さきほど、年賀状の作成が終了した。
 葉書ソフトをインストールし、住所録を作成し、プリンターを購入し、…。
 最後の最後まで、IT機器に振り回されているようだ。
 来年は少しは使いこなせるようになりたいものだが…。
 図案は、ソフトに既存のものを使用。つまらない。
 せっかく午年なのだから、ユニコーンなどの画像を取り込んで使用するというのも良いかと思ったが、技術・資金・時間などが足りないのである。

寒い…

2001年12月25日
 家族で、南に来ている。
 なのに…。
 なんで、こんなに寒いのだ?

 昨日の初夏を思わせる天気とは裏腹に、肌寒い。
 風は強く、雨も時折ぱらつく。
 海岸を散歩したり、自然の中を散歩というプログラムもあるのだが、それどころではない。
 気温は10℃ほどに落ち込み、風は強い(妹によると、「風力5ぐらいだね」とのこと。知識のある人はわかるでしょうけれど…)。
 体感温度が下がるので、なかなか散歩どころではない。
 まあ、この島の違った側面を見られて、興味深いといえば、それまでである。

 しかし、天気が生憎なものなのに、海の色は大変に素晴らしい。
 透明度が高く、青々としている。
 サンゴ礁や水深の違いなどのために、海の色が変化し、面白い。

 バスガイドが戦時中のことについて話す。
 島だけれども、旧逓信省のアンテナ、陸海軍の要塞指令部、震洋隊(人間魚雷の部隊)などが置かれ、そのために米軍の空襲にもたびたび遭っている。
 もうちょっと違った場で聴きたかった話である。
 この手の話には、想像力を妙に掻きたてられて、たまらない気持ちになるのだ。

 史跡で、碑を見る。
 勝海舟の碑文である。
 「天の此人に大任をくださむとするや、まず其しん志をくるしめ其身を窮乏すと、まことなる哉此言、…」
 と続くそうである。
 今では、風雨にさらされて、読みにくい(というか、私にはわからないが。最後の「勝安芳」だけはかろうじて読めた)。
 勝海舟は多少好きなので、興味深い。

 羽田着が21時頃。
 私は千葉の家に寄らず、浜松町で家族と別れて自分の部屋へ。
 帰り着いたのは24時近く。
 島より、北関東のこちらの方がずっと寒い…。
 私でした。

 一泊二日の家族旅行のため、5時に起きる。
 空港に8時15分に集合ということなので、目覚し時計をしっかり仕掛けておいた。
 寒い、眠い…。
 ストーブを点け、お湯を沸かし、パンをトーストし…。
 体がこごえて、言うことをなかなかきいてくれない。
 そうしている内に起きてきたのは、母である。
 最後に、妹。
 妹はのんきなもので、コタツでまたうつらうつらとしている。

 行きの機中で、3人ともぐっすり眠っていたのは言うまでもない。

 今日、意外だったのは、妹が乗り物であまり酔わなかったことである。
 私の方が、海中観察のためのグラスボートで酔ってしまう。
 逆に「潮風に当たってきた方が良いよ」などと、気を遣われてしまう。
 何回かの実習航海などのためか、案外丈夫になったのだろうか?
 妹に気を遣われるとは、歳を取ったものである。

 どうもこの辺は、変に観光地化していないのか、ホテルなどが今一つ垢抜けない。
 しかし、泊まったホテルはやや古いながらも、海岸近くの良い立地で、割り当てられた部屋は、そのフロアの一番端で、双方向に窓がある。
 眺めが良く、波の音も聞こえてくる。
 寒い。眠い。
 『春眠暁を覚えず』という、うららかな、心地よさのあるものではなく、体が重いのだ。
 そうこうしているうちに朝の時間は少なくなり、遅刻ギリギリに自転車で出勤するという日々が続いている。
 今日などは、自宅近くの保健センターに勤める知り合いの女性が出勤途中であるところに出くわしてしまう。こうなると、その時間は遅刻警戒ゾーンであることはあまりにも明白である。
 我ながら危ないマネをしているものだと思うが、バス出勤にしようとしても、体が言うことを聞いてくれない。

 北海道は雪がひどいようだ。
 道新のサイトを毎日のようにチェックしているのだが、今日で新千歳空港は雪による閉鎖3日目だそうである。
 父が明日、北海道に行く予定らしいのだが、大丈夫だろうか?
 また、北海道に住む親族・友人は大丈夫であろうか?

年寄りの冷や水

2001年12月5日
 勤務終了後、自分の部屋(自宅)でゆっくりしていたら、職場の同期(H氏)がやって来る。
 なんだか、心なしか、いくらか張り切っているようにも見える。
「これから風呂に入ろうとしていたんですけれど…」
「それはやめた方が良いよ」
「どうして?」
「今日はS湖を一周するぞ」
「そりゃ、構わないけれど。まさか…」
「走って一周だ」
おいおい。

「最近、池波正太郎を読み返していて」
「ほう」
「いろいろ、美味しい食べ物の話が出てくるので、Hさん向けかもしれないですよ」
 H氏は『美味しんぼ』の愛読者である。昨年も仙台に行き、『美味しんぼセット』やら牛タンを食べに行ったほどだ。私もその時一緒だった。
「いや。ますます美味しいものを求めて出歩くことになるから、お金がもたない」
「そうかもしれませんね。そういえば、池波正太郎のエッセーで『むかしの味』というのがあって。その中にクリームソーダが出てくるんだよね。それが私には印象的でしたよ」
「うちらの飲んでいるものとは違うのだろうけれど、面白いねえ。うちらは、ああいった飲み物や食べ物の時に育ったからね」
「そうそう」

 S湖畔に到着。
 湖とはいいながら、ほとんど沼と変わらない。
「じゃあ。ここから一周ということで」
「いいでしょう」
 いつの間にか、二人とも走り出している。
 二人で走ると、知らないうちに対抗意識が出てくる。
 ペースが高めに推移している。
 久しぶりにマラソンをする私には、きつい。
 いつしか呼吸も荒くなっている。
 しかし、H氏の呼吸は割に静かである。
 そのうち靴紐が解ける。でも構わず走り続ける。
 上着を脱ぎ、手に抱えて走る。
 あの街灯まで。あの木のところまで…。
 対岸にスタートした辺りが見える。ここまで来たら、あと三分の一程度だ。頑張れ。
 やっとの思いで、スタート地点に到着。息が上がってしまっている。
 一周3.2キロ程度を、15分程度で走ってきたことになる。
 クールランニング代わりに、歩いて帰宅の途につく。
「いやあ。ダメですよ、これじゃ」
「あのK君には及ばないなあ」
 K君とは、別の部署の後輩で、体力維持を怠っていないヤツである。彼は同じコースを最も速いペースだと12分程度で走ったという。
 フルマラソンの大会に出場したりもしている。
「まあ、久しぶりに熱くなったなあ。たまにはこういうのもいいかも」
「そうだね」
 宿直のため、千葉の家から職場に直行。
 いつもの様に行けば良いと、駅に行ったら…。
 目当ての電車が来ていやがらない。
 ダイヤ改正で、十年一日のごとくだった時刻表に若干、目立たない程度に手を加えられていたのだ。
 タクシーを飛ばして、常磐線の乗り継ぎ駅まで行く。
 そこで目当ての特急を待つはず。だったのだが…。
「人身事故発生のため、電車大幅に遅れて、お客様には大変ご迷惑をおかけしております」
 なにい?
 こういう時に一番困ることは、「復旧の見込みは具体的にどうなっているのか?」「遅れるにしても目的地まで最も早く行くためにはどうすれば良いのか?」といった情報がさっぱり分からないことである。
 JRの馬鹿野郎。
 自分の迂闊さを棚に上げて、鉄道会社を心の中で、散々に罵る。
 職場には電話で、遅れるとの連絡をしておいた。特に大事はなかったようであり、助かった。
 結局、30分程度遅れて到着する。 

たまには…

2001年12月1日
 人の誘いで、競馬に行く。
 年に一回程度、誘われる。特に、決まってこの時期は。

 今日一番儲かったのは、障害レースである。
 ただ、賭けていなかった馬が、初めからリードして、後続集団を10馬身以上引き離しているものだから、気が気ではなかった。
 後になって、後続の馬が差を縮めたので、自分の賭けていた枠に配当がついた。倍率は20.8倍。
 ただし、10通りも賭けた総額の1通りが当たっただけなので、そのレース全体では2倍程度になって帰ってきただけである。

 今日一番損したというか、傷を広げたのは最終レースである。
 それまでは、トータルで少し損をしているだけであり、傷は浅かった。
 最後だからとばかり、これまた10通り賭けたわけだが、すべて当たらなかった。
 その日全体では、6分の1程度、損したことになる。

 競馬を楽しんだ後、東京まで行き、天ぷらで夕食になる。
 最近、池波正太郎の『剣客商売』シリーズを読み返しているので、新鮮な味わいがあった。登校人物がものを食べているシーンが、本当に美味しそうに感じられて印象深く感じるのは池波作品の特色の一つではないだろうか(TVで変に再現しようとしたり、伝えようとしたりしてもぶち壊しだと思うが、なんでやりたがるのやら)。
 たまには、こういう贅沢を自分でやるのも良いことだと思う。

判断ミス

2001年11月30日
 って、別に仕事のことじゃありません。

 人と約束があり、11時に有楽町で待ち合わせということになった。
 JR(鉄道)を使えば良いものを、駅に着いた高速バスを見て、とっさにこちらにしようと思ってしまったのがまずい。
 三郷付近から、渋滞に巻き込まれて、進まなくなってしまった。
 11時に待ち合わせ相手から電話がかかってきたときには、向島で高速道路を下りて、浅草付近を走っていた。
 結局、相手からはそれほど怒られなかったが、自分の迂闊さに腹が立った。
 東京方面に行くのに、道路を使う方法は、自殺行為である。

ブロードバンド

2001年11月28日
 今夜、ADSLを導入する。
 意外に手間のかかる作業だった。
 PCにLANポートを差し込み、設定やらなにやらをいじくり…。その過程で、間違って消してしまったものもあったようだ。
 その間、職場の同期(H氏)が、夜の散歩に誘いに来るものだから、1時間ほど歩いて来たりもした。
 3時間ほど悪戦苦闘しただろうか。
 ようやく、ADSLに接続できた。
 結構速いもんだ。
 ブロードバンドとはこういうものか…。
 素直に感心する。
 インターネット電話ができれば、当座の目的は達成される。どうすれば良いのだろう?

 速度を計測したところ、680kbp程度だった(1.5Mbpのコースなのに)。
 もう少し何とかならんのか?

 夜中にNHKのデジタルハイジジョン番組が再放送されていたが、12時半で疲労がひどくて断念した。
 せっかく、面白い旅行の気分になろうと思ったのに…。

遅起きは損?

2001年11月25日
 せっかくの3連休なのに、毎日午後まで寝てしまう。
 今日もだ。
 普段、それだけストレスが溜まっているのだと、自己弁護しつつ起きる。
 多少の家事手伝いと灯油の買出し(自動車が無いので、自転車で隣町まで)。
 終わった後、図書館に行って、クラシックのCDを借りる。
 ドヴォルザークの弦楽曲(『伝説』などを収録)の収まっているCDが、良かった。
 妹にはメンデルスゾーンのCD。今度の土曜日の演奏会で、アンコール曲として『結婚行進曲』を演奏するとか。「期間限定」だから借り物で良いだろう。
 すでに、交響曲などが収録されているCD全集を、贈ってあるし。
 夜、職場の同期のH氏と散歩しながら。
「Yさん(職場の後輩)が『最近、自分に狂気がなくなってきた』って嘆いていたなあ」
「そりゃ、そうでしょ。私もその気持ちを分かるような気はする」
 と私。
「この頃、覇気がないというか、創造力がなくなるというか…。10代とか20代前半のときのような、心身を投げこむような無茶なまねができなくなってきているし」
「ほう」
「以前なら、例えば、受験だの就職だのにちっとも結びつかない、無駄なこととか空想とかに、思考力を費やしてもかなり集中できたけれどね」
「ははは」
「ところが、最近は、社会人になったからか、学生の時のように、勝手なまねはできないし、しなくなったよなあ。無意識のうちにセーブしているような気がする。そのせいかわからないけれど、自分に面白味が薄れてきているような気もする」
「俺はそう感じないけれど。まあ、Mさん(私のこと)みたいに修羅場はくぐっていませんから」
「『修羅場』って、大げさな…(自分なりに波乱万丈はありますが)。Hさんが以前勤めていたところの環境の方が、大変な修羅場だったでしょう。Hさんの場合、理性がかなり強いから、自分を抑える力も強いのではないかな」
「そうかなあ」
「そうですよ。少なくとも、私の中学時代のように、怒りのあまり、女の子に蹴りを入れる真似はしないだろうし」
「そりゃ、むちゃだ。ひどい」
「でしょ。その時の行きがかりを振り返ると、もともと相手から仕掛けられたものだし、私にも言い分はあったけれど、怒りをああいう風に表してしまっては、こちらの言い分を聞いてくれることはなくなる。怒るにしても、もっと考えないと。あなたなら私みたいにはしなかったでしょう」
「う〜む。そうだね」
「それはともかく。あまりに感情的になるのは、困る。けれど、感情的になる自分を抑えているうちに、覇気というか、創造力や行動力の源になるパワーがなくなってくるのには、複雑な気分になる。Yさんは最近、趣味で小説を書き始めているから、そう感じるのかもしれない。まあ、これも歳をとったというか、社会人になって理性的になってきたというか、そんなことのおかげでしょうかね」
 別れた後の帰り道、途中で購入したホットドックはすっかり冷めていた。

○○疲れ?

2001年11月8日
 なぜか、とても眠たい。
 職場で、大きな欠伸が良く出る。
 そのくせ、夜は起きていられる。
 熟睡していないのか?

 ケアレスミスが相次ぐ。
 業者と話していて「お疲れ様です」と言うべきところを「お世話様です」と言ってしまう。
 昨夜の待機中にあった売上を、手書きの領収書で切っていながら、機械で打ちなおした納付書にし忘れて売上が合わなくなる。
 幸い、前者は笑って済んだし、後者は原因に気がついたから良かったようなものだが…。

食事時の話題

2001年11月7日
 食事する時の話題には気をつけなければ。
 特に、外食の時は…。

 昼食を、職場の後輩と一緒に食べに行く。
 話をいろいろしていて、水の話になり、つい伝染病予防の観点から出た京都の近代水道整備の話をする。
 食事時に、伝染病だの、(上水はともかく)下水だの話は避けた方が良かったなあと多少後悔している。

祝福?天罰?

2001年11月3日
 友人に、職場旅行の土産を渡す(辛口の新ワイン)。
 だからというわけではないだろうが、牛久シャトーにドライブで連れて行ってもらう。私ははじめてなので、興味深い。
 浅草に「神谷バー」というバーがある(「電気ブラン」で有名)。合同酒精という会社を創業した神谷傳次郎(で良かったかな?)に関連するものだそうな。
 牛久シャトーも神谷がはじめたものである。洋酒の製造・販売をはじめるのは明治では珍しいことであり、当時の実業家らしく政財界にも付き合いの広い人だったらしい。近代歴史上の人物と写っている写真が多く展示されていた(榎本武揚、大山巌、児玉源太郎、清浦奎吾…)。
 合同酒精という会社名を、いつもつい「合成酒精」と読んでしまうのは、どうしてだろう?合成酒精って、ちょっとイヤだな…。
 改装なったシャトーを見学。赤ワインの試飲もする。ちょっと酔う。

 牛久シャトーを見ても時間がまだあったので、筑波に行く。
 迷った挙句になんとかロープウェー駅にある駐車場まで行きついたが、有料道路はちょっと高いような気がする(表筑波スカイラインが片道320円、筑波スカイラインが往復400円)。
 駐車場から山頂を目指して登り出すが、天気は怪しくなる一方。とうとう予報通り雨が降ってきた。山の神に祝福されているのか?天罰を与えられているのか?
 ずぶ濡れになりつつも、山頂まで行き着いた。
 帰りはロープウェーで。

やるせなさ

2001年11月2日
 私の住んでいるところは県庁所在地であり、県では一番の人口(24万7千人程)を有するが、県人口(300万程)に占める割合は十分の一以下である。
 そのためかわからないが、本屋は満足なものとはいえず、県人口では負けているG県(200万程)に本屋の品揃えで負けている。取り寄せのサービスも今一つだ。熱意が感じられない。
 仕事がら、口座振替による支払いなどの話をお客とするが、三井住友・三和・東海・大和・あさひといった銀行の支店が市内に立地していないので契約しておらず、お客から苦情を言われることがたまにある。県南には結構立地しているようなのに…。
 ユニクロ等はあるけれど、自動車がないと行けないので、自分には意味がない。
 公共交通機関の位置付けが不十分で、使い勝手が宜しくない。百円バスを登場させてほしいと思うのだが…。
 東京までの手段が鉄道だと、JRの在来線だけ(他の県だと、新幹線もある場合がある)なので、事故が起こったりすると、身動きが取れない。
 最近、この路線は人身事故等が増えているような気がする。一昨年はある事件(事故)のせいで、運行率が20%までに制限され、乗る予定だった飛行機に乗り損ねそうになったこともある。
 不満な点は多々あるのだが、こんなところに何十年も住み続ける見込みである。
 ああ、無情…。

 こんなことを千葉の実家に帰る途中、ふと思った。

徒歩の日々

2001年10月22日
 旅行の疲れが取れない。
 休みたいところだが、休んでしまっては、旅行に参加して今日出勤している他の人の手前、申し訳のない事になってしまう。

 帰り。「さてバス停まで」と思っていたら、「歩いて帰ろう」と同期の人間(H氏)に声をかけられる。
 そうだった。しばらくは意識して運動するんだった。
 雑談をしつつ、歩いて帰る。
 途中、同期の人間の住まいまで来るが、さらに私は歩かねばならない。
 自転車・バスなどの通勤ルートは三角形の一辺を行くようなものだが、同期の住まい近くを経由すると三角形の二辺を行くようなものだから、少々骨である。所要時間も、職場から40分程度といった感じであろうか。
 自宅にたどり着き、着替えた後で風呂に入る気が起こらず、ほぼそのままで眠りについてしまう。
 朝。まだ、少し腹が苦しい。
 風呂に入った後、朝食。バイキング形式だが、和食である。洋食を食べたかった。

 蔵王はさすがに、紅葉がかなり進んで、見頃になっている。
 ここまで来た甲斐がある。
 蔵王のお釜の辺りになると、風は冷たい。
 宮城側から来た我々は、山形県の方へ下って行く。
 途中、国有林を通るのだが、さすがに営林署(森林管理署)である。
 標高の高いところはカラマツなどの林になっており、標高が下がるにつれて杉になる。よほど杉が好きなのだなと皮肉に思う。
 カラマツは材の値段はそれほどではないが、寒さに強く、成長が早い。
 杉は日本独特の樹種であり、材木用をはじめ、用途は広い。
 ここまで人工的に木を植えると、しっかり手入れをするか、自然の移り変わりに任せられるまでは手を入れて行かないと、その森は荒廃してしまう。
 大丈夫なのかと、少し不安がよぎる。

 高畠にワイナリーがあり、試飲する。
 下戸の私には、甘口のワインが美味しく感じられた。辛口の新しいワインも美味しかったが。
 土産に甘口・辛口を1本ずつ購入。

 昨日の食事の影響もあってか、今日のバス車内は静かなものである。
 カラオケも出なかったのだから。
 おかげで助かったが。
 車内で見た『どら平太』が面白かった。
 職場旅行である。
 気が重い。
 酒はそんなに飲めぬし、カラオケもよう歌わんし、ダメダメ尽くしである。
 昨年は、酔っ払った別の係の上司に、からまれて(冗談とは思うが)大変な思いをしたものである。
 毎月、旅行積立もするが(毎月三千円。ボーナス時に五千円)、1年間やっていると溜まった金額は大きく、財政難の折、職場旅行など行かなくても良いから喉から手が出るほど欲しい。ダメダメ尽くしの旅のために金を使うことに気分が良くない。
 こうなってはマイペースを押し通せるだけ押し通すしかない。
 まず、バスの中。
 さっさと酒を飲んで、眠ってしまう(持参してきたクラシック音楽のCDを聴きながら)。
 でも幸い、予想に反して、そんなにきつい旅行ではなかった。旅行に出席したメンバーが、それほどきつい人たちではなかったからだろう。バスの中では、何故か映画やアニメの話も出て、面白かった。

 昼食はジンギスカン食べ放題。
 意図していたものとは違っていたが、まあ良いだろう(私の思っていたジンギスカンはタレに漬け込んだ羊肉を変わった形の鍋で焼くのだが、今回出てきたものは羊の肉をそのまま鍋で焼くものだった)。
 別の卓で食べている上司たちが、どんどんお代わりをして、空爆宜しく、他の卓の鍋に肉や野菜を降らせるので、大変である。
 「どんどん食え」「いや、もういいですよ」「もう、食えん」「もう少し食べて見ますか…」。
 一つの卓(2〜4人)で、少なくとも3皿の肉や野菜を食べた事になろうか。
 食事の後、外に出る。外は広場になっていて、水を引き込んだ小川もあり、子供たちも遊びに来る憩いの場のようだ。
 アイスクリームを売る店もある。パンプキンとラフランスの2種類のアイスを食べる。なかなか美味しい(腹は苦しいが…)。
 「良く食べられますね」「さっきも、結構食べていましたよね」「意外と大食いですね」。それは余計なお世話だ。

 夕食は、旅館で。
 宴会料理というか、旅館料理というか、その手のものは、品数も量も多い。
 なぜか私は、食べ物を残す事をもったいないと思ってしまうので、なんとか全部食べてしまう。
 他の人は、なかなか箸が進まないようだ。
 多く食べた上に、酒も勧められる。ビール3杯も飲んだろうか。自分の動きが止まっている。
 食事の後、カラオケに行った人もいたようだが、私はパスした。
 寝転がるが、腹は苦しくて、散歩に行って見たり、風呂に入りなおしたり。
 こうなると、旅行後は当分、運動をかなり意識的にしなければ。

ラッキー!

2001年10月18日
 昨日、帰ってからふと、自分の机の上を少し整理した。
 すると…
 組合の動員でもらった日当。
 共済からもらった記念品の図書券(2500円分)。
 デパートの共通商品券。
 新聞の勧誘などでもらったビール券。
 が見つかった。
 何だかラッキーな気分。(^。^)

 今日も出勤。
 すると、先輩の職員が「特急の回数券売って」と言う。
 もちろん原価(1件片あたり700円也)で売る。
 3枚買ってくれたので、2100円を得ることができた。
 お金に困っていた私にとっては、ラッキーなことだ。
 本当にホッとした。

ウォーキングの日々

2001年10月17日
 ここ数日、職場の同期の人間と一緒に帰っている。
 私の自転車は故障したままであり、彼の住居はバスのほとんど通っていないところなので、数キロの道のりを歩く事になる。
 地図上ではかると、3〜4キロはあるようだ。
 我ながら、歩くのが好きなようになっているらしい。

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