに。少なくともレジャー向きではない。
電車は出発し、北上して行く。赤羽、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷……。案外、停車駅が多い。
結構長話を楽しんでいるつもりでいたら、まだ上尾だったりする。
熊谷から先、各駅停車となる。
こうなると、埼玉県は広く感じる(地図上ではそうでもないのに)。人家もなかなか途切れない。
新町で群馬県。なんとなく気持ちが落ち着く。
「お。いい感じだね。あの倉庫なんか」
新町駅付近の様子を見て、Mさんがそう言う。
Mさんは好奇心旺盛だ。寄り道をしだしたら、大変だ。いつ目的地に着くやら。
三つ扇の山並み(妙義・榛名・赤城)が望めるようになると、高崎だ。
高崎では、横川行き普通電車に乗り換える。冬季の寒さ対策で、電車のドアが半自動扱いだ(停車中の開閉を乗客自身の手で行ない、発車の際は乗務員が自動扱いで閉める)。
西松井田あたりから急に山が迫る。線路も道路共々、川沿いをなぞるようになる。
川の反対側に見えるのは妙義山か?こんな間近で見られるとは。
横川駅到着。いい感じで横川駅に到着したので、一同満足。
閑散期のバスは、私たちを乗せても大丈夫だろうか(総勢11名)。バスは貸切バスタイプなので、なおのこと心配だ。立っていくわけにはいかないし。
幸い、私たちを含めて、バスの座席がいっぱいになった程度だった。よかった。
駅で購入した釜飯を食べつつ、バスの車窓を見る。
冬であるためか、碓氷峠越えは旧道ではなく、新道の方らしい。車窓が面白くない。旧道であれば、めがね橋(信越線の旧線)が見えたりして、面白いのに。
バスは、カーブをいくつも曲がりながら高度を稼ぎ、峠を越える。ちょっと気持ち悪くなった。久し振りの乗り物酔いだ。
やっと、軽井沢近辺。プリンスホテルの展開するアウトレットモールが、賑わっている。
「御殿場の方が、もっと面白いのよね。品揃えも豊富だし」
とは、Tさんのコメントだ。
軽井沢から星野温泉ホテルまでは、シャトルバスが出ている。
途中、ブレストンホテル(星野温泉ホテルと同系列)を通る。
「ここから、歩いて行こうよ」
とMさんが唐突に言い出す。大丈夫か?バスは動き出しているのに。
「すいません。降ります」
運転手さん、ごめんなさい。
動き出したバスは、ちょっとバックして、バス停車スペースに戻る。
「折角だから、『石の教会』に寄って行こう」
「石の教会」はブレストンホテルの近くにある。石やコンクリートでできたモダンなチャペルで、内村鑑三記念館も併設されている。どんなものやら。
チャペルの方は、式を挙げる直前なので入れなかった。内村鑑三記念館(といってもささやかではあるが)は、手紙やら書を展示していて、内村鑑三の功績の説明もある。ここでも、挙式中なので静かにするよう求められる。
個人的には、軽井沢の貸別荘から東京にいる娘に書き送った葉書と「愛国禁酒」の書とが、気に入った。
葉書の文面は割に普通で、仮名づかいもやや現代風で、親しみが持てる。娘をかなり可愛がっていたんだろうな。
式を終えた新郎新婦が出てくる様子を見たり、写真に収めたりする。参列者ではないんだが……。
星野温泉ホテルに向かう。
途中、Mさんが雪をKさんに投げつけたりして、散発的に雪合戦が行なわれる。この手のものは、だんだん無差別攻撃と化すから気をつけよう。
馬頭観音や祠があるあたりで、Mさんが何人かの集中攻撃を食らって、終結する。
ホテルでチェックインする。
私ほか数人は普通の部屋を割り当てられる。コテージを期待していたのに。
部屋で一息ついた後、コテージに行く。大町からやって来た写真家のMさんが、あとで見せるスライドのデモンストレーションをしていた。
古いスライド機器にちょっと苦心の様子。
スライドを、手持ちのCDの曲に合わせて見てもらうという趣向のようだ。
きれいな写真だ。花や植物が専門とのことだが、景色がとてもきれいに撮れている。朝や夕方に良い写真が撮れるという。なるほど。
リハーサルを終えて、いつの間にやら、Mさんら数人が露天風呂から戻っている。
「M君、Hさんは、もう行っているかと思って声をかけなかったよ」
と言いつつ、ワインを飲み始める。自然発生的に酒盛りだ。
白ワインから始まったが、飲みやすい。次に赤ワイン。
「地元に美術館があるんですけれどね」
写真家のMさんが話す。
「そこに勤めている女性が、20代後半なんですが、なかなか結婚できずにいるんですよ」
「それはどうして?」
「地元の男性というと、例えば役場の職員だったりするんですが、土日に競馬新聞なんかを読んでいたりして、ちょっと二の足を踏んでしまうらしいですよ」
「それなら」
幹事役のMさんがいう。
「ここに、お堅い独身男がいますよ(笑)」
と私を指す。
「6月の旅行は、決まりだね」
おいおい。
「いいですよお〜。その時は年休とって行きますから〜」
私も、飲みつけない酒で頭のタガが緩んでいる。大丈夫か、おい。
冗談だからいいけどさ。
そうこうしている内に、メンバー皆集まってきて、軽く飲んだり話したりしている内に、夕食だ。
夕食の時から歓談は続く。
スライドを見たり。
露天風呂に入りに行ったり(雨なのに)。
書き出したら、長くなる。
寝る前にコテージに寄ったら、中国語の歌を歌わされる。
つい対抗心が働いてしまったのか、『希望と栄光の国(LAND OF HOPE AND GLORY)』を歌う。かなり音痴だ。
気がつけば
2003年2月27日 すでに2月の27日だ。
明後日は旅行なのに、準備ができていない。
明日は職場からC県にある実家に直行して、その後そのまま軽井沢に向かうつもりだ。
だから、既に今の段階で準備ができていないといけないのに。
明後日は旅行なのに、準備ができていない。
明日は職場からC県にある実家に直行して、その後そのまま軽井沢に向かうつもりだ。
だから、既に今の段階で準備ができていないといけないのに。
妹よりのメール
2003年2月14日 といっても母親向けなんですが。
母親から、メールが転送されてくる。
妹は、オーストラリアへ大学の実習航海に出ている。タウンスビルという街に上陸し、ネットカフェから送信しているとのこと。
近くの島に行って泳いで来たり、私の希望していた地図(「マッカーサーの地図」。南北が逆になった世界地図)も購入できたようだ。
船酔いもあまりせず(一日だけ)、無事なようだ。
つくづく、強くなったものである>妹
母親から、メールが転送されてくる。
妹は、オーストラリアへ大学の実習航海に出ている。タウンスビルという街に上陸し、ネットカフェから送信しているとのこと。
近くの島に行って泳いで来たり、私の希望していた地図(「マッカーサーの地図」。南北が逆になった世界地図)も購入できたようだ。
船酔いもあまりせず(一日だけ)、無事なようだ。
つくづく、強くなったものである>妹
どうやって行こうか?
2003年2月11日 今度の軽井沢旅行の話である。
日程は三月一日・二日の一泊二日。
宿泊地は星野温泉のホテル。
花や風景などを専門とする写真家の人の話を聞いたり、ネイチャーウォッチングなどを行う予定だ。
温泉地であるので露天風呂なども楽しみだし、会の性質からして酒を飲む(飲まされる)ことは確実だ。
私は、国内旅行なら、行程を考えるのが好きである。
なので早速、考えるけれども、軽井沢に行く方法は限られてしまって面白味が少ない。
一番利便性が高くて快適なのは、長野新幹線を使う方法だ。
費用ももっとも高く、指定席込みで通常は、6千円近くしてしまう。
次に良い方法は、高速バスである。
3千円近くと新幹線の半額だが、軽井沢に経由する本数が少ない(午前と夜の2本のみ)。
最後に、普通列車とバスを乗り継ぐ方法があるけれど、利便性でもっとも見劣りする。
横川までは良いのだけれど、そこから先が、長野新幹線と引替に廃止されてしまっている。在来線があれば車窓は楽しめるし、バスよりは窮屈でなく、安いのだけれど。
さて、どうしたものか。
上記の内容を、幹事役のMさんとHさんに、参考情報として流す。
日程は三月一日・二日の一泊二日。
宿泊地は星野温泉のホテル。
花や風景などを専門とする写真家の人の話を聞いたり、ネイチャーウォッチングなどを行う予定だ。
温泉地であるので露天風呂なども楽しみだし、会の性質からして酒を飲む(飲まされる)ことは確実だ。
私は、国内旅行なら、行程を考えるのが好きである。
なので早速、考えるけれども、軽井沢に行く方法は限られてしまって面白味が少ない。
一番利便性が高くて快適なのは、長野新幹線を使う方法だ。
費用ももっとも高く、指定席込みで通常は、6千円近くしてしまう。
次に良い方法は、高速バスである。
3千円近くと新幹線の半額だが、軽井沢に経由する本数が少ない(午前と夜の2本のみ)。
最後に、普通列車とバスを乗り継ぐ方法があるけれど、利便性でもっとも見劣りする。
横川までは良いのだけれど、そこから先が、長野新幹線と引替に廃止されてしまっている。在来線があれば車窓は楽しめるし、バスよりは窮屈でなく、安いのだけれど。
さて、どうしたものか。
上記の内容を、幹事役のMさんとHさんに、参考情報として流す。
蛙
2003年2月8日 今日、東京で知人の集まりがあり、参加する。
通常だと、講師役の人を招いて専門の話をしてもらい、その後、飲み会になる。今日もそのパターンだ。
今度、この会で軽井沢に旅行することになっている。
その情報は、幹事的な役回りのMさんからのメールでもたらされた。
面白そうなので、すぐに参加を希望する旨、返信した。さらにHさんにも。
「M君(私のこと)の反応が早くてねー。まるで蛙みたいだ」
何だか、釣られた蛙のような気分だ。
Mさんは、反応の素早さを指して、「蛙」と表現しているようなのだが。
殺されはしないだろうから、釣られるのも悪くないかも。
「好奇心猫を殺す」との言葉があるが、猫も蛙も殺さない程度の、好奇心の旺盛さはほしい。
通り道の途中にあった「ニューヨーカーズ・カフェ」で歓談。
編集者のMさんは、Sさんと何やら「商談」をしている。
他の面々は、本当に雑談である。旅の話やら、城の話やら。
お城マニア(女性)の人には、ちょっとビックリ。
備中松山城が、日本三大山城の一つであることをこの場で初めて知った。
他の山城にも行ってみたいなー。
通常だと、講師役の人を招いて専門の話をしてもらい、その後、飲み会になる。今日もそのパターンだ。
今度、この会で軽井沢に旅行することになっている。
その情報は、幹事的な役回りのMさんからのメールでもたらされた。
面白そうなので、すぐに参加を希望する旨、返信した。さらにHさんにも。
「M君(私のこと)の反応が早くてねー。まるで蛙みたいだ」
何だか、釣られた蛙のような気分だ。
Mさんは、反応の素早さを指して、「蛙」と表現しているようなのだが。
殺されはしないだろうから、釣られるのも悪くないかも。
「好奇心猫を殺す」との言葉があるが、猫も蛙も殺さない程度の、好奇心の旺盛さはほしい。
通り道の途中にあった「ニューヨーカーズ・カフェ」で歓談。
編集者のMさんは、Sさんと何やら「商談」をしている。
他の面々は、本当に雑談である。旅の話やら、城の話やら。
お城マニア(女性)の人には、ちょっとビックリ。
備中松山城が、日本三大山城の一つであることをこの場で初めて知った。
他の山城にも行ってみたいなー。
方谷駅・高梁・備中松山城
2003年2月2日 うぅ、体が重い。
昨夜、RACDAという街づくりの市民団体のセミナーに参加してきた。ネットでサイトをチェックしていたら、日程がたまたま重なったので、見に行ったのだ。
興味深い内容だったのだが、飲み会にまでついていってしまった。酒のせいか、朝起きてもこの体たらくだ。
今日は、以前より行きたかった高梁に行くことにする。できれば、方谷駅周辺も見てみたい。
中学生の時、司馬遼太郎の『峠』を読んだ。主人公の河井継之助が、もっとも師として尊敬した人物といわれているのが、備中松山藩の山田方谷という人物だった。
方谷は、藩内の開墾の傍ら、家塾を開き、教えていたという。その家塾の跡が、JR伯備線の方谷駅である。
『峠』における方谷駅についての記述が、興味をそそられたので、一度行ってみたいと思っていた。
朝の弱い我が身を何とか動かし、チェックアウトをして、岡山駅へ。
伯備線の新見行き普通電車に乗る。
当初は、高梁を観光して時間があったら、方谷に行こうかと思ったのだが、高梁までは比較的ある普通電車の本数が高梁以北ではかなり減少するので身動きが取れない。
今乗っている新見行きでそのまま方谷に行くことにする。
伯備線の車窓は面白い。
高梁川沿いを北に向かう。北に向かうにつれ、トンネルが増え、山並みが川や線路に迫ってくる。
山並み迫る集落や川の眺めに、金田一耕助シリーズのミステリーを思い出す。『八ツ墓村』とか。
映画の撮影場所にもなったところが、高梁市から北西に向かった山の中にあるらしいのだけれど、時間の関係で諦める(泣)。
方谷駅到着。降りるのは私を入れて、3人ほどだった。
期待通り、余計なモノは何もない。
歴史を知らなければ、川沿いの狭いところに張り付いている集落だとしか思われないだろう。集落名は長瀬というようだ。
駅前から広がる集落はシンとしている。
人家は駅を中心にちゃんと存在するのに、自分以外の者が存在しないかのようだ。
JR線と川を挟んで反対側の道路を走る自動車の音が、たまに澄んで聞こえてくる。
逆方向の電車が来るまで少し時間があるので、踏切を渡って、山をちょっと登ってみる。
適当なところで川の反対側を見ると、いつ切り拓いたものか、石垣を何段かこしらえた上にある田を見かける。方谷先生たちの時からあったのかな。
そうでなくとも、当時を偲ぶ光景を目にできて、ちょっと達成感にも似た嬉しいものがある。
駅に戻る。改めて見ると、ローカル駅らしい佇まいで、かえって好感がもてる雰囲気だ。最近はローカル駅の駅舎はなくなるか、今風に改装されてしまうから、貴重ですらある。
国鉄線に駅をつくる際、山田方谷を偲ぶ地元の人々が「方谷」の名称を強く求めたという。人名を国鉄線の駅名にしないという決まりがあったようなのだが、方谷の弟子の三島中洲が東宮侍講も務めたということで、当時の鉄道省にも方谷という人が認識され許されたらしい。
ただし鉄道省は
「『方谷』は地名である」
との公的見解だったという。確かに、川の両岸などの集落の周りに山が迫り、「方谷」という表現は合っているのだけれど。
方谷駅から高梁に戻る。
レンタサイクルを借りようと思う。
こういう場合、車で移動するのでは、街や土地の雰囲気を十分に味わえないような気がするからだ。
ちなみに、徒歩や自転車の次に良いのは、バスである。
高梁の街はこじんまりとしている中に、古い建物や堀がたまにあって、昔の名残がいい感じで残っている。変に新しい建物が目立っていないのが、良い感じに思われる。
軽く街並みを味わったので、備中松山城に行こうとしたら・・・。
小雪がちらついている。
道理で寒いわけだ。
さて、どうしたものか。
迷っている内に、雪がやんだ。
よし、行こう。
しばらく自転車を走らせると、案内表示が出ている。
「備中松山城まで約5キロ」
う〜ん、どうしますかね〜?
自転車の速度は平均して一時簡に10〜15キロくらいだろうから、30分あれば着くかな?
ま、何とかなるでしょ。
たまに見える案内表示に従って、松山城に向かう。
なんか、山に向かっているような気がするなー。
途中に、山田方谷先生家塾跡との石碑が。
その傍らにバス停もある。名前は「登山口」。
登山口?
どこの山だよ、それ。
自転車で行く道は、だんだん傾斜がきつくなる。
三島中洲公園あたりで、とうとう自転車を押して登ることに。
「観光地なのに、なんでこんなに不便なところにあるんだよ!?」
などと理不尽な不平を感じたところで手遅れだ。
二月初めという、観光の閑散期でもあるのだから、なおのこと不平を言っても仕方ない。
ここまで来てしまっては、もうこのまま登ってしまおう。
息を切らしながら登る私をたまに、自動車が抜いて登っていく。
備中松山城最寄りの駐車場までたどり着く。
ここからは、自動車の来訪客も歩いて登らなければならない。
足が重い。傾斜のためか、疲労のためか。
やっと着いたと思ったら、そこは大手門で、天守閣まではさらに階段を登らなければならない。
「こんな城、使えねーよ」
などと悪態をつきたくなる。
天守閣の前の広場状のところで、一休み。
高梁市街を一望できる高台になっていて、気持ちよい。苦労したので格別の味わいだ(笑)。
天守閣自体は、こじんまりとしているけれど、上品で良い味わいだ。
きれいなのは、大修築を終えたばかりであったためでもあったようだ。修築終了記念で、入場料が無料だ。ラッキー!
浮いた分にプラスして、絵はがき購入。
備中松山城は、臥牛山の地形を利用した天然の山城である。
鎌倉時代中期に造成がはじまった城域を大松山と呼び、鎌倉時代が終わる頃から小松山に城域が広がる。近世の小松山に造られたのが現存する松山城である。今いるのは、小松山の方になる。
この際だから、大松山まで行こう。
しかし、山道には雪が残り、足場が悪い。
そうこうしていると、疲労のために足が笑い出した。ガクガク震え出すのだ。
自力で帰れる内に、帰ろう。
吊り橋まで行って、帰って来る。
自転車を置いてある駐車場まで、降りる。
途中に、木の立て札を見つける。
「本日の登城大儀であった 城主」
本当に、大儀だったよ。
自転車で一気に降りる。
気持ちいいですな〜。
高梁からの帰りがけに、吉備津神社に寄ろうと思って、JR吉備線に乗り換えるが、力尽きて居眠りしてしまった。
そのまま断念し、関東への帰途につく。
昨夜、RACDAという街づくりの市民団体のセミナーに参加してきた。ネットでサイトをチェックしていたら、日程がたまたま重なったので、見に行ったのだ。
興味深い内容だったのだが、飲み会にまでついていってしまった。酒のせいか、朝起きてもこの体たらくだ。
今日は、以前より行きたかった高梁に行くことにする。できれば、方谷駅周辺も見てみたい。
中学生の時、司馬遼太郎の『峠』を読んだ。主人公の河井継之助が、もっとも師として尊敬した人物といわれているのが、備中松山藩の山田方谷という人物だった。
方谷は、藩内の開墾の傍ら、家塾を開き、教えていたという。その家塾の跡が、JR伯備線の方谷駅である。
『峠』における方谷駅についての記述が、興味をそそられたので、一度行ってみたいと思っていた。
朝の弱い我が身を何とか動かし、チェックアウトをして、岡山駅へ。
伯備線の新見行き普通電車に乗る。
当初は、高梁を観光して時間があったら、方谷に行こうかと思ったのだが、高梁までは比較的ある普通電車の本数が高梁以北ではかなり減少するので身動きが取れない。
今乗っている新見行きでそのまま方谷に行くことにする。
伯備線の車窓は面白い。
高梁川沿いを北に向かう。北に向かうにつれ、トンネルが増え、山並みが川や線路に迫ってくる。
山並み迫る集落や川の眺めに、金田一耕助シリーズのミステリーを思い出す。『八ツ墓村』とか。
映画の撮影場所にもなったところが、高梁市から北西に向かった山の中にあるらしいのだけれど、時間の関係で諦める(泣)。
方谷駅到着。降りるのは私を入れて、3人ほどだった。
期待通り、余計なモノは何もない。
歴史を知らなければ、川沿いの狭いところに張り付いている集落だとしか思われないだろう。集落名は長瀬というようだ。
駅前から広がる集落はシンとしている。
人家は駅を中心にちゃんと存在するのに、自分以外の者が存在しないかのようだ。
JR線と川を挟んで反対側の道路を走る自動車の音が、たまに澄んで聞こえてくる。
逆方向の電車が来るまで少し時間があるので、踏切を渡って、山をちょっと登ってみる。
適当なところで川の反対側を見ると、いつ切り拓いたものか、石垣を何段かこしらえた上にある田を見かける。方谷先生たちの時からあったのかな。
そうでなくとも、当時を偲ぶ光景を目にできて、ちょっと達成感にも似た嬉しいものがある。
駅に戻る。改めて見ると、ローカル駅らしい佇まいで、かえって好感がもてる雰囲気だ。最近はローカル駅の駅舎はなくなるか、今風に改装されてしまうから、貴重ですらある。
国鉄線に駅をつくる際、山田方谷を偲ぶ地元の人々が「方谷」の名称を強く求めたという。人名を国鉄線の駅名にしないという決まりがあったようなのだが、方谷の弟子の三島中洲が東宮侍講も務めたということで、当時の鉄道省にも方谷という人が認識され許されたらしい。
ただし鉄道省は
「『方谷』は地名である」
との公的見解だったという。確かに、川の両岸などの集落の周りに山が迫り、「方谷」という表現は合っているのだけれど。
方谷駅から高梁に戻る。
レンタサイクルを借りようと思う。
こういう場合、車で移動するのでは、街や土地の雰囲気を十分に味わえないような気がするからだ。
ちなみに、徒歩や自転車の次に良いのは、バスである。
高梁の街はこじんまりとしている中に、古い建物や堀がたまにあって、昔の名残がいい感じで残っている。変に新しい建物が目立っていないのが、良い感じに思われる。
軽く街並みを味わったので、備中松山城に行こうとしたら・・・。
小雪がちらついている。
道理で寒いわけだ。
さて、どうしたものか。
迷っている内に、雪がやんだ。
よし、行こう。
しばらく自転車を走らせると、案内表示が出ている。
「備中松山城まで約5キロ」
う〜ん、どうしますかね〜?
自転車の速度は平均して一時簡に10〜15キロくらいだろうから、30分あれば着くかな?
ま、何とかなるでしょ。
たまに見える案内表示に従って、松山城に向かう。
なんか、山に向かっているような気がするなー。
途中に、山田方谷先生家塾跡との石碑が。
その傍らにバス停もある。名前は「登山口」。
登山口?
どこの山だよ、それ。
自転車で行く道は、だんだん傾斜がきつくなる。
三島中洲公園あたりで、とうとう自転車を押して登ることに。
「観光地なのに、なんでこんなに不便なところにあるんだよ!?」
などと理不尽な不平を感じたところで手遅れだ。
二月初めという、観光の閑散期でもあるのだから、なおのこと不平を言っても仕方ない。
ここまで来てしまっては、もうこのまま登ってしまおう。
息を切らしながら登る私をたまに、自動車が抜いて登っていく。
備中松山城最寄りの駐車場までたどり着く。
ここからは、自動車の来訪客も歩いて登らなければならない。
足が重い。傾斜のためか、疲労のためか。
やっと着いたと思ったら、そこは大手門で、天守閣まではさらに階段を登らなければならない。
「こんな城、使えねーよ」
などと悪態をつきたくなる。
天守閣の前の広場状のところで、一休み。
高梁市街を一望できる高台になっていて、気持ちよい。苦労したので格別の味わいだ(笑)。
天守閣自体は、こじんまりとしているけれど、上品で良い味わいだ。
きれいなのは、大修築を終えたばかりであったためでもあったようだ。修築終了記念で、入場料が無料だ。ラッキー!
浮いた分にプラスして、絵はがき購入。
備中松山城は、臥牛山の地形を利用した天然の山城である。
鎌倉時代中期に造成がはじまった城域を大松山と呼び、鎌倉時代が終わる頃から小松山に城域が広がる。近世の小松山に造られたのが現存する松山城である。今いるのは、小松山の方になる。
この際だから、大松山まで行こう。
しかし、山道には雪が残り、足場が悪い。
そうこうしていると、疲労のために足が笑い出した。ガクガク震え出すのだ。
自力で帰れる内に、帰ろう。
吊り橋まで行って、帰って来る。
自転車を置いてある駐車場まで、降りる。
途中に、木の立て札を見つける。
「本日の登城大儀であった 城主」
本当に、大儀だったよ。
自転車で一気に降りる。
気持ちいいですな〜。
高梁からの帰りがけに、吉備津神社に寄ろうと思って、JR吉備線に乗り換えるが、力尽きて居眠りしてしまった。
そのまま断念し、関東への帰途につく。
讃岐うどん三昧
2003年2月1日 の旅になってきたようだ。
朝6時半頃だろうか。
N君の携帯が鳴る。
目覚まし代わりにアラームをセットしていたのだ。
N君は釣りも趣味にしているから、朝は強い。
私は、宵っ張りなので、朝は弱い。
しかも
「昨日の後遺症のせいか、筋肉痛が」
「昨日って、何のことですか?」
すっかり惚けきっている。
身支度を整えると、チェックアウトをして、早速、讃岐うどんの旅再開である。
まず、高松の店に行く。7時からの営業だ。常連さんもいるようだ。
香川入りしてから初めて、セルフの店に入る。
まず、麺を頼む。
だしつゆは、麺をどんぶりにもらった後に、自分で入れる。小さなタンクに入っていて、蛇口をひねって、入れるのである。
トッピングの天かすと分葱とは無料であるが、のせる天ぷらなどは有料である。天ぷらを食べたら、自己申告でうどんと共に勘定する。
セルフに慣れない自分が何とも場違いな存在であるかのようだ。
うどん自体は美味なのだけれど。
次に、A町にある製麺所を兼ねたうどん屋に行く。
最近は、うどん目当てに外来の客が多いらしく、駐車場がそれなりの台数分用意されている。
うどん屋に入ると、TVカメラの取材も入っている。それだけ知れ渡ってしまったのだろう。
私たちも、そうした情報を元に来ているのだから、とやかくは言えない。
丼に入ったうどんに生卵を入れてかき混ぜたモノを注文する。あとは、備え付けのうどん用の醤油をかけるか、だしつゆを入れるかして、食べる。
たったこれだけのモノなのだが、とても美味だ。 こういう食べ方もあるのだな。
食後の車中でも
「いや〜。美味しかったですね」
「あんな食べ方があるんですね。何というか、うどん自体の旨さと生卵のコクやふんわりした食感が調和していますよ」
N君も満足のようだ。
さすがに、起きてから昼にもならないのに、うどんを2杯は食べ過ぎだ(しかも、大盛りとか、二玉とか頼むので、洒落にならない)。
お腹がやや、重い。
「時間もありますし、金比羅さんに行きませんか?」
「そうですねー。少しは運動しないと」
「さすがに、うどんばかりで、観光らしいこともなしでは、ちょっと」
意見の一致を見たので、道なりに琴平に向かう。
町営駐車場に止めて、参道を歩く。
踏切を越え、アーケードを抜けて、それらしい雰囲気になってきたと思ったら・・・。
約700段の石段が控えてやがった(うぅっ)。
こうなったら、持久戦だ。
石段沿いで営業している店では、参拝客に杖を貸してくれる。あまり必要ではないかもしれないが、雰囲気は大切だ。ありがたく借りよう。
N君を抜きつつ、ところどころで写真撮影をする。ある程度まで来ると、石段から振り返った眺めが素晴らしくなっている。撮影している内に、N君が私を抜いていく。
こんなことを繰り返している内に、本宮に近づいていく。上に行くにつれて、社が立派になっていて、これが本宮かと錯覚することも。
雪も若干残っている。足下に注意。
最後の急な石段をクリアして、やっと本宮にたどり着く。
眺めも、パノラマを楽しめて、素晴らしい。空模様が若干悪く、海の方まで見えない。天気がよいと丸亀の方まで見えるらしいのだが。
航海の守り神ということなので、妹のためにお守りを購入。黄色のお守りだ。
急な石段は、下りるときの方が怖い。参道が日陰で湿ったままで、滑ることも。
下りる途中で、白を基調とした格好の、禰宜(これで良かったか?)さんやら巫女さんやらの行列とすれ違う。参道の途中にお祭りしてあるような神様でも、いちいち立ち止まって会釈をしていく。
石段をどんどん下りていく。
杖を貸してくれた店で、暖かいお茶をごちそうになって、若干の買い物をする。
このあと、金丸座などを見に行く。中には入らなかったが。
琴平から坂出へ移動。この時点でまだ午前である。
奥さんと生まれたばかりの子供とが待っているN君が、早めに切り上げることを提案した。
彼は時折、メールを送ったり、携帯で話しているから、そうしたが良かろう。
坂出の店は、住宅地の中の製麺所である。住宅街の路地から更に横に入った場所にあり、ぱっと見ただけではよくわからない。
地元住民でなさそうな人が何人か歩いているのを見て、やっとわかる。
いかにも作業所といった風情の店の扉を開ける。
奥の方で麺を作っているのが主人のようだ。
扉により近いところで、作られたばかりのうどんを茹でたりしているのが奥さんだろうか。
うどんは、奥さんに言うと、笊に取ってくれ、それを客が湯に入れる。
N君は一玉、私は二玉、注文する。
慣れない様子の私たちに、「こうしてください」と自然な様子で教えてくれる。客ずれしていないその様子にほっとする。
うどんは、すぐに私たちの腹の内に収まった。うどんそのものは、作ったそばから茹でて供してくれているこの店が一番おいしく感じた。麺の鮮度を一番感じさせられた。
だしつゆも、ちょっと変わった風味がする。鰹とも昆布とも違う初めての味だが、いりこだしというヤツだろうか。
私たちの讃岐うどんの旅は有終の美を飾ることができたのである。
岡山にて、N君と私とは別れて別行動となる。
彼は、奥さんと子供のもとへ。
私は、岡山で泊まって、明日は高梁(できれば方谷駅周辺も)に行く予定だ。
朝6時半頃だろうか。
N君の携帯が鳴る。
目覚まし代わりにアラームをセットしていたのだ。
N君は釣りも趣味にしているから、朝は強い。
私は、宵っ張りなので、朝は弱い。
しかも
「昨日の後遺症のせいか、筋肉痛が」
「昨日って、何のことですか?」
すっかり惚けきっている。
身支度を整えると、チェックアウトをして、早速、讃岐うどんの旅再開である。
まず、高松の店に行く。7時からの営業だ。常連さんもいるようだ。
香川入りしてから初めて、セルフの店に入る。
まず、麺を頼む。
だしつゆは、麺をどんぶりにもらった後に、自分で入れる。小さなタンクに入っていて、蛇口をひねって、入れるのである。
トッピングの天かすと分葱とは無料であるが、のせる天ぷらなどは有料である。天ぷらを食べたら、自己申告でうどんと共に勘定する。
セルフに慣れない自分が何とも場違いな存在であるかのようだ。
うどん自体は美味なのだけれど。
次に、A町にある製麺所を兼ねたうどん屋に行く。
最近は、うどん目当てに外来の客が多いらしく、駐車場がそれなりの台数分用意されている。
うどん屋に入ると、TVカメラの取材も入っている。それだけ知れ渡ってしまったのだろう。
私たちも、そうした情報を元に来ているのだから、とやかくは言えない。
丼に入ったうどんに生卵を入れてかき混ぜたモノを注文する。あとは、備え付けのうどん用の醤油をかけるか、だしつゆを入れるかして、食べる。
たったこれだけのモノなのだが、とても美味だ。 こういう食べ方もあるのだな。
食後の車中でも
「いや〜。美味しかったですね」
「あんな食べ方があるんですね。何というか、うどん自体の旨さと生卵のコクやふんわりした食感が調和していますよ」
N君も満足のようだ。
さすがに、起きてから昼にもならないのに、うどんを2杯は食べ過ぎだ(しかも、大盛りとか、二玉とか頼むので、洒落にならない)。
お腹がやや、重い。
「時間もありますし、金比羅さんに行きませんか?」
「そうですねー。少しは運動しないと」
「さすがに、うどんばかりで、観光らしいこともなしでは、ちょっと」
意見の一致を見たので、道なりに琴平に向かう。
町営駐車場に止めて、参道を歩く。
踏切を越え、アーケードを抜けて、それらしい雰囲気になってきたと思ったら・・・。
約700段の石段が控えてやがった(うぅっ)。
こうなったら、持久戦だ。
石段沿いで営業している店では、参拝客に杖を貸してくれる。あまり必要ではないかもしれないが、雰囲気は大切だ。ありがたく借りよう。
N君を抜きつつ、ところどころで写真撮影をする。ある程度まで来ると、石段から振り返った眺めが素晴らしくなっている。撮影している内に、N君が私を抜いていく。
こんなことを繰り返している内に、本宮に近づいていく。上に行くにつれて、社が立派になっていて、これが本宮かと錯覚することも。
雪も若干残っている。足下に注意。
最後の急な石段をクリアして、やっと本宮にたどり着く。
眺めも、パノラマを楽しめて、素晴らしい。空模様が若干悪く、海の方まで見えない。天気がよいと丸亀の方まで見えるらしいのだが。
航海の守り神ということなので、妹のためにお守りを購入。黄色のお守りだ。
急な石段は、下りるときの方が怖い。参道が日陰で湿ったままで、滑ることも。
下りる途中で、白を基調とした格好の、禰宜(これで良かったか?)さんやら巫女さんやらの行列とすれ違う。参道の途中にお祭りしてあるような神様でも、いちいち立ち止まって会釈をしていく。
石段をどんどん下りていく。
杖を貸してくれた店で、暖かいお茶をごちそうになって、若干の買い物をする。
このあと、金丸座などを見に行く。中には入らなかったが。
琴平から坂出へ移動。この時点でまだ午前である。
奥さんと生まれたばかりの子供とが待っているN君が、早めに切り上げることを提案した。
彼は時折、メールを送ったり、携帯で話しているから、そうしたが良かろう。
坂出の店は、住宅地の中の製麺所である。住宅街の路地から更に横に入った場所にあり、ぱっと見ただけではよくわからない。
地元住民でなさそうな人が何人か歩いているのを見て、やっとわかる。
いかにも作業所といった風情の店の扉を開ける。
奥の方で麺を作っているのが主人のようだ。
扉により近いところで、作られたばかりのうどんを茹でたりしているのが奥さんだろうか。
うどんは、奥さんに言うと、笊に取ってくれ、それを客が湯に入れる。
N君は一玉、私は二玉、注文する。
慣れない様子の私たちに、「こうしてください」と自然な様子で教えてくれる。客ずれしていないその様子にほっとする。
うどんは、すぐに私たちの腹の内に収まった。うどんそのものは、作ったそばから茹でて供してくれているこの店が一番おいしく感じた。麺の鮮度を一番感じさせられた。
だしつゆも、ちょっと変わった風味がする。鰹とも昆布とも違う初めての味だが、いりこだしというヤツだろうか。
私たちの讃岐うどんの旅は有終の美を飾ることができたのである。
岡山にて、N君と私とは別れて別行動となる。
彼は、奥さんと子供のもとへ。
私は、岡山で泊まって、明日は高梁(できれば方谷駅周辺も)に行く予定だ。
京都から岡山・香川へ
2003年1月31日 出張最終日。
午前中の会合を終えたら、京都から岡山・香川に行くことになる。
もともと、讃岐うどんが、私たちにすると本題なのである。
無論、今回の出張の重要性は理解しているし、自分なりに真面目にやっているのだけれど、個人レベルでは話は違ってくる。
今回の旅行は妙に忙しい。
午前中も、講演などを聴く。
講師を招いての講演は、今回の中で最も、つまらなくきこえた。どこかの大学講師であるようだが、普段、どんな講義をしているのやら。
言いたいことのわかりづらい話は、退屈に聞こえてしまう。
会合が解散し、京都駅へ。
職場向けなどに土産を購入。荷物になるので、駅から宅配便で送る。
そのまま、岡山方面行きの「ひかり」に乗車。
改札の段階で、発射時刻まで残り1.2分だったので、ヒヤリとした。
本当は、在来線でゆっくり車窓を楽しみながら、行きたかったのだけどな。
神戸から先、須磨だか舞子のあたりの車窓が、海ギリギリにせり出しているので、結構良いらしい。
岡山着。
空気は、京都よりやや、心持ち暖かく感じる。上着は手放せないけれど。
とりあえず、岡山城と後楽園とを見に行く。
岡山駅前から後楽園最寄の城下(しろした)停留所まで10分もかからない。路面電車で100円である。
後楽園は広い敷地であり、ゴチャゴチャと木だの何だのを配置しないシンプルさに好感が持てる。
梅の名所として有名な庶民的な味わいの偕楽園(水戸)や、建物・池・灯篭・木の配置に工夫を凝らしている(ように見える)兼六園(金沢)とも、違った良さがある。
橋で岡山城側に渡る前にふと、ボート乗り場が目についた。
「乗ってみますか?」
「いいですねー」
これがいけなかった。
ボート乗り場のある後楽園側と岡山城との間に、旭川という川が流れているのだが、ボートが流されているのだ。
「なんか、下流の方に流されてますよ!」
「流されて、ボートの向きが修正できないよ」
「右だけ漕いでください。ちょっと曲がりすぎ。今度は左だけ」
笑いながらも、危険さを感じるシーンだった。
幸い、ボートを漕ぐのにも慣れてきて、なんとか元の乗り場にたどり着けた。あのまま児島湾まで流れて行かなかったことには、悪運の強さを誇っても良いと思う。
せめて、アヒル(?)の足漕ぎボートにしておけば良かった……。
N君は笑いながら、
「忘れましょう。トラウマになる。もう憶えていません」
などと言う。
岡山城を見た後、路面電車で駅前まで移動。
最新式の路面電車(LRV)に乗ることができた。MOMOという愛称がついている(岡山の特産と、ミヒャエル・エンデの『モモ』とをかけているらしい)。
床面の高さが、停留所の高さとほぼ同じで、乗り降りしやすい。乗り心地も心なしか良く、音はとても静かだ。
岡山から香川へJRで移動。
私は四国に渡るのは初めてだ。
瀬戸大橋(鉄道橋)から見る、瀬戸内の海はなかなか気持ちが良い。右も左も海で、見るのにちょっと忙しい。
小さな島が、幾つか見える、小さ過ぎて、人の住んでなさそうな島もある。
船の行き来も見える。結構、数が多い。
ふと、中世の瀬戸内の海賊や水軍に思いを馳せたりしてしまう。
高松着(18時近く)。
予約しているレンタカーを受け取り、宿まで行く。
宿では食事の予約はしていない。素泊まりだ。
当然、食事はうどんだ。
到着して一息ついたあと、早速、自動車で讃岐うどんの旅である。
予めN君が目をつけていた店の一つに向かう。
店の場所は宇多津なので、そこまで移動する途中に店があれば、そこもということに。
途中から、運転を私がすることとする。
普段、自動車を生活に使用するN君が運転を嫌い、自動車を保有していない私は運転する機会を欲しているのだから、おかしなものである。
宇多津に向かって、県道を運転していると、良さそうな店を発見。入ってみる。もうお腹も空いていることだし。
ぶっかけうどんを頼む。その間、私は空腹が我慢できず、おでんを取ってくる。コンニャクと大根。
やがて、うどん登場。
シンプルなのに、とても美味しさを感じるのが何とも不思議である。スルッと入ってくる。
京都などで食べるうどんは、何となく上品な感じがするのに対して、讃岐うどんは、シンプルで素朴な中で美味しさを感じる。
不謹慎な話で恐縮だが女性に例えると、素の良さからファッションや化粧なども含めた、総合点の高さが関西の美人(関西のうどん)の良さであるのに対して、素の良さを損なわない素朴さが香川の美人(讃岐うどん)の良さであるといったら言いすぎだろうか。
おでんも美味しいのだけれど、これは関東風に馴染んでいる自分からすると、物足りなさをちょっと感じた。ちなみにおでんは、自己申告でうどんと共に会計する。
次に、宇多津の店に行く。途中、道に迷って、通り抜け不能の(というより、突き当たりで曲がることができない)細い道に入りこんでしまうトラブルはあったが、着いたのでまずは良し。
店に入ってメニューを見ると、冬なのに温かいうどんがあまり見当たらない。うどんの麺そのものに、相当自信があるのか。
今度もぶっかけうどんを頼み、食べる。ここでも私はおでんを取ってくる(前の店と同じもの)。
やがてうどん登場。本当に冷えたうどんだ。
うどん自体は美味しいのだけれど、麺を噛み切れない。だから、さらに麺を啜るが、麺が長くて口の中がいっぱいになる。息が苦しい。
何とか麺を噛み切ることはできたので、やっと落ち着いたけれど、何なのだろうこの麺は。
食べ終えて、二人して一息つく。
ふと、近くに目をやると、女性が一人で食べに来ている。地元の人ではなさそうだ。
案外、同好の士(といってもこの場合は女性だけれど)がいることに、なんとなく面白味を感じる。
店を出たあと、
「麺、噛み切れなかったよね〜」
「Mさん(私のこと)もそう思いました?ふざけるているのかってくらい、コシがありましたよね」
「自分の噛む力が弱いのかと思っていたけれど、Nさんもそう思ったんだ?」
「舌を使って、やっと噛み切っていましたよ」
「私も」
うどんはうまいが、この店の麺のコシはありすぎだというところが、二人でもっとも共通の見解だった。
何だかな。
午前中の会合を終えたら、京都から岡山・香川に行くことになる。
もともと、讃岐うどんが、私たちにすると本題なのである。
無論、今回の出張の重要性は理解しているし、自分なりに真面目にやっているのだけれど、個人レベルでは話は違ってくる。
今回の旅行は妙に忙しい。
午前中も、講演などを聴く。
講師を招いての講演は、今回の中で最も、つまらなくきこえた。どこかの大学講師であるようだが、普段、どんな講義をしているのやら。
言いたいことのわかりづらい話は、退屈に聞こえてしまう。
会合が解散し、京都駅へ。
職場向けなどに土産を購入。荷物になるので、駅から宅配便で送る。
そのまま、岡山方面行きの「ひかり」に乗車。
改札の段階で、発射時刻まで残り1.2分だったので、ヒヤリとした。
本当は、在来線でゆっくり車窓を楽しみながら、行きたかったのだけどな。
神戸から先、須磨だか舞子のあたりの車窓が、海ギリギリにせり出しているので、結構良いらしい。
岡山着。
空気は、京都よりやや、心持ち暖かく感じる。上着は手放せないけれど。
とりあえず、岡山城と後楽園とを見に行く。
岡山駅前から後楽園最寄の城下(しろした)停留所まで10分もかからない。路面電車で100円である。
後楽園は広い敷地であり、ゴチャゴチャと木だの何だのを配置しないシンプルさに好感が持てる。
梅の名所として有名な庶民的な味わいの偕楽園(水戸)や、建物・池・灯篭・木の配置に工夫を凝らしている(ように見える)兼六園(金沢)とも、違った良さがある。
橋で岡山城側に渡る前にふと、ボート乗り場が目についた。
「乗ってみますか?」
「いいですねー」
これがいけなかった。
ボート乗り場のある後楽園側と岡山城との間に、旭川という川が流れているのだが、ボートが流されているのだ。
「なんか、下流の方に流されてますよ!」
「流されて、ボートの向きが修正できないよ」
「右だけ漕いでください。ちょっと曲がりすぎ。今度は左だけ」
笑いながらも、危険さを感じるシーンだった。
幸い、ボートを漕ぐのにも慣れてきて、なんとか元の乗り場にたどり着けた。あのまま児島湾まで流れて行かなかったことには、悪運の強さを誇っても良いと思う。
せめて、アヒル(?)の足漕ぎボートにしておけば良かった……。
N君は笑いながら、
「忘れましょう。トラウマになる。もう憶えていません」
などと言う。
岡山城を見た後、路面電車で駅前まで移動。
最新式の路面電車(LRV)に乗ることができた。MOMOという愛称がついている(岡山の特産と、ミヒャエル・エンデの『モモ』とをかけているらしい)。
床面の高さが、停留所の高さとほぼ同じで、乗り降りしやすい。乗り心地も心なしか良く、音はとても静かだ。
岡山から香川へJRで移動。
私は四国に渡るのは初めてだ。
瀬戸大橋(鉄道橋)から見る、瀬戸内の海はなかなか気持ちが良い。右も左も海で、見るのにちょっと忙しい。
小さな島が、幾つか見える、小さ過ぎて、人の住んでなさそうな島もある。
船の行き来も見える。結構、数が多い。
ふと、中世の瀬戸内の海賊や水軍に思いを馳せたりしてしまう。
高松着(18時近く)。
予約しているレンタカーを受け取り、宿まで行く。
宿では食事の予約はしていない。素泊まりだ。
当然、食事はうどんだ。
到着して一息ついたあと、早速、自動車で讃岐うどんの旅である。
予めN君が目をつけていた店の一つに向かう。
店の場所は宇多津なので、そこまで移動する途中に店があれば、そこもということに。
途中から、運転を私がすることとする。
普段、自動車を生活に使用するN君が運転を嫌い、自動車を保有していない私は運転する機会を欲しているのだから、おかしなものである。
宇多津に向かって、県道を運転していると、良さそうな店を発見。入ってみる。もうお腹も空いていることだし。
ぶっかけうどんを頼む。その間、私は空腹が我慢できず、おでんを取ってくる。コンニャクと大根。
やがて、うどん登場。
シンプルなのに、とても美味しさを感じるのが何とも不思議である。スルッと入ってくる。
京都などで食べるうどんは、何となく上品な感じがするのに対して、讃岐うどんは、シンプルで素朴な中で美味しさを感じる。
不謹慎な話で恐縮だが女性に例えると、素の良さからファッションや化粧なども含めた、総合点の高さが関西の美人(関西のうどん)の良さであるのに対して、素の良さを損なわない素朴さが香川の美人(讃岐うどん)の良さであるといったら言いすぎだろうか。
おでんも美味しいのだけれど、これは関東風に馴染んでいる自分からすると、物足りなさをちょっと感じた。ちなみにおでんは、自己申告でうどんと共に会計する。
次に、宇多津の店に行く。途中、道に迷って、通り抜け不能の(というより、突き当たりで曲がることができない)細い道に入りこんでしまうトラブルはあったが、着いたのでまずは良し。
店に入ってメニューを見ると、冬なのに温かいうどんがあまり見当たらない。うどんの麺そのものに、相当自信があるのか。
今度もぶっかけうどんを頼み、食べる。ここでも私はおでんを取ってくる(前の店と同じもの)。
やがてうどん登場。本当に冷えたうどんだ。
うどん自体は美味しいのだけれど、麺を噛み切れない。だから、さらに麺を啜るが、麺が長くて口の中がいっぱいになる。息が苦しい。
何とか麺を噛み切ることはできたので、やっと落ち着いたけれど、何なのだろうこの麺は。
食べ終えて、二人して一息つく。
ふと、近くに目をやると、女性が一人で食べに来ている。地元の人ではなさそうだ。
案外、同好の士(といってもこの場合は女性だけれど)がいることに、なんとなく面白味を感じる。
店を出たあと、
「麺、噛み切れなかったよね〜」
「Mさん(私のこと)もそう思いました?ふざけるているのかってくらい、コシがありましたよね」
「自分の噛む力が弱いのかと思っていたけれど、Nさんもそう思ったんだ?」
「舌を使って、やっと噛み切っていましたよ」
「私も」
うどんはうまいが、この店の麺のコシはありすぎだというところが、二人でもっとも共通の見解だった。
何だかな。
出かけたいよ〜(京都二日目)
2003年1月30日 昨夜の散歩を除くと、昨日の到着以来、ホテルの中にいる。
昼間の光に当たることもできず、気分が滅入ってくる。
自律神経失調症になったこともあるので、昼の光に当たることを意識していることもあるのだろう。
あと、食事の量が、運動量の割に多くなりがちで、体が重い。
出かけたいよ〜(泣)
というわけで、昼休みの昼食後、ホテル近くの本願寺(西本願寺)まで散歩する。
寒いけれど、明るいところに出られると気分が良い。
ただ残念だったのは、本堂(?)が修復工事中であったことだ。
一応、仏像を拝んでおいたけれど……。
時間もないので、ホテルに直帰。
今日は、午前中に講演などを聴き、午後はテーマごとに分科会である。
午前中の阪大の教授の話は興味深かった。
構造改革は一企業の行動としては正しいが、国全体・経済全体で行なわれると失業を増やすだけであるというのである。だから、国全体としては、有意義な事業にどんどん投資をして、雇用を確保することが大事であるという。
やや、極端な話に感じたけれど、それくらいは必要なのかもしれない。
午後の分科会は、私の所属する集団の人数が多すぎて、前半は報告が主になってしまい、質疑応答の発言者も限られたものになってしまった。
こういった集まりには、普段からの議論によって認識を共通にすることの大切さを感じる。さもないと、食い違った認識を修正するための質疑応答に多くの時間を割くからだ。
夜、例によって、N君を引っ張り出して、円山公園方面に散歩する。別に目的はないが……。
なんとなく、清水寺の参拝道の横から知恩院の方に抜けようと思ったのだ。
バスに乗り慣れていないので、バス停を降り間違えてしまう。
そのままバス通りから東に歩き、途中寺院の塔があるあたりで北に向かう。
そうしていると、八坂神社(スサノヲを祭っている)に出た。拝んで行く。
八坂神社から出ると、そこは祇園周辺だった。
二人とも、夜遊びには興味がない(不粋)ので、街歩きを少しするに止める。
「鍵善という店が、葛きりで有名なんですよ。ウチの奥さんがそういうの好きなんで……」
「ほう。それはちょっと見てみたいなあ」
そのうち、店構えの立派な店があり、それが「鍵善」だった。営業時間は終わっていたが。
そのまま大きな通りを歩いてもつまらないということで、横に折れる。ふと昨年の大阪での悪夢が頭をよぎる。
祇園なので、夜の商売が繁盛している。ただ大阪の宗右衛門町ほどに派手ではないし、しつこく客引きをするわけでもない。
舞妓さんが歩いてくるのに、すれ違う。
歩いている内に腹が減ってきたので、うどんを食べる事にする。西のうどんは、来るたびに食べておきたい。
昼間の光に当たることもできず、気分が滅入ってくる。
自律神経失調症になったこともあるので、昼の光に当たることを意識していることもあるのだろう。
あと、食事の量が、運動量の割に多くなりがちで、体が重い。
出かけたいよ〜(泣)
というわけで、昼休みの昼食後、ホテル近くの本願寺(西本願寺)まで散歩する。
寒いけれど、明るいところに出られると気分が良い。
ただ残念だったのは、本堂(?)が修復工事中であったことだ。
一応、仏像を拝んでおいたけれど……。
時間もないので、ホテルに直帰。
今日は、午前中に講演などを聴き、午後はテーマごとに分科会である。
午前中の阪大の教授の話は興味深かった。
構造改革は一企業の行動としては正しいが、国全体・経済全体で行なわれると失業を増やすだけであるというのである。だから、国全体としては、有意義な事業にどんどん投資をして、雇用を確保することが大事であるという。
やや、極端な話に感じたけれど、それくらいは必要なのかもしれない。
午後の分科会は、私の所属する集団の人数が多すぎて、前半は報告が主になってしまい、質疑応答の発言者も限られたものになってしまった。
こういった集まりには、普段からの議論によって認識を共通にすることの大切さを感じる。さもないと、食い違った認識を修正するための質疑応答に多くの時間を割くからだ。
夜、例によって、N君を引っ張り出して、円山公園方面に散歩する。別に目的はないが……。
なんとなく、清水寺の参拝道の横から知恩院の方に抜けようと思ったのだ。
バスに乗り慣れていないので、バス停を降り間違えてしまう。
そのままバス通りから東に歩き、途中寺院の塔があるあたりで北に向かう。
そうしていると、八坂神社(スサノヲを祭っている)に出た。拝んで行く。
八坂神社から出ると、そこは祇園周辺だった。
二人とも、夜遊びには興味がない(不粋)ので、街歩きを少しするに止める。
「鍵善という店が、葛きりで有名なんですよ。ウチの奥さんがそういうの好きなんで……」
「ほう。それはちょっと見てみたいなあ」
そのうち、店構えの立派な店があり、それが「鍵善」だった。営業時間は終わっていたが。
そのまま大きな通りを歩いてもつまらないということで、横に折れる。ふと昨年の大阪での悪夢が頭をよぎる。
祇園なので、夜の商売が繁盛している。ただ大阪の宗右衛門町ほどに派手ではないし、しつこく客引きをするわけでもない。
舞妓さんが歩いてくるのに、すれ違う。
歩いている内に腹が減ってきたので、うどんを食べる事にする。西のうどんは、来るたびに食べておきたい。
京都出張!
2003年1月29日 昨日の今日で信じられないが。
京都に行くんだよなあ、私は。
面倒くさい。行きたくない。
せめて、組合の会合(労研集会)でなく、より純粋に京都に行くのだったら良かったのになあ……。
夏目漱石は、英国留学に向かう際、「これが北京留学だったらなあ」といったことを見送りの人に言ったらしい(漱石は二松学舎に学ぶなど、漢学の素養の豊富な人だった)。
思わず、連想してしまう。
起床。
急に言われたので、旅行準備に手間取り、寝不足気味である。
私は要領が悪いので、荷物はかなり多くなってしまう。
うぅ、面倒だ。
職場まで自転車で行き、職場からM駅まで歩く。
ホームでN君と待ち合わせる。
彼は普段のように、黒い上下に黒いコートである。鞄も黒い。
京極夏彦のミステリーに出てくる、京極堂を連想させられる恰好である。
これで不機嫌極まりない顔でいたら、怖いだろう。
「フレッシュひたち」で上野に向かう。
二人とも気分が高揚し、車内で職場の人物評などで盛り上がる。
職場から離れないと、こういう話は出来ないこともあるのだが、彼とは結構ウマが合うことが大きい。
東海道新幹線の「ひかり」に乗る。
東京と京都との往復と宿泊とは、団体扱いで手配している。乗車している車両は、自分たちと同業の仲間だったりするわけだ。
なんだかな……。
いつも、新幹線の車窓は、ワクワクする。
自分にとって、上野は庭というか玄関先の馴染みの空間だが、東京からは門とか表通りのよそ行きの空間である。感じが違う。
新幹線の道中は、長い。さすがに、N君も私も少し疲れて、車中で眠る。
京都到着。
会合の場所と宿泊地になっているホテルまでは徒歩圏内である。
外に出る。
寒い。
目の前をチラつく白いものは、小雪か。
曇った空模様と相俟って、寒々しさを増している。
ホテルに着く。
案外近いのは何よりだが、街中を移動する時間があんまりないのは拍子抜けである。
ホテルに到着して、そのまま大広間の会場で、会合が始まる。
エライ人たちの挨拶は、適度に眠気を誘う。
今日、この会合で最も興味深かったのは、世界水フォーラムのNPO団体の人の話である。
言いたい事がハッキリしている話は、聴いていてわかりやすく、面白いものである。
夕方の交流会の後、N君と京都駅周辺を散策。
寒いだけで、収穫はあまりない。
京都タワーは、眺めは良いのだが、内部の展示が、お寒い内容だった。外装はともかく、中身をリニューアルしないと、マズイのではないか。
京都駅近くのマクドは、別に普通だった。女性店員は、「おいでやす」「こちらのセットがお得どすえ」「おおきに」「またおいでやす」などとは言わない。
イントネーションは新鮮だったが。
京都に行くんだよなあ、私は。
面倒くさい。行きたくない。
せめて、組合の会合(労研集会)でなく、より純粋に京都に行くのだったら良かったのになあ……。
夏目漱石は、英国留学に向かう際、「これが北京留学だったらなあ」といったことを見送りの人に言ったらしい(漱石は二松学舎に学ぶなど、漢学の素養の豊富な人だった)。
思わず、連想してしまう。
起床。
急に言われたので、旅行準備に手間取り、寝不足気味である。
私は要領が悪いので、荷物はかなり多くなってしまう。
うぅ、面倒だ。
職場まで自転車で行き、職場からM駅まで歩く。
ホームでN君と待ち合わせる。
彼は普段のように、黒い上下に黒いコートである。鞄も黒い。
京極夏彦のミステリーに出てくる、京極堂を連想させられる恰好である。
これで不機嫌極まりない顔でいたら、怖いだろう。
「フレッシュひたち」で上野に向かう。
二人とも気分が高揚し、車内で職場の人物評などで盛り上がる。
職場から離れないと、こういう話は出来ないこともあるのだが、彼とは結構ウマが合うことが大きい。
東海道新幹線の「ひかり」に乗る。
東京と京都との往復と宿泊とは、団体扱いで手配している。乗車している車両は、自分たちと同業の仲間だったりするわけだ。
なんだかな……。
いつも、新幹線の車窓は、ワクワクする。
自分にとって、上野は庭というか玄関先の馴染みの空間だが、東京からは門とか表通りのよそ行きの空間である。感じが違う。
新幹線の道中は、長い。さすがに、N君も私も少し疲れて、車中で眠る。
京都到着。
会合の場所と宿泊地になっているホテルまでは徒歩圏内である。
外に出る。
寒い。
目の前をチラつく白いものは、小雪か。
曇った空模様と相俟って、寒々しさを増している。
ホテルに着く。
案外近いのは何よりだが、街中を移動する時間があんまりないのは拍子抜けである。
ホテルに到着して、そのまま大広間の会場で、会合が始まる。
エライ人たちの挨拶は、適度に眠気を誘う。
今日、この会合で最も興味深かったのは、世界水フォーラムのNPO団体の人の話である。
言いたい事がハッキリしている話は、聴いていてわかりやすく、面白いものである。
夕方の交流会の後、N君と京都駅周辺を散策。
寒いだけで、収穫はあまりない。
京都タワーは、眺めは良いのだが、内部の展示が、お寒い内容だった。外装はともかく、中身をリニューアルしないと、マズイのではないか。
京都駅近くのマクドは、別に普通だった。女性店員は、「おいでやす」「こちらのセットがお得どすえ」「おおきに」「またおいでやす」などとは言わない。
イントネーションは新鮮だったが。
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讃岐うどんへの道(その2)
2003年1月28日 今朝、出勤すると……
「急だけれど、京都への出張に行ってくれない?」
「へ?」
「行く予定だった、Sさんが、身内の不幸で急に行けなくなってしまったんだ」
「それは……」
「出張は、明日からなんだけれど、頼めないかな?」
「え?え?え?」
「N君によると、もともと岡山に行く予定だったそうじゃない」
「う〜ん……。頭がパニックになっているので、少し落ち着かせてください」
約10〜20分後
「わかりました。行きます」
しばらく後
「特割チケットをキャンセルして、キップの組み立てを……」
すっかり気を取られている。
業務終了後、旅行代理店にN君と行く。
まず貰ったチケットの内、東京までの往復切符をキャンセルする。有効期限が四日間しかないので、29日に出発して、2日か3日に帰ってきては間に合わないのだ。同時に東京までのキップを手配する。
次に、私の特割チケットをキャンセルする。10400円で儲かったと思っていたら、キャンセル料が3400円以上する。これは痛い。
N君のキップを、二人分のものに作り直してもらう。そうすれば、私も割引の恩恵にあずかれるというものである。
最後に、私の岡山の宿を予約する。
ここまでで、30分強かかったろうか。
代理店の人の辛抱強さに感謝。
「急だけれど、京都への出張に行ってくれない?」
「へ?」
「行く予定だった、Sさんが、身内の不幸で急に行けなくなってしまったんだ」
「それは……」
「出張は、明日からなんだけれど、頼めないかな?」
「え?え?え?」
「N君によると、もともと岡山に行く予定だったそうじゃない」
「う〜ん……。頭がパニックになっているので、少し落ち着かせてください」
約10〜20分後
「わかりました。行きます」
しばらく後
「特割チケットをキャンセルして、キップの組み立てを……」
すっかり気を取られている。
業務終了後、旅行代理店にN君と行く。
まず貰ったチケットの内、東京までの往復切符をキャンセルする。有効期限が四日間しかないので、29日に出発して、2日か3日に帰ってきては間に合わないのだ。同時に東京までのキップを手配する。
次に、私の特割チケットをキャンセルする。10400円で儲かったと思っていたら、キャンセル料が3400円以上する。これは痛い。
N君のキップを、二人分のものに作り直してもらう。そうすれば、私も割引の恩恵にあずかれるというものである。
最後に、私の岡山の宿を予約する。
ここまでで、30分強かかったろうか。
代理店の人の辛抱強さに感謝。
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筑波山登り
2003年1月24日 後輩のN君ともども、筑波山に登りに行く。
わざわざ年休を取得してしまう。
彼は茨城県民であるのに、まだ筑波山に登ったことがなく、かねてよりの懸案であったそうである。
彼の運転するクルマで、筑波山神社(イザナギ・イザナミを祭っている)近くまで行く。そこから徒歩である。
登りはややキツイが、大したことはないと思われた。
しかし途中から雪が残っている。日差しは暖かいのに。
それでも登りつづけると、何時の間にか道が凍っていて、気がついたときには危ない状況であった。
登り切って、一休みした後、男体山・女体山に登る。
こちらの方が、雪がかなり残っており、道は凍り付いていて、足がかりを探すのに非常に苦労した。
ピッケルでも持ってくれば良かった……(ないけれど)。
わざわざ年休を取得してしまう。
彼は茨城県民であるのに、まだ筑波山に登ったことがなく、かねてよりの懸案であったそうである。
彼の運転するクルマで、筑波山神社(イザナギ・イザナミを祭っている)近くまで行く。そこから徒歩である。
登りはややキツイが、大したことはないと思われた。
しかし途中から雪が残っている。日差しは暖かいのに。
それでも登りつづけると、何時の間にか道が凍っていて、気がついたときには危ない状況であった。
登り切って、一休みした後、男体山・女体山に登る。
こちらの方が、雪がかなり残っており、道は凍り付いていて、足がかりを探すのに非常に苦労した。
ピッケルでも持ってくれば良かった……(ないけれど)。
讃岐うどんへの道(その1)
2003年1月16日 勤務が終わり、後輩のN君と共に、香川に行くためのキップを手配しに行く。
N君は、京都に出張後、岡山まで来る。
出張最終日の午前、関東を出発した私は高梁あたりを観光して、午後に岡山で後輩と合流する。
そして讃岐うどん三昧の旅にしようということなのである。
N君は京都までのキップが既にあるので、京都から高松に行くキップと、高松からの帰りのキップを、レンタカーとセットで手配する。
レンタカー代はともかく、往復の運賃が2割引、特急料金が1割引になるので、魅力的である。
N君は帰りがけ、奥さんの実家に寄って、帰る。
私は、飛行機の特割きっぷを購入しておいて、あと気まぐれに旅をしつつ帰ることとする。
キップが出来上がると、「行くのだ」という気持ちになり、気分が高揚する。とても幸せである。
N君は、京都に出張後、岡山まで来る。
出張最終日の午前、関東を出発した私は高梁あたりを観光して、午後に岡山で後輩と合流する。
そして讃岐うどん三昧の旅にしようということなのである。
N君は京都までのキップが既にあるので、京都から高松に行くキップと、高松からの帰りのキップを、レンタカーとセットで手配する。
レンタカー代はともかく、往復の運賃が2割引、特急料金が1割引になるので、魅力的である。
N君は帰りがけ、奥さんの実家に寄って、帰る。
私は、飛行機の特割きっぷを購入しておいて、あと気まぐれに旅をしつつ帰ることとする。
キップが出来上がると、「行くのだ」という気持ちになり、気分が高揚する。とても幸せである。
ブラームスの小径(こみち)
2003年1月11日 タイトルに大して意味はないです。
クラシック音楽好きの友人と、外出。
原宿近くの「ブラームスの小径」を見に行く。
友人に聞いていたように、大したことのない裏の小道であった。
明治神宮に参拝。
本殿に行く前に、神宮の森を見て来る。
入って見ると、武蔵野の森そのものといった風情で、杉などが植えられて鬱蒼とした鎮守の森とは違った趣だ。街の音もあんまり聞こえず、別世界だ。東京の中とは思えない。これはオススメしたい場所だ。
森を見た後、参拝し、おみくじを引く。神宮のおみくじは吉凶をあらわさず、明治天皇・昭憲皇太后の歌が記されていて、お説教されるのである。
銀座の洋食屋で遅い昼食を摂った後、有楽町に行く。
駅近くのカメラ屋(というより家電量販店か)にて、かねてより欲しかったパソコンデスクを注文。送ってもらうことにする。
実家が近いという理由で、なぜか成田まで行くことに。すっかり日の暮れた頃に着き、参拝してしまう。
神も仏も受け入れてしまう、多宗教と無宗教の罰当りである。
クラシック音楽好きの友人と、外出。
原宿近くの「ブラームスの小径」を見に行く。
友人に聞いていたように、大したことのない裏の小道であった。
明治神宮に参拝。
本殿に行く前に、神宮の森を見て来る。
入って見ると、武蔵野の森そのものといった風情で、杉などが植えられて鬱蒼とした鎮守の森とは違った趣だ。街の音もあんまり聞こえず、別世界だ。東京の中とは思えない。これはオススメしたい場所だ。
森を見た後、参拝し、おみくじを引く。神宮のおみくじは吉凶をあらわさず、明治天皇・昭憲皇太后の歌が記されていて、お説教されるのである。
銀座の洋食屋で遅い昼食を摂った後、有楽町に行く。
駅近くのカメラ屋(というより家電量販店か)にて、かねてより欲しかったパソコンデスクを注文。送ってもらうことにする。
実家が近いという理由で、なぜか成田まで行くことに。すっかり日の暮れた頃に着き、参拝してしまう。
神も仏も受け入れてしまう、多宗教と無宗教の罰当りである。
『第九』
2002年12月3日 ひとりの友の友であるという
大きな幸運を引き当てた者に、
やさしいひとりの女を妻となし得た者が
歓呼の声をあわせるがいい!
そう、この地上でただひとつの人の心でも
自分のものと呼び得る者も!
だが、それができなかった者は、涙を流し、
すごすごとこの仲間から離れ去るがいい!
Wem der grosse Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eines Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Unt wer’s nie gekonnt,der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
大きな幸運を引き当てた者に、
やさしいひとりの女を妻となし得た者が
歓呼の声をあわせるがいい!
そう、この地上でただひとつの人の心でも
自分のものと呼び得る者も!
だが、それができなかった者は、涙を流し、
すごすごとこの仲間から離れ去るがいい!
Wem der grosse Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eines Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Unt wer’s nie gekonnt,der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!