出迎え

2004年7月16日
 今日の昼は、空港まで行き、山登りの有志たち4名を迎えに行く。私が彼らに合流し、登山終了まで行程を共にする。
 以前いた部署の人たちで、心持の良い人たちばかりである。
 彼らは今日から2泊3日の行程で動く事になる。黒岳〜旭岳縦走を主な目的とするのだが、2泊目の宿が旭川に手配できず、明日の登山後の後に札幌に向かうことになる。ハードだなー。
 納得してもらっているとはいえ、このことについては彼らに申し訳なく思っっている。

 旭川空港に到着。
 飛行機の到着時刻が遅れている。最近、保安検査が厳しいからなー。
 飛行機到着。知った顔に旅先で再会するというのも面白い。
 彼らは別にレンタカーを手配している。
 通常であれば、Sクラスのクルマの筈が、クルマの手配がつかなかったらしく、ライトバンタイプの格好いいクルマになっている。○菱製だが、羨ましい。
 まずは昼食を摂るため、美瑛に向かう。ポトフの美味しい店を教えてもらっているのだ。
 私のクルマには、後輩のM君が乗る。同期のH氏、先輩(といっても私よりも若いが)のTさん、後輩のN君(昨年1月末に一緒に讃岐うどんを食べに行った)は、もう一台の方だ。
 M君は、初めて見る北海道の眺めを楽しんでいるようだ。私も嬉しい。
 本当なら、彼らにはもっともっと北海道に滞在してもらって、満喫してもらいたい。
 しかし、日程上、無理だ。社会人の不自由さだ。
 せめて、短い間でも、満喫してもらおう。

 美瑛の駅前駐車場にクルマを停める。鉄道は、トロッコ列車が入線するところだった。あれも楽しそうだ。
 教えられた店に行くと、少し並んでいる。
 それほどではないし、ポトフもまだあるようなので、待つことにする。
 それにしても暑い。30度を超えているのではないだろうか。
 自分たちの番になる。案内された席で、一息つく。
 今後の段取りを話し合う。こればかりが、なかなかまとまらない。
 クルマをどうするのか。2台とも層雲峡に持って行くか、1台だけ旭岳ロープウェイ駅(登山口)前に置いておくか。
 今夜から天候が悪化するとの予報であり、そうなると縦走はできないから、旭岳側にクルマを置くのはムダである。
 逆に天候が良くなって縦走できたとしても、層雲峡にはクルマが残るから取りに行かねばならない。
 しかし、予想外に天候が回復した場合、縦走はしたくなるだろう。そうなったら、層雲峡にクルマが2台ともあるのは、何とも困る。
 旭岳温泉と旭川との間にはバスが3往復しかなく、下山時に使えるバスは17時頃になってしまう。そうなると札幌に行くのが、キツくなる。
 結論はなかなか出ない。
 その内、注文したポトフが出てくる。野菜が煮崩れずにいて、それぞれにしっかり美味しく煮えている。なかなか美味である。
 皆、満足したようだ。教えられた情報に従って正解だった。良かった。
 私とM君は、デザートにハスカップのアイスを頼む。微かな酸味がさっぱりした感じを与えてくれる。
 今後のことについての話は、クルマ1台を旭岳側に置くことにするという結論になった。
 天候が悪くても、時間にはかえって余裕ができるから、旭岳側にクルマを取りに行っても良い。旭川周辺の観光といえば旭山動物園や優佳良織工芸館だかしか思いつかない。結局、美瑛・富良野まで来ることになる。それなら時間のロスはあまり考えなくても良い。
 もし天候が良くなったのに、クルマを旭岳側に置いてなかったら、後悔することになるだろう。それなら、やるだけのことはやった方が良い。

 食事の後、十勝岳の望岳台に向かう。
 まだ天候は良いから、望岳台からの眺めは良いはずだし、明日の天候が悪くても、良い眺めを味わえれば諦めもつきやすいと思われたからだ。
 途中、美味しい水があるという不動尊だか地蔵尊だかに寄る。ひんやりしていて気持ち良い。水もとても美味しい。
 さらにクルマを運転して、望岳台に到着。だんだん曇ってきているが、まだ大丈夫。写真を何枚か撮影する。
 H氏は相変わらず、自分の写るのを嫌う。屋久島の時もそうだったけれど。何だかなー。
 下界の眺めは素晴らしいものだった。北海道らしい大地の広がりが、一望にできる。しかも平坦ではなく起伏もあるから、変化があって面白い。
 下界の方にも雲が垂れ込めてきた。あるところでは、一部分だけ雲が地面まで垂れ込めているように見えたが、どうもそれは雨だったようだ。
 雨の降る様子をこんな風に見たのは初めてだ。皆、写真を撮る。

 旭岳登山口に向かう。マーチの方を置くためだ。やれるだけのことはやっておこう。
 何となく、ロープウェイの運行休止が恨めしい。こいつが動いていればなー。もうちょっとは楽だったろうに。

 層雲峡に向かう。旭川市街に寄らずにショートカットできれば、短縮できるだろう。
 運転は私がする。彼らを疲れさせてはいけない。
 こちらのクルマのナビは、性能が良いようだ。電話番号からでも探索できる。
 ただ、たまに頓珍漢なのが機械の融通のなさを感じさせる。
 農道を通ったりと、「こんなんでいいのか?」と思ったりする場面もあったが、なかなか的確なナビである。
 途中、コンビニに寄って、明日の弁当を購入する。ローソンがこんな街外れにあるなんて、世の中、こんなに便利で良いのだろうか。
 朝食・昼食・菓子類(予備食料)・飲み物は必須だ。かといって過剰に買ってはいけない。
 層雲峡は意外と遠くて、時間が掛かる。暗くなってもまだ着かない。これでは、縦走して旭岳を下山できても大変かもしれない。
 天候はとうとう崩れて、雨が降り出す。
 19時半頃、層雲峡のホテルに到着。ひんやりした空気が気持ち良い。
 部屋は、4人で余裕が少ないところに、もう一人(私のこと)を入れたので、ややキツイ状態である。食事から帰ってみると、布団の敷き方に無理がある。これには皆、笑う。
 Tさんの用意したトランプで入浴時の留守を預かる人を決める。これも面白かった。
 入浴後、翌日の準備をしたり、話をしたりする。明日は早いので、早々に就寝する。
 ただ、夜中に空調をストップするのには参ってしまう。
 暑がりの私は、結局、窓を開けた。ひんやりした空気がどっと入り込んできた。
 これなら眠れる。おやすみなさい。
 今日はレンタカーで祖母と出かける。
 目標は十勝であるが、そこまで行けなくても良い。
 要は、祖母とどれだけ楽しいドライブができるかである。

 旭川駅まで行き、予約していたレンタカーに乗って戻る。
 Sクラス(日産マーチ)だが、私のように運転の不得手な者にはこの位が丁度良い。欠点は車内が狭くなることだが。
 道に迷いつつ、祖母宅に戻る。

 クルマに祖母を乗せて、外出。
 まずは、空港方面に向かう。空港行きバスの通る道と一本ずれたところを走る。医大の裏手、南高の前を行く。
 この道は南高を過ぎると、丘のアップダウンが楽しく、眺めも素晴らしいのである。今日は天気も良い。
 父に教えてもらった道である。これが見られただけでも、北海道に来て良かったなと思う。祖母も楽しそうだ。
 丘のアップダウンを楽しんだ後は、とりあえず十勝岳方面に向かう。
 一昨年の9月にも行っているが、安政の噴火口まで行くことができなかったので、行って見ようということになる。
 十勝岳登山口の駐車場にクルマを停めて、歩く。
 天気が非常に良い。雲一つない青空である。日差しもキツイが、それは許そう。
 正午前後という半端な時間のためか、歩いている人はほとんどいない。たまに登山者とすれ違うだけだ。若い女性一人というのもあった。挨拶が元気良くて、心持の良い印象だ。
 安政の噴火口まで行くが、今日は煙がほとんど上がっていない。こんなこともあるのだな。ここは活火山のはずなんだが。

 美瑛の駅前で昼食を摂って、天人峡に向かう。
 引き返すようなかたちだが、予定などあってないようなものだから、これで良いのだ。
 私が子供の頃、祖父母と従弟たちとでコンロなどを持って行って、天人峡でジンギスカンをやったものである。
 久し振りで行った天人峡は、多少変わっていた。
 天人峡温泉までの道路が良くなっていたし、滝までの歩道も整備されていた。敷島の滝へは道が危険なため行けないとなっていたが、かつての思い出を蘇らせるには十分だった。
 「こんなに楽な道だったかなー」と違和感がちょっとあったけれど。

 天人峡から帰ることにする。
 途中、学校跡の石碑を見たりする。祖父は、ここにも赴任して、教鞭をとっていたことがある。
 さらに走って行くと、こじんまりした集落というか市街地状のところがあり、そこは大叔父が営林署勤めの時に住んでいたところだということを祖母から聞く。
 その他、祖母の思い出話を聴きながら、父や伯母・叔父の子供の頃などを想像して、幸せそうな時代だなーと勝手に思った。

 ナビの案内は結構微妙である上に、地図がやや古いためか、ナビそのものが安いのか、変なルートを提示したりする。
 ここまでくれば、迷ったとしても大したことはないと思われたので、ナビの案内に従ってみることにする。
 祖母も「こんな道知らない」と、大層面白そうにしている。
 森林公園をかすめて、更に進むと、ナビの案内があまりに微妙な箇所があったために、間違った道に入った。
 すると、ナビはルートの再探索をするのだが、とうとう現在位置が道のないところになってしまった。やはりこのナビは安いのかもしれぬ。
 祖母は面白そうにしているので良いが。
 道を進んで行くと、神楽に出たのでまずは一安心。
 あとはこのまま帰れば良い。

何とか北海道へ

2004年7月14日
 暑くてかなわない関東から脱出。
 のつもりだったが……。

 午後、何とか職場を離脱。いくつかの照会を要する事柄があるけれど、仕方ない。旅行先から電話連絡だ(泣)。
 飛行機は18時過ぎに羽田を発つので、何としても間に合わせなければならない。北関東からの飛行機利用は、空港に着くまで油断ならない。

 17時半頃、羽田着。
 案外、何とかなるものだ。
 「空弁」というのが話題になっているので、購入して見ることに。今回購入したのは、「焼鯖弁当」である。焼いた鯖が酢飯の上に乗って押し寿司のようになっていて美味しい。
 エア・ドゥに乗るので、飲み物は期待できないと思って、お茶を購入する。

 エア・ドゥの旭川便には初めて乗る。
 皮肉な事に、民事再生法の適用後に生まれた便である。もっと早くにできていてほしかった。
 乗ってみて、以前とは違うことがいくつかあった。
 まず、搭乗口がボーディングブリッジになっていたことだ。
 新規参入の航空会社は、搭乗口からバスに乗って行くのが普通だったのに。空港設備に余裕ができたのか、新規参入者に配慮するようになったのか。
 次に、スチュワーデスの制服などが、ANA風になっていたことだ。
 パイロットは従来と同じく、ニュ―ジーランド人とか外国人だったりするが。
 最後に、飲み物のサービスが付くようになったことだ。ジュース、コーヒー、ミネラルウォーター(黒松内産とのこと)が飲めるようになった。

 旭川空港着。
 さすがに外気がひんやり感じる。来て良かった。
 ここからバスに乗って、旭川市街に一度行き、そこから更に郊外行きのバスに乗って行く。道のりはまた遠い。
 市街地に入って少しして、私の乗り換える方面の系統のバスが走っていた。こちらが追いぬいて行く。あれに何とか乗れれば、予定より早く着くことができる。
 旭川駅着。
 走って、西武百貨店前のバス停に向かう。さっき追いぬいたバスに間に合った。やれやれ。

 目的地のバス停から歩いて、祖母宅到着。21時ちょっと過ぎ。
 思いの外、早く着いて、とても喜ばれた。良かった良かった。
 晩ご飯を作ってもらって食べた後も、23時過ぎまで話をした。久し振りの会話が弾んだ。
 もっと滞在期間を取りたいなー。

ある一日

2004年7月12日
 昨日は、仕事で朝早くから夜まで拘束されていた。
 おかげで、ちょっと横になったつもりが、そのまま寝入ってしまった。今朝早く起きて、ようやく点けっぱなしになっていた明かりを消した。
 二度寝してから起きても、体はだるい。入浴を済ませていなかったからな。
 最近、あまり職場に行きたくなくなっていることも手伝っているのだろう。

 自分のような融通の利かない人間には、今の職場はどうにも居心地が落ち着かない。
 人が解らないなりに仕事に真面目に取組んでいると、前任者の一人が面白半分でおどかしてくる。もう慣れたというか、鈍くなってきたが、どう反応してよいやら今でも戸惑う。ウンザリした気分になる。
 もう一人の前任者は、別な意味で何を考えているかわからない。人が何かしくじると、面白そうにニヤニヤ笑っていて、猫みたいな御仁である。
 どこまでが冗談で、どこからが本気なんだか……。自分がひどく馬鹿になったような気がして、毎日疲労する。

 何とか入浴を済ませて、朝食を摂っていると、北海道の伯母から電話が掛かってくる。
 今週末に登ろうと思っていた大雪山の旭岳ロープウェイが、今月の10日から1ヶ月運休だそうだ。
 先月ロープウェイのゴンドラが何時間か止まってしまう事故があったので、施設の総点検を行なったところ、巻き揚げ機の一部だかに金属疲労が発見されたそうである。
 オフシーズンに何をやっていたんだろう、この会社は。書き入れ時なのに、会社の収益にマイナスになるのは勿論だが、信用でもマイナスだろうに。もっとも、旭岳登山に関しては、別の交通機関があるわけではないから独占なのだが。

 新しく購入した靴を履いて、職場に行く。一昨年に屋久島に行った時に使用した靴より、軽く履き易いものである。今度の登山に使うつもりだ。
 仕事上の懸案を悩みつつ整理していると、前に上司に見せた作成書類について説明を求められる。
 私としては、報告に出している既存業務は廃止してもらいたいのだが、廃止はできないという。もう他のものでも代替できるのに。変なバランス感覚を持ち込まれても困るのだが、説明に困るのだという。
 それでも評価は変えようがないから、そのまま更に上の方に廻すことにした。説明を求められれば、出向いて説明しようということで。その際、他に評価対象になっている業務の資料も添付する。
 これは全く別な業務で、担当者も異なる。こちらの業務は上司から説明を求められなかったので、書類を訂正せず、説明もなしにそのまま廻すことになった。

 昼食。以前いた部署で弁当を食べる。仕事上の関係の薄い人たちとの付き合いは、精神衛生上、良い。
 その際、旭岳に一緒に登る後輩に、例のニュースを知らせる。幸い、黒岳から登るから、旭岳は下りで、時間が余計に掛かる以上の被害は深刻ではない(疲労度はやや増すけれど)ということになった。

 午後、懸案の仕事の情報を整理したり、前任者の一人に別な事で質問をしたりした。まったく進まない。こういうことが多くなった。
 このことも、最近、職場に行く気力を削いでいるようなような気がする。あんまり前任者や関係者に頼ってはいけないような気がするし、思い切って頼ったら頼ったで、「申し訳ない」と気に病んでしまう。
 でも仕事を進めなければならないから、恥ずかしくてもやらなくてはならない。
 森田療法とかいう言葉が頭の中をちらと行き交うのはこんな時である。「自分が本当にやりたいと思うこと、本来のあり方に進むように自分を仕向ける」という風に解釈しているのだが、違うかもしれない。
 赤面する恐怖、緊張してしまう恐怖……。そういったものも自分の一部なのだと思って、人のためでなく、自分のために計らうことなのだとう風にも記憶している。そういった恐怖を言い訳にして自分のやりたいことをしないでいる方が不幸なことである。

 夕方、例の廻した書類を手に、部署の最高責任者がやって来る。直接の上司のいるあたりで、何か大声で話している。
 私は電話中だったが、私の傍らで猫みたいな例の前任者が、ニヤニヤ笑っている。やはり例の書類のことで来たようだ。
 あとで更に聞いてみると、自分の担当ではない、もう一つの書類の内容に大いに不満なようだったのだ。
 定められたチェックシートを元に評価すると低い評価になるが、存続した方が良い業務だとしたのに、低い評価が気に入らなかったようなのだ。何を言っているやら。担当者は大いに困った様子だった。
 私の担当についても、廃止はできないという流れになりそうだという。腹が立った。
 各項目の評価は最低だから、普通では存続できない。責任者の裁定に任せたいところである。
 何とも釈然としないながらも帰宅する。昨日の疲れがまだ残っているし。

 帰宅後、『百器徒然袋―風』(京極夏彦、講談社)を読了。探偵という名前の破壊者(榎木津礼二郎)が縦横無尽に暴れまわり、主人公である平凡な人間が振り回されるのである。
 いつも不機嫌な顔をしてとてもコワイ京極堂が、ウンザリしている様子が笑える。あまり深刻ではないのだが。
 彼が、何回も主人公にしている忠告がいい。
「あれと付き合うと、それは恐ろしい勢いで馬鹿になる」
 ところどころ、笑いながら、読み終える。

 暑かったので、洗濯物が増える。洗濯する。
 入浴後、就寝。

研修のための出張

2004年7月6日
 に行くことになった。
 あまりピンとこない。面倒でもある。
 まず、揃えるものが2泊3日の日程の割に多い。
 関係する資料が分厚くて、かなり重い。「紙のように軽い」など、とんでもない慣用句である。
 作業服も必要である。着替えも必要だ。
 あんまり変な格好もできないから、スーツを着ていかねばならない。
 ホテルに泊まるわけでないから、寝巻き代わりになるようなものや洗面道具も必要だろう。

 次に、行くまでが面倒だった。
 近い割に、直接到達できる鉄道路線があるわけではないので、時間が掛かる。
 最寄り駅から30分前後バスに乗る。さらに、研修施設も敷地が広いので、下手すると迷子になる。
 バスに乗り損ねたので、タクシーに乗ったところ、施設の具体的な名前も指定するよう言われる。

 研修そのものは、比較的スムーズだった。
 普段やっていないから、イマイチだけれど、理解しやすいように講義内容が工夫されているのでありがたい。
 なによりも、同じグループに属している仲間が、たまたま同じ位の年代なので、話がしやすく、気楽なものだ。
 ああ、助かった……。
 昨年の後半に、この有名なファンタジーを読んだ。
 この作品の作者は、神学でも業績を上げたとかで、キリスト教の信仰についても深い考察をしたという。そのあたりが作品に反映されているような気がする。
 ナルニア国のあるファンタジー世界はある意味、理想郷で、子供(それも選ばれた子供らしい)が訪ねて行ける世界なのだけれど、歳を取りすぎると訪ねて行けなくなってしまう。
 何でこんなことを思い出したかというと、友人のサイトの掲示板でふるさとの話になったからだ。
 ふるさとの景色は変わらなくても、住んでいる人や訪ねる当人は変わっている。懐かしいような世界に二度と訪ねて行けなくなるあたりが、一緒だなと思ったのだ。
 やはり、よその国の人工衛星に依存していては、ダメなんでしょうね。

 昨日に続き、今日も曇りがちだが、晴れる。
 天気予報では、この土日には新潟など北陸方面から天気が悪化していくとのことだったが、幸い、天気はひどく崩れることなく移行している。
 朝、とてもよく晴れる。別棟のバンガローなどから、北アルプスの山並みがよく見える。次回の楽しみにせざるを得ないと覚悟していたが、そうならなくてありがたい。来て良かった。
 昨夜の酒が効いていて、頭が重く、明る過ぎる日差しが厳しいけれど。……私は吸血鬼か?
 女性のメンバーが作った朝食を摂る。体が重いし、人数も多いから、朝食作りを手伝うこともできなかったが、ありがたくいただく。酒を飲んだ翌朝の味噌汁は美味しい。
 食後、写真家のMさんが、「天気の良いうちに」と急かす。この「天平の森」は山にあるのだが、展望台があるのだ。そこから北アルプスの山々を望もうということなのだ。体が重い……。
 展望台に行ってみると、予想以上の眺めだった。このサイトには写真の貼り付けができないから、お見せできないのが残念だが。
 見渡す限り、というか、右端から左端まで、北アルプスの山並みなのである。山並みの前には、安曇野の田園風景が広がる。こういうのをパノラマというのだろう。
 天気が良くて、本当に良かった。
 デジタルカメラで写真を撮りまくる。
 昨日もそうだが、予想以上に暑い。日差しもあるから、もうちょっと軽装で良かった。最近、天気予報がよく外れてくれる。
 展望台から戻った後、各バンガローから持ち出した、食器やテーブルを戻す。

 クルマ6台に再び分乗して、出発。やはり壮観だなー。
 池田町美術館の丘からも眺めを楽しむ。草地の上に座ったりして、気持ちが良い。何となく、北海道池田町のワイン城の丘からの眺めを思い出す。山並みが見られるという点では、安曇野の方に軍配が上がるが、平原の眺めを楽しみたいとかワインを楽しみたいなら、北海道の方が良いだろう。
 大町に行き、写真家のMさんが特に気に入っているビューポイントに案内してもらう。
 なるほど。大変に素晴らしい眺めだ。手前が山中の民家が点在する眺めになっていて、遠景に北アルプス、鹿島槍などが望める。
 いいなー。こんな景色を日常的に見られるなんて。もっとも、ずっと暮らしていると、何とも思わなくなってくるのだろうけれど。
 この後、蕎麦を食べに移動する。
 蕎麦屋は、一見、何てことのない感じなのだが、結構テレビなどが来るらしい。著名人のサインが飾ってあったりする。
 大丈夫かと思ったが、蕎麦はとても美味しい。
 信州蕎麦というと、上田で食べた蕎麦を思い出すが、そこの蕎麦は、田舎の蕎麦といった風情で、硬くゴリゴリとした、ある意味、蕎麦らしい蕎麦で、食べ応えがある。
 一方、こちらの蕎麦はのどごしが良い。抵抗無く腹に収まってくれる。盛りを二枚頼んだが、もう一枚頼んでしまう。さすがに腹一杯になるが、さほどに重くない。
 上田では天ぷらも頼んで失敗した。それ以来、蕎麦を味わいたい時は天ぷらを止めにしている。今回もそれで正解であったようだ。

 食後、解散となる。お疲れ様でした。
 穂高辺りで電車に乗ろうと思ったので、温泉に行く組と一緒のクルマで行くことにする。

鬼無里へ

2004年5月29日
 やっと行くことができる。
 平日に心晴れないことが増えた。
 以前の部署にいた時は、忙しくなれば旅行に行く回数も減る、だから今のうちに旅行しようと思っていたが、甘かった。
 忙しさの度合いが増すと、かえってストレスが溜まってきて、気分転換を求めてしまうのだ。
 私の場合、人と話すことや旅行が気分転換である。

 早起きして、一番の電車に乗り、上野駅に向かう。眠い。車中で深い眠りに落ちる。
 6時半発の「あさま」に乗車。かえって眠れなくなるような気もしたが、いつしか眠ってしまう。
 気がつくと軽井沢だ。もう30分もすれば長野だろうか。そろそろ、長野到着を前泊組に知らせようと思い、メールを幹事役のMさんに送る。さて、どういったメンバーが来ているだろう。
 長野に8時過ぎ到着。とりあえず、善光寺口に向かう。
 ところが、誰もいない。Mさんの携帯電話に連絡するが繋がらない。仕方ないので、前泊組の一人であるK氏に連絡する。まだホテルにいるとのこと。歩いた方が早そうだ。
 ふと気が付くと、他の参加メンバーのTさん夫妻がいた。彼らも連絡がつかず、ホテルに向かうところだったようだ。
 では参りますか。

 少し道に迷いながら、前泊組のいるホテルに着いた。
 ロビーで待っていると、Hさんたちが来た。
「Mさんは、仕事が忙しくて来られないって。珍しいね」
 本当に珍しいこともあるものだ。この手の旅行に一番乗り気で、他の人が忙しくても、自分は何とかしてしまうのだが。
 久しぶりに話していると、信州在住の写真家のMさんがやって来た。この方も前泊していたのだ。
 前泊していた人たちは、昨夜バラバラに合流(?)したという。早い人は夕方遅く、遅い人は夜11時半過ぎとか。
 誰も来ないので大丈夫かと思った人もいたようだ。

 9時過ぎ、クルマに分乗して、鬼無里に向かう。
 途中で、美味しいおやきの店に寄る。さらに合流するメンバーがいるのだ。これで人数は15人、クルマは4台になる。

 鬼無里の奥裾花に到着。駐車場からはシャトルバスに乗って、ハイキングコースの入り口に行く。
 5月はちょうど新緑の季節。ブナの緑はとてもきれいで、他の植物の緑と共に微妙な配色が楽しめる。青空の色と一緒になると、美しさがさらに感じられる。
 今日は天気が悪くなると聞いていて覚悟してきたが、予報が外れてくれたので良かった。むしろ暑いくらいだ。上着など持ってくるのでなかった。
 時には山並みが見えて、気持ち良さを感じる。
 水の流れの中に生える水芭蕉も最後の方で見られた。ところどころ水が枯れていてあまりきれいでなかったので、これは良かった。水芭蕉はやはり水辺にあってほしい。
 写真家のMさんが、時折、花の説明をよくしてくれる。皆、見たり、匂いを嗅いだり、写真に収めたり、説明に聞き入ったりと様々だ。ちょっと寄り道が過ぎるような気もするが。

 途中、寄り道を繰り返したので、予定をはるかにオーバーしてハイキング終了。これから明科に向かう。
 明科にて更に、3人合流の予定。
 その内、2人は地元の人なので、写真家のMさんが彼女たちと連絡を取り、18人分の夕食を頼むよう指示する。郊外型ショッピングセンターのようなところに中華料理店があり、そこで作ってもらったものを、今夜泊まるところに持ち込んで夕食とするのである。
 鬼無里から明科方面に向かう。車中で、天気に恵まれたことを喜び合う。
 明科のショッピングセンターで合流。2人は長野の人だが、1人は山梨の人である。これで人数は18人、クルマは6台になる。
 料理はテイクアウトのつもりだったが、注文した二人は店で食べるものと思って、席を取ったりしていたのだった。テイクアウトでもその場で食べるにしても、人数が人数だから、スゴイ話だ。
 料理ができ、飲み物も調達して、バンガローに向かう。
 私たちの乗っているクルマは先頭で、バンガローに向かうために右折レーンに入ったら、左側の直進レーンに3台目のクルマが。私は運転していないが、思わず焦ってしまう。
 あちらも同様な様子。何とか、右折レーンに入ってもらえたが。
 さらに不思議だったのは、2台目にいたはずのクルマが、反対車線にいたことである。どうやったんだろう?

 山の森の中にミニ天文台付きの管理棟があり、バンガローが何棟か点在する。料理などは自分でやれるように、各棟に台所や食器などもある。今回来られなかったMさんが居たら、大いに騒いで飲んで、結構喜んだろうに。
 到着後、一番大きなバンガローで食事しつつ飲む。テーブルや食器を集めたりするのが一仕事であったが。
 管理棟にある風呂に入った後、天体観測をしていたので、参加する。
 肉眼で、北斗七星や北極星を見たのは久しぶりだ。いいなー。
 その後、さらに飲んだりもするが、疲れが出てきて、早めに自分のバンガローに退出する。

旅行準備

2004年5月28日
 に手間取った。
 職場には「用事があって……」と誤魔化しておく。
 休日に行く旅行は、職場には内緒にすることにした。

 今週末、鬼無里と明科に行く。
 1泊2日の旅行である。
 鬼無里ではブナの原生林を歩き、明科ではバンガローに泊まる。
 信州に写真家の知り合いが住んでいて、案内役を買って出てくれたのだ。
 少なくとも総勢10名前後になるはずである。
 どうなるんだろう?

 業務時間終了後、とりあえず、職場を離脱する。
 多めな荷物については何も言われずに済んだ。
 私にしては極力、荷物を圧縮した。

残業のない日

2004年5月25日
 って、いいものですねー。

 会社の仕事で、社長の決裁を貰えないと、進まない仕事が一つあった。
 それまで比較的のんびりした時間を過ごせた。
 しかも、決裁が終わっても、お金のからむことなので、手続きがそこから進まず、仕事が進まない。
 結局帰ることにした。
 たまにはこういうのも悪くない。

 夜遅く起きていたら、NHKスペシャルの再放送を見ることができた。足尾銅山の緑復活の話である。
 鉱毒事件などで知られるように、相当荒廃していた山が、少しずつ緑を取り戻している。
 緑化プロジェクトは1600?を対象としているが、そのうち、草地や林などになってきたのは700?前後。松木沢を中心とするあとの800?以上はなかなか緑が戻らないという。
 これでも、緑化は予想以上の早さで進んでいるとのことだが、映像で見る岩肌の多さに、破壊の深刻さを感じる。
 しかし、緑の回復は素晴らしい。オオルリ、ニホンザル、ニホンシカといったものから、ツキノワグマまで姿を見せるという。ちゃんと定住するにはまだまだ、足りないものがあるというが、こうした動物たちも森の一部であるから、嬉しいものがある。
 番組の終わりの方で、足尾に従来なかったミズナラの芽が出てきているシーンには、ふとアニメ映画の『もののけ姫』の終わりの方を思い出した。

 仕事に疲れなければ、こういう余裕も持てる。

夢を見た

2004年5月17日
 久しぶりだなー。

 とあるところで、年取った木の妖精と少女(少年かもしれない)が話している。
「すっかり、仲間がいないようになってしまったわい」
 木の精は、相当年老いているようで、枯れかけている。
「昔は、この辺りにも、もう少しみずみずしさを感じられたものだ。年若い木や花の精が大勢いたりしてな。虫や動物もたくさんおった」
「そうなの?」
「にぎやかだったぞ、そのころは。ところがこの頃は」
 木の精は、ため息をついた
「この辺りの植物の精は、どうやらわしだけになってしまったようだ」
「そんなことないよ。木のおじいさんは動けないから、そう思うだけじゃないの?」
「しかし、昔は花の季節になると、花びらが風に舞って、花の精が健在なこともわかったものだが、どうしたわけかこの頃ではそうした花の便りも絶えてしまった。彼らは生きているんだろうか」
 少女は話を聞いていて、悲しい気持ちになってきた。
「もっとも、わしも年老いてしまったから、そろそろこの世界から去らねばならんようだ。そうしたら、この辺りからは本当にわしのような存在がなくなってしまう。残るのは、わしが住まいにしていた、この大木だけだろうよ。それすらもいずれは消えるだろう」
 木の精は、淡々と話す。
 この世にあったものが消えてしまう。今の今まで親しく話していたものが消えてしまう。
 少女は間近で話をしているのに、木の精がだんだん遠くに行ってしまうような、寂しい気持ちを感じてきた。
「そう言えば、お前さんのように、わしらに話し掛けてくる子供もいなくなってきたな」
「みんなもお話すればいいのにね」
「最近の子供は忙しいようだな。こうしてわしらと話したり遊んだりする子は、お前さんくらいだ。ありがとうよ」
「子供の遊び相手がいないなら、大人はダメなの?」
「どういうわけか、子供の頃はわしらと話したり遊べても、大人になるとわしらが見えなくなったり、話ができなくなったりするらしい」
「木や花に話し掛ける人だっているでしょう?」
「そういう人たちは、わしらと同じように感じてはくれるが、言葉のやり取りはできていない。独り言なんだ。やはり、言葉を交わしたりして本当に分かり合えるのは子供だけのようだ」
「それだと、遊び相手が少なくて、寂しいね」
「確かにな。でもわしにはお前さんのような友達がいるから、いいさ」
 木の精の声がだんだん弱く小声になってきたようだ。
「少し話しすぎたかな。何だかのどが渇いたよ。少し休もうか」
「水筒に水を入れてきたよ。分けてあげるね」
 少女は水を木の根元にかけてやった。
「ありがとう。少し声が出るようになったよ」
 木の精と少女は少し休むことにした。
 今はすでに花の時期。
 しかし、見えるところに花の咲いている場所はない。
 木の精の居るところの辺り以外は、乾いていて、草木が生えていない。
 風が吹く。
「おや」
 木の精が何か見つけたようだ。
「珍しいこともあるものだ」
「どうしたの?」
「あっちをごらん。花びらが風に舞っているよ」
「本当だ。ということは花の精がいるということなのかな?」
「そうらしい。おお、花びらがどんどん増えている。こんなに華やかな花の舞は久しく見ていないよ」
「すごい!すごい!」
「何だか、眠くなってきたよ。もしかすると、この花の舞はかつての仲間たちの迎えなのかな……」
「おじいさん、おじいさん。眠っちゃダメだよ。まだまだお話してよ」
「そうは言ってもなぁ。だんだんぼんやりして、お前さんが見えなくなってきたよ。お休み……」
「おじいさん、遠くへ行かないで。お願いだから」
 少女はいつの間にか泣きながら木の精に訴えかけていたが、木の精はいつしか眠りについてしまった。
「おじいさん……。ダメだよ……」
 木の精は眠りから二度と覚めなかった。

 その様子を見ていた青年が見ている。
 手には、花びらのいっぱい詰まった籠を持っている。
「僕にはこれくらいしかできないからな」
 青年は独り言を言った。
「僕は、昔は見えたが、今はもう木の精は見えない。してあげられることはこのくらいなものだ。お休み、おじいさん」
 駐在所勤務のお巡りさんがいるとしよう。
 彼の仕事振りは真面目であった。それが認められたか、ある時、本署への異動を命ぜられる。
 ところが、本署での仕事は刑事課となる。いつも、いくつかの事件を掛け持ちしているような状態だ。
 最近では、自分が今の仕事を進める能力があるのか、不安になってきている……。

 私の今の状態をたとえると、こんな感じかなーと思う。
 以前の部署では、忙しいと、周囲の人がフォローをよくしてくれたのだ。その代わり、他の人が大変そうなら、自分のできることであればフォローしていた。「相身互い」というヤツである。
 今の部署では、最低限のフォローはされるが、あまり親身ではない。その代わりというわけではないが、こちらも他の人の仕事はよく分からないので、フォローしようがない。

 今の私の仕事内容には、前任者が二人いる。今のところ、片方の内容の量や優先度が相対的に高くて、もう一方に手間暇をあまりかけられない状況だ。
 しかも、部署全体でやらないといけない企画関係の仕事があり、この書類作成を分担させられる。内容がろくにわからないのに、いいのだろうか?

 という感じで、月曜日に行われる会合の資料作りや説明原稿の検討などで、残業することに。
 前任者の一人(さきほどの後者の仕事)に、わからないことなどを聞いたり、話したりする。
「オレがあなたの仕事をするようになったときは、会社でやったことがないことだったから、わからなかったんだ」
「オレが同じ課にいるから良いようなもんだが、他の人らではわかんねえぞ」
「課長と喧嘩しても、他の会社の人との横のつながりは大切にしろよ」
 ありがたいような、押し付けがましいような、複雑な気分。基本的には、いい人なんだが。距離感が掴めない。
 でも、有効なアドバイスをしてくれる親切な人であるには違いない。

 残業(というより雑用)は、なかなか進まない。
 気が付くと、22時過ぎになっている。
 これでは、実家に帰れないなー。
 ガードマンの人も巡回してきた。
 もう帰ろうか。

いざ足利へ!

2004年5月9日
 同行の先輩の言葉である。
 「いざ鎌倉!」でなくて足利!
 と言っても、大したことないんだけれど。

 朝、7時50分頃、M線のT駅より、指定の列車に乗り込む。
 S先輩は、以前の部署の時からのつながりだが、お互い、古い部署から離れ(物理的にも)、それ以来の再会である。
 昨年、山梨に共に旅行したメンバーの一人でもあり、異動の気分転換にどこか日帰りで行きたいと話していたのだ。今回、他のメンバーも誘ったが、参加できないとのこと。
 今日はあいにくの空模様だが。

 O駅で、R線に乗り換える。R銭もM線も乗り場が駅の端っこと端っこなので、乗換えが不便だ。
 接続も良くない。多分、接続を意識していないのだろう。
 さらに電車に揺られる。
 足利の一つ手前で下車する。まずはフラワーパークだ。

 フラワーパークは、案外大したことないような気がした。
 藤がとても大きいものがあるのと、白い藤棚がトンネル状になっているのが、このシーズンの目玉である。入場者数が案外多いのに感心した。花が良いと、結構、人を集めるものなのだ。
 入場料はシーズンによって、最高で1200円から、シーズンオフの時は無料になる。今回は800円。藤の盛りはやや過ぎているようだ。
 写真を何枚か撮る。撮ってみると、結構きれいなものである。これは来て良かったかもしれない。
 みやげ物は、ご多分に漏れず、藤なんとかというのが多い。何でこういうのを名物にするのかはよく分からん。

 フラワーパークのシャトルバスで足利学校へ。
 こちらもあまり期待していなかったが、結構な代物だった。
 足利学校の起源は、3つある。一番古い説を採ると、奈良時代に遡るという。
 室町時代に宣教師が来て「日本最大の大学」と言っていたらしいから、その頃からあるのかと思っていたが、そうでもないらしい。
 江戸時代には、朱印地として百石を有したほか、修理費用などの大きな支出には幕府から費用が出るなど、保護はされていたようだ。
 『陰摩羅鬼の瑕』(京極夏彦、講談社ノベルス)では、儒教も絡む謎がテーマである。最近読んだばかりで、興味がいっそう増した。

 昼食を近くの店で済ませて、街を歩く。
 老舗の菓子屋で、最中や古印せんべい、芋ようかんを購入する。
 どれも美味しい。
 しかし、食べきれるのか?<私
 足利織姫神社は、街の北西にある丘の上に立地している。渡良瀬川まで見えて気持ち良い。
 そういえば、京極夏彦の京極堂シリーズには『絡新婦の理』という作品もある。これは、女性とか機織とかも絡む謎がテーマである。
 東武の足利市駅まで行くと、大麦のダグワースなる洋菓子を売っていたので購入する。この辺りでは、大麦の生産もしているのだ。素朴な味わいで美味しい。
 雨が強くなってきた。

 帰りの車中で貰ったガイド地図を見て、話したり、食べたり。
「からくり時計が三つもあるって、どうなんでしょうね?」
「鶏足寺って、凄いネーミングだね」
「足利学校で行われる祭事を市長が執り行うって、いいのかなぁ」
 などと話したりして、旅は終わりに近づいて行く。
 電車に2時間半は揺られて帰る。

「足利って、案外、面白かったね」
「次はどこに行きましょうか」

また職場か……

2004年5月7日
 昨日から、休み明けで職場に出勤しているわけだが、イヤなものである。
 着任してからなかなか慣れない職場であれば尚のことである。
 周囲の人間が何を考えているか分からないし、距離感がなかなか掴めない。困ったなー。ここは、イギリスか?

 例えが良くないが、夏目漱石がロンドンに留学した時もこんなではなかったろうか。イギリスでは、あまり良い目を見なかったためか、なかなかイギリスに馴染めなかったという。
 イギリス人は、アメリカ人みたい初めっからフレンドリーに接してこない。一見すると無愛想であるが、その代わり、いったん馴染むとかなり親切であるとは、小池滋か誰かの説だったか。
 「夏目狂せり」との噂が駆け巡ったそうだが、文学ということを突き詰めすぎた結果、下宿に閉じ篭って文献を研究していたためだとも聞く。

 かと言って、小説を書くわけにも行かないのだが。

 今日も、書類作成やらお金関係の部署に振り回される一日だった。
 外に出かける用事もあったりして、尚のこと。

日帰り強行軍

2004年5月3日
 今日は覚悟が必要だ。

 今回の(日帰り)旅行に関しては、達成したいミッションがある。
 まず、のんびり酒を飲むこと。とはいえ、私は下戸だから、同行の友人たちのつけた条件である。
 次に、温泉につかること。お互い普段疲れているから。
 できれば、普段とは違った場所に行きたい。
 ということで、私は友人たちに、松・竹・梅の3コースを提示した。
 松…一泊二日の旅行。予算2万円前後。福島方面
 竹…一泊二日の旅行だが、予算1万5千円前後。栃木・群馬方面
 梅…日帰り強行軍旅行。予算1万円前後。会津田島方面
 日程・予算からすると、梅が魅力的だった。宿泊手配ができなかったというのが決定的となり、日帰り強行軍旅行に決定する。

 朝4時起床。5時台の電車に乗るためだ。
 これから浅草に向かい、T君と合流する。
 浅草7時10分発の快速会津田島行きのボックスシートを確保して、北千住でY君とI君と合流する予定だ。
 東武浅草駅で待ち合わせて、ホームに向かう。早く来たので、座席は確保できた。
 列車の編成案内を見たら、予想以上に席が少ないのでビックリした。
 6両編成しかない上、前2両が日光行き、真ん中2両が会津田島行き、後ろ2両が新藤原止まりである。
 北千住で2人と合流するが、結構乗客が列車に乗り込んで来る。T君と私とでボックスを確保しなければ、危ないところだった。栃木を過ぎても立っている人はいた。
 幸い、私たちは席を確保できたので、北千住を過ぎた辺りから酒を飲みだす。…「鬼殺しライト」なんて渋いよ、I君。T君、何でウイスキーなの?みんな、何でそんなに飲めるんだ?飲めなければ、食い気に走るしかない。
 酒を飲みながら、久しぶりの話が弾む。…こんなしょうもない話ができる機会も随分と減ってしまったような気がする。
 下今市から、山に向かい出す。
 新藤原を過ぎると、トンネルが続く。
 トンネルの間に見える車窓は、すっかり違った景色になる。日常では見ることはあまりない、山間の風景である。所々で、桜が咲いている。来て良かったなー。
 会津田島で列車を乗り換え、湯野上温泉に向かう。
 湯野上温泉駅は、民家風の駅舎である。駅前は普通の田舎という感じで好感が持てる。ごみごみした温泉街では興醒めしてしまう。
 とりあえずの目的地は大内宿である。今日は休みということで、結構渋滞しているらしい。
 駅前の土産物屋の親爺は、「大内宿まで6?、徒歩で45分だ」などと言っていたが、そんなに速く歩けるわけがない。駅前タクシーで向かうことにする。
 普通の道は大変混んでいたが、地元の人が知っている林道を行ってくれる。遠回りだが、こっちの方が早く着く。運転手には迷惑かもしれないけれど、こういうルートの方が楽しい。
 旧下野街道の名残も見つつ、車窓を味わう。タクシーは大内宿まで5百メートル位という三叉路まで着けてくれた。3千円かかったが、それだけの価値はある。
 大内宿は、思ったほどではなかった。TVなどで評判にはなっているが。木曽ほどには景観管理がなされていない。素朴さが売りなのだろう。
 昼食は、蕎麦・田楽・栃もちなど。素朴であるが、美味しい。
 T君とY君は、地ビールも注文している。おいおい。
 食後、ぶらりとそこらを歩く。今日はよく晴れている。暑い。風呂に入りたいなー。
 そろそろ戻ろうかということになり、先ほどのタクシー会社に頼んで三叉路まできてもらう。
 もう午後2時を回ろうかという時間帯なのに、まだ大内宿に向かうクルマやバスが跡を絶たない。これは鉄道などで来る場所だ。
 タクシーの運転手は、先ほどと同じ人だった。話し振りも普通に好感が持てて、ありがたい。
 湯野上温泉駅に戻る。次の列車まで時間があるので、風呂に入ろうということになる。駅前の宿に聞いたら、入浴OKとのことなので、入る。
 露天風呂は洗い場はろくにないけれど、入浴するのであれば、これで十分。真ん前に山が見える。
 汗も流して、気分はかなりリラックスしたものになる。
 帰りも列車乗り継ぎで、車中で飲みながら話をする。
 さすがに、私はダウン。
 でも、楽しかった。

 皆と別れた後、今日はあんまり歩いていないと感じた。
 思えば、大内宿近辺を歩いた位だ。
 実家の最寄一つ手前の駅から、歩く。3キロ位か。
 風は強いが、空は晴れ渡り、満月がきれいだ。
 下手な句を詠んだりして、ぶらぶら歩いて帰る。
 こんなに連休が嬉しいとは久しぶりである。

 仕事になかなか慣れず、どうにも職場では落ち着かない。
 もう少しすれば違ってくるのだろうが、今は職場から離れたい。
 あるいは職場のある地域(自宅もあるが)から離れたい。

 実家にて昼まで寝る。睡眠時間にして12時間近くだろうか。
 知人の女性からは
「10時間以上の睡眠は、体のリズムを壊し、寿命を縮める恐れがあるから止めた方が良いですよ」
と忠告はされているが、思いっきり寝たという充実感は、幸せな気分をもたらしてくれる。
 のんびり朝兼用の昼食を食べて、ボーっとしていると、友人から電話がかかってくる。
 3日の日帰り旅行の相談である。
 チケット手配のため、一緒に外出することにする。
 旅行会社に寄ってチケットを手配したついでに、書店に立ち寄る。
 コミックを中心に、新刊などを数冊購入。
 自宅のある近辺では、こうはなかなか行かない。
 明るい内に帰宅。ちょっと幸せな気分だ。

歓送迎会

2004年4月9日
 酒の席はイヤなものである。
 酒自体は、自分の好きなものを自分のペースで飲めるなら、嫌いではない。あの、リラックスした感じも割に好きである。
 ただ、馴染みのない他の人が一緒で、お付き合いの要素が多い会合はイヤなのである。気を遣うし。職場はなおこと油断できない。
 ああもう、どうしたものやら。

 外に出ての打ち合わせより職場に戻ると、先輩から
「クルマのことで何か言われなかった?」
と聞かれる。
 社用車で外に出かけていたのだ。
「そういえば、車両の管理者から『無茶な運転をしてはダメだろう!』って怒られましたけれど……」
「君が外に出てすぐに、そうした苦情が来たんだって」
「確かに私も運転しましたけれど、それは帰りだけですよ。行きはTさん(私の上司)が運転していたはずですが」
「あらら」
 やはり、帰りは私の運転でよかった。

 仕事を定時で終わらせ、歓送迎会に。
 人数は前の部署の時より少なめだが、空間が狭めなので、心持、賑わいが凝縮された感じである。
 身動きも、ちょっと不自由か。これでは、酒に酔って(酔った振りをして)寝ることもできない。
 酒を注いで回る。こういうのは苦手だ。
 私の部署では一番えらい役職の人からは
「Tさんのところ(古い部署)から人が来るというから、『要らない人間を送り込んでくるんじゃあるまいな?!』って言ったら、『いいや、M君(私)は私たちが自信を持って送り出した人材です』と言っていたぞ。頑張れ!」
と言われる。
 嬉しい気持ちもするが、まだ実績もない人間がこんな言われようをしては、後々、怖いような気がする。気が重い。
 別の上司の一人からは
「こっちの方が面白いだろう。前の部署は大したことあるまい。あんなところにいたって、何にもならないんだぞ」
って、おいおい、見下すつもりかよ。
 デスクワークも大事だけれど、接遇や現場ができる人間の方が私は偉いと思うぞ。
 某ドラマの映画版じゃないが、「事件は現場で起きている」のだから。

 何とか歓送迎会が終わる(20時半頃)。
 これから、行かねばならないところがある。
 早く、駅まで行かねば。
 一応、声をかけてさっさと失礼する。

花粉症

2004年4月8日
 の疑いがあります>私

 今日、職場に行ってしばらくすると、掃除が始まってしまった。
 唐突なことである。
 初めは不要なダンボールなどをまとめていただけだったが、消耗品などをストックする場所なども整理しだした。
 とうとう、私の前任者などが放置していた不要書類まで、整理しだしたので、午前中はこれにかかりっきりになった。
 先輩の不要書類は、審査の済んだ書類である。記載されている情報がそのまま捨てられる危険から、シュレッダーにかけないといけないので大変だ。
 おかげで、くしゃみ・鼻水が止まらない。
 花粉症なのだろうか?ハウスダストに弱いだけなのか?
 この時期、結構つらいものがある。
 普段、医者に頼らない生活をしているので、どの医者が良いかさっぱりわからなくて困る。良い医者を見つけて、早くどのアレルギーかを診てもらいたいのだが。

 午後に、残りのシュレッダーを片付けて、仕事の調べもので、2階にある他の部署にお邪魔する。これからも厄介になりそうだ。
 なれない調べものなためか、疲れを感じるが気のせいだろう。自分の部署に戻るか。自分の部署は5階だ。
 階段を上って、目的のフロアに着くと、なぜか同期の職員がいる。
 あれ?彼女の部署は、私と同じフロアじゃなかった筈では?
 良く見てみると、そこは4階だった。
 これには笑うしかない。

異動の実感

2004年4月7日
 まったく感じられない。
 というか、あまりに唐突だった。

 古い部署では独特の互助会があったのだが、こちらからお祝い金などが出る。
 縁遠くなってしまうようで寂しいような。
 なんだかなー。

引継ぎ開始

2004年4月2日
 午前中、異動先から内線電話。
「来週月曜日の午後に、やってもらう仕事の打ち合わせをするので、名刺を注文してください」
「何枚必要でしょうか?」
「とりあえず百枚ですね」
 百枚でひと箱分である。
「代金は紙代と印刷代で千五百円です」
 名刺は支給されず、私費負担である。
 建物が分かれているので、行くのが面倒である。こちらは4階建ての2階、あちらは6階建ての5階である。エレベーターなどいちいち使えないから、足腰は鍛えられそうだ。
 それとは別に、異動先の前任者の一人から電話。
「引継ぎをするので、来てください」
「いつ行けばよろしいでしょう?」
「午後にでも」
 ということで、午後にまた行くことに。

 午後、引継ぎを受けに行く。
 引継ぎ書(分担業務についてのメモ)を作ってくれていたのは親切である。
 しかし、従来とはまったく畑違いで、イメージの湧かない業務である。
 一時間半くらい説明を受けたがよく分からない。
 とりあえず「やってみなければ分からないですねー」と意見の一致を見て、笑いながら退場(笑)。

 心残りなのは、私が去った後の部署の業務分担である。どうなるんだろう?

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