夜行列車の旅立ち

2002年3月1日
 タイから帰ってきたばかりなのに、今度はとある会で琵琶湖ツアーである。どうなるのだろうか、不安である。
 待ち合わせはJR湖西線の堅田駅で翌10時だ。朝食はどうしよう?他のメンバーは既に食べているだろうから、事前に食べた方が良いだろう。
 そういえば、具体的に誰が来るのかを知らない。いずれにしても私が一番年下だろう。何かと動けるように体調の良いことを祈りたい。
 グループでの旅行になると、自分の位置付けをどこに置いたら良いのか、まず戸惑う。まずは、自分から動き回った方が良い。気の利かないヤツだと思われるのは、何かにつけて宜しくない。
 待ち合わせ時刻などを守るのは、それ以前の問題で、最低限守りたいエチケットだ。
 何よりも自分のペースを保つ事である。

 夜行で行く旅では、なかなか「当たり」がない。「ハズレ」が多い。
 慣れない環境による寝不足などが主な原因である。列車自体の快適さはそれほどではないのに、値段が夜行バスなどに比べて高く、二の足を踏んでしまう。
 プラスして、現地の状況を知らなかったことによる、自分の手際の悪さが不快感を増す事になる。
 例えば、乗り継ぎ列車が編成の短い割に混んでいて、立たされるなどである。
 かといって夜行バスも窮屈だから、できれば敬遠したい。
 今回は「ムーンライトながら」(以下、大垣夜行)で、琵琶湖に向けて旅立つ。
 実は、東海道本線の夜行に乗るのは初めてである。前述の理由で、夜行列車はなかなか利用しない。夜行列車自体も少なくなってきている。
 「サンライズ瀬戸・出雲」などは値段の割に快適そうなので、いつか試してみたい。

 千葉の家に一度立ち寄ってから、東京駅へ。
 東京駅の大垣夜行の出発ホームは、結構賑わっている。ホーム上で開店しているミニコンビニは盛況である。車中での水分確保は必須である。あと何か食べるものも。私は何か甘いものが欲しい。
 発車時刻の10分ほど前に列車がホームに入ってくる。特急電車と同じ車両である。快適そうだ。座席の間隔が広く、国際線のエコノミーとは雲泥の差だ。
 やっと予約できた席は喫煙席だ。
 煙草を吸わないが、それしかなかった。しかも通路際である。
 これでも贅沢であることを、小田原での指定解除後に実感することになる。
 やがて列車は東京駅を出発する。
久し振りで乗車する夜行列車に、少し気分が昂ぶる。なかなか寝つけない。
 品川・横浜・大船・平塚・国府津・小田原…。
 小田原で、4号車から後ろの車両の座席で指定解除になる。
 そのまま座っていれば問題はないが、大変な賑わいだ。
 小田原までは全席指定なので、指定席券を持っていない客は、小田原まで先行して、大垣夜行を待ち受ける。話には聞いていたが、そうした客は私の想像以上に多かった(「青春18切符」の利用期間が3月1日からだと、知ったのはつい先ほどである)。
 通路に立客が20〜30人はいただろうか(1両につき)。高齢の人も割にいる。時間もかなり遅い(午前1時過ぎ)ので、座り込んでしまう人もいる。
 あまりの凄さに、以前、知人にこのルートを勧めた自分の浅はかさを後悔する。知っていたなら、もう少し違った勧め方をしたのだが…。
 このあたりから、何となくウトウトと眠りにつく。
 浜松の長時間停車で一度目が覚める。貨物列車が通過し、上りホームを「サンライズ」が一度停まって、発車して行く。運転停車(客扱いのない停車)のようだ。

タイから帰国

2002年2月26日
 飛行機の出発時刻が早いため、現地時間で5時半には起床する。
 朝食は、前日セブンイレブンで購入した食品。今日の朝食がついていないことと、食欲があまり湧かないためである。
 身支度を整え、7時にはホテルを出発する。

 バンコク空港に到着。ツルベと別れる。
 東南アジアの人は、サービス精神が豊富にあると思う。冗談もたまに言うし、何かと心遣いをしてくれる。
 写真に写りそうになると「ゴメンナサイ」と言って避けてくれたり(避けなくても良いのだが)、昨日のサファリパークでは、仕事とはいえ最後まで付き合ってくれてミネラルウォーターを買ってくれたりもした。
 気候は暑く、暑さの苦手な私には大変だったが、終わりになると印象の集積は悪くない。むしろ名残惜しさすら感じる。それは、人々のサービス精神の豊富さによるものが大きいと思う。
 ありがとう。

 空港で、職場用の土産を購入したり、免税店で購入した品物を受け取ったりして出発時間が迫る(市内の免税店で購入したものは、空港で出国時に引き渡しになる)。
 バーツ(現地通貨)は使い果たした。小銭は何枚かあるが、記念になる。

 飛行機の所要時間はかなりかかる。6時間はかかるだろうか。何もすることがない。
 私はただ、音楽を聴き、本を読む。他には食事するぐらいしかない。
 日本に近付き、良く晴れた空のもと、台湾南端がきれいに見えた。
 Ilha Formosa!(「麗しき島よ」といった意味。台湾の事をポルトガル人などがそう呼んだらしい)

 16時ごろ、成田着。
 第2ターミナルビルの奇妙な乗り物は何とかならないか。定員制で待っているのがイライラする。
 日本だなあ。

 案外、寒くないので安心した。
 明日は出勤だ。

サファリパーク

2002年2月25日
 日本でもまだ、行ったことがないのに…。

 今日は、オプショナルツアーで、サファリパークに行く。
 行くのは私たちだけなので、バスではなく、バンを使うことになる。ハイエースの古い型のものであろうか。
 バンコクを出て、1時間か2時間ほど車に揺られただろうか、高級住宅街に入る。住宅街の中に入って行った奥に、サファリパークがある。隣にはゴルフ場もあり、住宅街と同じオーナーが経営しているのかもしれない。
 このサファリパークは、動物を放し飼いにしてあるエリアが、動物園などを囲むようにして配置されている。

 まず、野外のエリアに自動車で乗り入れる。ダチョウやキリンなどに始まり、ライオンやトラ、クマまでもが飼育されている。間近で見ると、面白い。
 猛獣のいるエリアの入り口にはゲートがあり、時折、「DANGER」の表示が。ふと、『ジュラシックパーク』を思い出す。
 ライオンはみなそれなりに肥えている。オスライオンが見当たらないが、一番太っているヤツが、たてがみの抜けたオスなのかもしれない。
 クマは、カナダのものもいる。暑いのは苦手なのか、水に入っているものが多い。水から上がってくるクマの尻が見えた。毛が抜けているのか、水で毛の嵩が減ったためか、後姿が黒い豚の様に見える。

 次に、動物園などのエリアに入場する。
 動物園に入って、まず見たのはアシカのショーである。アシカは「Sea Lion」というらしい。ちなみに日本語の案内は一切ない。あるのはタイ語・英語・中国語・ハングルである。日本人はほとんど来ないらしい。
 彼らはサービス精神が旺盛であり、トレーナーも良くやっている。芸が面白い。
 平日なので小学生か幼稚園ぐらいの子供たちが集団で見に来ている。時々、子供たちの歓声が上がる。こちらの気持ちが和む。
 ショーが終わって、動物たちを見る。鯉のいる池では、餌を買って、やってみる。面白いように餌に群がる。
 欧米人の男が、鯉をつかまえようと、身を乗り出す。母はそれを見て、「鯉の方が粘膜をやられて、可哀相だから止めた方が良いのに」と心配していたが、捕獲には失敗していた。
 欧米人は羽目を外すと、こちらの予想を越えた、変な事をするように思う。以前、北京の京劇の劇場でも開演前の舞台に上がって幕の隙間からのぞきこんだのも、欧米人であった。シャレのつもりなのだろうか?
 他の動物も見て、時間を過ごす。
 カウボーイ・ショーをやっているというので見に行く。
 このパークでは、違うショーの時間少しずつずらしていていて、その間の時間に動物を見るということで楽しめるらしい。1日いても飽きのこない遊園地のようなところだ。
 カウボーイ・ショーはウエスタン・ショーといっても良いものである。間抜けな保安官が守る町に、女首領率いる強盗一味が襲いかかり、どこからかやって来たカウボーイなどが撃退のため戦うというシナリオである。ステレオタイプなような気もするが、それは笑い過ごしておこう。
 あるシーンでは、観客席の前列にまで入りこみ、保安官が強盗に殴られていた(もちろん、フリだけだが)。その際、血まみれの保安官と強盗が、観客の記念撮影に応じていた(というより、勧めていた)。サービスの一環なのだろう。
 前列の方では、馬や人があげる埃がくる。それだけ、観客に近いところで行なわれている。
 動物園で、こうしたショーを見るとは思いがけない事である。
 昼食をツルベと私たち家族とで取る。少し話もする。
 日本から来る観光客は大勢いるが、このサファリパークにはほとんど来ない事。
 台湾や韓国から来る観光客に人気があり、外国人観光客で多く来るのは彼らである事。
 今は平日なので、客の入りは少ないが、休日になると観客が非常に多い事。
 旅行会社の研修の一環で、日本に何回か行ったことがあるという事。
 タイからも海外に旅行する人は増えており、日本にも行く人がいる事。しかし、滞在費が高い事など。
 昼食後、再びパーク内を歩き回る。ワニも見るが、あまりやる気がなさそうにしている。水に潜ったまま、動かない。
 ココナッツジュースを売店で買う。ココナッツの実に穴を開けて、ストローで飲む。実の内側に、ココナッツミルクに膜がついており、それをスプーンでこそげ取る。美味しい。甘味はそれほどでないが、暑い中では良く冷えたジュースは何よりである。
 その近くには、オウムが大勢、枝に止まっている。何故か、騒ぐ時は連鎖的に一度に騒ぐので、ちょっとコワイ。集団心理か?
 イルカのショーをやる時間になったので、見に行く。それなりに面白いが、アシカに比べて、面白さは今一つである。
 アシカの方が全身を使って表現するのに対して、イルカは表現が限られるせいなのか。アシカの方がサービス精神旺盛なのか。それはよくわからないが。
 ここでも子供たちが喜んでいる。いいなあ。自分の子供時代はどんなだったっけ?
 ショーが終わった後、再び園内を歩き回る。
 次に見るショーは、「Spy Wars」である。中国語では「謀探戦争」と記してある。
 ショーを見てみると、「007」ばりのスパイアクションものである。世界征服を企む悪人と彼が率いる組織とを壊滅させるべく、主人公のスパイが活躍する。やはりお色気シーンもある(あからさまにはやらないが)。
 観客席に設けられたTV画面では、西欧人を使うが、実際の装置上ではタイ人が演じる。観客席と距離のあるところでは顔などが良く見えないから、うまく演出していると感じた。
 TV画面は他にも、例の悪人が全世界に向かって、TVを通じた声明を行なう際にも使用される。ただ、核兵器をコントロールするパネルをすりかえられたため、TVでの声明発表が途中で出来なくなり、「しばらくお待ちください」(と思われる)のコメントを出したのが笑える。
 それを、日本の戦隊アクションショーのようにやるのである。野外の装置を縦横無尽に、登場人物たちが動き回り、火薬の演出も凄い。なかなか騒がしい。
 楽しめたが、さすがに野外の30℃を越すところにい続けでは、体力を消耗する。疲れたので、園内を見るのはここまでにする。
 バンコクに帰る自動車の中、母と私は眠ってしまう。

 バンコクのホテルに帰った後、現地の食料品を見たくなって、ホテルを出てセブンイレブンまで散歩する。場所によっては数百メートルごとにコンビニがあり、過当競争のような気もするが、あついタイでは歩き回る気にならず、十分商売が成り立つのであろう。
 私は無難なものを購入するが、母が怪しげなものを購入する。
 ドリアンの羊羹らしきものも購入しており、ホテルに帰った後に「一つどう?」と勧められる。少し考えた後、職場に持って行く事に決める。同期のある人は美味しいものや変わったものに、多少執着するからだ。話のネタのつもりである。

泰緬鉄道

2002年2月24日
 1日ごとに、出発時刻が早くなっていく(6時朝食、7時頃ホテル発)。
 今日は泰緬鉄道に乗りに行く。
 映画『戦場にかける橋』で有名なヤツだ。クワイ川マーチとか。
 しかし、何だか日本人である事で、居心地が悪そうな気もする。

 クワイ川沿いにあるカンチャナブリ戦争博物館に行く。
 かつての捕虜収容所である長屋風の小屋の中に、展示物がある。
 要は、如何に突貫工事で造られた鉄道だったか、そのために連合国軍の捕虜などがどれほどの苦痛を味わったかといったことがテーマである。
 配給される食糧は不足気味で、人々はかなり痩せていたようだ。
 医薬品も不足しているため、疫病の予防もろくにできず、治療も難しい。麻酔なしで手術を行なったりしたらしい。
 アジア系の人々も動員され、連合国軍の捕虜以上に苦しんだはずだが、そのことを表現した展示物もない。工事中に亡くなった人の墓もないようだ。
 かつての捕虜だったという人間が描いた油絵もある。当時の状況を描いたという。
 疫病にかかって、体のあちこちが壊死する人。酷使される捕虜。死人の横でその分の食料配給を要求する捕虜。…。
 こういう展示は苦手である。中途半端に想像してしまうので、ぞっとするのである。

 クワイ川鉄橋の近くの駅へ移動。
 ここで列車を待つ。
 暑い。駅に冷房などないのである。気温は35℃くらいあるのだろうか。
 列車が来るまで時間があるので、鉄橋を渡る。
 母親は「怖い」ということで、途中で引き返した。レールなどの間から見える川面が、怖さを感じさせるのだ。
 クワイ川の上にいると、何となく涼しい気がする。
 鉄橋を多くの観光客が行き来するので、すれ違いが大変だ。レールなどに躓いたら大変だという考えが頭をよぎる。
 鉄橋の向こう側は、土産物屋が並ぶだけで、何もない。

 駅でいくら待っても列車が来ない。
 ツルベによると、途中の区間で工事があり、列車は1時間遅れるとのこと。
 それでも待っていると、遅れが拡大して、1時間半になるとのこと。
 仕方ないので、食事場所に行き、そこの最寄駅で列車を待つことにする。

 食事場所にバスで移動。途中、焼畑のためか、森林の焼けたあとを至るところに見かけた。山火事の後かと思ったが、違うようだ。
 食事はバイキング形式なのだが、食欲が湧かない。ここまで来ていながら何だが、パンやスープを食べ、バナナやパイナップルを口に運ぶ。食べられる時に食べないと、この暑さではまいってしまう。
 テーブルの上を、トカゲがうろちょろする。触るのはイヤだが、かわいいものである。

 駅で列車を待つ。小さな駅に列車を待つ観光客が大勢いる。
 日本でいう、一昔前の小駅という風情だ。ホームの高さも低く、地面の高さとさほど変わらない。レール幅も日本の在来線とほぼ同じなので(日本は1067ミリの幅に対して、タイなどは1000ミリ)、なおの事、日本の駅のように見える。
 15分ほど暑い中を待っていると、列車がやって来た。ディーゼル機関車の牽く客車列車である。
 なんとか進行方向の右側に座る事ができた。人の数が多くて、座れない客もいる。座席は指定ではないのだ。
 速度は案外、速い。時速60キロは出ているかもしれない。開け放たれた窓から吹き込む風が気持ち良い。
 ただ、川に張り出すように、木製の橋の上に敷設されている部分だけは、レールを軋ませてゆっくりと進んで行く。観光サービスなのかもしれない。列車が宙に浮いているようだ。
 田園風景の中も走る。赤土がところどころ露出して、暑苦しい。
 人家がほとんどなくて、どこに住んでいる人間が農耕しているのかと思う。
 バスが先行して待っている駅で下車。
 ところが、降車客を待たないで、列車を待っている連中がどんどん乗りこんでくる。文明人のすることではあるまい。
 私は駅舎のある方に降りられなくなってしまった。
 仕方ないので、逆の出口から降車して、客車の下をくぐり抜ける。
 抜け出ると、他のツアー客から拍手が。我ながら大人気ない事なのだが…。
 ズボンが少し汚れた。

 タイで最大の仏塔があるという寺院を見学。
 いい加減、仏塔には食傷気味であるが、大きさは本当にでかい。仏像がいくつも収められている建物が、仏塔を中心とする輪のようにつながっている。
 外輪部を一通り歩いて、内側の輪の中に入る。内側にも仏像が収められている。イスや机を収納した一角もある。僧侶が勉強する教室になるのだろうか。
 間近に見ると、仏塔の大きさをいっそう感じる。中にどうやって入るのか。また、小窓から鳩などの鳥が出入りするが、どうやって手入れするのか。小さな疑問は解決されない。

 バンコクに戻って、古典舞踊のディナーショー。
 相席になった他のツアー客が、妹と私を夫婦と間違えていた。母と妹は普通に親子に見えたらしく、私は奥さんの母親も旅行に連れて行く良い旦那さんということになっていたようだ。不機嫌さゆえに無口になっている局面もあったのだが、大人しく真面目そうなご主人という印象になったらしい。おいおい。
 そういえば、妹は私を「お兄ちゃん」などと呼ばない。そのことも誤解を招く一因になったかもしれない。
 古典舞踊は、よくわからない。事前にストーリーなどの説明があったから、辛うじてわかったような気になったが。
 一番わかりやすかったのは、剣舞である。ムエタイと同じように、二人の戦士が大地に祈りをささげて、実戦さながらの舞いを演じる。
 剣がぶつかると、火花を散らす。なかなかリアルである。最後は一方を倒して終える。
 ムエタイ見たかったなあ。

バンコク市内見物

2002年2月23日
 今日は主にバンコク市内観光である。
 今朝はやや早い。8時半頃ホテル発である。
 しかし、バンコク市内の渋滞は有名である。バスでは身動きが取れなくなってしまうので、船でチャオプラヤー川を移動する。
 隅田川の水上バスのようなものではない。大きさはそれよりふた回りは小さく、屋根とシートがついているだけである。
 エンジンが露出しているので、近くだと前のほうで何か言われても全く聞こえない。排気も風向きによっては、流れてくることもある。
 ただ、川幅が隅田川の2、3倍はあり、良い眺めである。水がもう少しきれいなら申し分ない。

 かつての砲台跡、現在のタイ海軍司令本部(?)が近くに見えてきたと思ったら、「暁の寺院」である。
 塔が全体に白く、中国製の陶器などで表面を装飾しているのがアクセントになっている。あまりに大きすぎて、写真に収めきれない。華麗なのだが、全体にスッキリしていて好きなデザインである。
 塔の辺りでウロウロしていると、猫がいる。シャム猫である。タイ(シャム)で見るとまた、趣がある。本当のところは知らないが、高貴な感じがする。個人的にはペルシア猫より好きである。

 次は、水上マーケットへ。川の支流入ると、下町というか裏町という風情の街並みになる。川がそのまま道路であり、生活空間の一部なので、乗り物に乗って街歩きをしているような感じだ。
 物売りが寄ってきてうるさい。なぜか頭が痛くて、機嫌が非常に斜めである。とりあえず寝たい。
 折角寝ているのに、写真撮影を強要される。買わないのに。
 水上の土産物屋に入るが、何もすることがない。
 幸い、母親が風邪薬と頭痛薬を持っていたので、症状が随分と軽くなった。ありがたい。

 「エメラルド寺院」に行く。タイ王宮に隣接している。
 塔などが青いガラスで装飾されているので、「エメラルド寺院」という。
 塔は幾つもあり、金箔で装飾されて金色に輝いているものもある。暑い中なので、金色がなんとも暑苦しく感じるのは私だけであろうか。
 塔などが並ぶ中に、アンコールワット遺跡の模型もある。良く出来ている。
 季節毎に着るものを変える仏像もあり、拝んできた。大勢人がいて、大変だ。 昨日のアユタヤの王宮もそうだが、内部では土足禁止。スリッパの用意はない。靴下は洗えば良いし、足が解放されて案外気持ち良い。
 欧米人の女性が、熱射病のためか横になっている。床は大理石なので、暑い中では少しは気持ち良いだろうか。

 昼食はタイスキを食べる。しゃぶしゃぶのようにして、野菜や魚介類を食べるのだ。最後は雑炊になる。なかなか美味い。
 どうやって食べるのか、ちょっと戸惑うが、店員の女性がせっせと用意してくれるので助かった。

 午後は免税店めぐりになる。こういうところは苦手である。
 程度の差はあれ、店員などが声を掛けてくるのが苦手なのだ。もう少し落ち着いて見たいのだが。申し訳ないからといって、買物するわけにはいかない。

 夜、何故かニューハーフショーを見に行く。私としては、ムエタイを見に行きたかったが、女性(特に母親や妹)には勝てない。
 自分が非常に場違いなところにいる気分がして、居心地が悪い。
 結果は…。案外楽しかった。
 結構きれいだし。女性がやっていると言われてもわからなかっただろう。
 男性版宝塚歌劇団と思えば、良いだろう。ただ、外見をどうにかしないといけないので、女性が男を演じる宝塚歌劇団より大変だ。
 しかし、シャレなのか、着物もどきの服を着たのが出てきて、ソーラン節はちょっと引いてしまう。しかも、ハスキーボイスだし。
 結構前の方で見ていたから、近くに来たらどうしようか、ちょっと不安。現に前列の人のところには、ニューハーフの人たちが近寄ってきていたから、他人事ではなかった。
日本以上に性に対するタブーは多かろうに、よくやっていると思った。本人が楽しく生きられ、周囲も楽しければ良いのだけれどね。

アユタヤへ

2002年2月22日
 夜遅く着いたから、昼近くの出発である。
 今日はアユタヤに向かう。

 バスは強力に冷房をかけている。
 暑いところだから快適ではなるが、寒く感じる事もしばしばだ。長袖のシャツが便利だ。もっと暑かったらマズイだろうが、上に着ているシャツの下はTシャツなので、まあ良いだろう。

 タイは自動車を多く見かける。
 1970年代後半から80年代前半の日本のような状況に、今風の自動車や環境が入りこんでいる。高速道路は立派なのだが、地下鉄などの公共交通がよく整備されていない。沖縄もそうだったが、大変だなあ。
 自動車、特に外国車は、税金が高いという話だが、多数の外国車が走っている。
 ダイムラーのマーク入りの自動車・バスはもちろん、トヨタ・いすゞ・三菱などの日本車も多く走っている。
 バンコク空港から、日本企業の大きな広告を見ている時もそうだが、日本に関するものをモノで見てどこか安心している自分がいる。そのことにふと気がついた。
 モノ以外に何かないのか。モノだけでも存在感を示せるだけでも、まだ良い方なのか。

 アユタヤのバンパイン宮殿。アユタヤ王朝の宮殿を、現王朝が継いで離宮のようにしてしまっている。日本の、京都御所か那須御用邸とかみたいなものか。
 王宮内にある建物は、統一された様式はない。欧風建築が多いが、中国風建築もある。その時々の王様が趣味で造ったようだ。
 「この先に緑色の象がいますよ」とツルベが言う。
 皆、先へ歩いていくと、象の形に刈り込んだ木がいくつも庭園に配置されている。確かに緑色の象だ。きれいだ。
 家族は深緑色の象がいるのだと思っていたらしい。私も同様だ。

 外にいるとさすがに暑く、熱が体に篭ってきた。長袖のシャツを脱いで、Tシャツになる。
 でも、バスに戻ってしばらくいると、やや寒い。
 昨日の疲労も残っているから、バスでは結構眠ってしまう。

 日本人町の跡というのにも行く。
 といっても、山田長政らの時代だから、相当前であるし、痕跡はほとんどない。
 あるのは、石碑や公園風に整備された跡地、土産屋の「山田家」だけである。
 公園の奥を、大きな川が流れている、バンコクに続くのだろうか。
 土産物屋はイヤなので、川を艀を連ねた船が、いくつか往来しているのをボケ―ッと見る。蝉がやかましく鳴いている。日本とは違う鳴き声だが、夏を彷彿とさせる。

 アユタヤは古い町である。アユタヤ王朝があったこともあり、寺院が沢山ある。かなりの数の寺院がミャンマーとの戦争によって荒らされて、そのままになっている。
 ちゃんと残っている寺院では、塔に上ってみた。急な階段だが、上るにはさほど苦にならない気がした。
 眺めは素晴らしい。塔の周囲を同じような仏像が囲んでいる。五百羅漢状態である。
 塔内部の天井には、コウモリがたくさんぶら下がっている。塔の内部だか下には仏舎利(釈迦の遺骨)が安置されているとされているが、何もなさそうだ。
 他の寺院でも、塔の小窓から鳩が出入りしており、西アジアの方によくあるというピジョンハウスを連想する(肥料になる糞を取るために用意する鳩の家)。
 塔からの眺望を堪能した後、下りようとして足が竦んだ。上りでは意識していなかったが、高さが意外にあるし、階段の傾斜も急なのだ。
 下りた後、改めて塔を見てみる。大きさ・高さともにすごいのだが、やや傾斜している。地盤が軟弱なのか、作った年代が古かったため建築技術が未熟だったためなのか。
 
 象にも乗った。
 二人一組だが、人数の関係で私は一人で乗る。
 乗り心地は良くない。象が一足踏み出すごとに揺れるし、一人で乗っているせいか安定しない。いまどきの乗り物のようにはいかないようだ。
 それにしても昔は、象に乗って戦争なんかよくできたものだと感じた。大きい動物だから、今の戦車とか装甲車のような感覚だったのか。
 変わった体験ができて面白かった。
 母親と妹は、一緒に乗ることができた。彼女たちも象乗りを堪能したようだ。カメラ持ってくりゃ良かった(持ってないけれど)。

 夕食を、途中のホテルのレストランで食べる。なぜかカラオケもやっていて、それがうるさい。
 タイ人女性が「川の流れのように」とか「知床旅情」を歌っている。
 日本人客がいるから、ウケ狙いなのだろうか。こちらにすれば迷惑なだけなのだが。これがウケるという思いこみは勘弁してほしい。

 バンコクに帰る際、オプションで申し込んだタイ式マッサージをやってもらう。
 足を洗ってもらってから、用意された個室で着替えて、寝転がってマッサージしてもらうのである。
 移動の疲れが溜まっていたのか、やってもらう内に眠くなってくる。
 マッサージ師の女性は、苦戦していたようだ。
 「カタイ、カタイ」と言いながら、いろいろマッサージしてくれる。若くて体力はあるだろうに苦戦するとは、我ながら体が結構固いようだ。
 マッサージ師の女性は、私の体を伸ばしたり揉み解したり、うつ伏せになったところを全身の体重をかけてみたり、体をひねって見たり、海老反りにしてみたりと、いろいろ試みてくれた。
 お疲れ様です。

 ホテルに着いて、一風呂浴びると、すぐ眠りについた。

タイへ出発

2002年2月21日
 11時半頃、職場から抜けさせてもらい、旅行に出発。
 今回の目的地はタイである。
 案外楽しみにしているのも事実である。

 千葉の実家に一度立ち寄って、着替えをする。
 暑い国に行くのだから、チョッキ・ジャケット・コートなどという重いものは荷物になってしまう。
 断水中のためもあり、ロクなものが食べられなかった。

 成田第2ターミナルビルに向かう。改札が二重になっており、自動改札機では切符を回収されない。勘違いして切符を取らずに通り抜けたら、二つ目の改札(有人)が目の前に。どうしよう。
 幸い、女性客が「この切符ですか?」と切符を渡してくれたので、助かった。
 しかし、明らかに自分の切符ではない。
 ま、いいか。

 チェックインなどを済ませて、飛行機の搭乗手続きを待つ。免税店や売店が何軒かあるだけで、そのうち飽きがくる。
 飲み物を調達する。

 18時過ぎ発の飛行機で、バンコクへ。
 今までの飛行機旅行で、一番窮屈な思いをしたような気がする。エコノミーだから仕方ないが、座席の前後間隔が狭いのだ。テーブルを出していると、前の客がシートを倒してきたりして、窮屈に感じる。
 エコノミークラス症候群に本当になりかねない。今回は何で窮屈さを特に感じるのだろう?
 機内食は好きである。国内線では味わえない。
 飲み物は機内でも結構配ってくれるが、自前のものもあった方が安心できる。

 タイに入ったようだ。
 夜景が何となく、オレンジ色っぽい。電球が多いのか。それともオレンジ色の街灯が多いのか。どことなく、懐かしさのようなものを感じる。

 バンコク空港着。現地時間は23時ごろなのだが、日本時間では翌午前1時である(2時間の時差)。
 ターミナルビルに直結していないので、構内バスで移動になる。
 やはり、暑い。日本のような蒸し暑さはないが、もわっとした空気を感じる。

 現地のガイドが出迎えてくれる。
 名乗った名前が「ナンベ」と聞こえる。妹と母親によると、「ナルベ」ではないのかとか、「ッ」が入るのではないかとも。
 後に私たちの間では、「ツルベ」と通称する事になる。某芸能人には全く似ていないんだが…。
 
 バスでバンコクに向かう。
 バンコク市内の交差点で信号待ちをしていると、象が交差点を横切るのに出会う。
 う〜ん、タイだなあ。
 尻尾に、小さなテールランプを付けている。

 ホテル着。もう翌1時ごろである。
 メナムホテルという。「メナム」はタイ語で「川」の意味で、チャオプラヤー川沿いに立地している。日本人がメナム川と呼んでいる川である。
 ホテルはやや古いながらも、そこそこ快適である。
 すぐに寝入ってしまう。

関西よりの帰還

2002年2月10日
 起床。容態はやや安定する。
 寒いし、具合は悪いしで、何だか巡り合わせの宜しくない旅行になりそうな気がしてしまう。

 朝食は和風だ。
 関西であるためか、納豆が置いていない。
 その代わりなのか、ヨーグルトが置いてあった。
 発酵食品は、関東の専売特許ではなく、むしろ関西の方が先輩格ではなかったか(鮒寿司など)。

 とりあえず、通天閣に行く。
 私は行ったことがない。
 周囲は案外、普通の街である。
 見晴らしは結構良いようだが、あいにくの天気で今一つな気もする。

 通天閣の後、近くの阪堺電車で浜町公園へ、そこから南海電車で難波に行き、さらに御堂筋線で梅田へ。
 阪堺電車は良い。私は、路面電車が好きだ。街を眺めるのに適当な速度で走ってくれる。乗客が顔見知りなことも良くあるらしく、違う停留所から乗ってきた年配の女性が、乗客の一人と話しこんでいたりする。
 南海の浜町公園は辰野金吾(東京駅などの設計者)の設計と聞いたが、どうだったか。こぢんまりとしているが、上品にまとまっている。
 御堂筋線は、駅の天井がドーム型でゆとりが感じられるなど、ちゃんとした構想をもって事業にあたった気構えが感じられる。東京で(日本で)最も最も古い地下鉄は、銀座線(上野・浅草間)だそうだが、比較して見るとその差は歴然である。役人と民間との差だと言われればそれまでだが、役人が作ったものでも御堂筋線ほどの立派なものをというのは少ないだろう。

 梅田からは阪急で新開地へ。
 速度は結構出ているのだが、揺れが少なく、乗り心地も良い。そのギャップを感じて、変な気分になる。
 新開地から神戸電車で三田へ。
 普通の郊外電車なのだが、結構急な勾配をぐんぐん登っていく。鉄道に詳しい同行の友人によると、もっとも急なところで50‰(1000分の50)だそうな。
 山肌にへばりつくようにして、団地・マンション・住宅が並んでいる光景もしばしばである。香港には行った事はないが、こんなだろうか。
 阪神淡路大震災の際は、阪神間の迂回ルートとして機能したこともあったことをふと思い出す。
 三田からはJRで大阪方面へ。途中、武田尾という駅で下車する。ほとんどトンネルにおさまったような駅だ。トンネルに入りきらない部分も、川に突き出すようにして高架上にある。
 川沿いを少し、歩き回る。温泉宿が近くにあるが、2軒ほどしかない。あと、川に沿って桜が植わっていたりする。春から秋にかけて、花見・川沿いのレジャー・ハイキングなどのシーズンになるのだろう。今はシーズンオフらしい。印象に残る駅と周囲である。
 武田尾からJR東西線方面へ。
 京阪電車の広告「京阪乗る人 おけいはん」というのが気に入った友人が京阪電車に乗りたいと言い出したからだ。
 京橋で京阪電車に乗り換え。
 京阪特急に乗って、丹波橋まで。さすがに疲れてきて、居眠りしてしまう。乗り心地は良かったが。
 丹波橋から京都まで近鉄電車で行き、京都駅で土産物と夕食の弁当を購入。500系のぞみで東京へ。
 全体に鉄道三昧の旅になったが、それなりに面白い旅行になったと思う。神戸電車と武田尾駅が印象に残った。
 何より、自分で自動車を運転するストレスから解放されて、自由に動き回れる事が嬉しい。

姫路城へGO!

2002年2月9日
 いよいよ、関西旅行の日になった。
 体の具合は今一つだが、やむを得ない。
 二人の友人と行くのだが、うち一人は仕事の都合で現地集合となる。
 もう一人の友人と待ち合わせて、東京へ。
 東京からは、新大阪行き「ひかり」で行く。
 この「ひかり」は、「のぞみ」と停車駅は同じ(名古屋・京都)なのだが、速度を落としてあるらしく、所要時間がややかかる(東京発10時26分、京都着12時59分。「のぞみ」だと東京・新大阪間2時間半)。商売だなあ。

 京都からJRの新快速を利用する。
 近畿圏の在来型鉄道では、速さが圧倒的である(最高速度130キロ)。
 乗っていると、本当にギリギリまで走っていますという感じがして、気持ち良い。
 運転士の性格も、列車によって変わるのだろうか?まるで走り屋のようだった。
 やたらと警笛を鳴らすし、運転中に体を揺するし…。
 『電車でGO』というゲームを連想した(適切なところで警笛を鳴らすと、ボーナスポイントがつく)。
 いくら速いとはいえ、京都から姫路まで1時間半は、結構乗りでがあった。

 到着後、姫路城まで歩く。しかし、西に来ているのに、なんで寒いのだろう(最高気温が10℃に届かなかったらしい)。
 姫路城はとても大きい。そればかりでなく、高低差もある(平山城である)。
 見学順路は、なるべく全部を網羅しようとして、一筆書きのようになっている。所要時間は90分とある。おいおい。
 しかも城は戦いのためにあるものだから、まっすぐ素直に天守閣まで行く事が出来ない。やたらに曲がりくねった道のりになる。
 おかげで元の場所に戻った時には、そこが元の場所だったかわからなくなっていた。

 大阪まで、山陽電車の直通特急を利用する。
 スピード感はあるのだが、JRにはなかなか敵わないらしい。
 「おや?」と思ったのは、昼間だから室内の照明を消してしまうことである。
 これは他の民鉄線の電車でも体験するのだが、本を読む人間にはちょっと暗いような気がした。
 梅田で、さらに友人を一人を拾い、宿に向かう。

 夕食を道頓堀の方でとろうということになり、地下鉄で向かう。
 道頓堀・かに道楽・くいだおれロボ・フグのはりぼて…。典型的なミナミの光景と言っても良いだろうか?

 私もそうだが、優柔不断というのはどうしようもないもので、数十分歩き回って食事場所を決められずにいた。
 しまいには、宗右衛門町に迷い込み、客引きの兄ちゃんたちに声を掛けられまくる。
 食事をしたいだけだし、人の様子を見て判断して欲しいものだと思ったが、無理か…。
 結局、中華料理屋で食事になる。

咳をしても独り

2002年2月7日
 何故か、風邪を引いたようだ。
 火曜日、喉の調子がおかしかった。
 水曜日、喉が少し痛くなり、頭が重くなってきた。
 そして、今日。
 頭が痛く、咳をするととても喉が痛い。

 というわけで、今日は仕事を休んだ。
 閑職だからこそ出来ることであろう。
 しかし、退屈だ。
 体の調子が今一つだから、外に出るわけにはいかないし。
 頭痛薬でも欲しいが、近くに薬局あったかな?

大丈夫だろうか?

2002年2月6日
 昨日より、体の調子が今一つである。
 喉に何かが詰まったような、変な違和感がある。
 今日は、頭が少し重くなり、喉も少し痛い。
 そこで、1時間早く帰る事にする。

 しかし、用足しもしておきたい。
 中心市街地にある、安い床屋で髪を切る。昨年末から切っていなかったから、頭が軽くなったような感じだ。
 次に、駅を通りぬけるついでに、土日の旅行の切符を購入。当地から姫路までだと、601キロを超えるので、往復乗車券ができる。往復乗車券は往路・復路ともに、一割引になることを、窓口の案内で知った。
 得した気分である。

 何とか帰りついたら、頭が痛いし、咳をすると喉は痛くなるしで、ちょっとひどい状態に。
 風呂も入らず、さっさと寝床に就いた。
 ご存知、『ハムレット』である。
 読んだ事はないが…。

 旅行は行きたい。
 しかし、当座資金の範囲内では、不可能である。
 欲望が勝つか、理性が勝つか…。

 欲望が勝った。

旅行熱

2002年1月23日
 さて。
 来月に、友人たちと新年会代わりの旅行をしようと目論んでいる。
 目的地は大阪。
 前回、鉄道を使えなかった不満を解消したいというのもあるが、やはり京阪神間の鉄道は堪能しておきたい。街歩きとセットにするのは言うまでもない。
 さあ、今度こそは(何が?)。

 と思っていたら、母親からメールが届く。
「来月下旬頃、海外旅行を検討している。目的地は中国南部(黄山など)かタイを考えている」といった内容だ。
 予算がきついな。

 更に追い討ちをかけるように
「3月はじめの土日に、琵琶湖周辺の旅行を行なうようだ」との情報が、知人からもたらされる。

 ええと。
 2月中に大阪周辺を旅行し、海外旅行に行き、3月に琵琶湖か…。
 完全に自分の資金力を越えている…。
 どうせよというのだあ〜。

疲労蓄積

2002年1月20日
 芸の無い、タイトルですな。

 民宿の朝食。
 カニご飯・カニ汁など。
 最後までカニ尽くしだ…。
 これだけ食べれば、飽きるようなものだが、感じる美味しさに変わりがない。
 出発しようとすると、お土産に、牡蠣ご飯1パックとカニを1ハイとを、一人一人に貰えた。
 牡蠣ご飯は、後で夕食に食べたが、とても美味しく感じられた。

 丹後半島の海岸沿いをクルマで回り、天橋立に向かう。
 天気に恵まれて、冬の日本海というのに、厳しさはさほどに感じられず、美しいと感心する。
 途中、立ち寄った海岸などで、意外に時間を費やして景色を堪能したりしたため、時間の経過が多少気になる。
 この懸念は、後で当たる事になるのだが…。

 天橋立で、股覗き(股の間から橋立を見る)を何回かやったので、頭に血が上り、ボーっとしてしまう。
 面白かったけれどね。

 舞鶴経由で帰路につく(高速道路を使えば少しは所要時間短縮になると判断したため)。
 自動車は意外に時間を食う乗り物である。

 結局、東京に付いたのは翌午前1時過ぎだったろうか。
 結構、大変な旅になっているなあ…。

 全般に、友人たちと久し振りで旅行し、話し、一緒に行動し、楽しい旅行ではあった。

クルマゆえに

2002年1月19日
 良い事も悪い事もあります。

 良い事
 仲間同士で楽しく、旅行できる。
 行動に融通が利く。

 悪い事
 時間にルーズになる。
 疲労度(特に運転者)が大変なものになる。
 安全の確保が大変。

 てなわけで。
 友人と楽しく話しながらの旅行は、良いものである。
 しかし、途中、T槻で合流する友人が、遅れて来たのは少々参った。
 駅前広場で、バスの出入りが激しいからなあ。

 出石で蕎麦を食べ、久美浜で温泉に浸かり…。
 しかし、風呂に浸かりながら、狂牛病の話に興じる我々って、一体…?
 民宿で、カニが沢山出てくる夕食を摂る。
 松葉ガニが一人につき一ハイずつ出てきた。
 それはほんの序章で、焼ガニ・焼牡蠣・カニ鍋などなど。お腹いっぱいを通り越すような量である。
 味そのものはとても良く、これほど美味しいカニや牡蠣は食べた事がないと思えたほどではあったが。
 朝起きて、いつものとおりパソコンをONにしたら、Explorerのアドレスが不当だとのエラーにより、メールも読めない状態に。
 何だか、腹が痛くなってきた。

 1時間遅れで職場に出勤。
 具合が今一つ宜しくない。

 今日は案外忙しい。
 現場作業などに行く人間が多く、早めに帰ろうと密かにたくらんでいたのが、あっけなく潰えてしまう。
 それでも私はめげない。
 上野まで特急を使い、18時40分には上野の森美術館に行く事ができた。
 ニューヨーク現代美術館の所蔵品の展示を見るためである。
 印象に残ったのは、マルグリッド(で良かったか?)の「カーテンの宮殿」「旅の記憶」、ダリの「時の記憶」(これもうろ憶えだ)などであろうか。
 あまりにも抽象的なのは、よく理解できなかったが…(「トラファルガー広場」など)。

 かねてより、今夜遅くに、友人たちと丹後方面に旅行する事になっている。
 身支度を整えて、呆気に取られる家族に一声掛けて、出発する。
 友人のクルマで、行くのだ。

なんだか変だ…

2002年1月16日
 体調がおかしい、変だ。

 ここ数日、気分が妙に昂ぶっている。
 職場では変に緊張するし、何も無いのに疲れるし、気分が少し悪くなる事も…。
 本を読むペースは、比較的易しいジャンルを含んでいるためか、速くなっている。
 音楽を聴いていると、溜まらない気分になる。気に入っている曲なのに、聴いているとそうなる。場合によっては、胃腸がキリッと痛いような気もする。
 早く寝よう。
 ♪ビジネスマ〜ン、ビジネスマ〜ン、ジャパニーズ・ビジネスマ〜ン
 何だか、ハイだな、我ながら…。

 前夜の宿直から考えると、24時間職場に居たことになる。
 眠い、だるい、疲れた…。

 C県の実家から前日の夕方、宿直のため、職場に直行。
 仕事始めも無事終わり、夕方、実家に直接帰る。
 平穏に年が明けました。

 夕方、トロトロと眠っていて、変な夢を見る。

 時代劇である。
 自分が腕利きの浪人になっている。
 ある藩だか家中の若侍が何人か出てきていて、お家の中の不正を正そうと動いているのだが、若侍にありがちな融通の無さである。
 そこで、浪人である自分が
「何?上役に注進しただと?何をやっているのだ!そんなことをしたら、あやつらも一味だから、お前ら刺客を差し向けられるぞ」
などと若侍に怒鳴っている。
 そこへ、心配が的中して、何時の間にか刺客が何人も取り囲んでいる。
 仕方ないので
「ここは俺が引き受けた!お前たちは、この場を逃れよ」
 と叫んで、立ち向かう。
「しかし…」
「ここでお前たちが死んだのでは元も子もない。それに…」
 お前たちの腕では足手まといになるという言葉は飲み込んで
「何でも良いから、早く退却するのだ!」
 と怒鳴って、刺客たちに立ち向かう。

 といった、ありがちなシチュエーションでした。
 どこかで、そんな時代劇なかったけ?
 朝比奈隆が昨日亡くなったとのニュースが、新聞の一面に。
 指揮者としては現役最高齢だそうな。

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