カルミナ

2002年11月26日
 良い曲も、聴き方を間違えると良くないことになるようだ。

 職場の同期との会話。
「『カルミナ・ブラーナ』どうだった?」
「……精神状態が少し悪化してさ」
「なんで悪化するんだ!?」
 歌詞を見せてもらって、少し納得する。
 冒頭と最後の曲が、K1の入場曲に使われるらしいのだが、ちょっと深刻なのだ。
 全体を通して聴けば悪くなさそうな歌詞なのだが…。

 帰りがけの会話。
「今日は精神状態が……」
「お疲れ様でした」
「電話を受けながら、机に軽い蹴りをガンガン入れてさ…」
「……それは電話の内容のせいでは?」

オルフ

2002年11月25日
 久し振りに日記を書く。

 退勤後、職場の同期とクラシックのCDを購入しに行く。天気はいま一つ。
 目的のものはオルフという作曲家の作品で『カルミナ・ブラーナ』という。
 なんでも、K1の選手の入場曲で流れていたのを聞いて、気に入ったのだそうな。
 地方の店なので、正直、期待していなかったのだが、3点見つかった。案外、有名な曲らしい。
「この曲は、深刻な状態になったヤツが、壁をガンガン叩きながら歌いそうなイメージの曲だ」
 と同期のヤツが言うのだが、曲の内容にちょっとふれた小冊子(CDはドイツ・グラモフォンのシリーズなのだ)を見ると、「中世の庶民の生活を、修道士が歌った世俗曲である」といった説明がある。
 だから
「これってさぁ、ビール飲んで陽気になったドイツ人が肩を組んで、壁だのなんだのを叩きながら歌うんでないの?」
 と言ってみたりした。

そういえば…

2002年10月7日
 今年は随分、旅行をしている

 1月中旬 丹後半島
 2月下旬 タイ
 3月初頭 琵琶湖周辺
 6月末  屋久島
 7月下旬 信州
 9月初め 名古屋・浜名湖
 9月下旬 北海道

 旅行記を書きたいところだが、面倒になっている。
 どうしたものか…。
 ちなみに10月は「神在月ツアー」と洒落てみようと考えている。
 芸の無いタイトルですが、止む無し。

 朝4時半起床。
 早朝特有の寝不足感の上に、昨日の疲労感が残っているので、体が重い。
 でも、「縄文杉に行かねば」という気持ちが強く、頭は案外、クリアである。

 何とか身支度を整え、ホテルを出発。朝食と昼食の分の弁当を、フロントで貰う。
 最寄のバス停で、登山口行きのバスを待つ。
 天気は相変わらず、曇りがちな空模様だ。
 登山口行きのバスは1往復のみなので、逃すと行き来する手段が、タクシーやレンタカーになってしまうのだ。
 まだ少し時間がある。H氏などは、貰った弁当を早速食べている。
 そうこうしていると、バスが来る。割と普通な大きさのバスである。

 バスは山にどんどん入っていく。
 植物が繁茂していて、山深さを感じる。南方のためか、羊歯が大きく、茂っているのが目につくような気がする。
 途中までは道幅も広いのだが、三股の分岐から、小型車同士でもキツいくらいの、すれ違い困難な道に入っていく。対向車が来たら、どうするのだ?
 と思っていたら、本当に対向車が来た。しかもマイクロバスである。
 しかし、あちらも心得たもので、すれ違いができるところまで後退する。
 見た目はかなりキツく、ギリギリな感じだが、すれ違えた。
 さすがである。

 登山口に到着。
 この時点で、6時半過ぎ頃であろうか。
 改めて、バス停で帰りの便を確認する。17時出発である。大丈夫だろうか。
 一応、携帯電話も持って来たが、圏外になっていて用をなしていない。
 6時50分頃に歩き出す。

 縄文杉に行くには、まず森林軌道を歩いていく。
 屋久島の山の登山道・遊歩道は名ばかりで、すれ違いが辛うじてできるくらいの幅しかなかったり、きつい道が結構あると聞いていたが、とりあえずは足慣らしができるような道みたいで良かった。
 しかし、軌道は枕木があるので、案外歩きにくい。
 たまに枕木の上に長い板を渡しているので、歩きやすさには配慮しているところもあるようだ。
 軌道自体、素人目にはレールが歪んでいて大丈夫かと思われるのだが、旅客を快適に運ぶのでなければ大丈夫なようだ。

 私たちの歩くペースは、なぜか速い。
 Y君の体力を危ぶんでいたのだが、彼の足取りは軽い。
 いつの間に鍛えたのだろう。
 前方を歩いている集団を、どんどん抜いていく。
 前の人たちはやや遅目の抑えたペースで歩くのだが、私たち3人は先頭の人間のペースに引っ張られるようにして歩いているものだから、ハイペースで推移している。
 森林軌道が終わって大株歩道の入り口に着く頃には、本当に誰もいなくなっていた。おそらく我々が、その日のトップだったのではあるまいか。

 大株歩道から、急にキツくなる。
 上りが急である。
 岩や木の根の入り組んだ状態で足場も悪くて、足がかりに困る事がたまにある。この状態からすると、森林軌道は天国である。
 一見すると、沢というか浅い川になっているところがあるのだが、これも道だった。木の枝に赤いテープの道しるべがぶら下がっている。
 たまに階段が設置されているが、これも非常に急であり、足にかなり負担がかかる。H氏はこの階段でかなりダメージをくらったようだ。
こんな状態なのに、Y君の足取りは妙に軽い。ドーピングか?

 夢中でひたすら歩いている。頭の中には縄文杉に到達することしかないような感じだ。
 途中の翁杉の存在を見落としたくらいだ。
 でもウィルソン株や夫婦杉などは、ちゃんと見た。

 まだ続くのか?
 と思っていたら、展望台が目の前に出現する。
 縄文杉観察用の展望台だ。
 着いてみると、あっ気ないものだ。
 9時50分頃到着。思ったより早く到達できたことも、あっ気なさを感じさせる。
 もちろん、相当にきつかったのだが。
 縄文杉はさすがに森の王らしい、堂々たるものだ。
 近寄ることができれば触れてみたいところだが、そうもいかない。展望台は、縄文杉の傷み(特に根)を防ぐために柵がめぐらしてあるのだ。
 それでも、縄文杉の大きさは感動的だ。
 風格に感動し、雰囲気にひたり、写真撮影をし…。
 一番乗りの特権で、眺めを独占、満喫した。
 そうしていると、人の歩いてくる音や話し声が近付いてくる。
「敵だ(笑)」
 そうH氏が言い出したのを機に、我々は来た道を帰ることにした。

 帰り道、少しはゆっくり歩いても良いのだが、3人が引っ張り合うようなペースが持続する。
 途中で追抜いて行った人たちに出会う。
 「速いねえ」「若いねえ」「あとどれくらいで着けるかなあ」
 声を掛けられることはしばしばあったが、似たようなコメントだ。
 すれ違った、とあるグループのガイドから
「ウィルソン株のところにリタイアした人が一人いるので、できたら『他のメンバーは縄文杉まで行ってから帰ります』と伝えてもらえますか」
と頼まれてしまった。

 帰る途中は、少しは緩やかにしようとしてみた。
 夫婦杉の写真を撮ってみたり、翁杉の存在に気がついてみたり。
 行きでも見たが、帰りにもヤクシカを見かけた。人間を恐れていないようだ。 H氏が
「多分、あいつらの中では人間は『エサにもならんし、役に立たないヤツらだ』という感じでしかないんだろうな」
と言っていたが、それは同感である。

 小杉谷作業所跡の休憩所や橋梁を越えて、森林軌道を歩き続けていると、前方に年配の男性が歩いていた。
 我々より早く縄文杉に到達していれば、もっと前に会っていただろうが、そうではないので、さっきのガイドの人が言っていた人のようだ。

 登山口に到着。
 13時前後だったろうか。
 6時間強ほどで往復してきたことになる。
 この体力は誇っていも良いと思うのだが…。
 帰りのバスは17時なのにどうしよう。
 携帯電話も通じないから、タクシーも呼べない。
 公衆電話もないのである。
 と思っていたら、タクシーが一台止まっている。
 先ほどの男性のためのものらしい。
 そのタクシードライバーに頼んで、別のタクシーを呼んでもらうことにする。 しかし、この辺では無線も通じないので、呼べるのは三股の辺りになる。それからクルマが安房から向かうので、来るのに40〜50分かかると言われる。
 それでも良いと思い、呼んでもらうことに。ラッキー!
 さらに、私たち以外にも、バスでやって来たような女性が一人、登山口に戻って来ていて、便乗を求められる。
 タクシー代が更に安くなるので、これまたラッキー!!

 40分ほどして、タクシーが来る。
 乗ってしばらくすると、雨が本格的に降り出す。
 辛うじて天気にも恵まれていたのだ。
 天気が良すぎても日差しに悩まされるところだったし、雨にもやられなかったので、これもラッキー!!!

 ホテルに帰りついたのは、15時前だったろうか。
 フロントでキーを受け取り、屋久島警察署に電話する。登山届通り無事に帰ってきた事を連絡するためだ。
 縄文杉を見るという再優先目標を成し遂げた我々は、満足だった。
 3泊4日の日程は余裕を見たためだが、大目的を達したので、余禄になった。
 明日は屋久島を見て回ることにする。
 そのため、レンタカーの予約もした。
 今夜はゆっくり眠ろう。

屋久島へGO!

2002年6月27日
 やっとというべきか、屋久島旅行出発である。

 羽田空港で、H氏やY君と待ち合わせ。
 Y君は飛行機にあまり乗ったことがないようだ。私たちが着く前に到着した空港に彼は、さっさとチェックインしていた。早っ!

 鹿児島空港から鹿児島市内へ。暑いですな。
 天文館での昼食。黒豚料理である。私は角煮、二人はとんかつである。美味だ。
 「白熊」は食べられなかった。腹いっぱいだし。
 食事後、市電で桟橋近くまで移動。屋久島行き高速船乗り場に向かう。

 ところで、H氏は、写真に撮られることを嫌っている。
 「人物画はいらん」とのこと。面白くない。
 風景を中心に撮る。
 乗り場から撮影した桜島を手始めに、船中から開聞岳など。

 船から見た屋久島は、山が海に迫っている。島らしい島である。
 山がちな島らしい島に、雲のかかっている景色が、期待を膨らませるような気がする。冒険にきているようなワクワク感があるのだ。

 屋久島に到着。
 船で行くと、距離感を感じられて、来たんだなあと実感できる。たとえそれが高速船であっても。
 到着後、港からバスでホテルまで移動。
 そういえば、ホテル最寄のバス停は何というのだろう?
 安房というところにあるから、適当で良いか…。
 と呑気に構えていたら、30分ほどして、宿泊場所と思われるホテルの看板が、通りすぎる。
 慌てて、次のバス停(合庁前)で降りて、歩いて引き返す。合庁とは合同庁舎のことであり、さすがに島なので小さな建物である。町役場程度か。
 安房というバス停は、合庁前の更に先だったので、危ないところだった。
 ちなみにホテル最寄のバス停は「中央」という。合庁前の一つ前である。

 ホテルにチェックイン。
 その際、今後の予定を聞かれる。
 翌日に縄文杉まで登山する予定だと告げると、登山届を用意される。
 記入しながら、朝食の話になる。早朝の乗合バスにて出発(5時半頃)だと話すと、朝食が用意できないといわれる。その代わりというわけではないが、弁当を用意できるとのことなので、注文する。1食につき550円。昼食の分も頼むことにする。
 部屋で一息ついた後、翌日の食料兼おやつと飲み物を買出しに行く。
 夕食は屋久島特産のものを使った料理が出てくる。トビウオの姿揚げが目を引く(「羽の生えてらっしゃる方が…」とは、Y君のコメントである)。
 品数も量も、旅館にありがちな豊富さである。美味しいのだけれど、圧倒される。
 入浴後、部屋でゆっくりくつろぎ、早めに就寝する。

少しずつ…

2002年6月6日
 ずれるものですな。

 T社から連絡によると、最も安いプランでの宿泊施設は空きがないので、宿泊施設のグレードの高いものしかないとのこと。
 結局、セレクトプランの3泊4日とする。これでも大手各社の2泊3日程度の料金である。
 後で知ったのだが、快適な宿で、こちらにして正解だった。
 来訪した皇太子夫妻の写真や、有名人の色紙(杉の板の上に書かれている)も飾られていたので、それなりに定評のある宿だったようだ。
 また、鹿児島から屋久島への適当な飛行機の空きがないため、船で行くことになる。
 3泊4日で73800円也。費用対効果が良くて、満足である。

あわただしく

2002年6月5日
 ほぼ決定。

 昼休み、K社に問い合わせる。延泊はできないとのこと。
 次に、T社に問い合わせる。
 すると、3泊4日の屋久島旅フリープランが用意できるというではないか!
 値段も、大手旅行会社の2泊3日プラン程度の料金である。宿によっては、それよりも安く済むかもしれない。
 これでほぼ、決定だと思い、依頼する。
 ただし、このプランは宿泊もセットの商品なので、宿泊施設の空き具合を見た上での受付になるという。
 一気に屋久島が近づいた気分だ。
 気分がだんだん、ハイになってくる。

うーん

2002年6月4日
 迷いますな…。

 昨日のJ社のプランだとコストパフォーマンスが悪い。
 K社のプランも似たような物である(若干、J社より安い)。
 しかも、H氏や私の仕事の都合で、7月はじめよりは6月末の方が時間が読めて都合が良いことに気づいた。
 これで、出発日は6月27日と固定化されてしまった。

 帰宅後、K社のHPをのぞく。
 2泊3日のプランばかりである。延泊ができれば良いのだが…。

 ふと、昨年の初夏に西表島にグループで旅行した時のことを思い出す。
 その時にチケットなどの手配をしてくれた旅行会社(T社)を思い出したのだ。
 西表島にも行けたのだから、屋久島にも行けるかもしれない。
 思い立って、メールで照会をかけようとしたら、うまくいかない。
 明日、電話でやってみよう。

何だ、何だ?

2002年6月3日
 いきなり、それはないだろう…。

 職場での昼休み。
 同期のH氏と後輩のY君らと、食事をしながら話をする。
「この前行きたいって言っていた件だけれど…」
「屋久島の縄文杉ね」
「来月初めにでも決行したいんだ」
 とH氏。
 何ですと〜。
「あのね…。それはいきなり過ぎない?」
「思い立ったが吉日というじゃないか」
 これはY君だったろうか。
「こういうのは勢いでやるべきだ!」
 Y君の説である。
「それに、時期が悪い。ただですら梅雨どきで天気悪いのに、屋久島ですぜ。確か、雨がよく降るんじゃないの?」
「でもね。行くとなったらいつになるの?」
 夏休みは7月からしか取れないから、こうなると暑さが厳しくなってしまう。暑さに弱いH氏には、良くない。
 H氏の仕事の都合もあり、来月初めの頃が良いという。
 とりあえず、資料が何も無い。旅行会社のパンフレットを集めるようY君にいう。
 夕方、K社のパンフレットを何時の間にか揃えていたY君。早いなあ。
 退勤後、J社のパンフレットを県庁支店まで行って、調達。

なぜか

2002年5月13日
 ビールで晩酌する。
 あんまり気持ち良くない。
 酔いざましも兼ねて散歩すると、同期のH氏とばったり出くわす。
 奇襲戦のつもりが遭遇戦になってしまった。
 彼も同じような目論みでいたらしく、「敵」などと口走っていたが…。

 歩き過ぎのためか、目が冴えてしまい眠れない。
 何とかしてくれい。

結局

2002年5月7日
 職場の互助会の会計を引きうける羽目に…。
 もともとは隣の席の住人が引きうけていたのだが、帳簿をエクセルのファイルにして、更に複数の表をリンクさせようとしたので、収拾がつかなくなってしまったのだ。
 その挙句が「こんなに忙しくては5月から引き受けられない」との捨て台詞である。つまり放り投げたわけだ。
 まあ、本来の仕事(私が一昨年度までやっていた仕事)だけでも結構、細かいところで違うことをしたり、手順を飛ばしたりしているから、ハラハラしていた。あとは本来の仕事だけでも遂行できなければ、能力なしと見なさざるを得ない。

何とか

2002年4月25日
 連休目前だ。
 何だか今月は長く感じる。

 職場で雑用が多い。
 やることが多い事は良いとしても、残業するのが何ともイヤである。
 帰っても本を読めない。
 せめて『天狗の落とし文』(筒井康隆、新潮社)を読まなければ。図書館の貸出期限は過ぎているし。
 そういえば、シューマンのCDもロクに聴いていない。

疲労と読書と

2002年4月2日
 『愛のひだりがわ』(筒井康隆、岩波書店)を購入。『東洋経済』を買おうかと思っていたら、目について読みたくなってしまった。1800円(税別)也。
 読みやすく、半分は読んでしまった。
 他にも、岸本葉子と横田濱夫との書簡文風エッセイを購入。何だか横田氏の文章が友人の言葉のように思えてしまう。何故だろう。

 昨日は宿直明けであり、その上24時過ぎまで端末の年度切り替えで待機させられる。眠いはずなのだが、通り越して、眠気が少し取れてしまった。
 もう少ししたら寝よう。

 と思っていたら、全部読み終わっていた。
 1時になってしまっている…。

日々平穏

2002年3月13日
 昨日で現年度○○が終わった。木曜日もやる予定だったが、件数が少なくなったため、火曜日だけで済んだのだ。
 今日は訳のわからない客に当たる事がほとんどなく、精神的には非常に助かった。

 関西のネット仲間の女性が、今度の土曜日に東京方面にくるとのこと。
 最近、友人やオフ会メンバーに会っていないので、できれば会う機会がほしかった。
 16日の日直の交替をあちこちに頼んだが芳しくない。
 結局、同期の職員であるH氏にお願いする。すまん。「殺す気か?」と言われてしまったが。

当社比1.5倍

2002年3月12日
 怒りっぽさ・忘れっぽさ・いい加減さのことである。

 昨夜、寝入りばなを従弟からの電話で起こされてしまう。
 やりとりしたメールの延長上の話である。
 話自体は割に短く済んだのだが、寝つけなくなってしまう。
 1時半まで、本を読んだりパソコンに向かったりの無駄な努力の後、アンジェラ・ヒューイットのCDを聴いたら、やっと眠れた。2時前後のことであろうか。

 というわけで、二日連続の寝不足である。
 仕事では21時までの夜間待機もあるし、交渉事も冷静さが求められるのに、こんなことで大丈夫なのだろうか?

「お客様の情報を確認したいので、お客様番号か口座番号をお願いします」
「それは電話番号です。電話番号ではなくて、口座番号です。こ・う・ざ・ば・ん・ご・う」
「え、わからない?住所や氏名から調べれば、確認できるだろうって?確実に確認したかったのですが」
「はい、わかりました。…、口座振替を止めたいんですね。はい、承りました」「え?口座振替を中止にしたかどうか、きちんと連絡が欲しい?今、承りましたが…。不安だから、ちゃんと連絡が欲しい?…はい、ではそのように」
 やや、乱暴に受話器を置いてしまう。
 怒りっぽさが普段にもましている。
 比叡時代の井上成美のように、「言う事を聞かぬ茶坊主どもを、海に放りこんでしまえ」と言い出したくなる(このネタわかる人は、あんまりいないだろう)。

更に

2002年3月11日
 今日も、会計システムの打ち合わせに駆り出される。こんなにギリギリで迷惑な話である。
 しかも、決裁手続きなどは従来のものを踏襲するから、システムとのすり合わせに組む方は大変そうだ。
 こちらは、総務の補佐(主に内部の決裁の観点から)とエンジニア(システムと既存の仕事の遣り方とのすり合わせの観点から)との会話についていけず、眠くなってしまった。思わず、居眠り。今朝は5時起きだったんだから、少し眠らせてくれ(二度寝して遅刻しそうになったくせに)。
 しかし、4月1日から稼動させるのに、こんなにギリギリで良いのか?

 夕方、荷物を普段より多く持って帰宅。
 大きい紙袋は、家族のおくり物だ。お茶・海苔・梅干そしてグラス。一体、何故?ありがたいけれどね。何かお返しを送らねば。
 小さな紙袋は、職場の人のお土産だ。ディズニーランドに行ってきたそうである。タイ土産の絹のスカーフをもらって、気を遣ってしまったようだ。
 購入価格を考えると、そのまま受け取れるものではない。真顔の冗談が、変な結果を生んでしまった。これもあとで、考慮しなければ。
 のピアノリサイタルのチケットを購入。
 といっても、職場から支給されている芸術館の引換券が10日に期限切れになるのに使えないでいるものをかき集めて使ったので、懐は痛まない。
 年度の最後にして、見に行く気になったイベントである。
 予約は私が入れたが、チケットの引き取りは職場の後輩にお願いする。週末に私はいないからなあ。

関西病

2002年3月4日
 関西弁の感染力は結構、強力である。
 宿泊した施設の管理人の話し方を聞いていただけで、感染したのだ。
 おかげで、仕事で応対中のイントネーションまでおかしくなってしまう。
 いつになったら、クセが抜けるのやら。

琵琶湖ツアー2日目

2002年3月3日
 夜行の疲れもあって、昨夜はすぐに寝入ってしまった。枕もと近くで将棋を指していた人がいたようだが、持参した音楽を聞いている内にすぐに眠ってしまった。
 朝食は8時から。やはり、納豆はないが、ヨーグルトがついている。

 彦根城を見に行く。
 今日は天気が良く、伊吹の山々や琵琶湖の対岸が良く見える。
 城を本丸に向かって登ると、天守閣の前に私の住んでいる市から送られたしだれ梅が植えられていた。彦根市と友好都市であるとは聞いていたが、こんなところでその証しを見ることになろうとは。
 さすがに売店で「○○の梅」「のし梅」などの菓子を見かける事はなかったが。
 天守閣横の月見櫓(着見櫓)跡から、佐和山が見える。石の台の上に金属板が乗っており、山の位置などを説明している。
 なぜかその台の上で腕相撲。左腕で勝つ。右腕は弱い。
 さらにMさんが、この台の上に乗る。さすがに靴は脱いでいたが。この人を止められる人はメンバー中にはちょっといない。
 別のメンバーがこの様子を写真に収める。
 玄宮園(城の庭園)も見に行く。
 庭園から出て駐車場に歩いていると、二期桜(年に二回咲く桜)があった。これも私の住んでいる市から贈られたものであるようだ。
 そんなに目立ちたいのか?それとも桜田門のお詫びなのか?

 安土城址へ向かう。
 発掘がかなり進んで、本丸へ続く石段が復元・整備されている。この城は軍事目的ではないという説だが、石段一つ一つが大きかったり間隔が不均等だったりして、歩きにくい。本丸や天守閣などにはどうやって移動したのか。馬では無理だろうし。エライ人間は駕籠で良いかもしれないが、ヒラは困っただろうなあ。
 それとも昔の人間は足腰がそんなに丈夫だったのか?
 天守閣跡周囲の石垣上から見た琵琶湖の景色は、見晴らしが良く気持ち良い。今では安土山は琵琶湖から陸に入った場所であるが、干拓が進む前は安土山のふもとまで湖岸だったという。もっと良い景色を信長は見ていたのだろう。

 近江八幡へ。
 「たねや」という店で昼食をとる。味噌仕立ての鴨うどんを食べたのだが、白味噌を使っているらしく、上品な味になっている。
 「たねや」は有名な和菓子屋だという。食事の後、家族や職場の土産を購入。3月3日だから、ひなまつりなど、季節限定のお菓子を何点も売っている。甘いものは大好きであり、全種類欲しいところだが、経済力は限られている。
 近江八幡は近江商人発祥の地という触れこみで売り出している。私の中では近江兄弟社発祥の地というイメージがある。創業者の銅像が、町並みの中に在る。
 古い町並みが随所に残っている。豊臣秀次が設けた八幡掘沿いは、時代劇の撮影でも使われている場所だ。自分の住んでいる市にも、こういう趣のある町並みが残っていれば、多少は違っただろうになあ。
 整備された町並みを歩いていると、よそ見をして、歩道と車道とを仕切るポールの間の鎖に脚をぶつけてしまう。何気に痛い。

 近江八幡でメンバーの大多数と別れる。
 私は既にJRの乗車券を購入しており、そのままメンバーのクルマで東京方面に帰るわけにはいかない。茨城までの道のりを考えると、新幹線で帰る方が賢明である。
 在来線電車を乗り継いで、名古屋へ。JR東海の新快速に乗りたいという気持ちがあったので、願望を満たすことができた。在来線で120とか130キロの速度を出して走っているのに乗っていると、力いっぱい走っていると感じられ、気持ち良い。
 新幹線や飛行機は速いのが当たり前だ。
 在来線特急は速いかもしれないが、別途料金が必要になる。
 高速道路のクルマでは、速いことを気持ち良いと感じるかもしれないが、スピード違反だし、結構危険だ。
 特別料金不要な列車が、目いっぱい速く走るのは気持ち良く、好きである。
 名古屋から新幹線で東京へ。さらに上野から「フレッシュひたち」で帰る。帰り着いたのは22時半頃だった。
 意外に早く帰れて良かった。これで明日も通常通り出勤できそうだ。

意外と大人しい?

2002年3月2日
 ふと目が覚めると名古屋だった。時刻は6時過ぎだ。頭がまだ朦朧としている。
 そのままうつらうつらしている内に、大垣に到着。
 ここからの米原方面への乗換え客もかなり多い。乗り継ぎ列車には座る事ができなかった。
 大垣から乗った電車は、伊吹の山並みに向かって行く。関ヶ原を越える、県境のルートだ。東海道本線といえば、幹線ルートとして有名過ぎるのだが、普通のローカルな駅や町並みを見ていると、何だかホッとする。いつかこんな町をふらりと歩いて見たいなあと思う。
 これで座ることが出来れば、なお良かったが…。

 米原で新快速に乗り換え。大垣からの電車でも京都方面に行けるのだが、新快速が途中から先行するのだ。
 ホームの大阪寄りで電車を待っていると、向かいのホームの洗面台が目についた。鉄道がかつて移動(長距離旅客)の主役だった頃の名残なのだろう。そんな旅を普通にしていた世代ではないのに、なぜか懐かしい気がする。
 米原からの新快速は、かなり速い。最高で120キロは出ているかもしれない。こういう一生懸命走っている列車は気持ちがスカッとして、好きである。沿線は京都・大阪に通う人の住まいと思われる住宅地やマンション、工場が目につく。
 山科で乗り換え。湖西線に乗るのは、約20年ぶりだ。東京で言うと、武蔵野線のような(比較的)新しい路線を行く。電車の本数も、以前は武蔵野線以上に少なかったし、改札も列車の出発時刻前後にしか開かなかった。
 沿線の景色は以前に比べ、かなり住宅化が進むなど、変化が激しい。琵琶湖も田畑の向こうではなく、住宅や市街地の向こうに見える。改札も今では自動になっている。
 堅田で下車し、他のメンバーを待つ。朝食を取るタイミングを失ったので、駅前のベンチに座って、朝食代わりのパンを食べる。一人で食べるものは、あまり美味しくない。
 9時半頃、他のメンバーの乗った自動車が駅前広場に来る。数ヶ月ぶりにお会いする顔ぶれである。意外に皆さん大人しい。大津でレンタカーではなく、東京から自分たちの自動車に乗ってやって来たという。バイタリティありますなあ。
 でも、駅近くの喫茶店で朝食を食べると、大抵のメンバーは元気を取り戻す。会話も賑やかになる。
 「よく来たねえ」「何で来たの?」「大垣夜行なんだ。本当に鉄道好きだなあ」「山科で乗り換えたの?よくわかったねえ」
 ここまでくると、すっかり子供扱いである。一番年下だから、仕方ないか…。

 堅田では、まず浮御堂を見に行く。琵琶湖に突き出した仏堂である。
 メンバーの一人である大学教授が、門前の店で鮒寿司を購入。店の手作りのようだ。匂いは結構、きびしい。どんな味なのやら。
 近江今津に向かう途中、野鳥観察センターに行く。動植物の種類をおぼえるのは苦手である。だが、餌場周辺にいる野鳥を見ていると、何だか面白い気分になってくるのが不思議だ。
 マガモ、ミヤコドリ(?)などが群れをなして水面にいる。陸になっているところには、ハシボソガラスが1羽いる。珍しい気がした。都会で見かけるのはハシブトガラスである。
 餌の時間を感じて、鳥たちが餌を要求して、周囲を飛びまわる。
 やっと餌が与えられるが、今度はトンビだろうか、比較的大型の猛禽類が鳥たちを追い回す。
 一通り観察したあと、食事に向かう。人間も餌の時間である。鳥の餌は勘弁願いたいが。
 近江今津の食事場所の前の立札に「鴨料理」の表示が。さっき野鳥を見てきたのに。鴨料理を注文した人は結構いたようだ。私は、うな丼を。
 食事後、近くの座禅草自生地を見に行く。住宅地の中にあり、なんだか住宅の下見に来たみたいだ。
 座禅草は面白い形をしている。ただ、外側の臙脂とも茶色ともつかない色が、ちょっと気味悪い。
 今津からさらに北上して、マキノへ。地元の酒が美味しいらしい。下戸の私にはよくわからないが。今夜飲むのだといって、一部のメンバーが2種類の酒を一升瓶で購入した。
 ここまで来ると、琵琶湖の水もかなり透明度が高い。
 「なんで飛ばないんですかねえ」「あ、すごい。石が生きているみたいだ」
 いい年をした大人が石投げに興じる。器用な人が羨ましい。
 この会のメンバーの間では、「1.高いところがあれば登ってみる。1.水があれば近寄って見て、夏であれば入ってみる」ということがいわれる。
 余呉湖に行く。「賎ヶ岳の戦い」が行なわれた周辺であり、「槍洗いの地」と書かれた説明板もある。
 余呉湖自体はきれいである。句碑の周辺にいると、教授先生が雪を両手に持って、メンバーの一人のMさんに投げつけようとするが失敗。
 余呉湖から、彦根の宿泊施設に向かう。先生の勤務する大学の宿泊施設である。先生の紹介で、泊まることができる。
 部屋は個室ではないが、部屋も風呂もトイレもきれいで快適である。
 食事もすき焼きで、美味しい。昼間の鮒寿司が、メンバー全員に供される。ありがとう、先生。
 鮒寿司は、匂いも味も大変だが、意外に美味しい。日本酒に良く合う。ブルーチーズなどの匂いのきびしいものを食べていると思えば、良いだろうか。

 食事の後、なぜかカラオケ大会になる。苦手なのに…。
 その上、なぜか輪投げ大会もやったりして…。

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