新年度
2004年4月1日 と言っても、実感はまるで湧かない。
人事の内示は29日月曜日午後、引継ぎを終えて5日月曜日までに異動しなければならない。実質、今週一杯で引継ぎを終えろということだ。
昨日は退職者を見送るなどして、何となく慌しいし、人手もなくなりがちで少し困ったが、今日はどうだろう?
不思議なもので、今日は静かなものである。
仕事柄、引越しに伴う連絡が多いのだけれど、今日はあんまり電話も窓口もない。
いつもこんなだったけ?
従来の仕事をやりながら、引越し準備(昨日の内に、ほとんど済んだけれど)。
午前中、課長と課長補佐に連れられて、異動先に挨拶をしに行く。緊張する。スーツの上着なんて、ほとんど使わないで済んでいたからなー。
後は、先方から「来ても良い」と言われるまでは、動けない。机などの受け入れ準備があるからだ。
何とも宙ぶらりんで落ち着かないものである。新しい仕事に対する不安もある。
人事の内示は29日月曜日午後、引継ぎを終えて5日月曜日までに異動しなければならない。実質、今週一杯で引継ぎを終えろということだ。
昨日は退職者を見送るなどして、何となく慌しいし、人手もなくなりがちで少し困ったが、今日はどうだろう?
不思議なもので、今日は静かなものである。
仕事柄、引越しに伴う連絡が多いのだけれど、今日はあんまり電話も窓口もない。
いつもこんなだったけ?
従来の仕事をやりながら、引越し準備(昨日の内に、ほとんど済んだけれど)。
午前中、課長と課長補佐に連れられて、異動先に挨拶をしに行く。緊張する。スーツの上着なんて、ほとんど使わないで済んでいたからなー。
後は、先方から「来ても良い」と言われるまでは、動けない。机などの受け入れ準備があるからだ。
何とも宙ぶらりんで落ち着かないものである。新しい仕事に対する不安もある。
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荷物が……
2004年3月31日 多い。
こんなことなら、普段から物を持つものではない。
異動内示の翌日、職員係から指示があった。
「更衣室のロッカーの鍵は31日に返却してください」「貸与した作業服などで、未使用のものは返却してください」などなど。
いつまでもグズグズしたくないので、私物を一挙に持ち帰ることにする。
ところが、案外私物が多いのである。
捨てるものも沢山あるのだが、出るわ出るわ。
ロッカーに入れっ放しにしていたテニスラケット、長靴、安全靴、ハンガー。
机の引出しに入れっ放しにしていた本。『チップス先生さようなら』といった短編があるかと思えば、経済雑誌もある。
本以外にも、なぜか万年筆のインク壺、お守り、フロッピーディスク、猫の顔をかたどった昼寝用クッション、犬のぬいぐるみなどもあって、大変なことになっている。
私はいったい、何しに職場に来ているのだろう?
改めて疑問に思ったひとときであった。
何とか荷物をまとめたが、多すぎて自宅に持ち帰れない。
隣の係の先輩に頼んで、自宅まで乗っけてもらうことにする。ありがたやありがたや。
こんなことなら、普段から物を持つものではない。
異動内示の翌日、職員係から指示があった。
「更衣室のロッカーの鍵は31日に返却してください」「貸与した作業服などで、未使用のものは返却してください」などなど。
いつまでもグズグズしたくないので、私物を一挙に持ち帰ることにする。
ところが、案外私物が多いのである。
捨てるものも沢山あるのだが、出るわ出るわ。
ロッカーに入れっ放しにしていたテニスラケット、長靴、安全靴、ハンガー。
机の引出しに入れっ放しにしていた本。『チップス先生さようなら』といった短編があるかと思えば、経済雑誌もある。
本以外にも、なぜか万年筆のインク壺、お守り、フロッピーディスク、猫の顔をかたどった昼寝用クッション、犬のぬいぐるみなどもあって、大変なことになっている。
私はいったい、何しに職場に来ているのだろう?
改めて疑問に思ったひとときであった。
何とか荷物をまとめたが、多すぎて自宅に持ち帰れない。
隣の係の先輩に頼んで、自宅まで乗っけてもらうことにする。ありがたやありがたや。
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青天の霹靂
2004年3月29日 というヤツか……?
私の勤めている職場は「田舎」なので、異動内示がかなり遅い。
何でも、異動が引っくり返されるのを恐れてのことだという。
先週26日金曜にでも内示があるかと思ったら、出なかった。
年度で仕事をしている私たちなのに、こんなに年度末ギリギリでどうするというのだ。
私自身は、新規採用時から今までの満五年近くを、今の部署で過ごしてきたので、そろそろ異動しても良い時期ではある。
ただ、後輩の女性の方が異動になってもおかしくない。係の業務が業務だけに、可愛らしい彼女にはお気の毒でもある。
他にも、後輩で適性があるのか最近不安に感じられるヤツがいるのだが、彼も異動にならないのだろうか。
午後3時頃。課長の所に異動の内示が回ってきた。
私は窓口や電話で忙しいので、落ち着いてから様子を窺ったら……。
自分が異動してやがった。一応、希望先に。
後輩は異動にならない。同期の職員も。
自分以外には、自分より年季の短い先輩二人が異動になる。
係の業務が好きというわけではないけれど、未来ある後輩たちに対する配慮というのはないのか。
確かに異動希望は出したが、通るとは思わなかった。希望を出さないで不本意なところに行かされるなら、希望を出して通らないほうがまだマシという程度で希望を出していたのだ。
何だか、脱力してしまった。
闘いの連続で気が張っていたのに、何かの拍子で緊張の糸が切れてしまったかのようだ。
自分の異動も信じられない気分だ。
自分の未来像が、現在の延長に描かれてしまっているので、その延長線上にない自分の未来がわからないというのもある。
異動というものを初めて経験したが、こんなに呆気に取られるとは思わなかった。
私の勤めている職場は「田舎」なので、異動内示がかなり遅い。
何でも、異動が引っくり返されるのを恐れてのことだという。
先週26日金曜にでも内示があるかと思ったら、出なかった。
年度で仕事をしている私たちなのに、こんなに年度末ギリギリでどうするというのだ。
私自身は、新規採用時から今までの満五年近くを、今の部署で過ごしてきたので、そろそろ異動しても良い時期ではある。
ただ、後輩の女性の方が異動になってもおかしくない。係の業務が業務だけに、可愛らしい彼女にはお気の毒でもある。
他にも、後輩で適性があるのか最近不安に感じられるヤツがいるのだが、彼も異動にならないのだろうか。
午後3時頃。課長の所に異動の内示が回ってきた。
私は窓口や電話で忙しいので、落ち着いてから様子を窺ったら……。
自分が異動してやがった。一応、希望先に。
後輩は異動にならない。同期の職員も。
自分以外には、自分より年季の短い先輩二人が異動になる。
係の業務が好きというわけではないけれど、未来ある後輩たちに対する配慮というのはないのか。
確かに異動希望は出したが、通るとは思わなかった。希望を出さないで不本意なところに行かされるなら、希望を出して通らないほうがまだマシという程度で希望を出していたのだ。
何だか、脱力してしまった。
闘いの連続で気が張っていたのに、何かの拍子で緊張の糸が切れてしまったかのようだ。
自分の異動も信じられない気分だ。
自分の未来像が、現在の延長に描かれてしまっているので、その延長線上にない自分の未来がわからないというのもある。
異動というものを初めて経験したが、こんなに呆気に取られるとは思わなかった。
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大いなる田舎
2004年2月28日 いい意味で。
私の地元も、こんなだったら良いんですが。
今日は松山から宇和島へ行く。
できれば大洲を見て行きたいが、宇和島が優先である。
昨日と今朝、I君と話していて、伊予鉄郊外線の乗車と佐田岬を見に行くことを希望している様子に見受けられた。なるべく手早く、松山城を見て(それなりに時間はかけるが)、伊予鉄に乗車して、宇和島に急ごう。
ホテルで朝食後、身支度をして道後温泉駅に急ぐ(私の心持として)。
「早起きは三文の徳」とは良く言ったもので、駅ではちょうど「坊ちゃん列車」が出発準備をしているところだった。
「坊ちゃん列車」は、開業当初の軽便鉄道列車(夏目漱石の『坊ちゃん』にも出てくる)を再現したものである。動力は蒸気ではなく、ディーゼルだったりとさすがに今の状況に合わせて変えている部分はあるものの、よくできている。
夜間は走らず、道後温泉駅前に展示してあるのだが、これがちょうど軌道線の線路に入ろうとしている。
早速、駅で切符を購入する。「坊ちゃん列車」乗車一回分200円と一日乗車券300円のセットで500円也。リーズナブルですな。
切符を購入して待っていると、列車が後進して軌道線に入って、前進してくるところだった。機関車一両に「マッチ箱のような」客車二両の列車だ。内装は木材で、座る部分もクッションなどはない。昔の扮装をした乗務員が各車両に乗っていて、ガイドをしてくれる。
汽笛とともに発車。ガタゴトとゆっくり走行する。路面電車より更に遅いのではないだろうか。
車内で乗務員が、乗客に俳句カードを配る。松山には各所に俳句ポストがあり、自分がひねった句を投稿できる。この列車や路面電車の車内にもポストがある。記念になるので、一句考えてみることにする。
列車はゆっくりと走り、松山城の案内を終えた頃に、大街道の電停に到着する。松山城を見に行く最寄である。降りた後、列車を撮影する。
松山城のロープウェイ・リフト乗り場まで徒歩。気分がちょっとはやる。
まずリフトに乗る。途中の桜はもう咲き出している。春だなぁ。私の地元では梅がまだ五分咲きになったかなっていないかだろうに。
前を見ると、マドンナの衣装をまとった女性が、乗っている。茶髪である。雰囲気的にあと一歩で、惜しい。
到着すると、そこにも明治の巡査の扮装をした男性がいたりする。さっきのマドンナもこの巡査も観光ガイドらしく、観光客相手に説明したり、記念撮影に入ったりしている。
松山城はなかなか立派なものだ。天主を始め、いくつも櫓や門がちゃんと残っている。ただ、江戸時代のうちに落雷やそれによる火災のため、江戸時代中に再建したものが多いようだ。
眺めも素晴らしい。市街地ではもっとも高いところからの眺めが楽しめる。海まで見える。あっちは三津だろうか。こっちは伊予鉄高島屋とその観覧車のようだ。
城内の展示物も見る。I君が「どこのお城でも、鎧兜は付き物のようだねー」と言っていたが、同感だ。
天主を降りて、途中にある茶店でお茶にする。抹茶にタルト・坊ちゃん団子付きで、天主を見る。いいもんですな。
お城をロープウェイで降りる。乗客は私たち二人だけ。
上りのロープウェイやリフトはお客が増えているようだ。何となく、お侍たちが登城している様を想像して、面白く感じる。私たちは、登城を早々に済ませてきたので、ちょっと気分が良い。
郊外線に乗るため、大街道から松山市駅に向かう。伊予鉄高島屋を併設した立派な駅である。駅正面脇に「創立明治20年」のプレートが。一地方都市が、軽便とはいえ、早い時期に鉄道を建設した先見性は誇っても良いものだろう。
とりあえず高浜まで行こうと思う。売店で愛媛新聞購入。
電車はクリーム色にオレンジの帯、日差しは暖かく、市街地を抜けるとのどかな風景が広がり、気分もゆったりしてくる。
高浜まで行く途中、梅津寺という駅ホームに、ハンカチが結わえてあるのを見つけた。以前放映していた、『東京ラブストーリー』というドラマにちなんで観光客がやっていくのだろうか。
高浜では乗客のかなりの部分は、バス乗り継ぎで松山観光港に向かうようだが、私たちはのんびりと桟橋まで歩いてみたりする。
のんびりとした気分を味わって、来た道を戻ることにする。
JR松山駅に行き、特急「宇和海」に乗車。12時18分発に間に合う。
13時38分に宇和島に着く。これなら宇和島城見物の後佐田岬に行けるか。
昨日の琴平から丸亀の時のように、列車は、車体を傾けつつ高速で、単線の路線を走り抜く。気持ちの良い走りっぷりだ。車窓を味わっている内に、宇和島は間近である。
宇和島到着。駅隣接のホテルに荷物を預け、レンタカーを調達に。
しかし、土曜日のこととて、空きがないと断られる。
2軒目で何とか借りられるが、返ってきたばかりなので、整備に時間がかかるとのこと。
その間、宇和島城を見物しに行く。
宇和島城は小高い山の上にある。天主は現存しているが、他の櫓などはほとんど残っていない。
息が切れるような急な石段を登って行った先に、3層の天主に出会う。可愛い感じの天主だ。
宇和島城は縄張り(設計)の基礎は藤堂高虎が手がけているので(他にも、今治・大洲なども手がけている)それなりの工夫が凝らされているのだが、天主自体は見せるためのものだという。
天主の回りに桜が咲いていて、春らしさが漂っている。穏やかな宇和海も見える。天気のよさも相俟って、のどかな気分になる。
天主を訪れる人は多くなく、ゆっくり見ることができる。
来て良かったな。
クルマで佐田岬に向かう。運転は私。命の保証はしないが(笑)。
南予の道路事情の悪さは、なかなかである。一車線ずつなので、追い抜きができない。時折渋滞して、市街地を抜けるのに時間がかかる。かと言って、高速道路は伸びてきていないので、ショートカットもままならない。
日のある内に、岬に到達したいが、どんどん暗くなる。焦る気持ちがつい先立ってしまう。岬に近づくにつれ、道も細くなる。
岬近くの駐車場に着いたときには、日がほとんど暮れている。それでも無駄な抵抗を試みて、岬に向かって歩くが、真っ暗になってしまったので引き返した。
結局、明るい内に到達できなかったが、佐田半島のパノラマは、I君を満足させたようだ。何よりだ。
帰り道、雨が降り出す。天気もよく保ってくれたものだ。
折角のクルマなので、暗い中ではあるが、宇和町の古い町並みを車中から見たり、吉田町に寄り道したりする。
私の地元も、こんなだったら良いんですが。
今日は松山から宇和島へ行く。
できれば大洲を見て行きたいが、宇和島が優先である。
昨日と今朝、I君と話していて、伊予鉄郊外線の乗車と佐田岬を見に行くことを希望している様子に見受けられた。なるべく手早く、松山城を見て(それなりに時間はかけるが)、伊予鉄に乗車して、宇和島に急ごう。
ホテルで朝食後、身支度をして道後温泉駅に急ぐ(私の心持として)。
「早起きは三文の徳」とは良く言ったもので、駅ではちょうど「坊ちゃん列車」が出発準備をしているところだった。
「坊ちゃん列車」は、開業当初の軽便鉄道列車(夏目漱石の『坊ちゃん』にも出てくる)を再現したものである。動力は蒸気ではなく、ディーゼルだったりとさすがに今の状況に合わせて変えている部分はあるものの、よくできている。
夜間は走らず、道後温泉駅前に展示してあるのだが、これがちょうど軌道線の線路に入ろうとしている。
早速、駅で切符を購入する。「坊ちゃん列車」乗車一回分200円と一日乗車券300円のセットで500円也。リーズナブルですな。
切符を購入して待っていると、列車が後進して軌道線に入って、前進してくるところだった。機関車一両に「マッチ箱のような」客車二両の列車だ。内装は木材で、座る部分もクッションなどはない。昔の扮装をした乗務員が各車両に乗っていて、ガイドをしてくれる。
汽笛とともに発車。ガタゴトとゆっくり走行する。路面電車より更に遅いのではないだろうか。
車内で乗務員が、乗客に俳句カードを配る。松山には各所に俳句ポストがあり、自分がひねった句を投稿できる。この列車や路面電車の車内にもポストがある。記念になるので、一句考えてみることにする。
列車はゆっくりと走り、松山城の案内を終えた頃に、大街道の電停に到着する。松山城を見に行く最寄である。降りた後、列車を撮影する。
松山城のロープウェイ・リフト乗り場まで徒歩。気分がちょっとはやる。
まずリフトに乗る。途中の桜はもう咲き出している。春だなぁ。私の地元では梅がまだ五分咲きになったかなっていないかだろうに。
前を見ると、マドンナの衣装をまとった女性が、乗っている。茶髪である。雰囲気的にあと一歩で、惜しい。
到着すると、そこにも明治の巡査の扮装をした男性がいたりする。さっきのマドンナもこの巡査も観光ガイドらしく、観光客相手に説明したり、記念撮影に入ったりしている。
松山城はなかなか立派なものだ。天主を始め、いくつも櫓や門がちゃんと残っている。ただ、江戸時代のうちに落雷やそれによる火災のため、江戸時代中に再建したものが多いようだ。
眺めも素晴らしい。市街地ではもっとも高いところからの眺めが楽しめる。海まで見える。あっちは三津だろうか。こっちは伊予鉄高島屋とその観覧車のようだ。
城内の展示物も見る。I君が「どこのお城でも、鎧兜は付き物のようだねー」と言っていたが、同感だ。
天主を降りて、途中にある茶店でお茶にする。抹茶にタルト・坊ちゃん団子付きで、天主を見る。いいもんですな。
お城をロープウェイで降りる。乗客は私たち二人だけ。
上りのロープウェイやリフトはお客が増えているようだ。何となく、お侍たちが登城している様を想像して、面白く感じる。私たちは、登城を早々に済ませてきたので、ちょっと気分が良い。
郊外線に乗るため、大街道から松山市駅に向かう。伊予鉄高島屋を併設した立派な駅である。駅正面脇に「創立明治20年」のプレートが。一地方都市が、軽便とはいえ、早い時期に鉄道を建設した先見性は誇っても良いものだろう。
とりあえず高浜まで行こうと思う。売店で愛媛新聞購入。
電車はクリーム色にオレンジの帯、日差しは暖かく、市街地を抜けるとのどかな風景が広がり、気分もゆったりしてくる。
高浜まで行く途中、梅津寺という駅ホームに、ハンカチが結わえてあるのを見つけた。以前放映していた、『東京ラブストーリー』というドラマにちなんで観光客がやっていくのだろうか。
高浜では乗客のかなりの部分は、バス乗り継ぎで松山観光港に向かうようだが、私たちはのんびりと桟橋まで歩いてみたりする。
のんびりとした気分を味わって、来た道を戻ることにする。
JR松山駅に行き、特急「宇和海」に乗車。12時18分発に間に合う。
13時38分に宇和島に着く。これなら宇和島城見物の後佐田岬に行けるか。
昨日の琴平から丸亀の時のように、列車は、車体を傾けつつ高速で、単線の路線を走り抜く。気持ちの良い走りっぷりだ。車窓を味わっている内に、宇和島は間近である。
宇和島到着。駅隣接のホテルに荷物を預け、レンタカーを調達に。
しかし、土曜日のこととて、空きがないと断られる。
2軒目で何とか借りられるが、返ってきたばかりなので、整備に時間がかかるとのこと。
その間、宇和島城を見物しに行く。
宇和島城は小高い山の上にある。天主は現存しているが、他の櫓などはほとんど残っていない。
息が切れるような急な石段を登って行った先に、3層の天主に出会う。可愛い感じの天主だ。
宇和島城は縄張り(設計)の基礎は藤堂高虎が手がけているので(他にも、今治・大洲なども手がけている)それなりの工夫が凝らされているのだが、天主自体は見せるためのものだという。
天主の回りに桜が咲いていて、春らしさが漂っている。穏やかな宇和海も見える。天気のよさも相俟って、のどかな気分になる。
天主を訪れる人は多くなく、ゆっくり見ることができる。
来て良かったな。
クルマで佐田岬に向かう。運転は私。命の保証はしないが(笑)。
南予の道路事情の悪さは、なかなかである。一車線ずつなので、追い抜きができない。時折渋滞して、市街地を抜けるのに時間がかかる。かと言って、高速道路は伸びてきていないので、ショートカットもままならない。
日のある内に、岬に到達したいが、どんどん暗くなる。焦る気持ちがつい先立ってしまう。岬に近づくにつれ、道も細くなる。
岬近くの駐車場に着いたときには、日がほとんど暮れている。それでも無駄な抵抗を試みて、岬に向かって歩くが、真っ暗になってしまったので引き返した。
結局、明るい内に到達できなかったが、佐田半島のパノラマは、I君を満足させたようだ。何よりだ。
帰り道、雨が降り出す。天気もよく保ってくれたものだ。
折角のクルマなので、暗い中ではあるが、宇和町の古い町並みを車中から見たり、吉田町に寄り道したりする。
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うむぅ……
2004年2月27日 何だか、手間取るなぁ……。
岡山あたりで目が覚める。6時半頃であろうか。
何だか、寝足りない。眠い。
高松着は7時半頃である。瀬戸大橋を渡る景色を景色を楽しむと、時間はさほどなくなってしまう。さて、身支度をしなければ。
今日は、高松で朝食のうどんを食べて、高松城を見る。そのあと、琴平へ電車で行き、金毘羅さんにお参りする。
丸亀に行き、丸亀城を見て、できれば塩飽諸島の本島に行って見たい。瀬戸大橋で眺めて、島から見るとは面白いかもと我ながら思うが、どうなるだろう。
そのあと、松山に移動し、宿泊となる。
高松到着。市内のうどん屋に移動して、朝食とする。県庁近くの店である。
そのあと、高松城を見る。かつての8分の1の規模になってしまったが、静かで、海近くの立地は新鮮な感じで良い。三大水城の一つだそうな。時折、お堀端を高松琴平電鉄の電車が通り過ぎていく。
お堀の水は、海水を引き入れていて、水がとても澄んでいる。魚も海のものが泳いでいる。
天守台に立つと、入港しようとしている船が見える。撮影。
雰囲気を満喫して、近くの高松築港駅に向かうが、タッチの差で琴平行き電車を逃してしまう。次の琴平行きは30分後である。うむぅ。
琴平には昨年も来ているが、電車で行くのは初めてだ。日程の構成上、もうちょっと速く走ってくれると助かるんだが。
金毘羅さんの本宮までは、六百数十段だか七百段近くある。数字だけ見るとプレッシャーだが、何とか登れるだろう。
本宮まで行って、参拝。ここで止せば良かったかもしれないが、奥宮にも行ってみようということになる。
更に五百何十段だかある。どーなってしまうんだろう。
途中、菅原神社や白峰神社がある。
前者は、讃岐の国司だったこともある菅原道真を祀り、後者は保元の乱で敗れて讃岐に配流されてしまった崇徳院を祀っている。たまたまなのだろうけれど、恨みの深い人が二人祀られているとは、奇妙な縁である。
崇徳院の恨みの深さは有名である。「この五部大乗経書写の善業を三悪道に投げこみ、其の力を以って、日本国の大魔縁となり、皇(おう)を取って民となし、民を皇となさん」と言ったという。
吉川英治の『新平家物語』にも出てくる話なのだが、ここに祀られていたんだなぁとしみじみ思い出してみたりする。良く拝んでおかなければ。
奥宮まで行って見る景色はまたひとしおである。というかかなり脱力状態である。やれやれ。
帰りの下りで、外国人のバックパッカーが登ってくるのにすれ違う。彼らの背負う大き目の荷物を見て、そのタフさに感心する。
ゆっくりと下り、JR琴平駅まで向かう。丸亀まで行きたいからだ。
高松行き普通電車は数分前に出発したばかり。
今回はこのパターンが多いなぁ。うむぅ…。
気を取り直して、特急列車で丸亀まで移動することにする。
単線の路線を、高速で車体を傾けながら走る様は、なかなか見ものである。北海道の車窓よりも、目まぐるしく景色が変わる。速度は同じか、それ以下なのだが。
丸亀に近づくと、大きな石垣が遠目にも目立つ丸亀城が見えてくる。姫路城などの有名な大きな城にも遜色ない威容である。
大きな石垣の上には、小ぶりな天守閣が乗っている。現存天主(全国に12、四国に4ある)の一つである。
丸亀に到着して、鳥料理を出してくれる有名な店があるというので行ってみるが、準備中の札が。
さらに、本島行きの船は15時半近くまでない(この時点で、14時前後)。うむぅ……。
ああもう、どうしたものやら。丸亀城を見る気力もなくなった。
ちょっと悔しいので、今治に立ち寄ることにする。
今治は、城跡になってしまっているけれど、三大水城の一つだという城があったところである。立ち寄ってみよう。
今治駅前にいると、なぜか台湾を思い出す。
駅は高架だし、駅前広場も整備されて、立派なのだが、広場の両側にある店が古びて朽ちかけている。古い店の連なりに、台湾の台南の商店街を歩いた記憶を思い出させられたのだ。
そういえば、あの時も今日のような温い日和だったな。結構暑くて、頭もぼんやりしていた。今日は暖かさと疲労が、頭を鈍らせている。
今治城址には、鉄筋コンクリート造りの復興天主が建っている。妙に垂直方向に細長く感じる5層の天主である。
閉館30分前だったが、天主に上ってみる。天守閣最上階からの海の眺めは気持ち良い。風は強めで、汐の匂いが感じられるような海との距離感も相俟って、水城なんだなぁと強く感じられる。海に向かって左手にはしまなみ街道の橋が見える。
城址内の吹揚神社で参拝。帰ろうとすると、I君がよろめいた。どうも疲労が足にきたらしい。危ないことである。
食べ損ねたお昼代わりに、ベーカリーでお茶にした。ひと心地つく。
普通電車と特急の乗り継ぎで、松山に向かう。
予讃線は、瀬戸内の海を時折眺められる車窓が良い。天気も良いし。
路面電車で、今夜の宿泊地である道後温泉のホテルに向かう。
車内で両替と間違えて、お金を入れてしまった。両替機ではなく、つり銭の出る運賃箱なのだ。慌ててはいけない。
ホテルに着いて、食事・入浴を済ませると、もう動く気力がなくなった。
チェックインが遅くなった(19時近く)のに、食事前の入浴を勧めてくれた仲居さんに感謝。
岡山あたりで目が覚める。6時半頃であろうか。
何だか、寝足りない。眠い。
高松着は7時半頃である。瀬戸大橋を渡る景色を景色を楽しむと、時間はさほどなくなってしまう。さて、身支度をしなければ。
今日は、高松で朝食のうどんを食べて、高松城を見る。そのあと、琴平へ電車で行き、金毘羅さんにお参りする。
丸亀に行き、丸亀城を見て、できれば塩飽諸島の本島に行って見たい。瀬戸大橋で眺めて、島から見るとは面白いかもと我ながら思うが、どうなるだろう。
そのあと、松山に移動し、宿泊となる。
高松到着。市内のうどん屋に移動して、朝食とする。県庁近くの店である。
そのあと、高松城を見る。かつての8分の1の規模になってしまったが、静かで、海近くの立地は新鮮な感じで良い。三大水城の一つだそうな。時折、お堀端を高松琴平電鉄の電車が通り過ぎていく。
お堀の水は、海水を引き入れていて、水がとても澄んでいる。魚も海のものが泳いでいる。
天守台に立つと、入港しようとしている船が見える。撮影。
雰囲気を満喫して、近くの高松築港駅に向かうが、タッチの差で琴平行き電車を逃してしまう。次の琴平行きは30分後である。うむぅ。
琴平には昨年も来ているが、電車で行くのは初めてだ。日程の構成上、もうちょっと速く走ってくれると助かるんだが。
金毘羅さんの本宮までは、六百数十段だか七百段近くある。数字だけ見るとプレッシャーだが、何とか登れるだろう。
本宮まで行って、参拝。ここで止せば良かったかもしれないが、奥宮にも行ってみようということになる。
更に五百何十段だかある。どーなってしまうんだろう。
途中、菅原神社や白峰神社がある。
前者は、讃岐の国司だったこともある菅原道真を祀り、後者は保元の乱で敗れて讃岐に配流されてしまった崇徳院を祀っている。たまたまなのだろうけれど、恨みの深い人が二人祀られているとは、奇妙な縁である。
崇徳院の恨みの深さは有名である。「この五部大乗経書写の善業を三悪道に投げこみ、其の力を以って、日本国の大魔縁となり、皇(おう)を取って民となし、民を皇となさん」と言ったという。
吉川英治の『新平家物語』にも出てくる話なのだが、ここに祀られていたんだなぁとしみじみ思い出してみたりする。良く拝んでおかなければ。
奥宮まで行って見る景色はまたひとしおである。というかかなり脱力状態である。やれやれ。
帰りの下りで、外国人のバックパッカーが登ってくるのにすれ違う。彼らの背負う大き目の荷物を見て、そのタフさに感心する。
ゆっくりと下り、JR琴平駅まで向かう。丸亀まで行きたいからだ。
高松行き普通電車は数分前に出発したばかり。
今回はこのパターンが多いなぁ。うむぅ…。
気を取り直して、特急列車で丸亀まで移動することにする。
単線の路線を、高速で車体を傾けながら走る様は、なかなか見ものである。北海道の車窓よりも、目まぐるしく景色が変わる。速度は同じか、それ以下なのだが。
丸亀に近づくと、大きな石垣が遠目にも目立つ丸亀城が見えてくる。姫路城などの有名な大きな城にも遜色ない威容である。
大きな石垣の上には、小ぶりな天守閣が乗っている。現存天主(全国に12、四国に4ある)の一つである。
丸亀に到着して、鳥料理を出してくれる有名な店があるというので行ってみるが、準備中の札が。
さらに、本島行きの船は15時半近くまでない(この時点で、14時前後)。うむぅ……。
ああもう、どうしたものやら。丸亀城を見る気力もなくなった。
ちょっと悔しいので、今治に立ち寄ることにする。
今治は、城跡になってしまっているけれど、三大水城の一つだという城があったところである。立ち寄ってみよう。
今治駅前にいると、なぜか台湾を思い出す。
駅は高架だし、駅前広場も整備されて、立派なのだが、広場の両側にある店が古びて朽ちかけている。古い店の連なりに、台湾の台南の商店街を歩いた記憶を思い出させられたのだ。
そういえば、あの時も今日のような温い日和だったな。結構暑くて、頭もぼんやりしていた。今日は暖かさと疲労が、頭を鈍らせている。
今治城址には、鉄筋コンクリート造りの復興天主が建っている。妙に垂直方向に細長く感じる5層の天主である。
閉館30分前だったが、天主に上ってみる。天守閣最上階からの海の眺めは気持ち良い。風は強めで、汐の匂いが感じられるような海との距離感も相俟って、水城なんだなぁと強く感じられる。海に向かって左手にはしまなみ街道の橋が見える。
城址内の吹揚神社で参拝。帰ろうとすると、I君がよろめいた。どうも疲労が足にきたらしい。危ないことである。
食べ損ねたお昼代わりに、ベーカリーでお茶にした。ひと心地つく。
普通電車と特急の乗り継ぎで、松山に向かう。
予讃線は、瀬戸内の海を時折眺められる車窓が良い。天気も良いし。
路面電車で、今夜の宿泊地である道後温泉のホテルに向かう。
車内で両替と間違えて、お金を入れてしまった。両替機ではなく、つり銭の出る運賃箱なのだ。慌ててはいけない。
ホテルに着いて、食事・入浴を済ませると、もう動く気力がなくなった。
チェックインが遅くなった(19時近く)のに、食事前の入浴を勧めてくれた仲居さんに感謝。
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いきなりですが
2004年2月26日 四国に行って来ます。
といっても、思いつきで今日行くわけではない。
構想は昨年の秋から温めている(昨年の日記参照)。実際に手配などで動き出したのは今年に入ってからである。
1月に予約、2月7日に手配したチケット等の引取りと、私にしてはちょっと息の長い話になった。2ヶ月くらい前に手配するなんて、久しぶりだ。
だから当分先の話だと思っていたのだが、早いもので、もう行く当日になってしまった。
一昨年秋の出雲旅行のように、木曜日の夜行で出発、翌金曜日から動き出し、日曜日まで使って回るつもりでいる。
旅行の同行者は、友人のI君である。共通の趣味の持ち主だ(旅行・クラシック音楽など)。
仕事を定時で終え、いったん、C県にある実家で一風呂浴びたあと、東京駅に向かう。
乗る列車は22時ちょうど発の「サンライズ瀬戸」(「〜出雲」と併結)である。I君とは14番線ホームで待ち合わせだ。
「サンライズ」は電車だが、快適性や到達時間などから、とても使える列車で、気に入っている。
21時40分頃、14番線ホームにてI君と合流。普段の待ち合わせの状況とは違うので、変な気分だ。
予約した個室はツインで、2層構造の下の方である。これなら、瀬戸大橋での眺めが期待できそうだ。
22時ちょうど発車。東京の夜景や日常風景を見ながら、非日常である旅に身を任せているというのは、なかなか良い気分だ。東北夜行とは違う趣である。
部屋でビールをちょっと飲みながら、雑談。旅の興奮も手伝って、なかなか話題は尽きず、眠れない。浜松あたりで、ようやく眠りにつく。
といっても、思いつきで今日行くわけではない。
構想は昨年の秋から温めている(昨年の日記参照)。実際に手配などで動き出したのは今年に入ってからである。
1月に予約、2月7日に手配したチケット等の引取りと、私にしてはちょっと息の長い話になった。2ヶ月くらい前に手配するなんて、久しぶりだ。
だから当分先の話だと思っていたのだが、早いもので、もう行く当日になってしまった。
一昨年秋の出雲旅行のように、木曜日の夜行で出発、翌金曜日から動き出し、日曜日まで使って回るつもりでいる。
旅行の同行者は、友人のI君である。共通の趣味の持ち主だ(旅行・クラシック音楽など)。
仕事を定時で終え、いったん、C県にある実家で一風呂浴びたあと、東京駅に向かう。
乗る列車は22時ちょうど発の「サンライズ瀬戸」(「〜出雲」と併結)である。I君とは14番線ホームで待ち合わせだ。
「サンライズ」は電車だが、快適性や到達時間などから、とても使える列車で、気に入っている。
21時40分頃、14番線ホームにてI君と合流。普段の待ち合わせの状況とは違うので、変な気分だ。
予約した個室はツインで、2層構造の下の方である。これなら、瀬戸大橋での眺めが期待できそうだ。
22時ちょうど発車。東京の夜景や日常風景を見ながら、非日常である旅に身を任せているというのは、なかなか良い気分だ。東北夜行とは違う趣である。
部屋でビールをちょっと飲みながら、雑談。旅の興奮も手伝って、なかなか話題は尽きず、眠れない。浜松あたりで、ようやく眠りにつく。
行きたい旅行
2003年12月9日 を考えるだけの元気が、ようやく出てきた。
減らされるものの、ボーナスも出るし。
来年に実行したいと思っているのが、四国お城巡りである。
高松城(『玉藻城』と呼ばれる)・丸亀城・今治城(水城として有名)・松山城・大洲城・宇和島城を巡るのだ。
2泊3日くらいは必要かな。
次に、大雪山系の旭岳登山である。
来年7月上旬に実施したいと思っている。
今年の夏は、失敗だったからなー。
などと思っていたら、何かと物入りになりそうな雲行き。
パソコンの新しいものを、友人に作製してもらうが、その部品代やら出張してもらうのに関連する費用の心積もりをしておかないといけない。
ラジカセが一部壊れたり、調子が悪いので、新しいものが欲しい。
こうなると、光学マウスも買えるかどうか。
というより、旅行どーするんだ?
減らされるものの、ボーナスも出るし。
来年に実行したいと思っているのが、四国お城巡りである。
高松城(『玉藻城』と呼ばれる)・丸亀城・今治城(水城として有名)・松山城・大洲城・宇和島城を巡るのだ。
2泊3日くらいは必要かな。
次に、大雪山系の旭岳登山である。
来年7月上旬に実施したいと思っている。
今年の夏は、失敗だったからなー。
などと思っていたら、何かと物入りになりそうな雲行き。
パソコンの新しいものを、友人に作製してもらうが、その部品代やら出張してもらうのに関連する費用の心積もりをしておかないといけない。
ラジカセが一部壊れたり、調子が悪いので、新しいものが欲しい。
こうなると、光学マウスも買えるかどうか。
というより、旅行どーするんだ?
旅行疲れ
2003年10月28日 さすがに疲れてきた……
8月上旬 尾道・四国旅行(4泊5日)
8月末 北海道(3泊4日)
9月末 山梨(1泊2日)
10月初 霧が峰(1泊2日)
10月中旬 南東北(2泊3日)
やっと最近、疲れが取れてきた。
旅行は楽しめて(あるいは癒されて)なんぼのもんなのに、疲れるばかりではマズイ。
少し、自制が必要だな。
移動や旅行は好きである。
だけれど、普段の住まいが放置され、荒れてくると考えざるを得ない。
でも、旅行の虫はウズウズしていることが多い。
実現はしなかったけれど、紅葉を見たくなってしまって、今週日帰り旅行を企てていた。
今回はいろいろな事情(仕事など)で断念したけれど……
今日帰ったら、知人から以前依頼していた情報がメールできていた。
高松や丸亀の情報を提供してくださったのだが、これがとても良かった。
『玉藻城』(高松城のこと)や丸亀城の情報を写真付きで提供され、思わず行きたくなってしまった。
ああ、どうしたものやら……。
8月上旬 尾道・四国旅行(4泊5日)
8月末 北海道(3泊4日)
9月末 山梨(1泊2日)
10月初 霧が峰(1泊2日)
10月中旬 南東北(2泊3日)
やっと最近、疲れが取れてきた。
旅行は楽しめて(あるいは癒されて)なんぼのもんなのに、疲れるばかりではマズイ。
少し、自制が必要だな。
移動や旅行は好きである。
だけれど、普段の住まいが放置され、荒れてくると考えざるを得ない。
でも、旅行の虫はウズウズしていることが多い。
実現はしなかったけれど、紅葉を見たくなってしまって、今週日帰り旅行を企てていた。
今回はいろいろな事情(仕事など)で断念したけれど……
今日帰ったら、知人から以前依頼していた情報がメールできていた。
高松や丸亀の情報を提供してくださったのだが、これがとても良かった。
『玉藻城』(高松城のこと)や丸亀城の情報を写真付きで提供され、思わず行きたくなってしまった。
ああ、どうしたものやら……。
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ズーラシア
2003年6月29日 楽しいところではありますが……。
今日、一人でズーラシア(よこはま動物園)に行く。
妹から貰ったズーラシア土産のストラップからオカピをなくしてしまったので、購入するためである。
貰って、気に入っていたのだ。
JR横浜線の中山駅に行き、バスを待つ。
ズーラシアまでバスで15分ほどかかるらしい。
やって来た横浜市営バスに乗ると、割とすぐに発車。時刻表よりだいぶ早いようだが。
それにしても運賃が210円均一とは、バスも高くなったものである。
それでも自動車に乗るより楽だし、安いものだ。
ズーラシアの目玉は、オカピ(シマウマのようだが、キリンの一種だそうな)だが、他にも面白い動物が多くいる。
入るとまず、象を見ることが出来る。
他にはっきりと思い出せるのは、小さなヒョウの一種、バク、キンシコウ(中国にいるサル。孫悟空のモデルという説も)、カンガルー……。
動植物の名前は、どうも覚えきれない。すぐ忘れる。
時間があって、落ち着いて見られれば、もっと楽しめただろう。
家族連れやカップルが多くて、単独行の私は気が引けてしまったのだ。
オカピはさすがに「目玉商品」である。どことなくユーモラスで、毛並みがよろしい。
上野動物園にもいるけれど、狭いオリの中にいるよりは、ズーラシアのような空間に余裕のあるところで見た方が面白い。しかも何頭もいるから、いっそう楽しめる。
いいなあ。来て良かった。
ショップで、オカピの携帯ストラップを購入。
よかったよかった。
帰りがけ、上野駅の「びゅうプラザ」で、岡山行きのチケットを手配。
往復夜行で現地に1泊するプランを考えていたのだが、順番待ちをしている内に、おトクな商品を発見する。
往復の飛行機代と宿(朝食付)がセットで、1泊2日で23800円。なんて安いんだ。
こちらの商品に決めてきたことは言うまでもない。
今日、一人でズーラシア(よこはま動物園)に行く。
妹から貰ったズーラシア土産のストラップからオカピをなくしてしまったので、購入するためである。
貰って、気に入っていたのだ。
JR横浜線の中山駅に行き、バスを待つ。
ズーラシアまでバスで15分ほどかかるらしい。
やって来た横浜市営バスに乗ると、割とすぐに発車。時刻表よりだいぶ早いようだが。
それにしても運賃が210円均一とは、バスも高くなったものである。
それでも自動車に乗るより楽だし、安いものだ。
ズーラシアの目玉は、オカピ(シマウマのようだが、キリンの一種だそうな)だが、他にも面白い動物が多くいる。
入るとまず、象を見ることが出来る。
他にはっきりと思い出せるのは、小さなヒョウの一種、バク、キンシコウ(中国にいるサル。孫悟空のモデルという説も)、カンガルー……。
動植物の名前は、どうも覚えきれない。すぐ忘れる。
時間があって、落ち着いて見られれば、もっと楽しめただろう。
家族連れやカップルが多くて、単独行の私は気が引けてしまったのだ。
オカピはさすがに「目玉商品」である。どことなくユーモラスで、毛並みがよろしい。
上野動物園にもいるけれど、狭いオリの中にいるよりは、ズーラシアのような空間に余裕のあるところで見た方が面白い。しかも何頭もいるから、いっそう楽しめる。
いいなあ。来て良かった。
ショップで、オカピの携帯ストラップを購入。
よかったよかった。
帰りがけ、上野駅の「びゅうプラザ」で、岡山行きのチケットを手配。
往復夜行で現地に1泊するプランを考えていたのだが、順番待ちをしている内に、おトクな商品を発見する。
往復の飛行機代と宿(朝食付)がセットで、1泊2日で23800円。なんて安いんだ。
こちらの商品に決めてきたことは言うまでもない。
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行こうか行くまいか
2003年6月26日 悩むなあ……。
岡山に行こうかどうしようか。
ゼミのテーマは面白そうなので、行ってみたい。
しかしコストを考えると、費用対効果比悪すぎだよなー(ー_ー;)
まず、職場の後輩N君に相談。
「大丈夫ですよ。Mさんの行動力なら、国内に不可能はないですよ」
唆されてしまった。
さらに悩んでも埒があかないので、C県在住の友人に電話で相談。
「予定がなければ一緒に行っても良かったのだけれど」
とのこと。
何の予定が入っているかを聞くと
「鹿児島本線すごろくの旅をしてきますよ」
自分以上に酔狂な人間がいた。
結局、行くことにする。
岡山に行こうかどうしようか。
ゼミのテーマは面白そうなので、行ってみたい。
しかしコストを考えると、費用対効果比悪すぎだよなー(ー_ー;)
まず、職場の後輩N君に相談。
「大丈夫ですよ。Mさんの行動力なら、国内に不可能はないですよ」
唆されてしまった。
さらに悩んでも埒があかないので、C県在住の友人に電話で相談。
「予定がなければ一緒に行っても良かったのだけれど」
とのこと。
何の予定が入っているかを聞くと
「鹿児島本線すごろくの旅をしてきますよ」
自分以上に酔狂な人間がいた。
結局、行くことにする。
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岡山からの招き
2003年6月23日 岡山の市民団体から、2003年度総会と第7回ゼミの案内が。
会員になった覚えはないが、第5回ゼミに飛び入りで参加して話を聴いたことがある。たぶん、そのこともあって案内が来たのだろう。
総会はともかく、第7回ゼミのお題は「松江のバスマップ」である。バスマップの製作者がやって来て、話をしてくれるらしい。面白そうだ。
しかし……。
私の住んでいるところから岡山は、とても遠い。
交通費もかかってしまう。
夏の旅行予定を考えると、あまり予算を割けない。
どうしたらいいんだあ〜。
会員になった覚えはないが、第5回ゼミに飛び入りで参加して話を聴いたことがある。たぶん、そのこともあって案内が来たのだろう。
総会はともかく、第7回ゼミのお題は「松江のバスマップ」である。バスマップの製作者がやって来て、話をしてくれるらしい。面白そうだ。
しかし……。
私の住んでいるところから岡山は、とても遠い。
交通費もかかってしまう。
夏の旅行予定を考えると、あまり予算を割けない。
どうしたらいいんだあ〜。
出張の余禄
2003年6月12日 私にとっては、こちらの方が楽しみだったりする。
人によっては、出張中、酒を飲む事が楽しみな人もいるようだが、下戸だしなー。
午前中の会合の日程をこなして、熱海を去る。
先輩たちは食事をしていくとのことだが、私は一緒に戻らず、道草をしつつ実家に帰る。
東京行き普通電車に乗り込む。
その前に、腹が減ったので駅弁を購入する。
東海道本線の熱海から小田原の間は、海岸沿いを走る(というより海岸ギリギリだ)ので、トンネルと海の眺めとを交互に見るような状態になる。
特に、根府川鉄橋は地面からの高度もあり、ちょっと面白いかもしれない。最近、風除けの柵が巡らされたけれど。
小田原にて乗り換える。
ここから強羅までの箱根登山鉄道では、線路や駅周辺に紫陽花を植えており、今ぐらいの時期の車窓は名物となっている。
あとは体力と時間とに余裕があれば、見物でもしていこう。
箱根湯本まで、小田急から乗入れの急行に乗車。
元々が、短い車両を連ねて走る区間なので、6両編成の急行にはちょっと窮屈な風情だ。
風祭(かざまつり)という駅では、乗務員が湯本よりの1両だけ非常用ドアコックで扉にかかる空気を抜いて、駅員が手で一つ一つドアを開けていく。乗降客はその車両のドアから乗り降りする。
紫陽花はところどころ咲いている。
湯本から先でも見られると良いな。
湯本到着。
ここから更に、箱根登山鉄道の列車に乗り換える。
発車すると、いきなり登りに入る。湯本の旅館・人家の裏手、山の斜面沿いをゆっくり登っていく。
時代物のトンネルに入る。先頭車両の先頭に近い座席にいるので、色々見られて面白い。
箱根登山鉄道は、急勾配とそれを克服する仕掛け、それらが織り成す車窓が名物である。
最大80パーミル(1000分の80)で、車両の力だけで走る通常の鉄道ではなかなか登れない勾配だ。
道路の勾配と比べても、遜色はさほどないのではないか。
塔ノ沢到着。
ホームに直結してお稲荷さまの小さ目のお社がある。古い駅舎もある。良い風情に思われた。
近くに旅館は見当たらないが、ハイカーも含む何人か乗り降りがある。多少離れて、旅館があるのかもしれない。
川(塔ノ沢川?)の水面からの高さ数十メートルだかにある橋梁(文化財になっているらしい)を渡る。根府川よりある意味、迫力が感じられる。
沿線案内の自動アナウンスが入る。
急勾配を克服するため、斜面に直接挑まず、カーブとスイッチバック(3回)とで、勾配を緩和する。
車両にも勾配を克服する仕掛けがある。
いくつものブレーキを備えている。空気ブレーキ・電気ブレーキ・非常用の強力なブレーキ・レールに吸着する特殊なブレーキなど。
レールと車輪との摩擦を減らすため、通常だと油を出すが、箱根登山鉄道の場合は水を使用する。そのための水タンクを車両に備えている。
カーブは急なので(半径30メートルとか)、車両の一つあたりの長さもごく短い。
車両同士の行き来はできない。カーブがあまりにも急なので、貫通路を設けていないのだ(扉はあるが、非常用)。
もちろん車窓の説明もちゃんとなされるが、生憎の天気で、遠くの山が見えなかったりする。事前に、乗務員の肉声でわざわざ、自動アナウンスの内容と現実の車窓とが違う旨、放送がある。
紫陽花にも注目していたのだが、標高が高くなると咲く時期がずれるらしく、まだまだだった。
1週間、せめて数日後なら、ちょうど見頃だったのかもしれない。
小学生の頃、親に連れられて箱根遊覧の日帰り旅行をしたことがある。
ただ、かなり前のことで記憶が薄れていたのと、ちょうど休日で混んでいる中だったので車窓についての印象がかなり欠落していたのだ。
今は、平日でも自分で行くことができるので、ちょっと嬉しい。
平日は空いているので、ゆったりと観光できる。
次は、ちゃんと泊りがけで来て見たいものである。
強羅到着。
さすがに疲れてきた。
前日の酒も残っているのか。
もう帰ろう。
小田原近くまで戻ると、携帯電話にメールが。
毎日行なわれている業務でデータの振り分けを行なうが、そのデータが消えたらしい。
小田原で電話をかけるが、私が戻らなくても大丈夫そうだ。
ちょっと冷や汗。
小田原からロマンスカーを使って帰る。
人によっては、出張中、酒を飲む事が楽しみな人もいるようだが、下戸だしなー。
午前中の会合の日程をこなして、熱海を去る。
先輩たちは食事をしていくとのことだが、私は一緒に戻らず、道草をしつつ実家に帰る。
東京行き普通電車に乗り込む。
その前に、腹が減ったので駅弁を購入する。
東海道本線の熱海から小田原の間は、海岸沿いを走る(というより海岸ギリギリだ)ので、トンネルと海の眺めとを交互に見るような状態になる。
特に、根府川鉄橋は地面からの高度もあり、ちょっと面白いかもしれない。最近、風除けの柵が巡らされたけれど。
小田原にて乗り換える。
ここから強羅までの箱根登山鉄道では、線路や駅周辺に紫陽花を植えており、今ぐらいの時期の車窓は名物となっている。
あとは体力と時間とに余裕があれば、見物でもしていこう。
箱根湯本まで、小田急から乗入れの急行に乗車。
元々が、短い車両を連ねて走る区間なので、6両編成の急行にはちょっと窮屈な風情だ。
風祭(かざまつり)という駅では、乗務員が湯本よりの1両だけ非常用ドアコックで扉にかかる空気を抜いて、駅員が手で一つ一つドアを開けていく。乗降客はその車両のドアから乗り降りする。
紫陽花はところどころ咲いている。
湯本から先でも見られると良いな。
湯本到着。
ここから更に、箱根登山鉄道の列車に乗り換える。
発車すると、いきなり登りに入る。湯本の旅館・人家の裏手、山の斜面沿いをゆっくり登っていく。
時代物のトンネルに入る。先頭車両の先頭に近い座席にいるので、色々見られて面白い。
箱根登山鉄道は、急勾配とそれを克服する仕掛け、それらが織り成す車窓が名物である。
最大80パーミル(1000分の80)で、車両の力だけで走る通常の鉄道ではなかなか登れない勾配だ。
道路の勾配と比べても、遜色はさほどないのではないか。
塔ノ沢到着。
ホームに直結してお稲荷さまの小さ目のお社がある。古い駅舎もある。良い風情に思われた。
近くに旅館は見当たらないが、ハイカーも含む何人か乗り降りがある。多少離れて、旅館があるのかもしれない。
川(塔ノ沢川?)の水面からの高さ数十メートルだかにある橋梁(文化財になっているらしい)を渡る。根府川よりある意味、迫力が感じられる。
沿線案内の自動アナウンスが入る。
急勾配を克服するため、斜面に直接挑まず、カーブとスイッチバック(3回)とで、勾配を緩和する。
車両にも勾配を克服する仕掛けがある。
いくつものブレーキを備えている。空気ブレーキ・電気ブレーキ・非常用の強力なブレーキ・レールに吸着する特殊なブレーキなど。
レールと車輪との摩擦を減らすため、通常だと油を出すが、箱根登山鉄道の場合は水を使用する。そのための水タンクを車両に備えている。
カーブは急なので(半径30メートルとか)、車両の一つあたりの長さもごく短い。
車両同士の行き来はできない。カーブがあまりにも急なので、貫通路を設けていないのだ(扉はあるが、非常用)。
もちろん車窓の説明もちゃんとなされるが、生憎の天気で、遠くの山が見えなかったりする。事前に、乗務員の肉声でわざわざ、自動アナウンスの内容と現実の車窓とが違う旨、放送がある。
紫陽花にも注目していたのだが、標高が高くなると咲く時期がずれるらしく、まだまだだった。
1週間、せめて数日後なら、ちょうど見頃だったのかもしれない。
小学生の頃、親に連れられて箱根遊覧の日帰り旅行をしたことがある。
ただ、かなり前のことで記憶が薄れていたのと、ちょうど休日で混んでいる中だったので車窓についての印象がかなり欠落していたのだ。
今は、平日でも自分で行くことができるので、ちょっと嬉しい。
平日は空いているので、ゆったりと観光できる。
次は、ちゃんと泊りがけで来て見たいものである。
強羅到着。
さすがに疲れてきた。
前日の酒も残っているのか。
もう帰ろう。
小田原近くまで戻ると、携帯電話にメールが。
毎日行なわれている業務でデータの振り分けを行なうが、そのデータが消えたらしい。
小田原で電話をかけるが、私が戻らなくても大丈夫そうだ。
ちょっと冷や汗。
小田原からロマンスカーを使って帰る。
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熱海出張
2003年6月11日 出張という行為についてのボヤキは、既に京都出張の際にもしたので、もはや何もいうことはない。
ただ、目的地が熱海というのが、ちょっと気に食わないだけである。
普段よりやや遅目に自宅を出発する。
この時間帯の気分にゆとりがあるのは久し振りである。たまにはこういうのもいい。
普段この時間帯なら外に居ないはずの自分が、ゆっくり目に自転車を走らせている。同じ光景でも、いつもと違うように見える。時間帯が若干、異なるせいもあろう。
今日も外は蒸し暑い。
朝に入浴してさっぱりしたのに、駅に着く頃には汗だくである。
駅ホームで先輩たちと待ち合わせて、列車に乗り込む。
自分だけ違う列の席に落ち着いて、持参の本(後輩の男性からの借り物)を開く。
『六の宮の姫君』(北村薫著)である。女子学生の《私》と探偵役の円紫さん(落語家)とのシリーズだ(円紫さんと《私》シリーズ)。
今回は芥川龍之介の作品『六の宮の姫君』を巡る謎だが、ミステリー調ではあるものの、「現実」の事件ではなく、文学上の謎だ。『六の宮〜』に関連した、芥川と菊池寛とを巡る謎が今回の主題であり、今回謎を解くのは円紫さんではなく、《私》である。
列車は定時に順調に進んでいる。
日本の誇るものの一つだ。
今回ばかりは、つまらないが。
新幹線車内では、3人がけの席に座ったので、話をしながら熱海を目指す。
熱海着。
先輩の一人に、昼食をご馳走になってから、会場の旅館を目指す。
会場の旅館は、増改築を繰り返して、ちょっと構造に無理がある。
本館に隣接して東館がある。南館は川を挟んで建っている。館同士を行き来するには、2Fや1Fまで一度行かないといけない。
全体集会を行なうスペースは、宴会場だったところを使っている。畳の上に絨毯(というよりフェルトか)を敷いていて、その上にテーブル・机やイスが配置されている。本来ならホテルがこなすべき機能だが、そうした需要にも応えようとしている。
大浴場はやや手狭である。普通なら良いのだが、行動パターンが似通った集団が泊まって入浴すると、手狭に見える。
個別の分科会では、先輩の一人が提言者(分科会毎に設定されたテーマについて話をする)でもあり、居眠りできない。
何となく、学会ってこんな感じなのかと思えてきた。実際の学会はあまりざっくばらんな雰囲気はないだろうが。
集会を一通り消化した後、単組同士の仲間の交流を兼ねた食事(当然飲みもある)が始まる。
大人しくしていよう。
食事・飲み会がいったんお開きとなった後、夜の街に飲みに行く面々あり、部屋で飲む面々あり……。
私たちは、結局後者だったが。
私は下戸なので、お茶を飲みながら、話し相手になる。
話も終わり、寝床につく。
借りた本を読み続ける。
芥川と菊池を巡る謎が気になってしまう。
街に繰り出していた同室の人間も戻ってきたので、眠りにつく。
ただ、目的地が熱海というのが、ちょっと気に食わないだけである。
普段よりやや遅目に自宅を出発する。
この時間帯の気分にゆとりがあるのは久し振りである。たまにはこういうのもいい。
普段この時間帯なら外に居ないはずの自分が、ゆっくり目に自転車を走らせている。同じ光景でも、いつもと違うように見える。時間帯が若干、異なるせいもあろう。
今日も外は蒸し暑い。
朝に入浴してさっぱりしたのに、駅に着く頃には汗だくである。
駅ホームで先輩たちと待ち合わせて、列車に乗り込む。
自分だけ違う列の席に落ち着いて、持参の本(後輩の男性からの借り物)を開く。
『六の宮の姫君』(北村薫著)である。女子学生の《私》と探偵役の円紫さん(落語家)とのシリーズだ(円紫さんと《私》シリーズ)。
今回は芥川龍之介の作品『六の宮の姫君』を巡る謎だが、ミステリー調ではあるものの、「現実」の事件ではなく、文学上の謎だ。『六の宮〜』に関連した、芥川と菊池寛とを巡る謎が今回の主題であり、今回謎を解くのは円紫さんではなく、《私》である。
列車は定時に順調に進んでいる。
日本の誇るものの一つだ。
今回ばかりは、つまらないが。
新幹線車内では、3人がけの席に座ったので、話をしながら熱海を目指す。
熱海着。
先輩の一人に、昼食をご馳走になってから、会場の旅館を目指す。
会場の旅館は、増改築を繰り返して、ちょっと構造に無理がある。
本館に隣接して東館がある。南館は川を挟んで建っている。館同士を行き来するには、2Fや1Fまで一度行かないといけない。
全体集会を行なうスペースは、宴会場だったところを使っている。畳の上に絨毯(というよりフェルトか)を敷いていて、その上にテーブル・机やイスが配置されている。本来ならホテルがこなすべき機能だが、そうした需要にも応えようとしている。
大浴場はやや手狭である。普通なら良いのだが、行動パターンが似通った集団が泊まって入浴すると、手狭に見える。
個別の分科会では、先輩の一人が提言者(分科会毎に設定されたテーマについて話をする)でもあり、居眠りできない。
何となく、学会ってこんな感じなのかと思えてきた。実際の学会はあまりざっくばらんな雰囲気はないだろうが。
集会を一通り消化した後、単組同士の仲間の交流を兼ねた食事(当然飲みもある)が始まる。
大人しくしていよう。
食事・飲み会がいったんお開きとなった後、夜の街に飲みに行く面々あり、部屋で飲む面々あり……。
私たちは、結局後者だったが。
私は下戸なので、お茶を飲みながら、話し相手になる。
話も終わり、寝床につく。
借りた本を読み続ける。
芥川と菊池を巡る謎が気になってしまう。
街に繰り出していた同室の人間も戻ってきたので、眠りにつく。
出張前日
2003年6月10日 今回の出張は、11日・12日の1泊2日。
ただ、C県にある実家に寄ってそのまま週末を過ごしたいので、13日金曜日は休もうかどうしようか迷う。
う〜ん……。
あと、熱海からの帰りがけはどうしよう。
大したことはできないな。お金ないし。
2日連続で職場を空けるが、仕事(雑用)は片付けられるものは片付けようと思う。
毎日生じる業務は、後輩に代わりを頼む。
その日の午後
戻るのも面倒だ。
出張後は、そのまま休もう。
「すみません。やっぱり、金曜日も休みます」
「……いいですよ(ボソッ)」(後輩の男性)
「全然、オッケーですよ!ま〜かせてください!」(後輩の女性)
……良い後輩を持てて、幸せである。
「もし、何か起こったら、電話するんで(笑)」(同期の男性)
……面白い同期がいて、微妙な心情である。
「いいよー。気をつけて。大丈夫だよ。いざとなったら熱海から駆けつけてもらうから」(上司)
……。
大過なく仕事を進めて、今日の業務ももう終わりかと思ったら……。
同僚(K氏)のトラブルをちょっと見ることに。
私が今担当している業務に関わることなのだが、関連のデータが見つからないと、午後いっぱい騒いでいるのである。
年齢相応(50代後半)の冷静さを持っていてほしいもんだが、そうもいかんらしい。
明日以降の今週は職場に出てこないので、見てみることに。
該当する領域のデータを取り出して、エクセルでソートをかけ直したら、出てきた。
ただし、K氏より聞いていたデータと微妙に異なる。
しかも、当のご本人はさっさと帰宅するし。人の心情を思いやれんのかい?
ヤなヤツ、ヤなヤツ、ヤなヤツ……(『耳をすませば』風に)。
……良くない先輩を持って、結構不幸せである。
ただ、C県にある実家に寄ってそのまま週末を過ごしたいので、13日金曜日は休もうかどうしようか迷う。
う〜ん……。
あと、熱海からの帰りがけはどうしよう。
大したことはできないな。お金ないし。
2日連続で職場を空けるが、仕事(雑用)は片付けられるものは片付けようと思う。
毎日生じる業務は、後輩に代わりを頼む。
その日の午後
戻るのも面倒だ。
出張後は、そのまま休もう。
「すみません。やっぱり、金曜日も休みます」
「……いいですよ(ボソッ)」(後輩の男性)
「全然、オッケーですよ!ま〜かせてください!」(後輩の女性)
……良い後輩を持てて、幸せである。
「もし、何か起こったら、電話するんで(笑)」(同期の男性)
……面白い同期がいて、微妙な心情である。
「いいよー。気をつけて。大丈夫だよ。いざとなったら熱海から駆けつけてもらうから」(上司)
……。
大過なく仕事を進めて、今日の業務ももう終わりかと思ったら……。
同僚(K氏)のトラブルをちょっと見ることに。
私が今担当している業務に関わることなのだが、関連のデータが見つからないと、午後いっぱい騒いでいるのである。
年齢相応(50代後半)の冷静さを持っていてほしいもんだが、そうもいかんらしい。
明日以降の今週は職場に出てこないので、見てみることに。
該当する領域のデータを取り出して、エクセルでソートをかけ直したら、出てきた。
ただし、K氏より聞いていたデータと微妙に異なる。
しかも、当のご本人はさっさと帰宅するし。人の心情を思いやれんのかい?
ヤなヤツ、ヤなヤツ、ヤなヤツ……(『耳をすませば』風に)。
……良くない先輩を持って、結構不幸せである。
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熱海出張の前々日
2003年6月9日 出張といっても組合の用事なのだが……。
5月に言われていて先のことだと思っていたら、出発が近い。
組合から言われて出張するのは、1月末の京都に次いで2回目だ。
組合がらみとなると、あんまり気分が乗らない。
しかも今回の目的地は熱海だ。
交通手段の選択余地の少なさが、いっそう気分のノリを悪くする。
工夫の余地がないよー(泣叫)。
せめて、帰り道は単独行動を取ろうと思う。
今回の旅行は、2名の先輩たちと行く。
帰りがけ、最寄駅から上野駅までの特急を予約するなど、熱海までの片道を3人分手配する。
お金ないし。
それに、帰りは単独行動したいからな。
帰宅後、自宅PC宛てのメールを開くと、旅行のお知らせが。
8月上旬に尾道から四国に渡る旅行をするとのこと。
尾道旅行の企画にはなかなか参加できないでいるので、丁度良い。
今度こそ、尾道に行こう。
疲労のせいでちょっと寝入っていると、父親からの電話で起こされる。
8月末頃に曽祖父の三十三回忌の法事をしようとのこと。
祖父の命日が8月下旬なので、身内が集まりやすい。いっしょにやるつもりらしい(曽祖父の命日は春頃)。
父の誕生日は8月なので、航空券は『バースデー割得』を使える。どうせなら一緒にどうかということだ。
もちろん、賛成だ。
ただ、職場の状況次第で、微妙ではあるけれど。
5月に言われていて先のことだと思っていたら、出発が近い。
組合から言われて出張するのは、1月末の京都に次いで2回目だ。
組合がらみとなると、あんまり気分が乗らない。
しかも今回の目的地は熱海だ。
交通手段の選択余地の少なさが、いっそう気分のノリを悪くする。
工夫の余地がないよー(泣叫)。
せめて、帰り道は単独行動を取ろうと思う。
今回の旅行は、2名の先輩たちと行く。
帰りがけ、最寄駅から上野駅までの特急を予約するなど、熱海までの片道を3人分手配する。
お金ないし。
それに、帰りは単独行動したいからな。
帰宅後、自宅PC宛てのメールを開くと、旅行のお知らせが。
8月上旬に尾道から四国に渡る旅行をするとのこと。
尾道旅行の企画にはなかなか参加できないでいるので、丁度良い。
今度こそ、尾道に行こう。
疲労のせいでちょっと寝入っていると、父親からの電話で起こされる。
8月末頃に曽祖父の三十三回忌の法事をしようとのこと。
祖父の命日が8月下旬なので、身内が集まりやすい。いっしょにやるつもりらしい(曽祖父の命日は春頃)。
父の誕生日は8月なので、航空券は『バースデー割得』を使える。どうせなら一緒にどうかということだ。
もちろん、賛成だ。
ただ、職場の状況次第で、微妙ではあるけれど。
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洗脳?
2003年5月27日 最近、ハイドンの『戦時ミサ曲』にハマッている。
CDプレイヤーをいつもバッグの中に入れて持ち歩く私なのだが、プレイヤーの中に入りっぱなしになっているCDは最近、これなのである。
もしかしたら、自分で自分を洗脳しているのか?
実際、たまに「キリエ・エレイソン」と口ずさんでいる自分が居る。
ちょっとマズイんでないかい!?
ちなみに、購入したのは輸入版なのだが、初めの曲はひどくわかりやすい。ひたすら「キリエ・エレイソン」「キリシテ・エレイソン」と繰り返しているのである。
「キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)」は「Lord,have mercy」、つまり、主よあわれみたまえといった意味になる。「キリシテ・エレイソン(Christe eleison)」は「Christ,have mercy」で、前述の「主」が「キリスト」になっただけのことだ。
というわけで、意識的に違う曲を聴くようにしている。
ブラームスの『ピアノ協奏曲第1番』。これは『戦時ミサ曲』にハマる前に、ハマッていた曲である。
その前は、アンジェラ・ヒューイットだったし、体質か?
CDプレイヤーをいつもバッグの中に入れて持ち歩く私なのだが、プレイヤーの中に入りっぱなしになっているCDは最近、これなのである。
もしかしたら、自分で自分を洗脳しているのか?
実際、たまに「キリエ・エレイソン」と口ずさんでいる自分が居る。
ちょっとマズイんでないかい!?
ちなみに、購入したのは輸入版なのだが、初めの曲はひどくわかりやすい。ひたすら「キリエ・エレイソン」「キリシテ・エレイソン」と繰り返しているのである。
「キリエ・エレイソン(Kyrie eleison)」は「Lord,have mercy」、つまり、主よあわれみたまえといった意味になる。「キリシテ・エレイソン(Christe eleison)」は「Christ,have mercy」で、前述の「主」が「キリスト」になっただけのことだ。
というわけで、意識的に違う曲を聴くようにしている。
ブラームスの『ピアノ協奏曲第1番』。これは『戦時ミサ曲』にハマる前に、ハマッていた曲である。
その前は、アンジェラ・ヒューイットだったし、体質か?
『たそがれ清兵衛』を……
2003年5月25日 読んだ(藤沢周平作、新潮社刊)。
他にも、短編が収録されている。
いずれの作品も冴えない(生活や容姿などが)侍を主人公にしているのだが、彼らは剣の遣い手だったりして、その立ち回りなどが面白い。
後輩などが映画の『だそがれ清兵衛』の話をするので、何となく関心が高まっていた。
あと、我ながら天邪鬼なもので、原作があるならそちらを読んでからにしようなどと思ってしまうのだ(その点、『指輪物語』では失敗した。とっつきにくいから、原作を読んでないし、映画も見られない)。
『たそがれ清兵衛』などを読んでいてふと、同じ作者の『竹光始末』を思い出した。こういう話、好きなのである。
寝る前に荷物整理をしたのだが、その時に読み出したため、寝付いたのが未明の2時過ぎになってしまう。
5時起きの予定なのに(泣)。
他にも、短編が収録されている。
いずれの作品も冴えない(生活や容姿などが)侍を主人公にしているのだが、彼らは剣の遣い手だったりして、その立ち回りなどが面白い。
後輩などが映画の『だそがれ清兵衛』の話をするので、何となく関心が高まっていた。
あと、我ながら天邪鬼なもので、原作があるならそちらを読んでからにしようなどと思ってしまうのだ(その点、『指輪物語』では失敗した。とっつきにくいから、原作を読んでないし、映画も見られない)。
『たそがれ清兵衛』などを読んでいてふと、同じ作者の『竹光始末』を思い出した。こういう話、好きなのである。
寝る前に荷物整理をしたのだが、その時に読み出したため、寝付いたのが未明の2時過ぎになってしまう。
5時起きの予定なのに(泣)。
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歩け、歩け……
2003年5月10日 もう少し歩いても良かったかな?
今日は「廃線跡ウォーキング」というのに参加する。
多摩モノレールの上北台駅から歩き出す。
まず、東京市水道局の軽便鉄道の跡を訪ねるウォーキングである。サイクリングロードになっていたりするので、訪ねやすい。
廃線跡を見つつ、多摩湖・狭山湖沿いを通り、西武ドーム・西武遊園地をかすめる。西武遊園地を走るレオ・ライナー(新交通システム)は以前、西武の軽便鉄道だったという。
まず、東京市水道局の軽便鉄道跡まで、歩き出す。参加人数が多いのに驚く。
小川沿いを歩くと、民家の裏手を通るような格好となる。
そうした民家の一つの、囲いの金網に御嶽山の御札が。オオカミの絵柄である(大口真神という)。早速、デジカメで撮影。
酒造工場にさしかかり、酒を試飲する。ワインのように口当たりの良いものもあり、買おうかどうか迷う。
結局、下戸なので止めにして、大福を購入。酒が入っているらしく、ちょっと風味がきついが、美味しい。
山というか丘に向かって歩くような按配である。雑木林の中を歩いたりして、ちょっと気持ち良い。
雑木林の中に、サイクリングロードが出現する。
これが、東京市水道局の軽便鉄道跡である。羽村から横田を経て、多摩湖沿いの山口まで続く。現在も辿れるのは一部分である。
歩いている途中の郷土史博物館で、地元の教育委員会で出している山口貯水池建設工事の写真集があったので購入。当時の貯水池工事・軽便鉄道・祝賀会などの様子が収められ、興味深い。
多摩湖沿いを歩く。これまた丘を上るような感じになる。暑さもあってなかなか、きつくなってくる。
道路や歩道・自転車道から湖へは、立ち入り禁止である。たまに、東京都水道局・警視庁などの名前で、立ち入りを禁止する旨、看板が出ている。ただ、結構、古くて判読できないものあるが。
多摩湖側は東京都だが、狭山湖側は埼玉県である。取締の管轄も埼玉の警察署だったりする。
やっと多摩湖を一望できるところにまで辿りついた。やれやれ。
視野が開けるのは、気持ち良い。
心なしか水位が低いような気がする。他人事ながら、「大丈夫か、東京都の水道は」と思ってしまう。
途中、西武ドームを撮影したりしながら歩いていると、西武山口線沿いに出る。
新交通システムになってしまったが、今なら軽便鉄道の方がウケが良いような気がする。小さな機関車が、これまた小さな客車を何両か牽いて走っている様子を想像するのも面白い。
やっとウォーキングの終点、西武遊園地の入り口に差し掛かってきた。
終点近くになって、多摩湖側が公園になっているので、ちょっと見てみる。
桜が多く植わっている。花見の名所なのだろう。
公園では工事が行なわれている。ダム堰堤の耐震性を上げる工事だという。
今年度の工事は、耐弾層を剥がすものだとのこと。太平洋戦争中の空襲に備えて、機銃掃射に耐えられるようにしたらしいが、戦後60年近く経って、ようやく剥がされることになる。
ゴールで、何やら色々貰って、少し休憩。少しは疲れた。
西武遊園地に無料で入れて、乗り物も無料(多分、1回分だろう)という話だが、ちょっとそんな気になれない。少し休んでから、帰ることにする。
途中、秋葉原に寄る。
クラシック音楽のCDを探しているのだ。ハイドンの『戦時ミサ曲』だ。
できればバーンスタイン指揮のものが欲しい。手塚治虫の『雨のコンダクター』を読んで、聴いてみたくなったのだ。
探してみるもので、某電器店で見つかる。ただし、輸入版だ。あとで解説書を見ると、歌詞はドイツ語かラテン語かわからぬがもちろん原語で、対訳は英語などの言語だ。ちょっとかなわんなー。
在庫はなかなかない、ややマイナーな代物なので、贅沢はいえない。購入を決断。
ちょっと満足。
秋葉原駅まで歩く途中、神田祭の行列を見ることができた。
相馬野馬追祭りのPR行列もあり、騎馬の小行列が目の前を通過する。これも撮影する。
駅前では、祭囃子を演奏しているのに出会えて、ちょっと楽しかった。
今日は「廃線跡ウォーキング」というのに参加する。
多摩モノレールの上北台駅から歩き出す。
まず、東京市水道局の軽便鉄道の跡を訪ねるウォーキングである。サイクリングロードになっていたりするので、訪ねやすい。
廃線跡を見つつ、多摩湖・狭山湖沿いを通り、西武ドーム・西武遊園地をかすめる。西武遊園地を走るレオ・ライナー(新交通システム)は以前、西武の軽便鉄道だったという。
まず、東京市水道局の軽便鉄道跡まで、歩き出す。参加人数が多いのに驚く。
小川沿いを歩くと、民家の裏手を通るような格好となる。
そうした民家の一つの、囲いの金網に御嶽山の御札が。オオカミの絵柄である(大口真神という)。早速、デジカメで撮影。
酒造工場にさしかかり、酒を試飲する。ワインのように口当たりの良いものもあり、買おうかどうか迷う。
結局、下戸なので止めにして、大福を購入。酒が入っているらしく、ちょっと風味がきついが、美味しい。
山というか丘に向かって歩くような按配である。雑木林の中を歩いたりして、ちょっと気持ち良い。
雑木林の中に、サイクリングロードが出現する。
これが、東京市水道局の軽便鉄道跡である。羽村から横田を経て、多摩湖沿いの山口まで続く。現在も辿れるのは一部分である。
歩いている途中の郷土史博物館で、地元の教育委員会で出している山口貯水池建設工事の写真集があったので購入。当時の貯水池工事・軽便鉄道・祝賀会などの様子が収められ、興味深い。
多摩湖沿いを歩く。これまた丘を上るような感じになる。暑さもあってなかなか、きつくなってくる。
道路や歩道・自転車道から湖へは、立ち入り禁止である。たまに、東京都水道局・警視庁などの名前で、立ち入りを禁止する旨、看板が出ている。ただ、結構、古くて判読できないものあるが。
多摩湖側は東京都だが、狭山湖側は埼玉県である。取締の管轄も埼玉の警察署だったりする。
やっと多摩湖を一望できるところにまで辿りついた。やれやれ。
視野が開けるのは、気持ち良い。
心なしか水位が低いような気がする。他人事ながら、「大丈夫か、東京都の水道は」と思ってしまう。
途中、西武ドームを撮影したりしながら歩いていると、西武山口線沿いに出る。
新交通システムになってしまったが、今なら軽便鉄道の方がウケが良いような気がする。小さな機関車が、これまた小さな客車を何両か牽いて走っている様子を想像するのも面白い。
やっとウォーキングの終点、西武遊園地の入り口に差し掛かってきた。
終点近くになって、多摩湖側が公園になっているので、ちょっと見てみる。
桜が多く植わっている。花見の名所なのだろう。
公園では工事が行なわれている。ダム堰堤の耐震性を上げる工事だという。
今年度の工事は、耐弾層を剥がすものだとのこと。太平洋戦争中の空襲に備えて、機銃掃射に耐えられるようにしたらしいが、戦後60年近く経って、ようやく剥がされることになる。
ゴールで、何やら色々貰って、少し休憩。少しは疲れた。
西武遊園地に無料で入れて、乗り物も無料(多分、1回分だろう)という話だが、ちょっとそんな気になれない。少し休んでから、帰ることにする。
途中、秋葉原に寄る。
クラシック音楽のCDを探しているのだ。ハイドンの『戦時ミサ曲』だ。
できればバーンスタイン指揮のものが欲しい。手塚治虫の『雨のコンダクター』を読んで、聴いてみたくなったのだ。
探してみるもので、某電器店で見つかる。ただし、輸入版だ。あとで解説書を見ると、歌詞はドイツ語かラテン語かわからぬがもちろん原語で、対訳は英語などの言語だ。ちょっとかなわんなー。
在庫はなかなかない、ややマイナーな代物なので、贅沢はいえない。購入を決断。
ちょっと満足。
秋葉原駅まで歩く途中、神田祭の行列を見ることができた。
相馬野馬追祭りのPR行列もあり、騎馬の小行列が目の前を通過する。これも撮影する。
駅前では、祭囃子を演奏しているのに出会えて、ちょっと楽しかった。
久し振りにご近所散歩
2003年5月5日 といっても、実家の近くなのだけれど。
昨日に続き、今日も昼近くまで眠る。
朝寝がゆっくり楽しめて、ささやかな幸せを感じる。
最近、定時までしか働いていないのに、帰宅後はなぜか疲労しきっているからなー。
実家は高層マンション(というかアパートか)の一室だ。ベランダからは田圃の広がりが心行くまで味わえる田舎に位置する(といっても、朝夕は上野からの直通電車が走るややローカルな路線の駅前にあるが)。
最近、新しい道路が近くに出来たようなのだが、ベランダからちょうど死角になっていて見えない。
気になったので、歩く事にする。
出かけると、外はよく晴れていて、暑い。つい惰性で上着を着てきたが、すぐに不要になった。
新しい道は、家近くの図書館の少し先から、西に向かってまっすぐ伸びている。田圃の縁を辿るようにしている道なので、面白味にやや欠ける道である。
しかし、折角なので、新しい部分だけ歩いて見て、帰りは田圃とは逆の丘側の、古い道を歩く事にする。
まず、浅間神社が目につく。小ぶりな丘の上にあり、社がこれまたこじんまりしている。無人である。参道の手入れが行き届かないらしく、落ち葉が多く、妙な感じに寂れている。
ただし、結構古いらしく、女坂にあたる参道の途中に小さな石の祠があり、年号が「天明」だったりする。地域の信仰を集めてきたようだ。
神社から下りて、道を歩きつづけると、古い豪農の邸が見える。
見ると、ちょっとしたギャラリーになっていて、藍染めやパッチワークなんかを、蔵などに展示している。土休日にしか公開しない(建物も含む)のがユニークだ。
何となく気後れしたのと、暑くて頭がボンヤリしてきたのとで、早めに退出したが、ちょっと良い感じだった。今度はいつ来られるかな。
帰宅後、遅い昼食を取る。
なかなかエンジンがかからない。
夕方近くになって、やっと少し掃除をする。
これでは居候と変わらない。
昨日に続き、今日も昼近くまで眠る。
朝寝がゆっくり楽しめて、ささやかな幸せを感じる。
最近、定時までしか働いていないのに、帰宅後はなぜか疲労しきっているからなー。
実家は高層マンション(というかアパートか)の一室だ。ベランダからは田圃の広がりが心行くまで味わえる田舎に位置する(といっても、朝夕は上野からの直通電車が走るややローカルな路線の駅前にあるが)。
最近、新しい道路が近くに出来たようなのだが、ベランダからちょうど死角になっていて見えない。
気になったので、歩く事にする。
出かけると、外はよく晴れていて、暑い。つい惰性で上着を着てきたが、すぐに不要になった。
新しい道は、家近くの図書館の少し先から、西に向かってまっすぐ伸びている。田圃の縁を辿るようにしている道なので、面白味にやや欠ける道である。
しかし、折角なので、新しい部分だけ歩いて見て、帰りは田圃とは逆の丘側の、古い道を歩く事にする。
まず、浅間神社が目につく。小ぶりな丘の上にあり、社がこれまたこじんまりしている。無人である。参道の手入れが行き届かないらしく、落ち葉が多く、妙な感じに寂れている。
ただし、結構古いらしく、女坂にあたる参道の途中に小さな石の祠があり、年号が「天明」だったりする。地域の信仰を集めてきたようだ。
神社から下りて、道を歩きつづけると、古い豪農の邸が見える。
見ると、ちょっとしたギャラリーになっていて、藍染めやパッチワークなんかを、蔵などに展示している。土休日にしか公開しない(建物も含む)のがユニークだ。
何となく気後れしたのと、暑くて頭がボンヤリしてきたのとで、早めに退出したが、ちょっと良い感じだった。今度はいつ来られるかな。
帰宅後、遅い昼食を取る。
なかなかエンジンがかからない。
夕方近くになって、やっと少し掃除をする。
これでは居候と変わらない。
日帰り旅行でも
2003年5月3日 いいもんですなー。
今回は、逗子へ海を見に行く。
余裕があれば、更に足を延ばすことになる。
駅にて友人のI君と待ち合わせるが、彼は前日の疲れが残っていたらしく、少し遅れてやって来た。
待っている間に本を買う用を思いついて、新星堂に買物に行く。建物の2FがクラシックのCDショップ、3・4Fが書店になっている。
1Fの入り口のところで、靴を売っていた。B1Fがスポーツ用品のショップになっているのだ。
自分の足は大きいので、サイズが合うと、つい見入ってしまう。色やデザインが気に入ったので、即購入。早速、履くことにした。履き心地も心なしか軽くて良い感じだ。
しかし、このことが荷物を増やして、歩くのにとても邪魔になろうとは……。
待ち合わせたI君は、謝る事頻りだった。
謝ってくれれば良いんですよ、別に。
今回は、買物もできたんだし。
待ち合わせ後、品川に向かう。
新逗子行き快速特急に乗るのに丁度良いタイミングで、品川に到着。しかも泉岳寺始発の列車なので、座席が空いている。ラッキー。
品川を出た電車は、駅近くの急カーブをゆっくりと通りすぎると加速を増す。最高速になった頃には、非常に気合の入った走りになる。
沿線は建物が密集しているので、もともと高速で走行しているのに、スピード感が増す。
列車は、蒲田・川崎・横浜と停車して、そこからややゆっくりになる。
住宅などの建物が密集する状態はまだ続き、丘の斜面にまで家が張りついている。
緑の丘に住宅が張りついている状態を見てふと、台北郊外の景色を思い出す。故宮博物館は郊外にあるのだが(地下鉄の士林站から更にバスに乗って行く)、博物館の真ん前に、高層マンションが立地していたのだ。周囲は緑の丘なのに。
金沢八景から逗子線に分岐するとまもなく、やっと緑の豊富な景色にお目にかかれる。トンネルをいくつかくぐる。
神武寺駅では、面白いものを見つける。駅脇の線路横に標識があり、そこから東京寄りが京浜急行、逗子寄りが在日米軍との分岐表示があるのだ。そういえば、駅近くに米軍向けらしい団地が。
神武寺駅を出発して少しすると、在日米軍用らしい野球場があり、ちょうどプレイしていた。
池子の森はこの周辺のことを指すらしい。緑の豊かな眺めだ。一時期、問題になったのも分かるような気がする。
「海は見えないのだなー」と思いつつ、終点新逗子到着。
さて。ここからどうしようか。
とりあえず、海を見ることで、I君との意見は一致しているので、適当に歩き出す。
それにしても暑い(26℃だか27℃だかあったらしい)。上着も手に持っている靴も、荷物に感じる。
空は晴れてきているが、青空なのにどことなく白っぽい。蒸し暑い。
川沿いに歩いて、何となく海の匂いがする。歩き出して10分ほど経ったろうか。海に近付いたようだ。建物の間からは、空以外の何も見えない。
海岸に到着。気候のせいもあって、行楽客が多い。ヨットなどが多く浮かぶ。
ただ、海水浴をする気にはなれないらしく、水着姿の人はほとんど見かけなかった。まだ5月初めだしな。
トンビが宙を舞っている。
やっと海に来られた。ちょっと感慨にふける。3月頃から、海に行きたいと感じていたから。
3月とかに来ればなお良かったかな。空は比較的きれいで、人も少ないだろうし。
海を見て、素直にそのまま帰ろうとは思わないのが、私(我々)である。もう少し足を延ばそうという欲を掻く。
コンビニで飲み物を調達して、近くのバス停で葉山行きのバスを待つ。バス停の名前は「六代御前まえ」という。
葉山行きのバスは、海岸沿いの道を忠実に辿って行く。狭い道を行くので、たまにすれ違いが大変そうだ。時折、建物の間から海が見える。
終点の葉山到着。すぐ目の前に、葉山御用邸がある。交差点の名前も「葉山御用邸前」である。
緑に囲まれた邸なのだけれど、塀と緑のおかげで、中の様子を窺い知る事はできない。ご丁寧にも警察署も交差点前にあったりする。
しかも、歩いて見て分かったのだけれど、邸周囲の要所に、「哨舎」とある小さな詰所がいくつかあり、皇宮警察官らしい人が詰めているのである。
とはいえ、海岸には普通に行楽客が数多く居て、バーベキューなどをしていたりする。海にヨットなどが数多く浮いているのは、逗子と同じだ。
ただ、陸側は緑が多く、海岸もギリギリまで建物が迫るという感じではないので、こちらの方が良い感じではある。
ひとしきり海を見た後、バスで逗子に戻る。今度は山側の道を経由する。
ちょっと美味しい食事のできそうな店が多少見えて、少し惜しい気分に。途中下車すれば良かったかも。
金沢八景まで戻る。「金沢シーサイドライン」という乗り物があるので、どんなものか乗ろうということに。
路線自体は海岸沿いの埋立地を縫うようにして走るというイメージだ。八景島シーパラダイス・横浜市大病院や高層マンションが立地し、海の上を走っているような感じだ。漁港も見える。
途中の駅から、潮干狩りを楽しんだ人々が乗り込んで来たりするので、海の匂いで車内が満たされる。
更に欲を掻いて、川崎まで戻って、川崎大師方面に向かう。以前から、川崎や鶴見の臨海部近辺を見てみたいと、多少思っていたからだ。
京急大師線に乗る。
その内、線路の左右が工場という光景になる。まるで電車が工場構内を走っているような風情だ。
鈴木町の辺りで大きなタンクに、「アミノ酸」との表記が。I君によると、ここら辺は味の素の工場らしい。「○ミ○式」とか「ア○ノサプリ」とかいう清涼飲料水の原料なのか。
川崎大師を通り過ぎて、終点の小島新田まで行ってしまう。好奇心には勝てず、酔狂なことである。お大師様は、後日ということで。ごめんなさい。
駅周辺は、住宅が密集している。
駅からまっすぐ進むと、JRの貨物線にぶつかる。
線路の向こう側には町工場がある。町工場の片隅が塀ごしに見える。屋根下の狭いスペースに、ささやかな物干し場が。
貨物線上の跨線橋から見ると、ちょうど貨物の入換作業をしていた。
跨線橋上から通り掛かりの子供連れが見ている。入換中の貨物列車の最後尾に乗っている作業員が、跨線橋上の人たちに手を振る。いいなー。
大きな船や貨物列車の群れや工場のある光景が、私自身、結構好きだったりする。船舶や貨物列車や工場のような大きいものが動いていたり、あったりすると子供のようにワクワクする。
別な意味で、町工場やそれに隣接する住居も良い。モノを作り出したり、その傍らで生活したりする様子は、人間臭くて何となく他人事でない気がする。
そんな私の様子を見ていたI君は、「JR鶴見線も乗りませんか」と声を掛けてくる。彼は結構、気を遣う人なのだ。
それもいいかもしれない(オイオイ)。日も暮れてきているが、一度、海芝浦駅を見たかったので、ちょうど良いかもしれない。
更にまた欲を掻くことにする。渡りに舟とばかりに、鶴見に向かう。
鶴見線乗り場になっている鶴見駅ホームは古くて、木のベンチがあったりする。いい具合にさびれてアンティークな感じを醸し出している。
電車が鶴見駅を出発する。
平日なら沿線の工場従業員が結構乗ってくるのだろうけれど、休日である今日は少ない。
「土曜ダイヤなんてあるんだねー」
I君の発見である。
駅の時刻表が、3種類ある。
週休二日制が普通になってしまった今では、電車などの時刻表は平日・休日の2種類しかないけれど、以前は、平日・土曜・休日の3通りが当たり前だった。工場の勤務シフトは、従来と変化が少ないのかもしれない。ちょっと懐かしい。
分岐した線路のカーブ上にある浅野駅を出ると、海芝浦方面の支線に入る。
新芝浦辺りで、工場構内を電車が走っている風情になる。分岐した線路が、そのまま工場内の舗装とレベルが同じになって、そのまま工場内に入っている。
こちらは、普通の電車に乗っているのに、貨物列車に乗っているような錯覚を覚える。
工場構内をゴトゴト走って少しすると、終着の海芝浦駅である。ホームと最近設置された小緑地の他は、東芝の工場敷地だ。
ホーム側はすぐ海になっている。ホームのすぐ下、足元の方で水音がする。
ホームから海を見ると、水面を挟んだずっと向こう側に石油タンクの群れや道路用吊り橋が見える。ベイブリッジだろうか。
ホームには「Suica」の簡易入出場端末が設けられている。
駅舎のような建物は、工場への入り口であり、警備員が詰めている。駅員はいない。
建物内には券売機が設けられている。東芝の社内報パンフレットがラックにある。I君も私も、東芝関係者ではないが、持ち帰ることに。
日はすっかり暮れてしまった。
浅野まで出て、浜川崎・八丁畷廻りで、品川に戻る。
今回は、逗子へ海を見に行く。
余裕があれば、更に足を延ばすことになる。
駅にて友人のI君と待ち合わせるが、彼は前日の疲れが残っていたらしく、少し遅れてやって来た。
待っている間に本を買う用を思いついて、新星堂に買物に行く。建物の2FがクラシックのCDショップ、3・4Fが書店になっている。
1Fの入り口のところで、靴を売っていた。B1Fがスポーツ用品のショップになっているのだ。
自分の足は大きいので、サイズが合うと、つい見入ってしまう。色やデザインが気に入ったので、即購入。早速、履くことにした。履き心地も心なしか軽くて良い感じだ。
しかし、このことが荷物を増やして、歩くのにとても邪魔になろうとは……。
待ち合わせたI君は、謝る事頻りだった。
謝ってくれれば良いんですよ、別に。
今回は、買物もできたんだし。
待ち合わせ後、品川に向かう。
新逗子行き快速特急に乗るのに丁度良いタイミングで、品川に到着。しかも泉岳寺始発の列車なので、座席が空いている。ラッキー。
品川を出た電車は、駅近くの急カーブをゆっくりと通りすぎると加速を増す。最高速になった頃には、非常に気合の入った走りになる。
沿線は建物が密集しているので、もともと高速で走行しているのに、スピード感が増す。
列車は、蒲田・川崎・横浜と停車して、そこからややゆっくりになる。
住宅などの建物が密集する状態はまだ続き、丘の斜面にまで家が張りついている。
緑の丘に住宅が張りついている状態を見てふと、台北郊外の景色を思い出す。故宮博物館は郊外にあるのだが(地下鉄の士林站から更にバスに乗って行く)、博物館の真ん前に、高層マンションが立地していたのだ。周囲は緑の丘なのに。
金沢八景から逗子線に分岐するとまもなく、やっと緑の豊富な景色にお目にかかれる。トンネルをいくつかくぐる。
神武寺駅では、面白いものを見つける。駅脇の線路横に標識があり、そこから東京寄りが京浜急行、逗子寄りが在日米軍との分岐表示があるのだ。そういえば、駅近くに米軍向けらしい団地が。
神武寺駅を出発して少しすると、在日米軍用らしい野球場があり、ちょうどプレイしていた。
池子の森はこの周辺のことを指すらしい。緑の豊かな眺めだ。一時期、問題になったのも分かるような気がする。
「海は見えないのだなー」と思いつつ、終点新逗子到着。
さて。ここからどうしようか。
とりあえず、海を見ることで、I君との意見は一致しているので、適当に歩き出す。
それにしても暑い(26℃だか27℃だかあったらしい)。上着も手に持っている靴も、荷物に感じる。
空は晴れてきているが、青空なのにどことなく白っぽい。蒸し暑い。
川沿いに歩いて、何となく海の匂いがする。歩き出して10分ほど経ったろうか。海に近付いたようだ。建物の間からは、空以外の何も見えない。
海岸に到着。気候のせいもあって、行楽客が多い。ヨットなどが多く浮かぶ。
ただ、海水浴をする気にはなれないらしく、水着姿の人はほとんど見かけなかった。まだ5月初めだしな。
トンビが宙を舞っている。
やっと海に来られた。ちょっと感慨にふける。3月頃から、海に行きたいと感じていたから。
3月とかに来ればなお良かったかな。空は比較的きれいで、人も少ないだろうし。
海を見て、素直にそのまま帰ろうとは思わないのが、私(我々)である。もう少し足を延ばそうという欲を掻く。
コンビニで飲み物を調達して、近くのバス停で葉山行きのバスを待つ。バス停の名前は「六代御前まえ」という。
葉山行きのバスは、海岸沿いの道を忠実に辿って行く。狭い道を行くので、たまにすれ違いが大変そうだ。時折、建物の間から海が見える。
終点の葉山到着。すぐ目の前に、葉山御用邸がある。交差点の名前も「葉山御用邸前」である。
緑に囲まれた邸なのだけれど、塀と緑のおかげで、中の様子を窺い知る事はできない。ご丁寧にも警察署も交差点前にあったりする。
しかも、歩いて見て分かったのだけれど、邸周囲の要所に、「哨舎」とある小さな詰所がいくつかあり、皇宮警察官らしい人が詰めているのである。
とはいえ、海岸には普通に行楽客が数多く居て、バーベキューなどをしていたりする。海にヨットなどが数多く浮いているのは、逗子と同じだ。
ただ、陸側は緑が多く、海岸もギリギリまで建物が迫るという感じではないので、こちらの方が良い感じではある。
ひとしきり海を見た後、バスで逗子に戻る。今度は山側の道を経由する。
ちょっと美味しい食事のできそうな店が多少見えて、少し惜しい気分に。途中下車すれば良かったかも。
金沢八景まで戻る。「金沢シーサイドライン」という乗り物があるので、どんなものか乗ろうということに。
路線自体は海岸沿いの埋立地を縫うようにして走るというイメージだ。八景島シーパラダイス・横浜市大病院や高層マンションが立地し、海の上を走っているような感じだ。漁港も見える。
途中の駅から、潮干狩りを楽しんだ人々が乗り込んで来たりするので、海の匂いで車内が満たされる。
更に欲を掻いて、川崎まで戻って、川崎大師方面に向かう。以前から、川崎や鶴見の臨海部近辺を見てみたいと、多少思っていたからだ。
京急大師線に乗る。
その内、線路の左右が工場という光景になる。まるで電車が工場構内を走っているような風情だ。
鈴木町の辺りで大きなタンクに、「アミノ酸」との表記が。I君によると、ここら辺は味の素の工場らしい。「○ミ○式」とか「ア○ノサプリ」とかいう清涼飲料水の原料なのか。
川崎大師を通り過ぎて、終点の小島新田まで行ってしまう。好奇心には勝てず、酔狂なことである。お大師様は、後日ということで。ごめんなさい。
駅周辺は、住宅が密集している。
駅からまっすぐ進むと、JRの貨物線にぶつかる。
線路の向こう側には町工場がある。町工場の片隅が塀ごしに見える。屋根下の狭いスペースに、ささやかな物干し場が。
貨物線上の跨線橋から見ると、ちょうど貨物の入換作業をしていた。
跨線橋上から通り掛かりの子供連れが見ている。入換中の貨物列車の最後尾に乗っている作業員が、跨線橋上の人たちに手を振る。いいなー。
大きな船や貨物列車の群れや工場のある光景が、私自身、結構好きだったりする。船舶や貨物列車や工場のような大きいものが動いていたり、あったりすると子供のようにワクワクする。
別な意味で、町工場やそれに隣接する住居も良い。モノを作り出したり、その傍らで生活したりする様子は、人間臭くて何となく他人事でない気がする。
そんな私の様子を見ていたI君は、「JR鶴見線も乗りませんか」と声を掛けてくる。彼は結構、気を遣う人なのだ。
それもいいかもしれない(オイオイ)。日も暮れてきているが、一度、海芝浦駅を見たかったので、ちょうど良いかもしれない。
更にまた欲を掻くことにする。渡りに舟とばかりに、鶴見に向かう。
鶴見線乗り場になっている鶴見駅ホームは古くて、木のベンチがあったりする。いい具合にさびれてアンティークな感じを醸し出している。
電車が鶴見駅を出発する。
平日なら沿線の工場従業員が結構乗ってくるのだろうけれど、休日である今日は少ない。
「土曜ダイヤなんてあるんだねー」
I君の発見である。
駅の時刻表が、3種類ある。
週休二日制が普通になってしまった今では、電車などの時刻表は平日・休日の2種類しかないけれど、以前は、平日・土曜・休日の3通りが当たり前だった。工場の勤務シフトは、従来と変化が少ないのかもしれない。ちょっと懐かしい。
分岐した線路のカーブ上にある浅野駅を出ると、海芝浦方面の支線に入る。
新芝浦辺りで、工場構内を電車が走っている風情になる。分岐した線路が、そのまま工場内の舗装とレベルが同じになって、そのまま工場内に入っている。
こちらは、普通の電車に乗っているのに、貨物列車に乗っているような錯覚を覚える。
工場構内をゴトゴト走って少しすると、終着の海芝浦駅である。ホームと最近設置された小緑地の他は、東芝の工場敷地だ。
ホーム側はすぐ海になっている。ホームのすぐ下、足元の方で水音がする。
ホームから海を見ると、水面を挟んだずっと向こう側に石油タンクの群れや道路用吊り橋が見える。ベイブリッジだろうか。
ホームには「Suica」の簡易入出場端末が設けられている。
駅舎のような建物は、工場への入り口であり、警備員が詰めている。駅員はいない。
建物内には券売機が設けられている。東芝の社内報パンフレットがラックにある。I君も私も、東芝関係者ではないが、持ち帰ることに。
日はすっかり暮れてしまった。
浅野まで出て、浜川崎・八丁畷廻りで、品川に戻る。